栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

メードインジャパンの復権はあるか

2010-11-29 21:45:50 | 視点
メードインジャパンの復権はあるか

 前提条件はブランド力と言い換えてもいいだろう。

ブランド力には商品ブランドはもちろんのこと、企業ブランド、地域ブランドなども含まれるのは言うまでもない。

ところが案外、このブランド力に無頓着な企業、地域が多い。

前提条件の価値を高めずして「お得感」の演出はない、にもかかわらずだ。

 お得感とは満足感の別義語でもある。

例えば「メードインジャパン」がブランド力になったのは価格が安い割に高品質で、耐久性に優れたものを作り、アフタメンテナンスもしっかりしていたからである。

それまでの日本製品は安かろう、悪かろうの代名詞でもあった。

それを努力の結果、覆し、メードインジャパンをブランド力にまで高めたのである。

 もし、これらの一つでも欠けたならメードインジャパンはブランド力ではなくなるだろう。

 メードインジャパンの製品が国際競争力を失ってきたのはコストパフォーマンスの問題だけではないが、そのことに気付いていない企業が多い。

 日本の製造業が凋落してきた原因は

           (以下、略)





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ソニーストア

売り切れる弁当屋、売れ残る弁当屋

2010-11-28 22:41:13 | 視点

 流行る店、流行らない店の違いについては以前書いたが、この2枚の写真は同じ場所で昼時に弁当を移動販売している車を写したものだ。
両者の位置はほんの2、3mしか離れていない。
要するに並んで車を止め、同じように弁当を売っているわけだ。
ただ売っている弁当の値段と中身は違う。
片方は380円、もう一方は500円。
そして売れ方も違っていた。

 実は私もこの移動販売車から弁当を買って食べたのだが、買ったのは左の写真の車から。380円と安いから買ったわけではない。私が買いに行ったときは最後の一つで、本当は違う種類の弁当が欲しかったのだが、弁当はそれしかなかったため、結局一つ残った弁当を買ったのだった。

 食べ終わって空箱を捨ててもらおうとしたときに初めて右の写真の販売車に気づいたのだった。
見ると値段は500円だったが、この中身だったらこちらで買ったのにと思ったものだ。
しかもまだ弁当は残っていたし。
では、なぜ500円弁当車の存在に気付かなかったのか。

 まず位置の問題。
左の車の380円弁当が正門の真ん前に陣取っていたのに対し、右の500円弁当の方は正門の端、壁に少し隠れるような位置に止めていたため気付かなかったのだ。
 もう一つは、話をしていて分かったのだが、500円弁当の方は到着時間が少し遅かったようだ。
おそらく12時を少し回ってからこの場所に来たのだろう。
自分でも「やはり遅く来るとダメですね」と言っていた。

 弁当販売は時間勝負で、12時15分までで勝負が決まる。
その時間を過ぎるともうほとんど売れない。
私のように昼食時間に遅れた人間が1人2人買いに来る程度だろう。
時間勝負だから、当然早く着いた方がいい場所を確保できる。
 よく見ると両者は服装も車も違う。
片方はレストラン服で、もう一方はジーンズの軽装。
販売車もそれ用に改装した車と、普通の商用車の違い。
どう見ても左の写真の方がプロで、右の写真は素人という感じで、年季の入り方も違う。

 聞けば左の写真の方はこの仕事を12年やっているという。
しかも何人か社員がいて、それぞれの場所に出向き、弁当を販売しているようだ。
移動販売だけかと思ったら、市内にイタリアンレストランを1店舗構えているという。
どうやらそれは客への権威付けというか安心感かららしい。
店舗もある方が客が安心するらしい。
この辺が消費者心理の面白いとこだ。
12年、この仕事をしている中で、そのことに気付き、比較的最近、店舗を構えたと言っていた。

 移動販売でもただ漠然とやっている人と、色々勉強しながら一生懸命にやっている人では歴然と差が出るものだ。


転職できる営業マンには理由がある!―リクルート「B‐ing」編集長・企画マネジャーが教える今売れる営業職の条件
草原 繁,中尾 隆一郎
東洋経済新報社

ブランド戦略の成否が「お得感」の演出を左右する(1)

