【脱英雄譚】【反英雄譚】
(´・ω・`)(マスオさん風に)「ええ?『コードギアス 反逆のルルーシュ』のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと、『めだかボックス』の球磨川禊、それと『Fate/Zero』の衛宮切嗣は、同じタイプのキャラなのかい?」
ルルーシュ「あの日から、俺の心には納得が無かった・・・。噛み合わない偽者の日常、ずれた時間、別の記憶を植えつけられた家畜の人生!しかし真実は俺を求め続ける。」
そう、間違っていたのは俺じゃない!
世界のほうだ!!!
球磨川「あいつらに勝ちたい」
格好よくなくても 強くなくても 正しくなくても 美しくなくとも 可愛げがなくとも 綺麗じゃなくとも 格好よくて強くて正しくて美しくて可愛くて綺麗な連中に勝ちたい
才能に恵まれなくっても 頭が悪くても 性格が悪くても おちこぼれでも はぐれものでも 出来損ないでも 才能あふれる 頭と性格のいい 上り調子でつるんでる できた連中に勝ちたい
友達ができないまま 友達ができる奴に勝ちたい
努力できないまま 努力できる連中に勝ちたい
勝利できないまま 勝利できる奴に勝ちたい
不幸なままで 幸せな奴に勝ちたい!
嫌われ者でも!憎まれっ子でも!やられ役でも!主役を張れるって証明したい!!
切嗣 ―衛宮切嗣の名の下に、令呪を以てセイバーに命ず―
『Fate/Zero』は、まだアニメが放送開始したばかりなので核心的なセリフは避けましたが……「ルルーシュと球磨川と切嗣は、同じ系統のキャラクター」という話は、かんでさんとGiGiさんのラジオで聞きました。けっこう直感で納得できる…というか、かなり示唆に富んだ指摘だと思います。
まずこれは、『めだかボックス』の人気投票で2位の黒神めだかが992票に対し、1位の球磨川禊は3854票!という圧倒的絶対的大差で優勝した事件に合わせて語られた事で「今、そういうキャラはウケる」という意味を多少絡ませながら語ってもいました。実際、彼らはかなりの人気を獲得しているキャラだと思います。
さて、その彼らの共通項ですが……僕なりの言葉で語ると「何か理屈倒れになっちゃっている所?」みたいな話になってくるのですが、もう少し違う角度で詰めると……「自己主張を貫くために、気がつくと“世界全部”を敵に回して、勝ち目が極めて薄い戦いに追い込まれている」とでも言いましょうか?
もう一つは「弱い自分を護り隠すために、極めて強いペルソナ(心的仮面)をかぶっているが、けっこう要所々で、その弱い自分が、やや、ダダモレになっている」所ですね。おそらく、このキャラ毎にある、ある種の二面性というか、そのギャップの部分にしびれて人気が出ているんじゃないかと想像します。
また「現代の先端の『物語』での、男の子のキャラクターはこうだよ」という見せ方の対の存在として「女の子のキャラクターはこうなってる?」という意図で書いた(↓)下記の記事を連想しました。
▼今、そこにいる不器用な子(´・ω・`) ~『まどマギ』とか『AB』とか『うみねこ』とか…
1.近年の複雑化する『物語』を代表するような入り組んだストーリーである事。
2.物語全体が謎に包まれていて、それらを明らかにして行く展開が含まれる事。
3.用意された謎の焦点にヒロイン格のキャラクターが置かれている事。
そして4.そこに置かれたヒロイン格のキャラクターは、真相が分かると「恐ろしく不器用な子」である事、その不器用さもかなり言語を絶する程不器用である事(言語を絶するは言い過ぎかな?w)が判明する事…です。最初は、すごくクールでミステリアスな女の子として登場して主人公を惑わせるのだけど、事が明らかになってみると「ミステリアスなのは不器用で、気持ちを伝えるのが上手く行っていないからでした!<(`・ω・´)」…みたいな感じと言えばいいのか。
僕は、彼女たちの事は、物語中の世界の複雑さを体現/吸収する特異点のような存在に観ていて、こうして(3対3合コンみたいに)並べてみたものの……世界の在り様を見せる“彼女ら”と、世界に個人で主体的に挑む“彼ら”とでは、そもそもレイヤーが違ってあまり共通項的に語れないなあ……まあ、いいやw とにかく「何か感じるので」このまま並べる所まで書いて後、しばらく寝かせちゃえ…。
くらいに考えて記事を書き始めたのですが…ちょっと、今、共通項がティンときた!(゜∀゜)
彼ら、彼女らは、「間違えた道のまま突っ走っている」事が共通していると言えそうです。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、球磨川禊、衛宮切嗣、暁美ほむら、立華かなで、そしてベアトリーチェは、間違った判断をし、間違った決断に至り、しかし強い信念のもと「自らを信じて」一心不乱にその物語を駆け抜けている。
