ちょっと色のバランスが・・・。



 兵庫県多可町まで群生している彼岸花の写真を撮りたくて出かけたが

群生というか、あまりにも小規模だったため少々ガッカリして早々に引き上げたが

わざわざ兵庫県まで足を伸ばしたのに、このまま帰るのではガソリンの無駄遣いと

考えたわけでもないが、それなら南へと下り加古川市に向かった。

志方町の円照寺に白や黄色、ピンクの彼岸花が咲いているという情報があったからだ。

群生ではなく園芸種(?)を植えたのではないだろうかと思ったが、多可町から30分余りの距離

だったのでとりあえず行ってみた。



 結果は予想通り。

たしかに白や黄色に赤い彼岸花が植えられていた。

ピンクの彼岸花も咲いていたようだが、それは9月上旬ですでに枯れたとのこと。

彼岸花科には属するものの黄色い彼岸花といわれているものの正式名称はショウキズイセン。

通常リコリスと呼ばれている花で、ピンクの彼岸花と言っているものもリコリス。

それでも赤い彼岸花しか見たことがない人には珍しいようで、車でそこそこの人が訪れていた。

ただ黄色のリコリスの本数が多く、色の配置からいえば少しドギツイ感じがした。

むしろ赤い彼岸花を増やし、その中に白と黄色を数本配置するぐらいの方が却って見栄えがしたのではないか。

そんなことを感じながら円照寺を後にした。








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兵庫県で彼岸花を観るならここ



 兵庫県で彼岸花の群生地はないに等しい。

かろうじて言われているのが多可町中区糀屋の大歳神社。

多少の不安を抱えながらも足を延ばしてみた。 

小さな祠がある神社の境内(?)に彼岸花が

たしかに群生(?)していたが三次市や島根県、岡山県の群生地に

比べればあまりにも物足りないので早々に引き上げた。

上下の写真がそうだが写し方によっては

このように群生しているように見える。





 これなら美作市内で彼岸花の写真を撮った方がましと

引き上げる途中で目にしたのがこの光景。

早速、車を停めて写真を撮り、さらに周囲を歩くと

あちこちに彼岸花が咲いている。

多可町でガッカリしただけに、ここでは写真を撮りまくった。



 場所は西脇市明楽寺町。

この辺りはほとんど知られていないとみえ

写真を撮っている人は皆無だったが、兵庫県で

彼岸花の写真を撮るならむしろここがお勧め。














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白い彼岸花と我が家の珍客



 昨日、花壇の白い彼岸花が花開いた。

コスモスの影に埋もれて日当たりが悪かったので、

少し陽が当たるようにしてやったからか1日毎に花が開いていく。





 昨夕、岡山市で某社を取材し帰宅した後、彼岸花の様子を見に行くと

側溝でチィーチィー、ギャーギャーと鳴きながら小鳥が羽をバタバタしていたので

しばらく様子を見ていたが、どうやら飛べないようなので、怪我でもしているのかと

そっと掴んで、あちこち見てみたが小鳥のことはよく分からないが、片目を閉じている。

少し休めば元気になって飛んでいくだろうと思い、花壇のコスモスの下にそっと置いてみた。

しばらくして様子を見に行くと縮こまって身動きしないので、コスモスの下から取り出し

今度は庭に置いた。もしかすると親鳥か仲間が近くに来るかも分からないし、

翌朝には飛んでいっているだろうと思いながら。



 ところが今朝は雨。

起き抜け、庭に出て小鳥の様子を見に行くと昨日の場所にじっとしたままだったので

雨に濡れて体が弱ってもいけないだろうと家の中に招き入れた。

手でそっと掬い上げるように掴もうとするが、危害を加えられると思い

ギャーギャーと鳴きながら羽を広げて逃げ回る。

いや、飛べないから逃げ回れない。

そっと手で掴むと少し安心したのか指に止まった。



 お腹が空いているだろうとご飯粒を持っていくが知らんぷり。

ならと、こちらが朝食を済ます間、キッチンで自由にさせておいた。

しかし、昨日からおそらく飲まず食わずの状態のはず。

なんとかしなければとペットボトルのキャップに水をいれて置き、

その側にご飯粒やパン粉を置いておいたが全く口にしようともしない。



 そこで思い付いたのがミキサーに残ったジュースを水で薄めて皿に入れて置いてみた。

最初は近づきもしなかったが、しばらくして様子を見るように近づき

やがて皿にクチバシを近づけて飲みだした。

何度も何度も飲んでいる。

そうだろう、喉も乾いているはずだし、お腹も空いているに違いないのだから。



 特製フルーツジュースの効果はあったようで昼頃にかけ徐々に元気を取り戻してきた。

