★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ヘンリク・シェリングのヴィエニャフスキ:ヴァオリン協奏曲第2番/シマノフスキ:ヴァオリン協奏曲第2番

2022-03-14 09:34:53 | 協奏曲(ヴァイオリン)


ヴィエニャフスキ:ヴァオリン協奏曲第2番
シマノフスキ:ヴァオリン協奏曲第2番

ヴァイオリン:ヘンリク・シェリング

指揮:ヤン・クレンツ

管弦楽:バンベルク交響楽団

録音:1972年3月28日~31日

発売:1976年

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード) X‐5638(6500 421)

 このLPレコードは、ポーランドの2人の作曲家とポーランドのヴァイオリニストおよびポーランドの指揮者という、オールポーランド人による録音という、他に得られない特色を有している。ヴィエニャフスキ(1835年―1880年)は、8歳でパリ音楽院に入学し、13歳でヴァイオリニストとして独立して欧米で演奏活動を行ったというから神童であったのであろう。1935年に、彼の生誕100年を記念して、若手ヴァイオリニストの登竜門として知られる「ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール」が創設され、現在に至るまで同コンクールは継続している。ヴィエニャフスキは作曲家としても知られ、特にこのヴァオリン協奏曲第2番は、現在でもよく演奏会で取り上げられるヴァイオリン協奏曲の一つ。一方、シマノフスキ(1882年―1937年)は作曲家で、4つの交響曲、2つのヴァイオリン協奏曲、2つの弦楽四重奏曲、2つのオペラ、ピアノ曲や歌曲などを遺している。1927年にはワルシャワ音楽院の院長に就任。このポーランドの2人の作曲家のヴァオリン協奏曲第2番を、名手ヘンリク・シェリング(1918年―1988年)が、祖国ポーランドに深い愛着をもって弾いているのが、このLPレコードなのである。ヴィエニャフスキのヴァオリン協奏曲第2番の哀愁を含んだ絵にも言われぬ美しいメロディーを、シェリングは切々と表現する。聴いていて切なくなるほどだ。さらに、シマノフスキのヴァオリン協奏曲第2番の研ぎ澄まされたような感覚を、シェリングは一音一音丁寧に、曲を噛み締めるように弾いてゆく様は、その演奏態度に聴き込むほど、自然と胸を打たれてしまう。ポーランド出身のヘンリク・シェリングではあるが、後になってメキシコに帰化することになる。ベルリンに留学した後、パリ音楽院に入学、ジャック・ティボーに師事し1937年に同校を首席で卒業。この間1933年にソリストとしてデビュー。第二次世界大戦中は、ポーランド亡命政府の通訳の仕事を行いながら、連合国軍のために慰問演奏活動を行った。メキシコシティは、その慰問演奏先の一つであったわけであるが、同地の大学に職を得て、そこで教育活動に専念する。そして1946年にはメキシコ市民権を得ることになる。その後、演奏活動を再開。1954年ニューヨーク市における演奏会が高い評価を得たのを機に、本格的な演奏活動に入り、そして同時に、多くの名録音も遺している。指揮のヤン・クレンツ(1926年―2020年)は、ポーランド出身の指揮者、作曲家。ポーランド放送交響楽団首席指揮者、ワルシャワ国立歌劇場音楽監督を歴任した。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽LP◇ベイヌムのブラームス:交響曲第1番/大学祝典序曲

2022-03-10 09:41:33 | 交響曲(ブラームス)


