栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

脱PC・スマホで売り上げアップ

2014-04-28 19:56:51 | 視点
 ITは私達の生活や仕事を便利にしてくれたが、その一方で人々から思考を奪い、ロボット化し、70億総白痴化をなしつつある。
その弊害をもろに受けているのが企業だ。
仕事の効率化、情報の一元化を目指して導入したPC、タブレット、スマートフォン(スマホ)などのIT機器が逆に作用し、社内のコミュニケーション不足、現場情報不足、仕事の非効率化を招いているというのだからなんとも皮肉だ。
そこでこれらの機器の使用を社内や部署で禁止しだした所もある。

社内、部署からPCを追放した企業

 デジタル化が我々の生活を便利にしたのは疑う余地がない。
にもかかわらず、それらの使用を禁止、あるいは制限しようというのだから、よほど時代遅れの企業、頭の古い経営者だろうと多くの人が思うに違いない。
それが逆なのだ。
それもIT関連企業がITを否定するような動きを取っていると聞けば、経営者なら多少なりとも興味が湧くのではないか。

       (中 略)

スマホをやめて売り上げアップ

 次はスマホの利用を禁止した企業の例。

        (以下略)



 ☆全文は「まぐまぐ」の下記ページで
  http://archive.mag2.com/0000138716/20140415000251000.html

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スマホが変えた行動

2014-04-22 12:12:04 | 視点
 スマートフォン(スマホ)やタブレットは、携帯PCを求め続けた私にピッタリのデジモノかもしれない、本来なら。しかし、スマホもタブレットも使わない。

 いままでさんざんポータブルPCに金をつぎ込んできた結果、結局、外出先で原稿を書くことも、外出中にメールの送受信をしなければならない程急ぎの用件もない。常にインターネットで世界の情報をチェックしなければならないほどグローバルな仕事もしていない。

 外出時には街や景色や人を観察したり、人と会って話をする方がよほど楽しいではないか。その方が生の情報が手に入る。これが1つの理由。

 もう1つはデジタルがもたらす効果に疑問を感じだしたことにある。
人々はデジモノを手にすることで本当に幸せになっているのだろうか。「なにかを得るために、なにかを失った」(テレビ東京の「ナゼそこに? 日本人~知られざる波瀾万丈伝」の常套ナレーションだが、この番組好きでよく見ている)ではないが、スマホやタブレットなどのコンピューターを常に持ち歩くことにより、生身の相手とのコミュニケーションの取り方を忘れ、生の情報収集を忘れているのではないだろうか。

 例えば社内の報告書、プレゼン資料は言うに及ばず、外部の企画書、提案書の中にはよく似た内容のもの、タイトルだけ変えればどこの企業、商店街にも通じるようなものが多い(控えめに表現して)。

 まあ、学術論文にさえcopy & pasteがはびこる時代だからその程度は大目に見ろということなのかどうかは別にして、この10年近く、どこに行っても同じ光景を目にするのは多少気味が悪い。

 電車やバスの中はもちろん、スターバックスや、ホテルのロビー、会社の休憩室、昼食後の公園、さらには順番待ちの行列でも、皆一様に押し黙り小さな画面を見つめている。
彼らの目にはスマホの小さな画面しか映ってなく、周囲に人がいることなど全く気に留めてない。
もしかすると自分がいま見つめている世界が現実世界で、周囲の世界は仮想世界だと思っているのかもしれない。
でなければ、自転車に乗りながら、車を運転しながらスマホを見つめ、操作をすることなど考えられない。

考えられないといえば、つい数日前、商業者を運転しながら弁当を食べているドライバーを目にした。夕方の、車が多い時間帯にだ。

 それにしても、一体いつから日本人はこうした行動を取り始めたのか。



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「気が付けばデジタルガラパゴス」への読者のコメント

2014-04-15 11:05:38 | 視点
 今春はまるでエレベーターに乗っているように気温の急下降・急上昇が続きましたが、
やっと春らしい日になりましたね。
 ただ、気温が急上昇したため花々も多少戸惑ったようで、九州地区の桜は散り急ぎました。
そして代わりに藤の花が周囲に甘い香りを漂わせだしました。
例年より早めの開花だと思います。