2010-11-24 23:24:31 | 視点
お得感は前提条件の価値に左右される

  先月の下旬、突然、日本テレビから電話がかかってきた。
私のHP内の「理由(わけ)あり商品が人気な理由(わけ)」(メルマガ「栗野的視点」No.316)を読み、電話をしてきたのだった。
なんでも日本テレビに「たけしの目が点」という番組があり、その中で人がお得感を感じるのはどういう時かというのを取り上げたい。
 スーパーよりデパートやアウトレットの方がお得感を感じると書かれていたが、なぜデパートやアウトレットの方がお得感を感じるのか。
それを科学的に検証して番組で取り上げたい、という。
科学的に検証するなら私より心理学者に尋ねた方がいいだろう、と答えたが、結局、尋ねられるままに30分ほど話した。
 どうやら企画のテーマは「アウトレットの人気」の背景を探りたいということだったので、私の記事とは直接関係ないようだが、企画を練っている過程で私の記事が目に止まったのだろう。
 今回に限らず、私のHPは企画の参考になるのか、結構テレビ局からアクセスがあっている。

 前稿で、「アウトレットやデパートの『理由あり食品』人気は安さだけが理由ではない」。「お得感」こそが人気の秘密だが、お得感は値引き率より値引きの絶対額の方から来ている、と書いた。

 では、同じ商品で値引き額が同じなら、スーパーで買ってもデパートで買っても、お得感は同じになるか。

 客観的に考えると前提条件が同じなら、結果は同じにならなければならない。

にもかかわらず、違う結果が出ている。

それはまだ一つ前提条件に違いがあるからだ。

               (以下、略)



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福岡市長選結果を分析する。

2010-11-15 17:08:56 | 視点
 福岡市長選は「まさか」の結果に終わった。
「まさか」というのは開票開始30分後に民放局が自公支援の新人候補、元KBCアナウンサー、高島氏の当確を報じたことと、現職市長の吉田氏が大差で敗れたことで、吉田氏が破れたことではない。
 吉田前市長が敗れるかもという予想は大方の市民にあったのではないだろうか。
というのも吉田氏は当選直後から人気がなかったし、この4年間、彼の存在感を感じていた市民は少なかったようだ。
それだけに、今回の選挙では、誰に投票するか迷った市民は多かったのではないかと思う。少なくとも民主党に親近感を抱いていた層には。

 それにしてもなぜ、現職が6万票余りもの大差で破れたのか。
余程のことがない限り、現職が強みを発揮するのが一般的だ。とりわけ2期目が最強で、1期で敗れるのは余程のことだ。
 2期目が強い理由は1期4年の実績を訴えられることが1つ。
2つ目は、まだやり残している(やりかけている)部分があるので、継続してきちんとやりおおせたいと有権者の情に訴えかけられるからだ。
にもかかわらず吉田氏が大差で破れたのはなぜか。
その敗因を分析してみよう。

 1.公約違反
 なんといっても最大の要因はこれだ。
彼は前回の選挙でこども病院の人工島移転反対を訴えて当選したにもかかわらず、当選まもなくその公約を破棄し、「白紙の状態で再検討」した結果、やはりこども病院は人工島へ移転する、と180度方針を転換した。
これが前回、吉田氏を支持した層に裏切りと映り、大幅な支持離れを起こした。
彼の公約違反はこれだけではなく、他にもいくつか公約を反故にしているが、最も大きな反感を買ったのはこれだろう。
 そのため選挙戦突入前から、次は公約を守る人をという機運が強かったし、「公約を守る」ことを公約にした候補者もいたほどである。