ブラームス:交響曲第1番
      大学祝典序曲

指揮:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム

管弦楽:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

録音:1952年12月

発売:1978年

LP:キングレコード MX 9072

 このLPレコードは、”ロンドン永遠の名盤シリーズ”と銘打たれた中の1枚である。その名の通り、このブラームス:交響曲第1番の演奏は、永遠に残されるべき名演中の名演なのである。私は、数あるブラームス:交響曲第1番の録音の中でも、このベイヌム盤をそのトップに挙げたい。演奏しているエドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団は、LPレコード全盛時代のスター的存在であり、中でもこのブラームスの交響曲第1番は、極め付きの名演として、当時のクラシック音楽リスナーの多くが賛辞を送ったものである。ベイヌムは後年フィリップスにも録音を残しているが、このロンドンに残した録音は、音はあまり芳しいとは言えないが、ベイヌムの真価が記録されていることから、LPレコード時代には多くのファンから支持されていた。このベイヌムのブラームス:交響曲第1番を聴くと、その力強く、実に堂々とした指揮ぶりにいつも圧倒される。特に求心力の強いその指揮ぶりが印象的だ。圧倒的な迫力を持つ演奏であると同時に、細部にわたり気の行き届いた表現力も素晴らしい。そして全体にどことなく気品が漂った演奏なのである。ベイヌムは、他の指揮者には求められない、何かを秘めていた名指揮者であった。これは、小手先の演奏でなく、ブラームスへの心からの共感から生み出されたものであろう。エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム (1901年―1959年) はオランダ出身の指揮者。アムステルダム音楽院で、ピアノ、ヴィオラ、作曲を学ぶ。1920年にピアニストとしてデビューしたが、まもなく指揮者に転向し、1927年にプロの指揮者としてデビュー。1938年からは、メンゲルベルク(1871年―1951年)とともにアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者として活躍した。第二次世界大戦後の1946年、メンベルベルグがナチに協力したという理由で追放されたため、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督兼終身指揮者に就任し、聴衆から圧倒的支持を受けた。その後、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者に就任(1949年~1951年)、さらに、1956年ロサンジェルス・フィルハーモニックの終身指揮者としても迎えられた。しかし、1959年の4月13日に、アムステルダムでブラームスの交響曲第1番のリハーサルを行っていた最中に心臓発作で倒れ、そのまま死去した。まだ、58歳であり、当時、世界の多くのファンを悲しませた。ブルックナーの演奏で知られたほか、バッハからドビュッシーに至るまで幅広いレパートリーを誇っていた。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽LP◇シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団のフランク:交響曲ニ短調

2022-03-07 10:09:11 | 交響曲


フランク:交響曲ニ短調

指揮:シャルル・ミュンシュ

管弦楽団:ボストン交響楽団

発売:1976年

LP:RVC(RCAコーポレーション) RGC‐1042

 フランクは、数多くの充実した作品を遺してくれているが、今回のLPレコードは、その代表作ともいえる交響曲ニ短調である。私は最初、このシンフォニーの第1楽章を聴いた時、そのあまりの迫力に思わず後ずさりしたことを思い出す。重厚な音楽が何の迷いもなく一直線に突き進む様は、オーケストラの醍醐味を思う存分に味あわせてくれる。第3楽章の高揚感も、他に例えようがないほどである。何か音楽の中心に一本、柱がど~んと入っているような充実感を味わうことができる。そしてこの曲で何よりも大切なのは、指揮者の資質であろう。フランクの音楽の真髄を理解した指揮者でなければ、効果は思ったほど上がらない。その点、このLPレコードのシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団のコンビは、フランクの交響曲ニ短調を演奏するのに最上の組み合わせといえよう。フランクの意図する高揚感をミュンシュは、ごく自然な形で演奏している。このため程よい緊張感に包まれた最上のシンフォニーの全貌がリスナーの前面に展開される。ところで、フランクはフランスで活躍したが、もともとの出身はベルギーである。このため、フランス音楽風の交響曲というより、あたかもドイツ音楽風の交響曲であるかのような交響曲ニ短調が誕生したのではないだろうかと推察される。さらに、フランクは生涯にわたってオルガン奏者を務めたこともあってか、この交響曲ニ短調は、オルガン風の壮麗さを併せ持った作品となっている。指揮のシャルル・ミュンシュ(1891年―1968年)は、当時ドイツ領のアルザス・ストラスブールに生まれ、後にフランスに帰化した。1926年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のヴァイオリン奏者となり、1932年まで楽長のフルトヴェングラーやワルターの下でコンサートマスターを務めた。1929年にパリで指揮者としてデビュー。1937年~1946年パリ音楽院管弦楽団の常任指揮者を務めた。1949年ボストン交響楽団の音楽監督・首席指揮者に就任し、1962年までの13年間にわたってその座にあった。辞任後、国家の要請を受けて、低迷していたパリ音楽院管弦楽団を発展的に解消させたパリ管弦楽団を一流のオーケストラに育て上げるという手腕を発揮した。ミュンシュの指揮ぶりは、男性的な力強さの中に瑞々しい繊細さを秘めたもので、曲全体を壮麗にまとめ上げることに長けていたが、このLPレコードでもそのことが十分に聴き取れる。初来日は1960年で、合計3回来日している。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽LP◇ハンス・ホッターのシューベルト:歌曲集「冬の旅」

