栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

トヨタの不正謝罪会見に見る不遜な態度

2024-06-12 16:30:46 | 視点

 トヨタグループの会長、豊田章男氏はトヨタ自動車の不正が明らかになった時、今後、グループの株主総会にはすべて出席すると明言したが、豊田自動織機の株主総会には急遽、出席しないことを表明しただけでなく、トヨタグループの他の株主総会にも出席しないとした。

 株主総会で追及されるのを嫌がった(恐れた?)のだろう。

敵前逃亡である。

 それにしてもメディア各社はトヨタの不正に対してあまりにも追求しなさすぎる。広告出稿量(料)が多い大スポンサーだから遠慮しているのか。そうとしか思えないが。

 私は豊田章男氏が記者会見した翌日に下記記事をメルマガで書いたが、どこも続いて指摘したところがなかった。

 残念ながらジャーナリズムは死んだのだ。

 

栗野的視点(No.827)                   2024年6月4日
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不正列島ニッポン(3)~トヨタの不正謝罪会見に見る不遜な態度
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 6月3日、国土交通省がトヨタ自動車など5社で不適切事案があったと発表し
たが、別に驚きはしなかった。ああ、やっぱりなと思っただけだ。

 すでに「栗野的視点(No.826):不正列島ニッポン(3)~横行するデータ改ざ
んに手抜き工事
」の「ダイハツの不正は25項目に及ぶ」項の中で次のように記し
ていたからだ。
 
 <不正が相次ぐ自動車メーカーの中で不正に手を染めていないように見えるの
がトヨタだが、日野自動車もダイハツ工業もトヨタグループである。
 そしてダイハツ工業のトップはトヨタの出身者が数代続いていることを考えれ
ば「トヨタは大丈夫」と言い切れるのかどうか。
 トヨタ出身の社長は現場の不正に気付かなかったというならトヨタ在籍時にも
現場のことには目を通していなかったのではないだろうか。>

 三菱、スズキ、日野、日産、SUBARU、マツダ、ヤマハの不正が明らかになる中
で、トヨタ、ホンダだけが不正に手を染めていないのは考えられない、と思って
いた。

 ダイハツも日野自動車もトヨタの子会社(日野は24年末まで)である。しかも
トップはトヨタ出身者とくれば「トヨタイズム」が現場に浸透しているか、浸透
させようとしているはず。
 お断りしておくが、ここで言う「トヨタイズム」はCMで謳っている「トヨタイ
ズム」ではない。トヨタ生産方式に代表される効率主義のことである。
 ダイハツ工業の不正等を見ていれば効率主義を突き詰めればこういう方向に向
かうだろうというのは予測できる。

 不正が発覚した後で指摘されるのが「おかしい」という声を上げにくい社内体
制(風通しの悪さと弁明しているが)の問題だが、これはオーナー企業ほど強い。
 トヨタは豊田氏が、スズキは鈴木氏が絶対権力者である。それに逆らったり、
直言できる者が社内にいるだろうか。恐らくいないだろう。直言まではできない
にしても社員は風を読んで、上の顔色を窺って仕事をする。オーナー企業ほどそ
の傾向は強い。

 当初からトヨタだけが聖人君子とは考えられなかった。むしろ不都合な真実が
発覚しにくい組織体質であり、今まで隠蔽してきたということだけではないのか。

 3日の記者会見もどこか他人事めいて聞こえた。不正を行ってきたことを「認
証制度の根底を揺るがすもので、自動車メーカーとして絶対にやってはいけない
ことだ」と謝罪しているが、謝罪の言葉の前半に「認証制度の根底を揺るがすも
ので」という注釈を入れている。
 謝罪会見の中継を通して見ていると、豊田章男会長は自社の不正謝罪をしなが
ら、実は国の認証制度の方を問題にしているということがよく分かる。

 例えば会見で記者から次のように質問された時の受け答え等を聞いていると随
分不遜な印象を受ける。

 記者:日野自動車の不正を受け、しっかりと調査すべきだったのではないか。
 豊田会長:過去にあったことを、仮にいうご質問にはお答えできない。

 次の言葉は当事者感が薄く他人事めいて聞こえる。
 豊田会長:一斉調査をさせられたことで、ものすごく我々も気づかされた。国
交省の方々にこういう場を持たせていただいたのは、非常にありがたい。