 2.存在感のなさ
 とにかく元気のない市長だった。
いつも眠っているような(死んでいるような、と表現する人もいたが)生気のない顔をしていた。
たしかに議会で民主党は少数だったから、議会運営がままならなかったのは同情に値するが、市民への情報発信もなく、「こんな人が福岡市長ではね」という感じを抱かせた(特に女性に)。
 なかには選挙戦の吉田候補を評し、「この4年間で初めて元気な顔を見た」という声もあったほどだ。
それでいきなり「実績」を選挙戦で力強く訴えたのだから、有権者にはどこか空々しく聞こえたに違いない。

 3.民主党市議団の判断ミス
 民主党推薦で前回当選した吉田氏だったが、市長就任後は民主党福岡市議団と政策面で食い違いを見せ始めた。その最たるものがこども病院の人工島移転だった。こうしたことから民主党内からは今回の推薦を見合わせる意見も出ていた。
 そこに元佐賀市長の木下敏之氏が市長選立候補を決め、民主党に推薦を願い出た。その段階で吉田氏からの推薦願いは出ていなかった。民主党市議団の中には木下氏を推す声もあったが、現職の政策を聞いてから判断すると、木下氏への態度を保留。その後、吉田氏の推薦願いを受け、吉田氏推薦を決定した。
 この段階で、民主党は判断を誤ったと感じたのは一人私だけではなかったはずだ。
市民感情を読み取れなかった民主党市議団の判断ミス、というか政治的センスのなさである。

 4.民主党票が割れた。
 民主党が推薦候補を決めるまでもたついたこともあり、木下氏を党内で推す勢力は先に動き始めていた。
結果、民主党支持層が木下氏支持と吉田氏支持に分かれることになり、スタート時から難しい選挙戦を戦うことになった。
 救いは立候補者8人という乱立だった。自民党系が今回当選した高島氏と植木とみ子の2人だったことも救いになりそうだったが、植木候補が告示後に撤退するという前代未聞の、許されない行動を取ったため、高島氏の圧勝という結果をもたらした。

 5.民主党への逆風が影響
 国政と地方選とは別で必ずしもリンクしないが、今回は見事にリンクした。
自民党も民主党も国会議員を応援に送り込んだが、市民は前回選挙ほど自・民対立の構図を意識していなかったと思う。
 ただ民主党支持層に一体感が欠け、また前回吉田氏を支持した層に多少のシラケ感があったことが選挙戦の盛り上がりに欠けた。
 「民主党の言うことは信用できない」「やらせてみたけど何も変わらなかった」という民主党に対する国政での失望感が、今回は不思議なほど吉田市政に対する失望感と合致した。

 6.政策論争なし、具体論なしの選挙
 このところの選挙の特徴とはいえ、国レベルも地方レベルでも政策論争はなしで、キャッチフレーズやイメージだけの選挙で終わっている。
 福岡の将来をどうするのか、具体的に何をどうするのかなどは、どの候補の広報を聞いても明らかにされてないのだ。
明らかなのは当選後方針転換できるような言い回し(書き方)が多いことだ。特に高島氏に至っては「私が掲げるビジョン」からしてイメージが全く湧かない空虚な言葉としか映らず、選挙戦でも「アジアのナンバーワンになる」という、キャッチフレーズともいえない言葉で、この人がもし間違って市長になったら本人が苦労するだろうなと思ってしまった。もちろん福岡市民が一番苦労するのだが。

 7.なぜ自民党は高島氏を支持したのか
 立候補後も何一つ具体的な政策らしいことを言わない高島氏を、なぜ自民党・公明党は支持したのか。
というのは先に植木とみ子氏が自公に推薦願いを出していたからだ。
選挙公報等を見ても植木氏の方が具体的ではっきりしている。
自ら主張していたように「行政の経験」もある。
しかし、主張がはっきりしているということは「頭に担ぎにくい」。
「頭は軽い方がいい」とかつて言った陰の実力者がいたが、主張がはっきりしている「頭」はトップダウンと独断でどんどん物事を進めていく可能性があるから、自分達の言うことを聞かなくなる(操縦しにくい)のだろう。この点は民主党も同じだったが。
 いずれにせよ福岡市民は今後しっかり見ていく必要があるだろう。でないと再び箱物行政に戻り、市の負債も再び拡大する可能性がある。


