栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

医師の犯罪と家族の共犯意識

2006-03-27 11:00:10 | 視点
呼吸器に拒否反応 「外して」頼んだ事例も 富山の病院 (朝日新聞) - goo ニュース
 最近、医師の犯罪(?)が増えている。個々の犯罪について言及するつもりはないが、背景には倫理観の欠如、人間性の欠落がある。
 これは何も医師に限ったことではなく、現代社会が共通して抱える問題だと思うが、本来なら高い倫理観、人間性が要求される職業の人にそれらが急速になくなりつつあることが問題である。

 だが、明らかに法に抵触するものは論外として、犯罪と言い切ってしまっていいかどうか微妙なものもある。
 例えば今回、富山県・射水市民病院で起きた安楽死(?)事件である。
外科部長が末期患者の人工呼吸器を取り外し患者が死亡した事件だが、似たような事件が近年続いている。2年前には北海道羽幌町の道立病院で女性医師が無呼吸状態の男性患者(当時90歳)の呼吸器をはずし死亡させた事件が記憶に新しい。

 両者の間にはある種の共通点がある。
まず両医師とも信念(?)を持って行っていることである。つまり、両者ともに犯罪を行っているという認識がない。むしろ善行をしている意識があったようだ。
 もう一つは患者が高齢者である点である。
さらに付け加えるなら富山、北海道という雪深い地、それも過疎の町で起きているという点である。
 私はこの「事件」を知った時、姥捨て山の話を連想した。
両医師に、そんな意識は皆無だったと言い切れるだろうか。恐らく顕在、潜在は別にして、意識下にはあったのではないかと思う。とすれば、この事件は単に両医師の個人的な問題では済まされず、根はもっと深いところにある。
 次に、意外と見落とされがちだが、射水市民病院の医師が50歳、北海道立病院の医師が34歳と共に若い医師だということである。射水市民病院の外科部長は50歳だが、10年前から行っていたらしいから、10年前は40歳である。

 両者の違いは数である。10年間にしろ7人という人数は多い。仮に射水市民病院の医師が言うように「患者さんのための尊厳死」のために実行したとしても、初めて行うときは随分葛藤があったはずである。
 ところが2件、3件と増えていくと、途中から心の葛藤はなくなる。代わりに芽生えてくるのが、自分の行為に対する正当性である。
これが怖い。独裁者に繋がるからだ。

 もともと医師は医療現場では独裁者たりえるし、そうである人が多い。少なくとも医療現場では圧倒的な強者である。それが人の生命をも操作する独裁者になるとしたら、こんなに恐ろしいことはないだろう。

 ただ、問題を複雑にしているのは患者あるいは家族の同意の点である。
人工呼吸器を必要とする末期患者が尊厳死を望むと望まないとにかかわらず、自ら意思表示することは不可能に近いだろう。せいぜいそうなる前に意思表示しておく必要があるが、恐らくその段階で自らの死を現実の問題として考えられる人は少ないのではないだろうか。

 となると、あとは家族の同意しかないが、これがまた難しい。
カルテには「家族の希望」とあったらしいが、この「家族の希望」というのがどこまで本当なのかが分からない。今回も同意書は取り付けてなかったし、恐らくどこの病院も現実問題として同意書にサインさせていないだろう。仮にあったとしてもその数は極少ないに違いない。
実際、私の父が亡くなった時も同意書にサインなど求められはしなかった。

 父の最後が近いことは家族の誰もが薄々理解していた。
すでに父の体には様々な機械が付けられていた。
「呼吸をしているように見えますが、機械の力でしているだけで、もう自己呼吸はありません。すでに脳は死んでいる状態で、いまは機械の力で心臓が動いているだけです。機械を外せば心臓もすぐ止まります。あとはいつ機械を外すかだけですので、お考えください」
 そんなことを医師が言った。

 その時、私達は医師から選択を迫られたと感じた。このまま植物状態でも生かし続けるのか、それとも生命維持装置を外すのか、と。
 たしかに母も看病で疲れていた。これ以上看病が長引くと母が倒れる危険性もあった。それで弟と3人で話し合い、装置を外してもらうことにした。
 しかし、装置を外しても医師が言うようにすぐ心臓は止まらなかった。心臓の動きを表すオシロスコープの線は最後まで平らにならなかったのだ。あまりの時間に臨終時間を宣言するために待ち構えていた医師が一度病室から出て行ってしまったほどだった。