 ところで、桜の花は何色でしょうか?
桜色、ピンクに決まっていると思われるでしょう。
紅色といってもソメイヨシノはほとんど白に近い薄いピンクですし、緋寒桜は濃い紅色。
その間に陽光桜、枝垂れ桜、オオシマザクラ、薄墨桜などの色があり、
八重にもカンザン、ベニユタカ、フゲンゾウ、シロタエといった種類があります。

 これらは濃淡はあってもピンク系の色ですが、少し変わったところでウコンザクラがあります。
名前の通りウコンの根を使って染めた鬱金色に似た花が咲くところから名付けられたようです。
 咲き始めは淡い黄緑色。散る前に紅色に変わるそうです。
(散る前の色はまだ見たことがありません)

 皆さんの桜の概念を覆すのは緑色をした桜、御衣黄(ぎょいこう)でしょう。

写真はブログ「栗野的風景」「御衣黄桜が見頃」にアップしています。
 (http://blog.livedoor.jp/kurino30/archives/52651190.html

 常識で見ていると、違うものもあるということですね。

 さて、以下は読者のレセプター・平田教光社長から届いたコメントです。

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今回の視点も楽しく読みました。
> ASUSのネットブックだ
ネットブックが効果的だと言うことに賛成です。
スマホやタブレットはまだ発展途中なので利用者に負担を強いています。
モバイルルーター+ネットブック+携帯電話がいまは最強の組合せと思っている
のでヨロヨロじゃないですよ。ご安心を。

> 理由は140字以内という文字数制限。
功罪ある制約と思ってます。Twitterを文字ラジオと考えると一方通行メディア
として140文字は効果的と思ってます。

> デジモノを手にすることで本当に幸せになっているのだろうか。
新幹線が走り各駅の名物駅弁が消えたり、飛行機が飛んで一泊出張が日帰りになったり、
進化は何時も今ある幸せを捨てることになるので悲しいです。
なにか替わりの新しい幸せを見つけないとやってられませんね。

最近は先輩や同僚の貴重な情報交換の場であった「酒飲みニケーション」も「グ
グリ脳」には不要で、皆でお酒を交わす機会も減っているそうです。

SuperITコンサルタント 平田



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気が付けばデジタルガラパゴス

2014-04-13 10:47:04 | 視点
デジタルガラパゴスに

 気が付けばすっかりデジタルガラパゴス化--。スマホは持たないし、ツイッターもFacebookもしない。タブレットはつい最近、買ってはみたもののほとんど使わない。これではデジタルガラパゴスと言われても仕方ない。
 と言ってデジタル嫌いではない。むしろデジモノ(デジタルなモノ)好き、新しもの好きの方だ。パソコン(以下PC)はWindowsが出る前のMS-DOSの時代から使っているし、早くから複数台のPCやノートPCをLANで接続し、データを共有していた。

 最初に買ったパソコンはNECの98シリーズ。当時、8インチフロッピーディスク(FD)が中心の時代だったが、絶対FDは小さい方がいいと考え、出始めの3.5インチFD用の機種を買った。DOS/V機と呼ばれていたPC/AT互換機が出始めると、今後は絶対DOS/V機が主流になると考え、98系から完全に乗り換えた。
 電子メールはパソコン通信と言われていた時代から使っているし、PCの携帯性、データの互換性にこだわり、電子手帳の類や、いまなら8インチタブレット程度の大きさのミニノートパソコンを何台も買い増すなど、デジモノには随分金と時間を投入してきた。
 ドブに捨てたというのは言い過ぎにしても、「趣味」の世界ほど高く付くものはない。それらの中で唯一例外的にコストパフォーマンスが最もよかったのが3万円台前半で買ったASUSのネットブックだ。今も現役で使っているし、旅行の大事なお供だ。デジカメで撮影した写真のチェックと日記、メール、インターネットにと大活躍している。
 タブレットはSDカードスロットや外付けHDDを読み込むためのUSB端子、キーボードがないから、私の用途に向かない。8ないし10インチサイズで、ネットブック程度の価格のPCを発売してくれないかと熱望しているが、メーカーにその気はないらしい。
 まあ、マラソンに例えるなら最初の10km地点ぐらいまでは先頭集団の後方か第2集団の前方で走っていたが、中盤から遅れ始め、いまや最後方集団の中でヨロヨロと走っているというのがいまの私の現状。