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政治不信ここに極まれり。

2010-11-13 00:20:09 | 視点
 週の前半、福岡を留守にしていたが帰福してビックリ。
前代未聞のことが起きていた。
今月14日に投開票が行われる福岡市長選の候補者が突然選挙戦から撤退したのだ。
過去、立候補を辞退した例がないではない。
ただし、それらは選挙告示前である。
今回のように告示後で、選挙戦の最中に撤退を表明した例は過去、全国的にも例を見ないだろう。
まさに前代未聞の出来事だ。

 撤退を表明したのは元福岡市教育長の植木とみ子氏だ。
今回の市長選候補者中、唯一の女性候補者であり、知名度もあり、いわゆる泡沫候補者ではない。
仮に当選が叶わなかったにしても上位争いに食い込んだに違いないだろうと私は見ていた。
少なくとも女性票はかなり集めたのではないだろうか。
それが9日に突然会見を開き「撤退」を表明したのだから、支持者には裏切りと映ったに違いない。
実際、それは裏切りだった。
支持者だけでなく、選挙民に対する。

 このところ政治が国民を裏切り続けているが、地方選でもこんな形で裏切られ、政治が信頼を失うとは。
植木氏の行為は仮にそれが迫られたものであったにしても、癒しきれないほどの深い傷を福岡の政治史に残したのは間違いない。
彼女は平成3年に福岡市市民局女性部長に就任して以降、一貫して役所内の各部署を経験し、最後の役職が教育長であったことを考えれば、彼女の今回の行動が子供達にいかに大きな傷を与えたか分かるはず。
もう大人は信頼できない、と言われるに違いない。

 表立った撤退理由は「表が伸び悩み、選挙運動を取りやめると決意した」というのだから笑止千万。
よくもまあ、こういう人が教育長を務めていたのだと思う。
結果を予測し、勝ち目がないと思えば諦めろ、と教育の現場で子供達に教えていたのだろうか。
とんでもない人が教育長だったものだ。
これでは福岡市の教育はおかしい。

 植木氏は選挙公報に次のような約束を掲げている。
「福岡から日本を突破する」
1.役所突破ー行動する役所へ
2.世界突破ー世界の中のFUKUOKAへ
3.既製突破ー前例のない都市・福岡へ

 突破するつもりが、いとも簡単に突破されてしまったではないか。
それも戦って負けるのではなく、敵前逃亡という最低の負け方で。
 選挙運動では「役所の中を知り抜いているのは私以外にいない!」と自信満々に主張していたが、あれは何だったのか。
あまりの自信ぶりに私などはちょっと謙虚さが足りないなどと思ったものだが、大体中身がない人間ほど声を大にして「実績」とやらを語りたがるものだ。
そういう意味では現市長の吉田氏も似たようなものだが。
市議会ではいつも死んだような目をしていた人間が選挙になった途端に生き生きとし、4年間の「実績」を主張しているのだから、思わず「へえー、そうだったのか。そんな実績を残していたのか」とビックリした。
前回の選挙時を除き、その後、吉田市長の存在を認識していた市民は少ないと思うが。(少なくとも私の周囲にはいなかった)

 さて、植木氏の突然の撤退に「密約説」が飛び交い始めた。
それはそうだろう。
でなければ説明が付かないというものだ。
第一、当の本人が告示直前に行われた立候補予定者8人の公開討論会の席上で「(立候補をやめて)副市長にならんかという懐柔があった」と明かしているのだから。
 しかも、自分が撤退すれば自分に入る票が他の保守系候補に流れ、市政の転換が図られると言うに及んでは、下司の勘ぐりと言われようと、密約説を信じてしまう。
少なくとも圧力があったのは間違いないだろうと思わざるを得ない。