すると今度は外に出たいのか、しきりに窓辺に寄り、外を眺め、羽をバタバタとする。

だが、まだ飛べるほどには回復していない。

この状態で外に出て雨に打たれれば死んでしまうだろう。

もう1、2日は我が家にいるしかない。

小さな糞を3回もしたから間もなく元気になるだろう。





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福祉に生涯を捧げた男が造ったテーマパーク・太陽公園



 姫路観光といえば姫路城と好古園、それと中心部からちょっと外れるが書写山円教寺ぐらいしか知らなかった。

姫路城は何度か行ったことがあるし、書写山円教寺はもう一度行ってみたいとは思うが、夏場は避けたかった。

そこで色々探していると「ちょっと変わったテーマパーク」として「太陽公園」が紹介されていたので、

とりあえず行ってみることにした。

まず目に入ったのが山の上に聳え立つ西洋の城。

どうやらここが「太陽公園」らしいと車を走らす。

 入り口で入園料(1,300円)を払い、もらったパンフレットを見ると園内は「城のエリア」と

「石のエリア」の2箇所に分かれていて、入り口も別になっていると知る。

下から城が見えた方が「城のエリア」だが、先に「石のエリア」に行く。

パンフレットには「石のエリア」を見て回る時間は平均120分と書かれているから、

それだけでかなり広大な敷地と想像がつく。

 ★「石のエリア」の写真は「栗野的風景」に多数アップしているので、そちらをご覧ください。

   「栗野的風景」http://blog.livedoor.jp/kurino30/



 パンフレットを見て気になったのは裏面に「障がい者の社会参加と自立を願う

太陽公園は、観光と福祉の融合により新しい福祉を創造することをめざしています」

と書かれていたことだ。

 テーマパークと福祉、どういう関係があるのだろうか?

その謎は園内を見て回っている内に溶けたが、「城のエリア」では入ってすぐの場所に

下の写真の石碑が建てられている。

それらの石碑の文章を読んで「太陽公園」建設の理念、なぜ「太陽」と名付けたのかが分かった。

「愛の貫徹」と書かれた下には次のような文章が続いていた。

 <1947年4月1日、私は「愛の貫徹」をテーマにして

  生活に苦しむ人よ、障害に苦しむ人よ、

  ここに来たれ、太陽に向かって、明るく元気で

  共に生きようと宣言し、これからも永遠に愛の歴史

  を貫徹したい。>



 これらの碑文を記したのは門口(もんぐち)堅蔵氏。

太陽公園の設立者であり、太陽福祉グループの創設者である。

 2009年の碑文に「私の社会福祉60数年の戦いは、血は流れ、肉は飛び、骨は砕けるほどの

苦闘であったと振り返ってみた」とある。

 福祉事業の大変さ、ここまでくるのにどれだけ苦労されたのかが、この文字から読み取れる。



さらに次のように続く。

「今乱れる心、騒ぎ立つ思い、黒い心の影、醜い想いの影、これらの悪魔の襲来を打ち破り、

願わくば、私は差別と偏見、そして生活に苦しむ多くの人々、障害に悩む人々の安心と

安全の生活を保障し、完全参加と平等の社会をつくろうとしている」

 事業を拡大していくと様々な誘惑の手が伸びてくる。

なかには「黒い心」を笑顔で覆い近づいてくる者も少なからずいただろうし、

「差別と偏見」に満ちた目で遠巻きにし、陰でいろいろ噂していた人もいただろう

とは容易に想像できる。

 そのような「悪魔の襲来」を打ち破り、誘惑に打ち勝ち、ひたすら自らが信ずる福祉の道を

歩み続けるのはまさに「いばらの道」だったに違いない。



 門口氏が福祉の道に入ったのは20歳かららしい。

「死んでくる」と言って戦地に赴いたが、生きて返ったことから

以後の自分の人生を「生かされている」と考えたことから福祉の道に入ったようだ。

 門口氏の叫びにも似た碑文を読んでいると、できればお会いしたいと思うようになり

入り口で尋ねたが、すでに逝去されており、またテーマパークの入り口で

それ以上の質問をするわけにもいかず諦めたが、機会があれば後継者に取材してみたい。



 まあ、それはともかく、テーマパークとしても純粋に楽しめる施設である。

今回は時間がなく見て回るのを諦めたが「城のエリア」はトリックアートを楽しんだりもできるらしい。



 この羅漢さん、「やあ、いらっしゃい」と手を挙げて歓迎してくれているようにも見えるし

門口氏が手をかざし、福祉の行く末、この国の行く末を眺めているようにも見える。







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