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『評価経済社会』~必要最小の低空飛行でも価値観が変われば満足し得る…という話?(´・ω・`)

2011年07月29日 | その他
評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている
岡田 斗司夫
ダイヤモンド社

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
佐々木 俊尚
筑摩書房

『キュレーションの時代』~情報を如何に享受するか

以前、USREAMでやった『キュレーションの時代』についてのラジオで得た知見の流れで『評価経済社会』(著・岡田斗司夫)を読んでました。なかなか興味深い内容でしたが、この本は「今は人間にとって“第三の波”に当たる情報革命の到来によって価値観のシフトが起きている。故に旧来の価値観では、次世代に到来する社会の在り方が実感しずらい(※ 社会自体は地続きに継承されて行くので理解に完全な断絶が起こるわけではないが)」という主張がまず、前提としてあって、旧来の価値観で生きているであろう僕からは、多少すっと腑に落とすのが難しい説もありますね。いや、岡田斗司夫さん自身が、少なくとも元は旧来の価値観の住人で、そこから価値観のシフトを意識して今後の展望説を唱えても、多少、衒いや歪みが入る可能性はあるよね?という事込みで、ですねw

…それでも『キュレーションの時代』と併せて読んでみると、今の世の中の動きが何となく実感できる部分もあります。一つは「資源、土地、環境に対する有限感」から来る「モノ不足」の時代であるという事。…ん。どちらかというと日本経済の低迷に拠る「一億総清貧化」と言った方がしっくり来る気もします。人類全体の価値観のシフトがかなり限定的になったような気もしますが、元々この話は“第三の波”である情報革命を享受できる国なり地域なり、且つ、以前の革命成果であった産業革命の行き詰まりに到達している事が当該条件なので自然、先進国の話になりますね。
もう一つは今、言った情報革命による「情報余り」の時代という事になると。これが『評価経済社会』の中で紹介されている、堺屋太一さんの提唱する『人間のやさしい情知』~人間には豊富なものをたくさん使うことを格好良いと感じる美意識と、不足なものを節約するのは正しい事だと信じる倫理観が存在するという説~に照らし合わせて考えた時にどうなるか?

まあ「モノ不足」だとしたら、経済活動が引き締められるのは必然として、「情報余り」を起こしている“情報界”において不足~貴重なものは何か?というと、それは“大きな評価”それと“小さな評価”という事かなと。“大きな価値”というのはブランドイメージと言ってもいい、定まりを持った多くの人に認められた評価ですね。お金では(なかなか)買えないものという表現もされています。“小さな評価”というのはマイナーな人気という言い方でもいいかと思いますが『キュレーションの時代』でビオトープなんて言う言葉を持ちだした程、マスの成り立たない小さな生息範囲で育まれている価値…という事です。これらは、なかなか手に入らない“貴重品”として扱われる。
ここで“貴重品”なら高値で取引できるはずだ…と貨幣経済で価値を測る脳だと考えてしまう気もしますが、“現実界”の経済は「モノ不足」(と行き詰まり)で緊縮状態、そして“情報界”の評価(価値)は一律に換金できるものではないんですよね。その評価(価値)はある人にとっては100円程度のものかもしれない。ある人にとっては10,000円払ってもいいものかもしれない。…これさえも強引に決めていますが。商品の価格を決める需要・供給曲線が通用しない世界というか、需要曲線の全部に供給側は対応する体制が求められる。

つまり、1円払いたいと思ったユーザーには1円を払ってもらい、1,000円払いたいと思ったユーザーには1,000円を払ってもらう、今は払える額が少ないけど時間を置いてさらに上乗せしたいならそれに対応する。“大きな評価”を守る事、“小さな評価”を育てる事に“情報界”の住人はお金を使って行くのではないか?そして“情報界”の素材は、原価に根差すものは少なく、多くはこういった体制に応え得るもので成り立っているはず。もし、それが0円なら、ユーザは0円をどんどん払ってくれる。しかし、それは価格が0円だからではない。“情報界”には0円のものが溢れかえる事になるが、そこに“評価”がないならユーザは0円すら払わないだろう。
…まあ、たとえば非常に少数のグループに支えられたクリエイターとかね?とりあえずそういう話をしているんですけどね。あと、それらの評価を見つけてきて流通させる“キュレーター”ですね。“キュレーター”にもまた“評価”に晒される対象の一つとなる。効果の漠然とした広告収入はどうなるか分からないけど、アフィリエイトは強い力を持つ。それこそ“キュレーション”の仕方次第で、ほとんどの人に無価値だったものを、多く消費させる事に変換し得るし、ユーザーはその事に満足し得る。……と僕の理解はそんな感じなんですが、どうなんでしょう?(´・ω・`)どきどき。現実のニュースに合わせているので、そんなずれる事もない気もしますけどね。

まあ、貨幣経済社会の価値観においては景気は良くないし、日本の経済が上向きしそうな材料も少ないので、知らずうなだれてしまう事もあるわけですが、それを「今は、価値観の変わり目の時代なんだよ」と言って、別の価値観による社会活動の勃興を謳うのは気が楽になる説ではありますね。……勘違いしちゃいけないのは、それによって景気が回復するって話ではないんですよ?ww…そうではないはずです。そもそも(現実界の)景気云々という価値観とは別の価値観の勃興によって、別の満足と別の活気が生まれると。(場合によってはそれが景気を上向かせるかもしれないけど、あまり強い因果関係にはない)……咀嚼して行くとそういう話に思えます。
あと『評価経済社会』の中においては、実は、価値観が変化している現状で旧来の価値観でそれを見ようとすると失敗する事を説き、人間の価値観は時代と共に大きくは三つの波に代表されるようなパラダイムシフトを経て来た事を本文の半分くらいの量を割いていて説明しています。その人間の価値観の変遷の『物語』が大変面白かったのですが、そこはまた機会があれば、改めて語ったりしたいと想います。


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