 今回の撤退劇で一つはっきり言えるのは、理由のいかんを問わず、植木とみ子氏個人の信用はガタ落ちした(なくなった)ということだ。
さすがにそこまでは考えていなかったのか、あまりの反響の大きさにビックリしたのか、2日後の11日に自身のホームページに「全福岡市民の皆様へ」と題したお詫びのメッセージを載せている。ただし、程なく削除されたが。
 そこには「全福岡市民の皆様、市政突破できず、ごめんなさい。市の領域を超えた政治的圧力により投票の日を前に屈服しました」と書かれていた。
 どんな言い訳をしようとも、自ら圧力に屈したと認めたわけだ。

教育長の職にあったものが圧力に屈したのである。

子供達にどう説明するのだ。

将来に残した傷はあまりに深い。
これでもし、自民党公認候補が当選した後、市関連の何らかの役職に付いたら福岡市民を2度裏切ることになる。
そのことを植木氏は肝に命じておいてほしい。


手書き文字をデジタルに変換してくれるMVPen

2010-11-12 11:02:36 | 視点
 原稿を書くため、長年キーボードを打ち続けたせいで左手小指が腱鞘炎のようになり、まっすぐ伸ばせなくなったのはすでに10年余前。
 最近は、痛い小指をかばっていたら薬指までが伸びなくなり、今では左手は人差し指1本で打っている。
キーボード入力ぐらいならまだいいが、この頃では日常生活にも差し支えるようになってきた。
 恐らくこのまま行けば近い将来にパソコンを使えなくなる、という恐怖感から、今年になり音声入力を試してみた。ところが変換効率の問題もさることながら、周囲に人がいると書きにくく(声が他人にうるさい。書いている内容が知られる)、メールも書けないので使うのを諦めた。

 結局、手書きしかない。そこで手書き文章をスキャナで読み取ることを考えた。
しかし、これも案外面倒くさい。
ケーブルでパソコンとつないで、スキャナの電源を入れて、と手間がかかる。
第一、スキャナは場所を取るし、持ち運びもしにくい。

 そこで次に日本語入力を替えることにした。
打鍵数が多いローマ字入力をやめ、かな入力に変更した。
ところが長年やってきたローマ字入力をかな入力にかえるのは、覚えるまでに結構時間がかかる。
キーの位置を探すことに手間取り、思考が途切れてしまうので、即使えるというわけには行かず、取り敢えず時間をかけてかな入力の文字配列を覚えることにした。

 そうこうしている時、Baidu(バイドゥ)という日本語変換システムがキー入力が少なく、しかも変換が速いと知り、長年親しんできたATOKをBaiduに替えた。(Baiduならすべて速いわけではなく、オプション設定で「アドバンススタイル」を選んだ時)

 それでもキーボードを打つということに変わりはなく、さらにキータッチを減らすためには、やはり手書きしかないと思っている時、「MVPen」を使ってみたらという情報を以前、友人の社長からもらっていたことを思い出し、思い切って購入することにした。

 結果は予想以上に使えそうだ、ということだ。
詳しい使用感は後日にまわすが、ビックリしたのはマニュアルの不親切さ。
「クイック・スタート・ガイド」という薄っぺらな説明書は文字中心。
じっくり目を通せば分かるのだろうが、あまりよく考えもせず取り敢えず「MyScriptNotes」というソフトウェアをインストールした。
 次は紙に専用デジタルペンで原稿を書き、読み取らせたユニット本体をUSBケーブルでパソコンに繋いだが、アップロードしない。
 おかしいなと思いながら何度かその動作を行った後、もう一度マニュアルを一字一句きちんと読みなおすと「PC上のノートテイカーを起動」とあった。
そう、CDには「NoteTaker」というソフトもあり、先の「MyScriptNotes」というソフトと2つインストールしないといけないのだ。
 それにしてもいまどき珍しく読みにくい、不親切なマニュアルである。
マニュアルはほかにもいくつかの問題点がある。
もう少しユーザーサイドに立ったマニュアルに作り替えるべきだろう。





グローバルとローカル~飽和時代の商品欠乏化(4)

