日の丸ウィニングラン未放映問題について、てっくさんが「ユーロの画像」を入手して検証されるのを待っているうちに、花岡信昭氏が取材をしてくださった。
花岡信昭ウェブサイト : NHK「偏向批判」は的外れ・総括
花岡氏の結論としては「当初の筆者の判断『国際映像の制約』は正しかった」ということだそうである。
私には花岡氏の取材と氏の結論は充分信頼できるものと思える。信頼性を数字にすると90%というところだろうか。
なぜ100%でないかというと、
・ 「TOBOの『PRODUCTION HANDBOOK』というペーパー」を見ていない
(仮に私が入手して読んだとしても、素人なので真贋の判断はできないのだが)
・ てっくさんの映像を待って最終判断したい
・ NHKに対する不信感(何かヘマをやって隠してるんじゃないか?)
といった理由からである。
とはいえ、信頼性90%なら充分だ。
私にとっては国家とか警察とか病院の信頼度も80%程度なのだから。
今回の「日の丸ウィニングラン未放映問題」であちこちのブログや2ちゃんねるの関連スレッドを見て回ると、どうも「愛国者」を自称していたり「反日」批判に熱を上げる人たちの二分法的思考が目に付く。
世の中の森羅万象を「親日」「反日」という二つのカテゴリに分類し、反日というカテゴリに入れられた存在(たとえばNHK)に対しては徹底して否定的だ。不信感と怒りが先にたち、事実の検証は二の次にしているようにさえ見える。
「反日」「親日」だけではなく、二分法的思考は視野を狭め精神の柔軟さを失わせてしまう。
「ジェンダーフリー」と「反ジェンダーフリー」、「進歩主義」と「保守主義」、「サッカーファン」と「野球ファン」、「与党支持者」と「野党支持者」、「勝ち組」と「負け組」…
この手の二分法はたいへんわかりやすいけれど、世界をあまりにも単純化しすぎている。
二分法的思考をとる人たちが愛用するのは以下のような言葉だ。
「絶対に」
「どう考えても」
「普通は」
「~に決まってる」
「~以外は考えられない」
「当然」
彼らはまるで自分の常識がすなわち世の中の常識なのだと信じ、自分が「変だ」「おかしい」と思うことは万人にとってもそうなのだと信じているかのようだ。私のように「自分の考え方は非常識なんじゃないか」と日々怯えている(大げさ)者からすると、彼らの野放図なまでの自信に驚くほかない。
私には世の中に「絶対」のものが存在するのか、あるいは「普通」とはどういうことなのかよくわからない。別に「絶対」や「普通」でなくても、いろいろな人がそれぞれの意見を持ち、好きなように言ったり書いたりする世の中のほうが私には好ましく楽しい。
これまでもそのつもりだったけれど、私のブログでは「絶対」や「普通」の威力を借りて誰かを・あるいは何事かを断罪するのはやめようと思う。
私は自分自身の意見だけを書きたい。「絶対」や「普通」の代弁者にはなりたくない(なろうとしてもなれはしないのだが)。
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あるいは、もしかして、ひょっとするとNBCの悪意なのか(上)
あるいは、もしかして、ひょっとするとNBCの悪意なのか(下)
コストの問題
花岡信昭ウェブサイト : NHK「偏向批判」は的外れ・総括
五輪の生中継映像はTOBOと呼ばれる国際組織が制作した「国際信号」を受けて、そのまま各国で放送することになっている。「信号」というのは、映像にノイズ(観客の歓声、音楽、エッジのすれる音など)を加えたものという意味である。各国の放送局はそれぞれ独自のアナウンサー、解説者の音声をこれに乗せることになる。
以上を踏まえて、TOBOの「PRODUCTION HANDBOOK」というペーパーを入手した。「Run ups Figure Skating」とある。フィギュアスケートの中継進行表である。
それによると、「Start Of international Signal」に始まって、第1グループから第4グループまで、競技の進行が分秒刻みで克明に記されている。
問題は、「Medal ceremony」(表彰式、10分)の後の進行である。「After the end of ceremony,the 3minute count must start」とある。
そこを詳細に見ていくと、こうなっている。
・Atmosphere at venue(会場の雰囲気)1分
・General Highlights of session(演技のハイライトのビデオ)1分
・Wide shots of venue(会場の全景)30秒
・Closing animation(終了アニメ)30秒
・End of international signal
以上がどういう意味かというと、表彰式終了後、国際信号は3分で終わるということだ。このうち、「Closing animation」は「Opening animation」と対になっていて、TOBOが制作した30秒ずつの開始アニメ、終了アニメである。これは日本では放送されていない。
ということは、表彰式終了後、日本での国際信号の中継時間は2分30秒しか残されていなかったのである。
花岡氏の結論としては「当初の筆者の判断『国際映像の制約』は正しかった」ということだそうである。
私には花岡氏の取材と氏の結論は充分信頼できるものと思える。信頼性を数字にすると90%というところだろうか。
なぜ100%でないかというと、
・ 「TOBOの『PRODUCTION HANDBOOK』というペーパー」を見ていない
(仮に私が入手して読んだとしても、素人なので真贋の判断はできないのだが)
・ てっくさんの映像を待って最終判断したい
・ NHKに対する不信感(何かヘマをやって隠してるんじゃないか?)
