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ベトナムの思い出。

もう3年前になろだろうか?

フエとホーチミンに行った。

ハノイはまだない。

夏場に行ったことは確かだ。

 

私の韓国介護政策研究の師匠である T 先生が、本日からベトナムを

訪問されることを先生のブログで知った。

ベトナムはどうだったかなあと、ふと思い出した次第である。

<実はあまり思い出せない自分がいる。>

この言い方嫌いなのだが、テレビを見ていると結構な頻度で出てくるので

真似てみた。

 

まずフエに行った。飛行場からタクシーで行ったが、結構な時間がかかったのを

記憶している自分がいる。

フエは、古都であり、ホーチミンに比べて緩やかな時間が流れているように感じた。

フエで、ベトナムの若者に日本語で授業を2コマボランティアで教えたのは確かだ。

時間があったので、近くの<王宮>を訪ねたのだが、

とにかく<バイク社会>であるため、信号が青になっても<歩行者が横断歩道を渡る

ことが出来ない>

王宮に辿りつくまでに何度も<ヒヤリハット>したために、行きで疲れてシモータ。

 

後で分かることだが、フエは序の口であった。怖さのマックスではなかったのだ。

バイクの集団的横暴さには辟易したが、ベトナム料理の美味しさに感嘆する自分がいた。

どの店に入っても美味しい。安い。うまい。美味しい。早い。

 

ホーチミン。

ベトナム独立の始祖<胡志明=ホーチミン>から来ている。

人名が大都市の名前に。

 

どうやってフエからホーチミンに移動したのだろうか。

結構な距離だ。

飛行機に乗った覚えはない。

鉄道に乗った覚えもない。

瞬間移動?

フェー!!!

 

ホーチミンは全くのノープラン。

日本語を勉強する大学生との交流会をしたぐらいだ。

その大学の<クセが強いんじゃ!>的部分だと思うが、その大学生たちが

国際交流する場合、大学教員に連絡しなければならない

という。おかしな話だ。東洋学部のクセ?

 

唯一決めていたのが<戦争証跡記念館>の訪問。

バイク族に追突されては困るので、わざわざタクシー乗車。

行った甲斐がある。

 

ホーチミンで強く感じたのは、<貧困>と<裕福>が隣り合わせになってること。

多くは、裕福と貧困は<棲み分け>されているのであるが、当地は、<貧困>地域に

<裕福資本>が突然割り込んできたので

このような形になっている。

 

私は<中級ホテル>しか泊まらないが、その中級とシェラトンなんちゃらホテルの

間の道路には、路上で自炊し寝る人々が数珠繋ぎに

なっている。歩行者は、道路の際を歩くことになる。

 

ベトナムの最高指導者は、即刻、バイク族の信号無視に大して大きな罰金を課すか免許停止にするかしてほしい。国家政策として

一気にやらないと、この悲惨な状況は続くことになる。

 

T 師匠と旦那様が、バイク族に当てられることなく、無事帰国されることを願うばかりの

<自分がいる。>

 

 

 

 

 

 

 

 

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