2010-11-09 11:00:25 | 視点
 以上の例のように、地方は買い物に難渋しており、その状態は今後改善されるどころか、ますます悪化するに違いない。

吹屋の例のようにトラックで来ていた行商人も年をとったり病気になると、ある日突然やって来なくなる。

それ以前に費用対効果が合わないと思えば配達エリアを変えるかもしれないし、商売そのものをやめるかもしれない。




団塊の世代に期待したい担い手
経営感覚と知恵、人脈を生かす


 では、現在、商品欠乏化に悩んでいる人達に商品を届ける方法はないのか。

方法はある。

しかし、利益優先、効率優先のビジネスではダメだ。

ダメと言うより、そうしたビジネスモデルは成りたちにくい。

可能性があるのは非営利の事業、非営利の出張販売だ。

 なぜ、非営利でなければならないのか。
 

 ところで、この事業の担い手は誰か。


「楽しみ」を運ぶことが重要

 さて、後は商品欠乏化地域で販売する商品である。

ビジネス的に考えると、売れるもの、必要なものを出張販売に持っていこうとするからダメだ、

と先に述べたが、その理由である。




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飽和時代の商品欠乏化(3)~福祉タクシーに相乗りし、買い物に行く人達

2010-11-07 11:23:32 | 視点
 連続物なのに(No.363_1)から1週間近くも間が空いてしまいましたが、(No.363_
2)をお届けします。
その間何をしていたのだと言われそうですが、3日は唐津くんちの写真を撮りに行
ってました。
その時の写真を「栗野的風景」(http://blog.livedoor.jp/kurino30/ )にアップ
していますので、休憩がてらにでも立ち寄って下さい。唐津くんちの雰囲気は楽し
めると思います。

 さて、以下に「飽和時代の商品欠乏化(3)」をお届けします。

福祉タクシーに相乗りし、買い物に行く人達

 問題はこうした傾向に歯止めがかかるのか、歯止めをかけられるのかだが、国も市街地商店街活性化や大型店の立地規制などの施策を打ち出してはいるが、いまだ大した効果は表れていない。

それでも都市部の方はまだなんとかなるだろうが、問題は地方だ。

過疎地に出店する商業施設はもちろんのこと商店でさえないのが実状だ。

 では、どうすればいいのか。

地方居住者は自給自足の生活で我慢しろというのか、都市部の高齢者はタクシーで買い物に行くしかないのか。

それでは地方定住者はますます減少し、都市部の孤独死は今後も増える一方だろう。

 以下、地方のいくつかの実例を報告しよう。


       (以下略)
 



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         髪を染めるとかゆくなる・・という方へ。


グローバルとローカル~飽和時代の商品欠乏化(1)

2010-11-02 12:10:51 | 視点
都市部でも進む商品の欠乏化
問題は商業施設の過疎化と空洞化


 「グローバル化が進めば進むほどローカルが注目される」という皮肉な現象が起きていると前回書いたが、消費の世界もグローバルとローカルに2極化しつつある。

 大都市に世界中のモノが集中していく一方で、地方からはどんどん商店が消え、いまや生活必需品ですら買えない所が増えつつある。

平成の大合併で全国に「市」が激増したが、増えたのは市の面積だけで、地域の生活は以前と何一つ変わらないところがほとんどだった。

いや、それどころか逆に悪くなりつつある。商店は一つ、また一つと消えていき、いまでは生協の配達のみが頼りという地域が増えているのだ。

 こうした現状は過疎化が進んでいる地域だけではない。

溢れるモノに囲まれた都会のど真ん中に居ながら、買い物に不自由している人達も増えているのだ。

10年前なら、そんなバカな、と笑えた話がいまでは現実的過ぎて笑うことさえできない。

 しかし、そんな地域でもIT環境さえあれば、どこに住んでいようがモノは買えるのか、モノに不自由はしないのか、といえば必ずしもそうではない。

インターネットで商品を注文することはできても、物流がなければモノは手元に届かないからだ。

 そう、問題はデジタルではなく、物流というアナログにかかっている。

その物流が各方面で危機に瀕している



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