 さらに「不正を完全に撲滅するのは無理」「トヨタは完璧な会社ではない」と
言う言葉は、語そのものはその通りだが、謝罪会見で言うべき内容なのか。私に
は開き直りのように聞こえたが。

 この日の豊田氏の会見は一方で謝罪しながら、他方で国に認証制度の改革を要
請するという次元が異なる2つのことを話しているのはちょっと違うのではない
かと思わざるを得ない。
 また、不正があった車種に安全性の問題はないとも繰り返し述べているのも気
になった。
 エアバックの試験にタイマーで爆発させて行っているとか、本来、左右で行う
必要がある衝撃時検査を片側だけで行い、そのデータをもう片側にも適用してい
て「安全性に問題ない」と言えるのか。
 彼らが言う安全性は車の安全性で、そこには搭乗者の生命を守るという観点は
ないようだ。

 米国の議決権行使助言会社、インスティテューショナル・シェアホルダー・サ
ービシーズ(ISS)とグラスルイス社がトヨタグループの一連の不正問題の最終
責任は豊田章男会長にあるとし、6月18日の株主総会で豊田章男会長の取締役選
任に反対推奨をともに表明したのは当然でまっとうな助言だと思う。

 気になるのは国内メディアの反応で、新聞各社は大スポンサーであるトヨタに
遠慮しているのかトヨタの不正問題(細かい内容、体質、責任)より日本経済に
与える影響の方を危惧する論点になっていることだ。
 不正が長年に渡り繰り返し行われてきた問題の根にあるのはオーナー経営者の
権力集中とものいえぬ体質、拡大主義、効率優先、利益優先の経営があり、そこ
を問題にし、そこから脱しない限り、豊田氏がいみじくも言ったように「不正を
完全に撲滅するのは無理」だし、トヨタのトップがそれを認めているのだから、
トヨタから不正は今後もなくならないだろう。なくなるのは外部への発覚だけに
違いない。


年始のご挨拶を兼ねて~宝玉を掴んだ龍の珍しい木鼻

2024-01-06 08:03:54 | 視点

人類はどこに向かっているのか。
未来に希望はあるのだろうか。


  今年は辰(竜)年。大きく揺れ動く年です。
世界情勢は決して良い方向に進んでいるとは思えず、
人類の未来を憂慮しています。

 上の写真は香川・善通寺で見た珍しい龍の木鼻です。
麒麟の木鼻はあっても龍は珍しい。
私は趣味で寺社の木鼻や狛犬を撮っていますが、
玉を握った龍の木鼻を見たのは初めてです。
 古来、龍は縁起が良い生き物とされています。
その中でも特に縁起が良い玉を握った龍をお届けします。

  ホームページに小説「Nの憂鬱」(http://www.liaison-q.com/KurinoNovel/KurinoNovel-index.html)を連載しています。

 「栗野的視点」(http://www.liaison-q.com/kurino/kurino-index.html)では今後も様々な問題について配信し続けたいと思います。
よろしくお付き合いください。

栗野 良


大久保利通になり切れなかった男

2023-10-10 10:00:30 | 視点

 近年、国会議員から地方自治体の首長になる人物が増えている。地方重視の表
れなのか、それとも地方自治体を舐めているのかは定かではないが、地方から国
へというステップアップの逆が起きているのは間違いない。
 牛後より鶏頭と考え、やりがいをそこに求めるのかと思えば、権力志向で地方
自治体の首長を目指した人もいる。そういう人物の中には「反(脱)原発」を掲
げて当選した後、原発容認に傾き、2期目は初出馬の際に対立した自民党に推薦
を求めた知事もいた。