といった理由からである。
とはいえ、信頼性90%なら充分だ。
私にとっては国家とか警察とか病院の信頼度も80%程度なのだから。
今回の「日の丸ウィニングラン未放映問題」であちこちのブログや2ちゃんねるの関連スレッドを見て回ると、どうも「愛国者」を自称していたり「反日」批判に熱を上げる人たちの二分法的思考が目に付く。
世の中の森羅万象を「親日」「反日」という二つのカテゴリに分類し、反日というカテゴリに入れられた存在(たとえばNHK)に対しては徹底して否定的だ。不信感と怒りが先にたち、事実の検証は二の次にしているようにさえ見える。
「反日」「親日」だけではなく、二分法的思考は視野を狭め精神の柔軟さを失わせてしまう。
「ジェンダーフリー」と「反ジェンダーフリー」、「進歩主義」と「保守主義」、「サッカーファン」と「野球ファン」、「与党支持者」と「野党支持者」、「勝ち組」と「負け組」…
この手の二分法はたいへんわかりやすいけれど、世界をあまりにも単純化しすぎている。
二分法的思考をとる人たちが愛用するのは以下のような言葉だ。
「絶対に」
「どう考えても」
「普通は」
「~に決まってる」
「~以外は考えられない」
「当然」
彼らはまるで自分の常識がすなわち世の中の常識なのだと信じ、自分が「変だ」「おかしい」と思うことは万人にとってもそうなのだと信じているかのようだ。私のように「自分の考え方は非常識なんじゃないか」と日々怯えている(大げさ)者からすると、彼らの野放図なまでの自信に驚くほかない。
私には世の中に「絶対」のものが存在するのか、あるいは「普通」とはどういうことなのかよくわからない。別に「絶対」や「普通」でなくても、いろいろな人がそれぞれの意見を持ち、好きなように言ったり書いたりする世の中のほうが私には好ましく楽しい。
これまでもそのつもりだったけれど、私のブログでは「絶対」や「普通」の威力を借りて誰かを・あるいは何事かを断罪するのはやめようと思う。
私は自分自身の意見だけを書きたい。「絶対」や「普通」の代弁者にはなりたくない(なろうとしてもなれはしないのだが)。
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偏向なのか、それとも無能なのか
「国際共通映像」が原因なのか
あるいは、もしかして、ひょっとするとNBCの悪意なのか(上)
あるいは、もしかして、ひょっとするとNBCの悪意なのか(下)
コストの問題
これって、1960年代の全共闘の若者たちの思考に似てますね。右と左の違いはあっても。
でも、「世界を二分法で単純化」できるはずがないとは思うのですが、じゃあ「二分法」するかしないかの「二分法」は?と聞かれると困ってしまいます。
以前の皇統問題でも「男系容認」か「女系容認」の二分法じゃ、私と玄倉川さんは同じ立場でも、「君系維持」か「臣系容認」の二分では別の立場だったわけですし、二分できても、その基準は世の中にいっぱいあるってことなんでしょうか。
「素人目には○○のように見える」じゃなくて「素人が見ても○○なのは自明」という表現なんですよね。そこまでして、自分の印象や感想を一般化したいのかと。
国際信号は表彰式が終わって2分30秒後に終了してしまい、荒川はなかなかリンクから出てこない。単独中継カメラはリンクを映せないインタビューエリアの1台だけ。リンク脇に1台だけいたNHKのニュースカメラがかろうじて日の丸ウイニングランを短時間、撮影できたというのが真相です。
「NHKイコール偏向」という枠にはいらないとおさまらない人が多いのは分かりますが、批判する以上は事実関係を踏まえてからでないとフェアーとはいえません。
このことで相当な誹謗中傷、悪口雑言も浴びましたが、ブログの世界の新参者としてはいい勉強になりました。
http://arakawasizuka.seesaa.net/article/13859345.html#comment
花岡さん、お疲れさまでした。
「まとめサイト」なるものの管理人「しんいち」氏の愚劣極まる対応を見ていれば、
だいたいどちらに理があるかは見えてきます。
「偏向だ~!」と騒ぐ代表的な人物にして、この体たらくなんです。
あとの連中の質の低さは、推して知るべしでしょう。
# それにしても疑問符の後に「。」を付けた文章を見るたびに、
# 違和感というか気分悪いです。
# 基本的な教育を受けていないのでしょうか・・。
http://abcd.s201.xrea.com/img/arakawa_matome_shinnichi.png
肯定も否定も関係なく! 感情的に非難しないと許せない層が一定の割合で、世の中にはいるようですね。
まあ、おまいら皆、戦争やるときは一番最初にテッポダマになってくれや、と思います。思いますが、残念なことに大抵はそんな都合よくいかず、雰囲気の賛成多数で世の中は動いていき、冷静で論理的な人は損をして、世の中の趨勢が変わると、まるで何も無かったかのようにこうしたお調子者たちは口をぬぐうんでしょうね。(嗚呼俺が独裁者だったら!!)
さて、以前書いた僕のイイカゲンなコメントを訂正いたします。
僕自身も時間単位で前もって映像を購入できると思っていたのですが、実際は違っていたのですね。
つまり「リアルタイム映像はオリンピック運営者側で用意されたものしか存在しない」ということなんですね。
まあ、確かに、満遍なく国に贔屓の無い映像を提供するという意味で、そういうものなのかもしれません。
今回、オリンピックに携わった同僚にこの件、軽く尋ねたのですが、全く冷淡に「ありえん」とのことだったので、事細かに追求していませんでした。
情報提供として中途半端だった点については、ゴメン。
でもなー、真剣に取り組むほどファイトがわくような話じゃなかったんで。
「また誰かコテンパンにしやすい悪者を探しているお祭り好きの連中かよ」程度にしか思えなくて、そういう人たちに論理を真剣に語るのはちょっとエネルギー無いです。
>JETさん
子供が大人向けのドラマを見ていて「この人いいもの、それとも悪者?」と訊くようなものでしょうか。
>南郷力丸さん
二分法を全否定するつもりはないのですが、それだけに頼ってる(しかも自分では意識してない)人を見ると正直言ってバカじゃなかろうかと思います。ディベートの道具として二分法を使うのは効果的でしょうが、あまり好きなやり方ではありません。
>uNKNOWNさん
「無垢な・中立的な自分」を疑わない人は、たとえ善意であっても怖いです。
>花岡信昭さん
こちらこそ、引用させていただきありがとうございます。
この件に限らずNHKの偏向を批判したい人の気持もわかりますが、「ウィニングラン未放映問題」は「偏向」の象徴とするには筋が悪すぎました。「国際映像が来なかった」というNHKの言い分が事実なら「偏向」を断じるのは無理です。「偏向説」に立つ人たちの何人かが保守系マスコミ(産経・文春・新潮…)に記事にするよう要請したようですが、どこも取り上げていないのはたぶんそういう判断があったのだろうと思っています。
>abcdさん
「まとめサイト」の管理人さんは「偏向説」のようですが、中立であろうと気を配っておられると思いますよ。
>nomadさん
感情は大事です。感情がなくて論理だけで動く人はロボットじみていて怖いです。
ですが、「自らのうちにあるもの(感情)」と「自らの外にあるもの(他者・世界)」の区別をしない・あるいはできない人は困りますね。