140字は誤解を生じやすい

 「ツイッターやFacebookはしないんですか」
時々そう問われることがある。ホームページ、ブログも複数開設しているから、ツイッターやFacebookをしていてもおかしくないと思われるのだろう。
だが、ツイッターはするつもりがなかった。理由は140字以内という文字数制限。
 コミュニケーションの中心は言葉と思われているかもしれないが、相手と交わす情報の中で言葉が占めているのはわずかに35%だけである。では残りの65%の情報はどこから得ているのかといえば、ノンバーバル(非言語的要素)からだ。

 要するに身振り手振り、顔の表情、間の取り方などから相手の意図を読み取っているわけだ。文字だけのやり取りでは相対して話す場合に比べて意思疎通は3分の1近くまで下がる。メールのやり取りで誤解が生じるのはこのためである。
 それでなくても意思疎通を図りにくい文字だけのやり取り。それをさらに140文字以下に制限すれば、さらに誤解が生じやすくなる。

 tweetとは鳥のさえずり、鳥がさえずること。twitterとはさえずる人、お喋りをする人のことだ。鳥がチ、チ、チッとさえずるように短い言葉を発していく、そういうスタイルは頭の回転が遅い私にはとてもできない。メルマガ、ブログに書く文章でさえ、これでも結構吟味しながら書いているつもりだ。
 それはともかく、鳥のさえずりはデジタルより、野山に出てアナログで聴きたい、と思う。その方が心が癒やされる。







人は見た目に騙される~小保方、佐村河内騒動の背景から学ぶもの

2014-04-03 09:21:52 | 視点
 人は見た目に騙される--。
そのことを象徴するような騒動が相次いだ。
1つは「全聾の作曲家」を偽った佐村河内守氏騒動であり、もう1つは「STAP細胞」騒動である。
音楽と科学という一見なんら関係がなさそうな両者だが、よく見ると今回の騒動の裏にはいくつもの共通点が見えてくる。

論文不正の背景にあるものは

 もともとマスメディアを集めてセンセーショナルな発表の仕方をし、小保方氏を必要以上に持ち上げてきたのは理研ではないか。
野依理事長はじめ彼らはいまでこそ被害者みたいに振る舞っているが、「論文の体をなしてない」とか「未熟な研究者」を見抜けなかった自らの不明を恥じるべきではないのか。
彼らが会見で口汚く小保方氏を罵れば罵るほど、それが良識ある科学者の態度かと思ってしまうのは私だけだろうか。

 さて、「STAP細胞」騒動である。
どうやらこの問題の根は深そうだが、問題にしたいのは他者論文(文章)の「コピペ(copy & past)」に対して「やってはいけないことという認識がなかった」と小保方氏が答えていることだ。

 要はデジタル世代にとってコピペは普通に行われていることであり、小保方氏だけの問題ではないだろう。となると今後も同じような問題はあらゆるところで出て

     (中 略)


人は見た目に騙される

 ところで、小保方氏が30歳という若さでなく、メガネをかけた、どこか冷たそうなリケジョで、割烹着ではなく白い上っ張りを着た実験女子風だったら、科学とは関係メディアまで「STAP細胞」を競うように取り上げただろうか。
 同じことは「全聾の作曲家」と言われた佐村河内氏についても言える

     (中 略)


優れたプロデュース・演出力


     (以下 略)




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