 政治家としてこれほど優れた男はいないと思われるが、彼ほど成したプラス面
よりマイナス面や好きか嫌いかという本筋以外のことで語られることが多い政治
家も珍しい。
 政治家は政治思想や業績、手腕で評価されるべきである。ところが小沢一郎に
限っては、そういうことより好きか嫌いで語られ、親小沢、反小沢という本来の
政治とは関係ないところで分かれ、話題になる。
 民主党政権時代がまさにそれだった。民主党が政権を取った影の主役は小沢一
郎というか、小沢一郎なくして民主党政権はなかったにもかかわらず、政権奪取
後に親小沢派と反小沢派に分かれ内部紛争を行ったが故に民主党政権は瓦解した。
少なくとも瓦解の一因になった。

 小沢一郎ほどブレない政治家はいない。彼は議員になりたての頃から「政治改
革」を標榜し、良し悪しは別にして、現在の小選挙区制は小沢一郎が目指したも
のである。政権交代が可能な2大政党政治にしたい。彼は議員になりたての頃か
らずっとそう考え続けてきたのである。そのために身を捧げてきたといっても過
言ではないだろう。

 そして小選挙区制は実現できたが、彼が目指す2大政党政治は実現できなかっ
た。野党が弱すぎたからで、強い野党を作り政権交代を可能にしなければならな
い。そのためには数がいる。
 まあ大雑把に言えば、小沢一郎はそう考え、野党の結集を訴え、仕掛けてきた。
過去2度は曲がりなりにも「成功」した。それでも小沢が目指す政権はできなか
った。

 3回目の正直、という言葉がある。小沢一郎の3回目の挑戦は成功するだろう
か。残念ながら失敗に終わるだろう。

非情になり切れない小沢一郎

 なぜ、失敗に終わるのか。

「俺は西郷南洲が本当は好きです。彼には情がある。人間は、やっぱり情だよね」
 その一方で「政治家としては大久保利通に惹かれます」とも小沢は言っている。

 小沢一郎の失敗は「大久保利通になり切れなかった」からだろうと思っている。

情に引きずられ、非情に徹しきれなかったのだ。

 もし小沢一郎がもっと能弁だったら、日本の政治は変わっていたのではないだ
ろうか。彼は例えるなら中小企業の職人タイプの社長である。社員や部下に懇切
丁寧に教えたり、マニュアル化をするのが苦手で、自分でした方が速いと考え、
また自分ですれば望んだ通りの結果を出せる。
 それなら社員教育に力を入れ、自分のノウハウを教えればいいではないかと思
うが、職人タイプの人間にはそれが出来ない。「技術は盗むものだ」という考え
が染み付いている。

 全文はHPでお読み下さい。

 「目を覆いたくなる政治家の質低下(2)

   ~大久保利通になり切れなかった男」

 http://www.liaison-q.com/kurino/Seijikanosituteika1.html


Nの憂鬱20~反戦歌とフォークゲリラ

2023-10-05 11:54:51 | 視点

Kurino's Novel-20                    2023年9月26日
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Nの憂鬱20~反戦歌とフォークゲリラ
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◇顔写真を撮り無言の圧力を

 工学部に巣食う学内右翼による大学正門前の立て看板破壊、全共闘の学長室占
拠、右翼・防共挺身隊の早朝襲撃があり、その過程で器物損壊、中山学生課長に
対する暴行・傷害容疑等で数人が逮捕されるなど、夏休みが明けるとE大はの状
況は一変して騒々しくなった。
 逮捕者に対する接見、差し入れ、裁判支援闘争が従来の活動に加わってきたし、
10月21日の国際反戦デーに向けた取り組みもあったが、この頃になると各セクト
の活動は学園闘争より10.21や、その後の佐藤訪米阻止闘争をいかに闘うかとい
う政治的課題に対する闘争の方が高まると同時に学内闘争も先鋭化していった。

 この頃になるとデモはスクラムを組んでのジグザグデモが当たり前になり、そ
の周囲を「私服」が身分を隠すことなく付きまとい、これ見よがしに真っ正面か
らカメラを向けてバシャバシャッと撮っていった。お前の顔写真を撮っているぞ、
お前が過激デモに参加している証拠だ、と言わんばかりに警察権力による半ば恫
喝である。
 ここまで露骨に顔写真を撮られると、大手企業等への就職を考えている学生に
は効果てきめんで、学外デモへは参加せず、せいぜい学内で後方支援活動を行う
か、それもできない学生は全共闘活動に距離を置くノンポリ学生と化すか、少し
離れた所から見守り「機動隊導入ハンターイ」「不当逮捕に抗議するぞー」とシ
ュプレヒコールで声を挙げるのがせいぜいだ。