しかし、「元々、間違った判断なので、いつまで経っても、どんなにがんばっても、自分たちの望む場所にたどり着けない」のですよね……そういうキャラたちだと言えます。…ヒロインたちは、その抜け出せない場所に“王子様”が現れて救い出してくれるという展開がついて来るようです。
「間違った判断」とは、何を以てそういうのか?というのは、ちょっと難しい議論ですが、いささかトートロジー的ではありますが「望んだ結果」に行かれない判断が間違いという事になると思います。
そうなんですよね。彼らは“望んだ結果”に対して“採った手段”は「どうしてそうなった?(`・ω・´)」と言わざるを得ない点で共通しています。程度の差こそあれ。
そして、(僕にとって)重要なのは旧来の物語主人公のキャラ、特に『王』とは“反存在”と言っていい存在なんです。…『王』というのは…僕と付き合いのある人や、このブログを以前から読んでくれている方には、分かると思いますが、『王』というのは、思いっきりかいつまんで述べれば「絶対的に正しい判断によって、正しい結果を得てしまう」キャラクター(主人公)の事を指しています。
たとえば『風の谷のナウシカ』のナウシカ、『キャプテン』の谷口(イガラシでもいいかも)、『コードギアス』の枢木スザク(僕は彼は最後に折れたと思っていますが、少なくともルルーシュと敵対しているスザクは)といったキャラがそうです。
彼らはまず、即断即決と言っていい、極めて短時間で“正しい判断”を下します。そして、その信念に基づいて一心不乱にひたすら行動で示します。そうして元々、正しい判断だったので、(時に彼らの行動は、最初は、大変まだるっこしい遠回りに見えたりもするのだけど)結果として予想外の短期間で「望んだ結果」という果実をもぎ取ります。
…完全に上に上げた、「間違えた道のまま突っ走っている」“彼ら”、“彼女ら”とは違う存在、ともすると、それだけで強い憎悪を持たずには居られないようなキャラだと思います。
そうして旧来~漠然とした昔~は、こういう事を目指して設計された主人公か、これに準じた主人公ばかりだったと思います。それを考えると時代は変わったなあ…と、僕が続けている主人公論/ヒーロー論も古いんだなあ…と思わずには要られませんが…いや、古かろうが何だろうが、続けますけどね(汗)
とまれ、今上げたキャラクターたちが、全て“『王』への反存在性”を見出す事ができるのには、意味があると思います。『コードギアス』、『めだかボックス』、『Fate/Zero』、『まどか☆マギカ』、『Angel Beats!』、『うみねこのなく頃に』。いずれも、近年の代表的な、おたく界隈の“先端”と言って差し支えない物語たちだで、それらに6作品の中では必ず、この属性(?)のキャラを見出す事ができるのは、偶然ではないでしょう。
まあ、そこから先は、もう少し色々考えを巡らせてから述べて行きたいので、ここらへんにしておきます。いわゆるゼロ年代の後半~現在までの物語の流れの、キーとして考えてみたいと思っています。
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1 やっぱ『DEATH NOTE』の月くんを思い出します。デスノは、一般化できない複数の信念が相争うバトルロイヤルものと、具体的に現出した世界の仕組みそのものに一介の学生が叩き潰されるセカイ系ノリとをあわせて、旧世界に対する反逆者たる主人公をヒーローとして、というか英雄(←難事業に挑みやがて死ぬ人たち)として描いた作品でした。
2 デスノートもそうですし、時期の近い『シグルイ』、あるいは京アニでアニメ化された『日常』や、ラノベでいまいちばん勢いのある『僕は友達が少ない』などには、敗北へいたる戦い/へし折れる物語/無意味へ回帰するダイアローグ、みたいな共通する発想がありますよね。ああ言うの好きです。
3 『めだかBOX』の球磨川禊についてですけれど、くまー先輩はライトノベルにおける男性主人公の集大成と言っちゃっていいんじゃないかなーって存在である『化物語』の阿良々木暦のネガですよね。ジャンプの主人公的存在とラノベの主人公みたいな男が決闘したり会長・副会長やってたりすんのが面白いなーと思って読んでます。
現代の作品では女性キャラであっても単に受動的であれば「いや、お前動けよ」と不満を抱かれるでしょうし、男性キャラなら言わずもがなですから、目一杯行動した上で行き詰まっているキャラ像がヒロインの立ち位置に収まってくるのではないでしょうか。明確にヒーローの存在しない世界において右往左往する人間像でもあるのでしょう。
