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山梨県上野原市のマンホール蓋(その2)旧上野原町

2021-01-11 17:54:58 | マンホール蓋

上野原町の経緯は、明治時代の初めには20あった村が、明治8年までの合併を経て、昭和の大合併前には上野原、巌、島田、棡原、西原、甲東、大目、大鶴の8村体制となりました。その後、上野原村の町制施行を経て昭和30年に8町村が合併し上野原町が誕生しました。
その後、平成17年2月13日上野原町と秋山村が合併し上野原市が誕生し、上野原町は消滅しました。

上野原町は、県東部、東京都と神奈川県の境に位置し、古くは甲州街道の宿場町として栄えました。近年は、二つの工業団地をはじめ大学やニュータウン・ゴルフ場などの開発が進み、産・学・住・遊を地域の振興に結合させたまちづくりが進められていました。合併前は、面積125.51平方キロメートル、人口2.7万人強、世帯数は9.4千世帯でした。

町章は、上野原町の「上の」をデザイン化したもののようです。(昭和31年6月制定)

町の花は「リンドウ」、町の木は「ヤマモミジ」、町に鳥は「ウグイス」です。(以上は、上野原市HPより)

前置きはここまでとしマンホール蓋の整理に入ります。
その1.上野原市で整理した下記デザイン蓋は、1996年(平成8年)より設置開始されているようなので、旧上野原町のデザイン蓋が上野原市のデザイン蓋として継承されているようです。

上野原市と同様、旧上野原町のマンホール蓋でも、他の自治体で見られる規格模様のマンホール蓋は見かける事が出来ませんでした。

次は、小型マンホール蓋です。
こちらは、亀甲模様の汚水蓋です。
 

こちらは、プラスティック製の汚水枡の蓋です。

以降では、上水道関係他の蓋を整理します。
その1.上野原市で整理した通り、現在の水道事業の多くは東部地域広域水道事業団が担っています。しかし、それ以前は上野原町が事業を行っているので上水道関係の蓋は残っています。

最初は、消防関係で消火栓の蓋です。
 
こちらは角蓋です。
   

こちらは、防火用水槽の蓋です。
   
こちらは、左蓋は「防火用水槽」、右蓋は「防火用水」と書かれています。
 

こちらは、上水関係の仕切弁の蓋です。

こちらは、制水弁の蓋です。
   

こちらは、空気弁の蓋です。
 

以上で、その2.旧上野原町のマンホール蓋の整理を終了します。

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