 (俺の面は完全に割れてるな)
 写真をバシャバシャと撮られながら、Nはそんなことを思っていた。今更、面
が割れる割れないではなかった。まだ少人数でデモを行っていた当時から写真を
撮られているから面はとっくに割れているし、N自身その自覚はあった。だが、
一般企業への就職試験を控えている連中は大変だろうな、と彼らがデモに参加し
ない気持ちが分からないでもなかったが、「お前ら、それで自分に恥ずかしくな
いのか」と蔑む気持ちもあったが、だからといって誰かをデモに誘ったりしたこ
とはなかった。

       (以下略)

 

全文はHP内の「Kurino's Novel Nの憂鬱」でお読み下さい。

 http://www.liaison-q.com/KurinoNovel/KurinoNovel-index.html

バックナンバー

 Nの憂鬱1:彼思う故に我存在す

 Nの憂鬱2:鳥になった日

 Nの憂鬱3:二階から落下する


茶番劇のジャニーズ事務所会見

2023-09-11 11:22:52 | 視点

 「人は見た目が90%」という本があったのを思い出した。

ビジュアル社会、映像社会になって、人は見た目を重視するようになり、見た目で判断する(させられる)ようになった。

 その結果、外見ばかりを気にする人が増え、外見で騙される人が増えた。言い換えれば本質を見抜く力を失ってきたということだ。

 今回のジャニーズ事務所の会見はそのことをうまく逆手に取り、茶番劇を実に上手に演出した。

 メディアも視聴者も長年に渡り性加害を行った(一部にはそのためにジャニー氏が会社を作ったと指摘した内容もあった)。

ジャニー喜多川氏の姪の藤島ジュリー景子氏が9月5日で社長を辞任して7日に会見を開いたのも、同じく同日副社長を辞任した人物を

会見に同席させなかったのも実によく練られた戦術で危機管理マネジメントの専門家によるレクチャーを何度も繰り返していたように思える。

 会見に同席した藤島ジュリー景子、東山紀之、井ノ原快彦の各氏が揃ってメガネをかけていたのも専門家のアドバイスによるものだろう。

メガネにもよるが、メガネをかけると一見誠実そうに見える。

 第三者委員会の提言から日数がかかっての会見はそういうことの準備にかけた日数だろう。

どこまで認めるのか、社名を残すのか残さないのか、前社長の退任後の扱いをどうするのか等々。

 その結果が代表取締役社長は辞任したものの代表取締役には留まる。

社名変更はせず、そのまま継続して使用するというもの。

 呆れてモノが言えない。

代表取締役社長辞任で取締役会長に就くという例はよく見るが、代表取締役社長を辞任した後も

代表権を持ったまま取締役に留まるという例は知らない。

しかも株を100%持ったままなのだから、普通に考えて何かが変わると思う人はいないだろう。

いるとすれば余程組織に疎い人か、余程のお人好しだろう。

 会見で東山新社長に対し突っ込んだ質問があったようだが、そんなことは欧米では当たり前のことで、

それをとやかく言う方の気が知れない。

 気が知れないといえばメディアの対応だ。

いままで散々ジャニーズ事務所に忖度し、ジャニー氏の性加害を知りながら、そのことに触れず頬かむりしてきたにも拘らず、

そのことに対する猛省がなされず、通り一遍の反省で済ませているのをみれば、この国のメディアは今後も変わらないだろうと思ってしまう。

 中でも問題なのはテレビ朝日。

昼前に「大下容子ワイド!スクランブル」があるが、その中で大下容子アナウンサーはつぎのようにコメントした。

 「自らを厳しく律してエンターテインメントを追及してきた東山さんがプレーヤーを降りるという決断は、

非常につらいものだったんではないかなと思います」

 えっ、社長就任だから即芸能活動を辞め今後の対応などに全力を集中すべきだろうと思ったが、

年内、芸能活動をしながらでも出来る社長業って、代表権を持った社長なのかと思ってしまうが、

そういうことにも触れず「非常につらいものだったんではないか」と同情する報道はちょっと考えられない、

