栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

ストリートビューで考えること

2016-09-13 12:34:02 | 視点
 人は様々で、デジタルを喜ぶ人がいれば感心する人もいる。
その一方でデジタル社会を警戒する人もいる。
私は後者のタイプだが、デジタル嫌いのアナログ派ではない。
デジタルに接したのは決して遅い方ではない。
 
 初めてパソコンを買ったのはNECの98シリーズで、OSがMS-DOSの時代だった。
それまでもワープロ専用機(当時30万円近かった)で原稿を書いていたが、パソコンを買ったのは商業データベースに接続するためだった。
 当時、フロッピーディスクといえば8インチサイズで3.5インチはまだ出始め。
当然、パソコンも8インチのフロッピーディスクが主流だったから、私が3.5インチに対応したパソコンを買うと言った時、当時パソコンに詳しい人間からは半ばバカにされたものだ。
それでも絶対小さい方がいい。小さい方がやがて主流になるはずと考え3.5インチ用パソコンを買った。
 この選択は後に正しかったと分かり、私がパソコンを買って数年もたつとフロッピーディスクの主流は8インチから3.5インチに移って行った。

 ガジェット好きで、以来色々なデジモノを買ってきたが、この頃はむしろデジモノにある種の警戒感を抱くようになってきた。
デジタル社会はある意味丸裸と同じで、プライバシーはない社会と考えた方がいい。
街を歩けば防犯に名を借りた街頭セキュリティーカメラその他で撮影されているし、家の庭や、どうかすると室内で寛いでいる様子までgoogleによって撮影されている。
 それなのにこうした状況(プライバシーがない状態)を喜んでいる人たちもいる。
「アマゾンって偉いよね。こちらの趣味が分かっていて、読みたい本を自動的に提示してくれるんだよ」
「Facebookってスゴイですね。もう10数年会ってなかった友人を教えてくれたんですよ。この人は友人ではないですかって」
 彼らが喜々として話すのを聞き、私は逆に恐怖を覚えた。
ネットに接続している限り情報は常に筒抜けになり、誰かによって私の交友関係も、読書の趣味も、何を買っているか、休日にはどこに行っているかまで全て把握されている。
 こうした情報を「アマゾンやFacebookは親切」と喜ぶ趣味を私は持ち合わせていない。
逆に不気味さを覚えてしまう。

 スノーデン氏によるまでもなくgoogleは常に人々の行動を監視する役の一端を担っているが、googleの車が1日中通りの表と言わず裏と言わず、車が走行可能ならどんな細い道でも走り回り、360度周囲を撮影しまくっている。
しかも断りもなく自動撮影しているものだから、たまたまgoogleの車と擦れ違っただけで、ストリートビューに写り込んでしまい、全世界の人間に見られることになる。
歩行姿だけでなく、庭で花いじりをしている姿も、ステテコ1枚で水撒きしている姿も、時には大あくびをしている姿さえ写されてしまうのだ。

 たまたまスーパーに駐車した時、前からgoogleの車が入ってきた。
見るとランプが点灯しているし、エンジンはかかったままだ。
こんな所で写されたんではたまらんと、ドライバーに「いま撮影しているか」と尋ねると、「いや、いまは撮影していません」との返事。
どうやら昼食弁当を買いに寄ったみたいだが、ドライバーがいなくなってもエンジンはかかったままだ。
これで「撮影していません」と言われても、その言葉を100%信じる訳にはいかない。

 現段階では車が走り回って撮影するというアナログ部分が残っているが、やがて近い内にドローンを使って空中撮影に変わるだろう。
そうなるともう塀も囲いも何の役にも立たない。
家の中まで覗き見られることになる。




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