栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

「新・文盲」が増えると独裁化が進む。

2020-11-12 22:45:07 | 視点

 「文盲」が増えている--。

こう言えば驚かれるかもしれないが、近年、日本人の識字率が下がってきているのは間違いない。

識字とは「読み書き」のことであり、日本人の読み書き能力が下がる傾向にあるのは以前から指摘されていたが、

その傾向は年々増えている。

国語教育の軽視が理数の低下を

 原因はいくつか考えられるが、1つは国語教育の疎かさ。中でも作文。

また昔は当たり前のようにあった、夏休み等の宿題で出されていた「読書感想文」の廃止等が

少なからず影響していると思われる。

 前者は書くことで漢字を覚えるし、後者は読むことで漢字や言葉の意味を覚え、

理解して行くが、この2つともが疎かにされると読み書き能力が育成されない。

 読み書きが多少できなくても問題ない、と思っているなら、それは大いに問題で、

人との会話が通じない(コミュニケーションが取れない)。

人間は言葉(書いたものであれ、話したものであれ)で会話する動物であり、

言葉は一つひとつ意味や概念を持っている。

ところが、その言葉の持つ意味や概念を間違えて話していると他者との

コミュニケーションは成り立たなくなる。

「私はこういう意味で話していたのに、君はそういう意味で理解していたのか。

道理で先程から話がズレていると思っていた」なんてことになる。

 日常生活の中でならそれほど問題になる場面は少ないかもしれないが、

これが政治や外交の場面では大問題になりかねないし、一国の首相ともあろう人間が

漢字の読みを間違って覚えていたりすれば恥ぐらいで済まされない。

通訳が困るだろうし、通訳が間違って訳して先方に伝えるなんてことも起こる。

そうなると恥をかく程度では収まらず、外交問題に発展しないとも限らない。

 この国の一番の問題は国語教育を軽視し、軽視した分だけ外国語(米語)教育に

比重を移しつつあることだ。

それがなぜ問題なのか。それは人の思考と密接に関係しているからである。

人は母国語(生まれ育った国や土地の言葉というだけでなく、言語能力が形成される時期に

最も長く親しんでいた国や土地の言葉)でものを考えるから、まず基礎としての母国語が

しっかりしていなければ、ものを考えることができない。

 例えば理科や算数、数学の成績が悪い子は国語の成績が悪かったりするということが

指摘されている。計算式はしっかり解けるが、記述式の設問の意味が理解できないために問題が解けないのだ。

 それは社会科等他の教科についても言えることで、国語の理解が進めば他の教科の

成績も上がることは充分考えられる。

高校の科目ができない大学生

 大学進学率が54.67%(2019年)の日本で識字率が低下しているというのは奇妙に

思われるかもしれない。高校卒業者の半数以上が大学に進学しているのだから、

識字率がアップしているならともかく低下はあり得ないだろう、と。

 ここで思い出していただきたい。大学入学者の学力が落ちている、と報じたメディアの記事を。

これは今年や昨年の話ではない。それ以前から言われ続けてきた。

近年は入学後に高校授業の「復習」をしている大学が結構存在していると言われている。

 大学に入って高校の授業?と奇異に感じられるかもしれないが、

そうしないと大学の授業について行けない(大学の授業が理解できない)から、

大学側としてはそうせざるを得ないようだ。それぐらい高校卒業生の学力が落ちているということだ。

 要はベースとなる国語力の低下が全ての分野に影響を及ぼしているわけで、

その傾向は強まりはしても弱まりはしないだろう。

そうなった原因の3つ目はスマートフォンの普及と無関係ではないからだ。

 掌に小さなコンピューターを握っていれば、どんなに難しい言葉でも

瞬時に意味が分かる。常に電子辞書を持ち歩いている人がいて、

「これさえあれば東大でも合格できる」と嘯いていたが、あながち間違ってはいない。

今はそれにスマートフォンが加わったから、電子辞書とスマートフォンがあれば

大抵の問題は解けるかもしれない。

 その結果どうなったか。識字率が下がり現代文盲が増えている。

文字を書かなくなった(書く機会が減った)から「読み書き」の「書き」が

できなくなったのは容易に想像がつくだろう。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。