というかテレビ朝日とジャニーズ事務所のズブズブの関係を逆に窺わせる。

「メディアとジャニーズ事務所は距離感はどうだったのかな、というところはやはり私も思っています。

(中略)やはり一定の緊張感をもって接していかなければならないと思いますし、

そのことは今後も私たちもずっと問われ続けることではないかなと思っています」

 どこか他人事っぽく聞こえるのは私だけか。

 個人的には「ワイド!スクランブル」は見ない。

理由は彼女は番組MCなのに、自分の意見を言った後に「と思いますが、どう思われますか」と

ゲストで呼んだ専門家に話を振るが、それはMCとしては違うだろうと思うからだ。

 大下容子氏は役員待遇のアナウンサーである。

だとすればTV局を代表し、今までジャニーズ事務所に忖度し、この問題を取り上げて来なかった自分達にこそ責任がある。

そのことをまずもって視聴者の皆さんに謝罪します、と謝るべきだろう。

 茶番劇だらけの会見と報道ではジャニーズ事務所もメディアも何も変わらないだろう。


「コロナ」が変えた社会(7)~世界はファッシズムに向かう

2023-09-09 12:09:22 | 視点

人はなぜ陰謀論に惹かれるのか

 こうした現象は何も今回が初めてではないが、ここまで威力を持ち、勢力を拡大したのは今回が初めてであり、

それだけにこのウイルスの蔓延は恐ろしい。

 ウイルスは宿主に寄生して生きていくため、ウイルスと宿主は共生関係にあるとも言える。

ウイルスにとって宿主は絶対必要な存在で、宿主が絶命すれば自らも絶命せざるを得ない。

 だから一般的にはウイルスの毒性は宿主を絶滅させるほど強くはない。

しかし、今回のウイルスは強力で、ある地域では宿主を2分させ、互いに闘わせているし、我が国でも一定の感染力を持って広がっている。

 人はなぜ、このウイルスにいとも容易く感染するのか。その背景と今後に及ぼす影響について考えてみたい。

 「人間は考える葦である」

フランスの哲学者パスカルは、人間は自然の中で最も弱い1本の葦に過ぎない、と言った。

だが、それは「考える葦」だと。葦と人間の違いは思考するかどうかなのだ。

 「反省するだけならサルでもできる」というCMが流行ったことがあるが、これは正確に言うと

「反省している動作(ふり)」だけならサルでもできる(猿真似)ということであり、それは「反省」とは別物だ。

 反省とは過去の行動を振り返り、改めるという思考(考える)が伴うからで、「考えるサル」は人間になれるが、

「考えない人間」はサルと同じだろう。

 しかし今、考えない人達が増えている。

風の強さや風向きを見て、風になびき従っていたり、風に逆らっているように見えても、その実、別の意見に同調し、

その強固な信者になっているだけの人が。

 こうした傾向は何も昨日、今日現れたわけではない。

なんども形を変えて現れている。

「フリーメーソンの陰謀」だったり「宇宙人説」や「影の集団」、挙句の果てには「M資金」という言葉も

日本では何度も囁かれては消えた。そのうち最も長かったのが「秘密結社」フリーメーソンだろう。

 フリーメーソンは別に秘密結社ではなかったのだが、組織の実態が広く知られてなかったり、

ベンジャミン・フランクリンやルーズベルト、トルーマン、マッカーサーなどがフリーメーソンの会員だった

こともあり、世界の政治を影で操っているのは彼らだという「陰謀論」がまことしやかに囁かれた。

そういえばロスチャイルド家もフリーメーソンと同じような位置づけで囁かれたことがあった。

 これらは「エスタブリッシュメント」への反発から来る「陰謀論」で、確たる根拠(エビデンス)は

ないにもかかわらずというか、だからこそ一部の人達の間で信じられ、広がっていた。

 なぜ、この種の話は広がるのか。1つには面白さがあり、次に説明の付けやすさがある。

 人は論理的な話をあまり好まない。

それよりはスパッと言ってくれる話の方に飛びつく。

正しいかどうかではなく、分かりやすく感情に訴えるものの方を好む。

 ドナルド・トランプ元米大統領の言動が支持されたのはまさしくこのためだ。

「君たちの生活が苦しいのは移民が仕事を奪っているからだ。移民の流入を阻止しろ」

「SARS-CoV-2なんか怖くない。マスクなんか着けなくていい」

「選挙で勝ったのは私だ。民主党陣営は票を誤魔化している」

 アジアやアフリカの独裁政権が使っているのと同じ言葉をアメリカの大統領が発し、

議会議事堂へデモをかけるように支持者を煽ったわけで、つい先程、ミャンマーの軍事政権が選挙の不正を訴えて

クーデターを起こし軍政を敷いたが、それと同じことがアメリカで起こりかけたのだから恐ろしい。

 さらに恐ろしいのはアメリカ国内ではまだトランプの言うことを信じている人たちが結構いるということと、

日本にも一定数いること。トランプ夫妻はちゃっかり早々とコロナワクチンを打っているというのに。

 論理的な思考より感情に訴える話の方を好むのは日本人も同じ

都合よく説明できる宇宙人説や陰謀論

 宇宙人説や陰謀論が流行るのは、今起きている不可解な出来事を都合よく説明できることも大きく関係している。

 例えばキリストが起こした数々の奇跡や復活もキリスト宇宙人説に立てばスッキリ説明できるし、

エジプトのピラミッドも宇宙人建設説なら実にスッキリ説明できる。

 アメリカの陰謀、ロスチャイルド家の陰謀、ビル・ゲイツの陰謀等々。

とにかく不都合、不可解な現象は裏で〇〇が操っていると言いさえすれば、全て簡単に説明できる。

 陰謀だから理論的、科学的、論理的に説明しなくてもいい。「陰謀だ」と言いさえすればいいのだから。

 こうした陰謀話を聞いた人は最初は半信半疑だが、そういう人には「実は私も最初はそうだった」とか、

別の人を連れて来て「この人も最初は半信半疑で信じてなかったけど、今は彼(彼女)の方が私に情報を

教えてくれるほどの存在」と言えば「そうなのか、この人も最初は半信半疑だったのか。私と同じだ」

という妙な安心感と仲間意識みたいなものを覚え、第三者が信じたのだから本当だろうと思い込んでいく。

 一度そうした感情に陥ると、後は陰謀論信者になるのは容易いことで、それを手助けしてくれる便利なものが現代にはある。

インターネットやSNSだ。

 インターネットに接続して検索すれば「仲間」はすぐ見つかる。そして安堵する。

自分だけではなかった。ほかにもこんなに多くの人が信じているのだ、と。

何事につけ人は独りだと不安になるが、同じ考えの人がいれば安心する。落ち着く。そして群れる。

動画中心の人ほど偽情報、陰謀論に感染

 インターネットは数々の便利なものを我々に提供し、生活を大きく変えることに貢献したが、

その一方で人々を情報漬けにし、真偽不明な情報を溢れさせたのが最大の罪で、今GoogleやFacebook、Twitter、

さらにMicrosoft社はそのことに気づき、フィルターにかけフェイクニュース(偽情報)の拡散を防ぐ必要性を感じ始めている。

 しかし、これは難しい問題だ。

どれが不都合、あるいは害を与える情報で、どれがそうでないかの判断基準をどこに置くのか。

また判断は誰がするのか等々といった問題がある。

 規制を強めれば、最近、力を増しつつある中国や、アジア他で拡大しつつある独裁政権のようになる危険性があるし、

なにもしなければフェイクニュースに正しい情報が埋もれてしまうことになる。

 ところで陰謀論を信じる人達にはある共通点がある。

ユーチューブなどの動画をよく見ているし、彼らが入手する情報はほとんどが動画だ。

 動画は視覚から直接脳へ情報が伝達される(送り込まれる)ため、脳を刺激することが少ない。

そこが本や文字から入ってくる情報と違う点で、文字を読むという行為が加わることで情報が大脳を経由し、

その間に考え、情報の選別をしている。

 つまり動画と文字情報では動画からの方が影響を受けやすく、陰謀論に限ることではないが