1 → 僕の感覚なんですが、記事に上げたキャラは一定以上の“憐憫”を誘うキャラなのに対して、月は“悪人然”とした振る舞いが強く、ちょっとずれる感じです。多分に始祖的な存在ではあると思いますが…。
2 → 『シグルイ』はどうなんでしょうね?実は僕はちょっと“死狂い”という思考に変な思い入れがありまして(汗)またどこかに記事を書きますけど、別の感覚を持っています。
3 → 球磨川はこの類型のキャラの集大成的なものがあるのでしょうね。西尾先生の『少女不十分』を読んだんですが、これらのキャラは多分、この感覚を元にしているのではないかと思ったりも。
Re:方さん
> 現代的なお姫様属性なんじゃないかとも思えます。
…! 目からウロコのご指摘です。ちょっと考えてみます。
まず、切嗣やルルーシュ、球磨川禊は同じようにカテゴライズすることに違和感があります(うまく言語化できませんが)。
それと王という概念でルルーシュらと対照的にスザクのようなキャラについて語ってますが、これも違和感があります。
ルルーシュとスザクは黒と白、コインの裏表のように本質的には同じキャラだが別の道を行く存在として設定されています。
戦争を止めるために父親を殺すという過ちを犯し、名誉ブリタニア人になったスザクはとても不器用であり、王とは真逆です。
スザクなんて間違った道を突っ走る代表キャラのように思えますし、愛する人を失ってますし、本当に欲しいものは得てないように思えます。王と対照的な間違った道を突っ走るキャラの説明はスザクに対してのほうがしっくりくるように僕には思えます。
というか、「間違った道を突っ走るキャラ」って単純に製作者側が一番、物を考えずにつくれるキャラだからじゃないですか?
何らかの能力に秀でていて問題解決能力があるキャラが道を間違っていなければ、普通はすぐ問題解決できます。
こういうキャラは大抵はじめからチートと思われるほどの判断力や能力があるのですから、どこかで道を間違えてないと物語が成立しません。
また、はじめから道を間違えているならばそれに気がついたり、別の道をとるだけで、キャラの成長を物語で描けます。
つまり安易に感動やカタルシスを作りやすいように思えます。
物語としてのテンプレとして機能しやすいため製作者側が大量生産しているだけとさえ思ってしまいます。
能力もあって道も誤ってないキャラが主人公になると、アニメSAOのALO編のように、障害があっても俺TUEEEして遊んでいるようにしか見えず、はやく問題解決しろと視聴者は思うんじゃないですか?
あと、王の対極に「道を間違ったキャラ」を配していますが、道を間違ったキャラの対極は王ではなく、「正しい道を歩めそうだが能力が足りないキャラ」のような気がします。
能力がないからこそ修行して強くなる昔の少年ジャンプ的キャラです。
つまり、強くなる過程をアニメ等で描く時間が昔と異なってなくなったために、道を間違ったキャラを量産したほうが1クールや2クールで物語を作りやすいだけではないでしょうか?
最近のジャンプでも修行とかは暑苦しいから嫌われるらしいですし。
長々と書いてすみません。
90年代頃から世界を救う為に人類を消し去るなど手段は不適切ではあるものの、主人公とは別の正義を持つ悪役が増えたと思うのですが、それを見た人達が救われるべきは悪役に虐げられる者だけではなくて、そうした道を踏み外した悪役ではないかと考え始め、それによって上記に挙げたキャラを生み出されてきたのはある気がします。道を間違えたキャラは不器用なので、ある意味で完全無欠なヒーローよりも親しみを持ちやすい属性だと個人的には思っています。
ところでLDさんは『禁書』はまだ読まれているでしょうか。少し前に登場した上里という上条さんと対になるキャラの話はハーレムものを論じる上で非常に重要なテーマが語られていて、大雑把に言えば特別な力でヒロインを助けて好かれるハーレム主人公はヒロインを自分に依存させて自律性を奪うから駄目だという話です。
ちょっと助けただけでヒロインに惚れられる世界なんて不自然で気持ち悪いだろとハーレムものを批判する点が超面白いですよ。LDさんであれば絶対に楽しめるはずなのでオススメします。
今は『ユーリオンアイス』のような特別だけど特別じゃないようなヒーローが出てきている気もします。
『禁書』は新約からは読んでいません。が、上条さんは大好きなのでいずれ読もうとは思っていました。今度、読んでみます。
下記のサイトが細かい解説を書かれているので、ネタバレを気にしないのであれば、目を通してみて下さい。この9巻と上里の登場する14巻はヒーロー論が好きな方なら凄い好きになれると思います。
http://kodoku21.blog83.fc2.com/blog-entry-3740.html