玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

楽しい話と不快な話

2005年08月10日 | 政治・外交
森前首相「派閥会長続ける」
自民党森派会長の森喜朗前首相は8日夜の同派総会で、小泉純一郎首相が衆院解散した場合には会長を辞任するとした前言を撤回した。
 総会では会長辞任問題について、玉沢徳一郎代表幹事らが「そんなことは絶対認められない。小泉純一郎首相とのわだかまりを捨てて、会長として指導力を発揮してほしい」と慰留。これに対し、森氏は「ありがとう。皆さんの発言の趣旨を踏まえ会長をやる」と応じ、会長職を続ける考えを示した。森氏は、郵政民営化法案が参院で否決され、衆院解散の場合は会長を辞任する意向を示していた。


わははははは。
面白いなあ。阿吽の呼吸というか、ボケと突っ込みのコラボレーションというか。ダチョウ倶楽部も真っ青のお約束ぶり。
もちろん森氏は最初から派閥会長を辞めるつもりなどさらさらなかったわけで、「小泉総理との関係に亀裂」とか書いたマスコミはいったいどういうつもりだったのか首をひねる。何かの意図の下にわざと勘違いした記事を書いたのか。それとも素で森氏の「名演技」を信じたのか。謎だ。

さて、そんな楽しい話題だけですめばうれしいのだがちょっと不快な話もある。
今回の解散をどう呼ぶかについていろいろな人がいろいろなことを言っている。
小泉総理は「郵政解散」。
岡田代表は「日本刷新解散」。
この二つには納得できる。郵政民営化の是非を問う選挙だし、日本の明日を決める選挙でもあるのだから。
その他に「やけっぱち解散」とか「駄々っ子解散」とか、ひどいのになると「自爆テロ解散」とまで言う輩がいる。
こういう呼び方は不快だ。
総選挙とは国民の意思をこれ以上なくはっきりとした形で示す、民主政治の原点のはず。それをわざと貶めるような言い方をする人々はいったいどういうつもりなのだろう。民主政治が嫌いなのか。私もうるさい選挙スピーカーは嫌いだが、そういう問題でもないだろう。
政治の空白がどうとか言う人もいるが、8月はいつも国会はお休みで議員は外遊や地元周りをしているはず。前の選挙からすでに3年、そろそろ総選挙で国民の意思を表してもいい頃だ。
今回の選挙では「自民党敗北・下野、小泉退陣」の可能性が高いといわれている(私はそうなるとは思ってないが)。その結果を好ましく思わない人、つまり自民党支持者や小泉ファンが「解散などしなければよかったのに」という気持ちでネガティブな言葉を使うのはまだ理解できる。
ところが、これまで自民党と小泉総理を批判してきた人々が「やけっぱち」だの「自爆」だのという言葉を使うのは何なのか。彼らの言うところによれば、国民は小泉の悪政に怨嗟の声をあげ、腐りきった自民党を政権から引き摺り下ろすチャンスを待ち望んでいるのではなかったか。彼らのこれまでの主張を一貫させるなら、「小泉政権と自民党のやったことは間違いだらけだが、今回の解散だけは正しい。国民の怒りを彼らにぶつける『世直し解散』にしよう」とでも言わなければおかしい。

「解散は理不尽だ」と批判する反小泉・反自民党の人たちこそ私には理不尽に思える。