他者の意見に感化されやすく、同調性が強いのは動画視聴者に多い。

「ハードファッシズム」と「ソフトファッシズム」

 インターネットは情報の民主制、公開に大きく道を開いたが、今世界で行われていることはその逆で、

情報の画一化、統制であり、それはファッシズムへ続く道である。

しかし、その危険性を意識している人は存外多くない。

 ファッシズムと言えば戦前の軍部独裁やヒットラーのナチスドイツ、あるいは北朝鮮、

軍部独裁のミャンマー政権等を思い浮かべるかもしれないが、

武力による強権的な弾圧政治のことだと捉えれば見誤ることになる。

 

顕在化する民衆ファッシズム

 

ファッシズムの主役は大衆

 

 全文は栗野のHP http://www.liaison-q.com/kurino/Softfascism1.html

栗野的視点(No.738):「コロナ」が変えた社会(7)~世界はファッシズムに向かう で。

 

 


びっくりドンキーでモーニングを食べる。

2023-09-05 14:58:17 | 視点

 以前から気になっていたびっくりドンキーの「モーニングセット380円~」という看板

早朝ウォーキングやシャトレーゼに行く時にいつも見ていたが、

店のオープンは朝8時からで、早朝ウォーキングは6時過ぎか遅くとも7時には

すでに開始している最中だし、日によって歩くコースが違うから、必ずびっくりドンキーの前を

通るとは限らない。

それでも気になる380円。和食のモーニングもあるらしいと最近知り、ますます気になっていた。

 この日はたまたま途中でカメラを取りに引き返し、出直したからびっくりドンキーの前に

8時頃に通るコースに変えて歩き、店内に入ってみた。

外観はちょっと時代遅れ的で、外の通りから中が見える大きなガラス張りでもないので少し入りにくい。

店内にはまだ誰も客がいず、私が一番乗り。

というか、早朝から入店する客がいるとも思えない雰囲気の店内。

トーストにゆで卵とコーヒーが付いて380円は安い。

オプションのサラダが110円なので、サラダも一緒に注文した。

 モーニングセットを運んできた店員と少し会話をする。

「ここ、以前からあると思うけどオープンして何年?」

「12年になります。隠れ家的な店だと言われます」

そうだろう、あまり目立たないし、入りやすい雰囲気の店だからね、と

思ったが、それは口にしなかった。

店内外の感じから言えば十分改装する時期だと思うが、直営店が多いびっくりドンキーの店舗の中では

ここはフライズ店なので改装に金をかけたくないのだろう。

特にコロナ禍で3年ほどは客も減っていただろうから。

トーストは少し焼きすぎだったが380円でこれは文句なしだ。


阿波おどり会館で観た阿波おどり

2023-05-30 14:50:55 | 視点

 

 

 

 

 

 


徳島・阿波おどり会館で阿波おどりを観る(2)

2023-05-26 18:00:14 | 視点

 左端で踊っている若者の踊りがエネルギッシュで

阿波おどりの範疇を超えているのではないかと思わせるぐらいに

宙を飛び、床を蹴り、跳ねていた。

 

 

 

 

 


徳島・阿波おどり会館で阿波おどりを観る(1)

2023-05-26 11:15:35 | 視点

 四国・香川が讃岐うどんなら、徳島は阿波おどり。

讃岐うどんは季節を問わずいつ行っても食べられるが、阿波踊りが観られるのはお盆の時のみ。

そう思っていたが、観光客用に阿波おどり会館で午前と午後に実演が開催されていた。

時間を調べて行けば本場の阿波おどりが楽しめる。

といっても出演者の人数は限られているから8月のイベント時のような醍醐味は味わえないが。

だが、その代わりに身近で観賞することができるし、阿波おどりの手ほどきもしてもらえる。

 阿波おどりがこんなに色っぽいとはこの時初めて知った。

えらいやっちゃった、えらいやっちゃった、よい、よい、よい

と踊り狂うのとはまた別のしっとりとした踊りを魅せられた。