2022-03-03 10:10:56 | 歌曲(男声)


シューベルト:歌曲集「冬の旅」

バリトン:ハンス・ホッター

ピアノ:ジェラルド・ムーア

録音:1954年5月24日、27日

LP:東芝EMI EAC‐40096

 シューベルトの「冬の旅」は、ヴィルヘルム・ミューラーの詩に作曲した24からなる歌曲集である。同じシューベルトの歌曲集「美しき水車屋の娘」が青春賛歌のような趣があるのに対し、この歌曲集「冬の旅」は、死の前年に作曲されたこともあり、全体が陰鬱な雲に覆われた冬の不毛の大地を一人歩いて行く様子が描かれ、孤独と寂寥に包まれている歌曲集である。私がこの歌曲集を最初に聴いた時は、あまりの陰鬱さのため最後まで通して聴けなかったことを思い出す。いや、今だってこの歌曲集だけは、気楽な気分では聴けない。まず、季節である。「冬の旅」を聴くには冬、それも真冬の深夜に限る。私はそんな不文律を心に決めている。間違っても汗だくだくの真夏の昼間に聴くべき曲ではないのである。そんなわけで歌曲集「冬の旅」を聴くには1年を通して冬しかないのである。このLPレコードのライナーノートで西野茂雄氏も「ここには『水車屋』の“物語”も、牧歌的な背景もない。灰色の冬の野が私たちの視界をとざし、その中でただひとりの“私”の独白が続いてゆく。『冬の旅』の最大の特徴は、この均質な感情の異様な持続である」と表現している。しかも、この曲では歌手が決定的な要因となる。私にとって、今に至るまで「冬の旅」に最も相応しい歌手はというと・・・絶対にハンス・ホッターしかいないのである。バリトンといってもバス・バリトンの腹にこたえる重い響き、これを表現できる歌手は今に至るまでハンス・ホッター以外に絶対に存在しない、というのが私の信念になっている。「冬の旅」を歌うために生まれてきた歌手がハンス・ホッターだと言ったら言い過ぎであろうか。それにしても、第11曲「春の夢」の一時の安らぎは、とてもこの世のものとは思われないほどの心の安らぎを覚える。ハンス・ホッター(1909年ー2003年)は、ドイツ・オッフェンバッハ・アム・マイン出身。ミュンヘン音楽大学で学ぶ。1930年「魔笛」でオペラデビューを果す。1952年バイロイト音楽祭に出演し、以後15年にわたり主要なワーグナー作品に出演。これにより、ホッターはワーグナー歌いとして広く認められ、特に「ニーベルングの指環」のヴォータン、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のハンス・ザックス、「パルジファル」のグルネマンツなどの役柄において高い評価を受けた。同時にリート歌手としても活躍。中でもシューベルトの歌曲集「冬の旅」のほか歌曲集「白鳥の歌」などが広く愛聴された。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする