今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

『魔法少女まどか☆マギカ』~決意と祈りの物語

2011年04月28日 | アニメ


まどか「神様でも何でもいい。今日まで魔女と戦ってきた皆を、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいて欲しい。それを邪魔するルールなんて、壊してみせる、変えてみせる。これがあたしの祈り、あたしの願い、さあ、叶えてよ!インキュベーター!!」

震災による放送延期だった『魔法少女まどか☆マギカ』(監督・新房昭之、脚本・虚淵玄)が先週放送、完結しました。いや、僕はこの『物語』に相当、はまってしまいまして(汗)毎回、次回はどうなってしまうんだろう?とハラハラするし………ん~wハラハラするはちょっと違うかな?(汗)なにやら不安を掻き立てる画面構成から、悪い方の考察……これは“悪い予感”と言ってもいいかもしれませんが、それがズバズバ嵌って行く快感(?)と、それに合わせて状況が悪くなればなる程「どうやって逆転するのか?」が分からなくなって行く緊張感で、ぐんぐんと作品世界に引き込まれて行きました。
何しろ凡て録画で済ませ、リアルタイム放送を視聴する事から離れて久しい僕が、深夜にテレビの前にかじりついてツイッターに色々書き込み、放送後の熱気のままに語り合うという体験もはじめてで、なかなか思い出深い物語になりました。

『魔法少女まどか☆マギカ』は、どこにでもいる普通の少女・鹿目まどかは、ある日出会った不思議な生物・キュゥべいから「僕と契約して魔法少女になって欲しい」と言われる。しかし、同じ日に転校してきた謎の少女・暁美ほむらからは「家族や、友だちが大切なら、今とは違う自分になろうとは思わない事」と忠告を受けていた。魔女と魔法少女による災厄が進行して行くなか、まどかは何を選択するのか……という感じの『物語』かな?
これまであった戦うタイプの魔法少女のオマージュというか逆説の視点というか、そういうものが含まれているのは、間違いない所で。ある種定番のマスコットのような生き物の手引きで魔法少女となる展開から、少女たちには一筋縄ではいかない、過酷な運命が降りかかります。まあ、とは言うものの、これから各記事は『まどかマギカ』を最終回まで観ていないと分からないものだと思いますが、悪しからずお願いしますw


■まどかの救ったもの

▼USTREAM:ハイライト:『魔法少女まどかマギカ』の話題

さて。で、その最終回については、色んな感想、解釈が出ているようなんですが、一応、僕の思った事も書いておこうと思います。まあ、(↑)上のUSTREAMハイライト~ラジオで喋った内容~をリライトするだけなんですけどね。……というかですね。僕の経緯としては、起こった事象から、まどかの観ていた事、思った事を考えていったら、すごい納得したというか…。すごく僕好みの決意だったんだ……というのが僕の感想ですね。

最終回で、まどかって一見世界を救ったかのように見えたりするかもしれないんだけど、実際には世界を救ったわけではない。…というか、世界を都合の良いように改変してしまっている(汗)じゃあ、まどかが何を救ったのか?というと魔法少女“だけ”なんですよね。上に引用したまどかのセリフにもあるように。それも現在過去未来の遍く総ての魔法少女を救おうとして、その願いを言挙げしている。
これ、まどかの契約前にキュゥべえが、魔法少女の歴史をまどかに体験させた事を僕は非常に重要視しています。これによってまどかの視界がガコッと広がってるはずなんですね。そうしてより具体的に救いたいものの対象を認識できた。これが大きいと思っていて……観念だけで願いを発動させると、同じ願いでも何か制御できない不測が生まれるというか、ロクな事にならないというか……まあ、ともかく、まどかにとって願いの叶う形の明確なビジョンを持てた事は大いなるプラスだったと思えます。



じゃあ、魔法少女の何を救ったのか?というと……生命を救ったわけじゃないですよね。まどかは、魔法少女たちの“決意”を守ったのだと言えると思います。まどか的に言うと、どうも“希望”とか“祈り”って言葉になるのでしょうけど、ちょっと、ここでは“決意”という言葉を引っ張ってきたいと思います。

その決意とは何か?という話を、ちょっと後に回すとして………なんで、まどかは、彼女たちの“生命”を救わないんでしょうね?助けてあげればいいのに……って思う人は沢山いると思います。でも、まどかは、そうはしなかった。そこが僕は好きなんですよ。…それは僕好みの決意ですw
まどかは、魔法少女になった少女たちの「生命を引換えにしても叶えたかった願い」を守り、「生命を引換にしようとした決意」を守ったと言えると思います。まあ、別の言い方をすると「願いを叶える代わりに魔法少女になる」という彼女たちがキュゥべえと交した契約(やくそく)を守ったと言う言い方もできますね。
「なんで?そんな契約破棄しちゃえよ!」とか「願いだけそのままにして、彼女たちの生命も救ってやればいいじゃん!」と言う意見も分かるんですけどね。また、そういう願い~たとえば「現在過去未来に渡って魔法少女契約は無効!ただし願いの返品は無し!」…とか?あ、これだと、まどか自身も契約が結べない?……というか少なくともパラドックスに陥るかなw~をしても良かったんでしょうけどね。…まどかはそうはしなかった。

これは僕のまどかの心象『読み』になりますけど………ちょっと循環的になるんですが、まどかは彼女たちを救いたいと思った。それは自分の生命に替えても救いたいと思ったはずです。その願いが叶うなら他に何も要らないと…。その境地に至ったときに、“逆に”まどかは彼女たちの願いがどれほどの意味を持つのか解った。知った。だからこそ彼女たちの“何を守る”べきなのかという、ある決心をしたのだと思います。

それなら、総て一様に、ほっとくのが一番じゃ…って意見が正当にも思えますが(汗)まどかは、いや、そうじゃない、自分は彼女たちを救いたいんだよと考えたんでしょうね。つまり、彼女たちの“決意”を守りつつ、何らかの救いを与えてあげたい……と。こういう組み上げになってきますね。これをロジック的に評するなら、生命を掛けて成された願い~プラス~が、魔女の災厄という~マイナス~に変換される(希望をもたらした分だけ絶望をもたらす)因果を断ち切った。
別の言葉に直すなら、まどかの願いは「願いを叶える代価として魔法少女になる」という契約(やくそく)をそのままにして、“魔法少女”という言葉の意味そのものを書き換えるものだったと。


■その決意をして本当によかったの?

『決断主義』…というのか。ちょっと分からない所もあるんですが、ゼロ年代からこっち、『バトルロワイヤル』(1999年刊行)、『仮面ライダー龍騎』(2002年制作)に代表されるような、「戦わなければ生き残れない!」感覚と、「自分はたとえ他者を傷つけたとしても(自分も傷ついても)その望みを手に入れる!」という決断を持ったような『物語』が台頭してきたと。『デスノート』なんかもこれに入ると。そんな言説があるのですが……まあ、僕が雰囲気に流されてるだけかもしれませんが(汗)少なくとも“おたく界隈”に僕が浸った感覚からすると、こういう流れの話しはけっこうしっくり来るものを感じているんですよね。
これを『決断主義』と言うとして…それをちょっと分解して語ると、この「他者(と自分)を傷つけても~」の志向の中に「その決断は本当に、ホンモノなのか?」という問いかけをする物語が交じるようになったと感じています。『コードギアス 反逆のルルーシュ』(2006年制作)、『マブラヴ・オルタネイティヴ』(2006年制作)なんかがそうですね。いずれも、自らそうすると決めた決意に対して、その覚悟を試されるような強烈な試練が待ち受けている物語です。

僕が最初『まどかマギカ』を観ていた時に感じていたのは、この決意(決断…という言葉がどうもしっくり来ないのでこっちにします)を試す物語…という事です。
どうも、上手く説明できないんですが、その試しは『コードギアス』や『マブラヴ・オルタ』とは違う種類のものと思います。『マブラブ・オルタ』が「その決意は本当にホンモノと言えるのか?」という問いかけをしているのに対して、『まどかマギカ』は「その決意をして本当によかったの?」とでも言うか…。「その決意はホンモノか?」と「その決意をして良かったのか?」はその問う所が違って、それくらいの違いがあるように思いました。

観れば分かるんですけど『まどかマギカ』の試しはものすごく意地が悪いんですよね(汗)僕は『コードギアス』や『マブラブヴ・オルタ』は主人公が決意した事に対して“世界”は、確かにあまりに強大な相手なんだけど、それでも“がっぷり四つ”で勝負をしてくれているというか……決意した事の因果として想定し得る、試練を与えてくれていたように思います。



対して、まどかたちの相手となる“キュゥべえ”は……こいつ、いいキャラだと思うんですけどwとにかくまあ、観れば分かると思いますが、意地悪極まりないwブラック企業の営業扱いしている言説なんかがあるけど、それはそんな外していないと思いますw(ただ、法律で是非を問えない相手ではある)
言葉巧みに少女たちが契約したくなるように誘い、契約の障害となりそうな情報は「聞かなかったから」の一言で済ませて、後はどこ吹く風。そのくせ「契約したのはキミの意志だろ?」と、言質だけは、しっかり拾いに来るwとにかく、がっぷり四つじゃない。勝ち負けで言えば、まともに相手にもされずに一方的に負けて行く展開になっている。

でも、僕は、なんと言うかキュゥべえの言っている事が分かるんですよ(汗)多くの人が毛嫌いするも分かるんですけどw『コードギアス』、『マブラヴ・オルタ』は、何だかんだで『物語』は主人公が決意するまで待ってくれているんですよね。でも、世界はそうじゃない……というか、僕の知っている世界はそうじゃない。
現実は待ってなんかくれない。次から次へと、ガムシャラに選択肢を迫ってくる。本当は大人も子供も関係ない。迷ったり、立ち止まったら、迷ったという選択を元にその責任(因果)を負わされる。情報を吟味する暇なんかない。「知らなかった!」、「教えてもらえなかった!」なんかで許してくれない。容赦なく、知らないままに決意した事の責任(因果)を負わされる。そっちが、早く、決めろ、早く、決めろと迫ったくせに!!(`・ω・´)

………いや、すみません(汗)ニッポンハ平和ナ国ナノデ、あまりそれが表に出ないように配慮しながら“優しい社会”を構築していて、僕自身も選択も程々に、なまぬる~く生きていますよ?(´・ω・`)でもね。それは薄氷の上に建っているものであって、ただ、僕が生ぬる~く決めている(決意)しているから気づかないだけで、恐ろしい選択は必ず混じっているし、その薄氷の足下には、やはり恐ろしい世界が拡がっている…という事は、ある程度、考えを巡らす人なら実感できる事じゃないかと思います。

………僕の被害妄想か、強迫観念が過ぎているだけですかね?(汗)でも『まどかマギカ』は、これに近い世界の景観から物語られているはずで、そこはそんなに間違ってはいないはずだと思っています。そこから考えると、キュゥべえは色々解説してくれる分、まるで利根川さんみたいに優しいんですよ?w…いや、まあ、いいんですが(汗)
しかし、そういう観点であるが故に、キュゥべえの誘いにほいほい乗って契約してしてしまう少女~さやかとか~なんかを観ていると、こう思わずにはいられなかったんですよね。「コイツ(キュゥべえ)の相手を子供にさせるのは酷い!」と。

『魔法少女まどか☆マギカ』~ボクと契約して魔法少女になってよ
なんでこんな事になっているのか。本来、保護者に護られているべき少女たちが、その無垢な心のまま“世界”とまともに交渉をしなければならない物語。それが『まどかマギカ』。
……という一つの“観え方”はあるかな?とそう考えていますね。その象徴……というより、まさにエージェントがキュゥべえという事です。

【MAD】『魔法少女まどかマギカ』~輪舞 -revolution(あとQBについて語る)
そして恐い契約でも、交渉すべき契約はある。交渉しなくてはならない契約はある。(この契約がそうとは言わないけど)…繰り返しますけど『まどマギ』は、その能力を“少女”に求めているのが一番“悪質”な所だと思ってますよ?(´・ω・`)


キュゥべえは、交渉相手の決断する意志は奪わないんですよね。それが本当に“恐い”。そこを奪ってくるなら、そいつは間違いなく“悪”です。(この場合の“悪”とは暴力で処するしかない相手という意味です)それは、これまでと同じような定番のヒーロー/変身魔法少女の出番ですが、そうではないと思う。そうではない所が恐ろしい。

僕はこのブログでも外でも『まどかマギカ』の放送中、何故か(←)やたらキュゥべえの擁護発言をしていたのですが…(汗)その締めくくりの際に、必ずこういう主旨の一言を付け加えました。「子供にそれをさせるのは酷い」と。それは裏をかえせば、少女にまともな決意なんてできない、その責任も負いきれるものではない…と、繰り返し断じたって事です。
何だかんだで主人公として“決意”の時を待ってもらっている、まどかは最終的に「しっかりした決意」をして「その責任を負う」それはキュゥべえと契約しないという選択でも…とは思っていましたけどね。

ん~まあ、そこまでは思っていなかったですが“落差”を作るためにこう言いましょうか。「…け!年端も行かない娘たちが「何と引き換えにしても叶えたい願い」だなんて言っても、それによって失うものの意味も、叶えたい願いの意味も、それを交換する事の覚悟も、わかってやしねえよ!!(僕だってまともに分からないのに)」
…この僕の感覚は、最終的にまどかによって、完全に否定されます。……それが良かった。何かの共感とか、胸がつまるような感動とは違うんですが、その言い切りに何か胸の空くような爽快感を味合わせてもらいました。観て良かったって思いましたね。


■その決意には必ず意味がある



まどか「さやかちゃんが祈った事も、そのためにがんばってきた事も、とっても大切で、ぜったい、無意味じゃなかったと思うの」

……まあ「その決意はまがい物だ」とか「その決意は不充分だ」とか、誰に決める事ができるんだ?って事ですよね。…ところで、まどかのさやかに対するご沙汰を観ていると、魔法少女に対して個別の対応をしているようにも思えるんですけど…どうなんでしょうね?僕は全部一様に連れてったと思っていますけど…まあ、それはそれとして…。
もし、まどかが魔法少女たちの事を「あなた達はみんな、キュゥべえに騙された可哀相な子たちです!!自分の願いを叶えたいばっかりに、その存在を差し出せという意味も分からず差し出してしまった!哀れな女の子です!故に、このキュゥべえの契約は総て無効とします!!」と願えば、魔法少女たちの生命は救われただろう。…しかし、それは魔法少女たちの“祈り”に対する冒涜である。
……いや、すみません(汗)何だろうと、少女たちの生命を遍く救うのは、それはそれで尊い選択であり、決意だと思います。その際に冒涜とか、そんな気にする必要はないと思います。…ぶっちゃけ、僕も皆を救う事を願うなら「こっち」にすると思います。だって元から「子供には酷」って視点だもん。

でも、まどかは違ったんだよね。彼女は魔法少女たちの祈りを守った。それは魔法少女の凡てを知ったまどかが信じる“一番大切なもの”だからですね。

まどかも、彼女たちの生命も救いたかったんじゃないかとも思うんですけどね。願いも保持しつつ…どうしますかね?僕は複数の望みを言う感じになって、あんまり有効なのが思いつかなかったです。そこらへんを掴まえて、まどかを賢くない子扱いする事も可能なんでしょうけどね…。ただ、ハッキリ言えるのは、どちらかしか選べなかった時、まどかが選んだのは生命よりも祈り~願い~希望だったと言う事です。
それは僕は、すごく納得が行く、爽快感のある決意なんですよね。仮に僕が生命に替えても叶えたい願いがあり、実際に、その交換を行ったとしたら「願いをそのままにする方を選んでくれ」って思いますもん。…ロジック上、必ずそうなりますがw

「なにものに替えても叶えたい願いがあるという彼女たちの祈りはホンモノです」→「故に(願いを叶えた)このキュゥべえの契約は有効です」と。ある意味では、まどかはキュゥべえの契約を認めたんですよね。…ただ、ですね。魔女になってしまうのは酷いよねとwまあ、多分、キュゥべえの契約で、魔法少女が最終的に魔女になる情報を開示して契約が成立した事例はまどかだけじゃないかと思いますがwそれは酷いよねとw
……いや、そこをね。さっきのしたり顔で「セカイとはソウイウものだよ?(´・ω・`)」とか言ってもいいんですが、まあ、今は、まどかと一般的な人情の感覚に立ち返って「それは酷いよね」と。
じゃあ、どうするか?(願いを叶える)契約は保持されたまま、逆襲する手はないのか?……ありますよねwさっき述べた「魔法少女の意味を変える」がそれです。契約は「願いを叶える代わりに魔法少女になる」と言うもの。じゃあ、そこの言葉の定義を替えてしまえばいい。…いや、まどかがそこまでロジカルに考えていたってつもりではないんですけどね。元々、この物語の『場』を支配しているキュゥべえにとって“魔法少女”とは「魔女になる前の卵」以外の何物でもないわけです。しかし、まどかは違った。魔法少女に憧れて「こんな魔法少女になりたい」と絵にまで描いた。その夢は一度、砕かれてしまうワケですが、まどかは諦めずに、キュゥべえとその『認識戦』を闘い、最後に世界の改変という形で勝利したワケです。

いや、この子って、自分の本当の願いは一言も言葉にしてないけど、「魔法少女が居る世界にする事」(無論、キュゥべえの魔法少女がいる世界ではない)に決まっていると思うんですよ。それを言葉上は一言も述べないで、全ての魔法少女になった少女たちに救いを与え、かつ、自分の願いも同時に叶えてしまっているという。めちゃめちゃカッコいい子ですよね!w「願い事を言うならこうでなくっちゃ!」ってくらい!

(というか、こういう状況じゃなきゃ、毎回すんごい下らない理由で魔法少女になっていたんだろうなあ…)まあ、そこらへんは戯わ言としてもw生命を、共に歩める時間を、救ってみせれば、すぐに直感的に「良かったね」と思えるんですが、まどかの救いとはそういうものではなかった。…でも、まあ、僕は意識を巡らすと、じんわり感じ取って行けるような納得感があって、すごく好きですね。人にとって“救い”とは、どういうものなのか?それを考えさせてくれた良い『物語』だったと思います。


最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (かんで。)
2011-04-28 06:24:19
記事内容に共感しました。
いろいろと腑に落ちたところがあります。
まどかの至った結論と、「うみねこ」の戦人の至った結論が対象的で面白いですね。魔法少女と彼女たちに共感した視聴者との価値観を尊重したまどかと、縁寿と彼女に共感したプレーヤーとの価値観を見下した(ように見えてしまう)戦人。
 戦人の立場もわかりますが、私はまどかの方を支持しますね。
返信する
Re:かんで。さん (LD)
2011-04-28 08:01:15
戦人は、ある意味珍しい主人公というか、最終段階でも凡て見渡せる視点に立てなかったキャラですよねwかつ、見渡せる視点は縁寿が持ってしまっている。
その意味で、戦人は自分が見渡せる範囲での結論でしか行動できなかったとは言えるかな…と。

あと、僕としては『AIR』を想起させる部分もありました。
バッドエンドに見える人がいる所とか、「それで、よかったんだよ」的な空気を持っている所とか。…僕の『AIR』理解では、という範囲でですけど(汗)

返信する
Unknown (チャッキー)
2011-04-28 10:53:37
「現在過去未来に渡って魔法少女契約は無効!ただし願いの返品は無し」だと矛盾が生じるけど「魔力が尽きかけたらソウルジェムが元の身体に戻る」なら問題はないはず。
ただそれをやると皆が契約したことの価値が軽くなる?
まどかの願いは簡単に言えば契約した皆が「後悔なんてあるわけない」で逝けるようにしたって事ですかね。
返信する
Unknown (てんもん)
2011-04-28 13:49:45
さやかの絶望は、深かったですからね…
彼女は、『報われ無かった恋心』に絶望した訳でもなく、『ライバルの出現を呪った』訳でもなく。
自分の真実が、『純粋に見返りなく百%上条くんの為を思ってした願いが、実は見返りを求めた不純なものだった』と、自分が最低ホストに貢いだ女性、ひいては最低ホストそのもの同じだったと気付いてしまった、という絶望だった。
大人なら飲み込める事実が、彼女には飲み込め無かったから、『あたしって、ほんとバカ』な訳です。
それを、ラストにまどかのお陰で、『少なくとも、最初に願った瞬間は、純粋に彼の為の願いだった』と思い出せたから、彼女は救われた。
彼女を救うには、あれしか無かった。
それをちゃんと見せてくれた。
その点が、この作品を自分がかなり高く評価している点なのです。
まどかは、『少女たちが願って祈った純粋さそのものを守りたかった。だから、命でなく純粋さが邪悪に変換されるプロセスだけを全て破壊した。願いそのものは、残したままで』。
傑作だと思いました。
返信する
Unknown (LD)
2011-04-29 00:44:05
Re:チャッキーさん

> 「魔力が尽きかけたらソウルジェムが元の身体に戻る」なら問題はないはず。

この記事に沿った回答としては…。まどかは最上最善の選択を思いつかなかった子かもしれない。でも、この物語は最善の選択を思いつかなかった子という物語と言うよりは、何か一つしか選べない時、少女たちの生命よりも、その決意を選んだ、そういう物語だったと思います。……みたいな感じでしょうか。まあ、そんな主旨の記事でしたw

それは、それとしてどうなんでしょうね?上手い願いだと思いますが、う~ん(考)「魔力が尽きる」……という事だと、魔女になって消えるまでが「魔力の尽き」という気もします。
…じゃあ、彼女たちが「死んだら、生き返る」だと、どうなんでしょうね?死というものの概念にもよると思うんですが、彼女たちは魔法少女になった瞬間に死んでいるのかもしれない。この場合は魔法少女になった瞬間に少女に戻ってしまって、願いを叶える力場が失われ、願いの成就はされず、一回死んだ少女がそこにいるだけ……でしょうか?あるいは、魔女としての活動を全うしてから、生き返るのかな?何にしても、魔法少女から魔女になるのは、卵が孵るだけで、あそこは死ではないと思うんですよね。
…あと、まどかってキュゥべえに魔法少女の歴史を見せられた時に、こういう逆転系の願いを上げた少女がどうなるかも見ているのかもしれませんね。そして、その願いが必ずしも上手くいかない、最終的にキュゥべえの理屈に沿ったような因果に絡め取られるのを観てきたかもしれません。

また、キュゥべえの擁護っぽい僕は、彼(?)との契約を守って欲しい。それはそのまま彼女たちの決意を守る事でもあるとは思っているんですよね。
そしてキュゥべえは「ボクと契約して魔女になってよ」とは言わず「魔法少女になってよ」と言っている。ここはミソだと思います。

Re:てんもんさん

> まどかのお陰で、『少なくとも、最初に願った瞬間は、純粋に彼の為の願いだった』と思い出せたから、彼女は救われた。

これは記事から割愛したのですが、願いを述べた本人でさえも時が過ぎれば「その時の決意が本当だったかどうか」は決める事ができないんですよね。人間は、後悔すると勝手に過去の物語を改ざんしてしまいますし。
だから、まどかの言い切りって救いであると同時に、苛烈なんですよね。なんであろうと契約した以上は、その決意がホンモノとして、その因果を下すというのは、現象/法則と呼ぶに相応しい存在です。
返信する
RE:LDさん (かんで。)
2011-04-29 02:07:19
>あと、僕としては『AIR』を想起させる部分もありました。
>バッドエンドに見える人がいる所とか、「それで、よかったんだよ」的な空気を持っている所とか。…僕の『AIR』理解では、という範囲でですけど(汗)

 この辺りについても同意です。そして、まどかマギカでは、「AIR」の時より多くの人に対して理解しやすい状況をつくりあげたのだと感じています。
(もちろん両者にニュアンスの違いはあるとも思いますが)
返信する
Unknown (チャッキー)
2011-04-29 17:59:41
「魔力が尽きる」がダメならば、「魔法少女が魔女になる前に元の身体に戻したい」でどうでしょう。
これなら契約そのものを最初からなかったことにするわけでもないので願いは残る。
ただこれをすると魔獣みたいにその分の歪みがどこかに現れそうな気もw

まどかがあえて命を救わない道を選んだ理由を詳しく知るためにはマミさんや杏子の台詞を見返す必要あり?
この二人が魔法少女の心構えを教えてくれた先輩なわけですし。
返信する
Unknown (ひふみー)
2011-04-30 21:18:07
内容に完全に同意いたします。
あと、AIRと似ていると感じた人が自分以外にも結構いるのがわかって良かったです。

ただ、今作にしろAIRにしろ、その価値観と言うのは
非常に“精神的な意味に重きを置く”タイプで、「客観的な視点・価値判断」ではなく
まどかなり観鈴ちんなりの主観、物語の中の登場人物の心のうちに
完全に寄り添う形で思いをめぐらせ(共感・感情移入)ないと
なかなか理解できない部分もあって
あの結末に不満を抱いている人と言うのはその辺りのトラップに
引っかかっているのだと思います。
「物語の世界」「せかいのものがたり」というものを、視聴者・鑑賞者の視点から捉えるか
その登場人物の視点で捉えるのか、という違い。

あと、監督の新房氏は「“魔法少女”というものの意味・重要性を
非常に大切に思って作っています」というような発言をしていたようですが
それはまさしくまどか自身が最初に願い、思い描いた
「(普通の)夢と希望の象徴としての“魔法少女”像」とイコールだったのでしょうね。

そして、この作品はそれを否定し打ち砕くがごとき悪夢のような「QB魔法少女システム」を
描く事で、一見「従来からの“魔法少女”像に対するアンチテーゼ作品」と
見せかけておいて、それを更に超克する事でむしろ従来の
「普通の」魔法少女像というものの価値を再認識し、その姿に回帰するというものだった・・・・

予告にも使われたまどかの「希望を抱くのが間違いだなんて…」というセリフも
この作品を象徴する素晴らしい名言でしたが
自分的にグッと来たのは、あの“人知を超えた超時空間(笑)”での
ほむらとの別れの瞬間、大ラスにまどかが言い放った
「信じようよ。・・・だって“魔法少女は、夢と希望を叶える”んだからさ♪」
という、何ともはやベタベタのフレーズの登場でしたw

結局はこのなんともシンプルで他愛ない、だけど、だからこそ力強い
“願い”・・・想いへと、作品の全ては向かっていたのか、と。
返信する
Unknown (井汲 景太)
2011-05-02 01:19:45
すべての魔女に対して個別対応してるんだと思いますよ。まどかは「すべての魔女を消し去りたい」といったとき、「この手で」と付け加えてますから。こう付け加えなかったら、まどか自身はいち魔法少女として現世に留まったまま、力尽きた魔法少女たちはただ単にシステム的に消え去るだけという可能性もあった………のかなあ?まあ、願いの大きさからして、「この手で」と言った言わないにかかわらず、まどかが毎度毎度お迎えに上がるしかないという顛末になってしまいそうでもありますが。

> 多分、キュゥべえの契約で、魔法少女が最終的に魔女になる情報を開示して契約が成立した事例はまどかだけじゃないかと思いますがw

そういう意味で、最後にはキュゥべえがちょっと人間臭くなったんじゃないか?と思っています…というか、そう見てみるとちょっと楽しい、かな。実際、彼にとっては何の得にもならない事情説明を、まどかには結構大盤振る舞いしてくれたばかりか、「感情エネルギーの回収」という本来の目的がどうなってしまうかわかりもしない、下手したら取り返しのつかないことになってしまいかねない「まどかの途方もない願い」を律儀に叶えてくれましたからね。キュゥべえはまどかに「ほだされ」て、一種「感情移入」してくれたからこそ、世界改変の企てに乗ってくれたんではないでしょうか。

※ この結末にはまた別の観点から不満もあるのですが、それはツイッターにて書きましたので、ここでは触れません。
返信する
Unknown (チャッキー)
2011-05-03 00:45:10
何度もコメントしてすみません。
魔獣がいる世界で荒んでいるのにハッピーエンドと多くの人が感じるのは「終わりよければ全てよし」だからなのかなぁと思いました。
魔法少女が死ぬ時に救いが与えられて、ループしてきたことも最終的に報われ、戦い続けるほむらは死ぬ時にまどかに会える。
あとQBは交渉相手の決断する意志は奪わないですが、さやかが殺されかける状況を意図的に作ってまどかに契約をせまったりとえげつないですね。
マミさんのケースと違ってこっちは酷い交渉。
返信する

コメントを投稿