 この時間の長さは本当に辛く苦しかった。もしかすると生命維持装置を外したのは間違いだったのではないか。父は本当はまだ意識があるのではないか。まだそのままにしていれば、もしかすると蘇生したかもしれない。そんなことを考え、悔やんだものだ。もっというなら、私は父の殺人という犯罪に手を染めたのではないかと思いさえした。

 こうした私自身の経験からいっても、家族は最後の最後まで迷い続ける。だから「同意書」が存在しないのは当たり前だろう。
 その一方で、植物状態で長く生き続けられるのは辛い、という家族の現実的な問題がある。はっきりいえば経済的な束縛である。特に過疎化が進んでいる地方では経済的な問題は深刻である。
 つまり、家族は矛盾の中にいるのである。もはや民話と思われている「楢山節考」の世界が21世紀のいま再現されているのである。このことの恐ろしさが認識されていないことに、今回の問題の悲しさがある。

 もし、医師が家族を取り巻く諸事情(主に経済的事情であるが)を考慮し、家族の裏に隠された気持ちを察し、代行したとすれば、実行者である医師だけを責めることは誰にもできない。それは我々自身がいつでも「残される家族」になる可能性があるからである。
 一方、家族の方も「了解はなかった」と単純に医師を責めることもできない。医師との間に暗黙の了解(共犯意識)が成立していたかもしれないからだ。
 医師と家族が共犯意識を共有し、その罪の重さにこれから先ずっと苦しむことこそ、この問題を考えることに繋がるような気がする。

 しかし、射水市民病院の場合、7件という数はやはり問題になる。
最初は家族の苦しみを見かねて、代わりに自分が老婆を背負って山に入る役目を引き受けたのかもしれない。だが、数を重ねるうちに「罪の意識」、矛盾の中に生きざるを得ない苦しみは次第に薄れていってはしないだろうか。むしろ、どこか事務的に行っていたとすれば、それは生命を自由にできるのは自分だけだという医師の傲慢、傲りだと思う。
 普段の医療現場ではとても優しくていい先生が、ある場面では独裁者になることはよくあるし、私自身そういう医師も目にしてきた。

 もう一つの背景は、医療現場の過重労働である。
医師も看護師も圧倒的に不足している。この傾向は国の財政が破綻する中でますます深刻になっている。そこに持ってきて医療に経済が持ち込まれている。病院は経営的に成り立つことが第一義に考えられようとしている。
 もちろん、経済原則を抜きに医療を成り立てるべきだとはいわない。しかし、経済原則を第一義に考え出すことには大いに疑問がある。
 地方と医療が現在抱えている問題を解消しないと、今後も「尊厳死」に名を借りた(というのは少し言い過ぎかもしれないが)楢山節考の世界はなくならないだろう。

 今回の事件は医療現場に重要で、重く、かつ難しい問題を残した。
医療現場だけではない。我々すべての人間が「生きるとはどういうことか」「生命とは何か」という重く、難しい問題と真っ正面から向き合うことを求められている。
 医療現場に従事するすべて人にこれだけはお願いしておきたい。
決して医師個人の問題にして逃げるのだけはやめて欲しい、と。

失敗の方程式から学ぶ(2)

2006-03-16 00:41:08 | 視点
 まだバブルが弾ける前だったが、マンション建設のA社社長に取材した時のことである。
最初に出てきたのはミニスカートをはいた若くてかわいい女の子だった。
社長秘書だという。
その時私は嫌な予感がした。
次の瞬間、社長室が別のフロアにあると嫌だな、と思った。
すると、「ご案内します」と別の階に案内された。
まずいぞ! これでロレックスの金ピカ腕時計をしていると最悪だ。
そう思った。
すると、なんということだ。
しばらく待たされた後に現れた社長の腕にはロレックスの金ピカ腕時計が光っていた。
なぜか成金はゴールドを好む。同じロレックスでもプラチナにすれば品が感じられるのだが。
結局その会社は1年半後に倒産した。

 昨年12月、遠賀の技術系ベンチャーが破綻した。
モーター分野ではちょっと知られた男だった。
ただ、会社設立から20年以上経過しているからベンチャーというには多少はばかれるが。
本社は遠賀町だったが、社長は中間市の研究所にいつもいた。
自社開発のモーターを利用した電気自動車や電動自転車を開発し、海外からの引き合いも来ていたが、どうも販売にあまり力を入れていないというか、買うなら売ってあげてもいいよ、というような態度で客に接していた。
モーター言語を本人が開発し、モーターが売れる度にソフト使用料が入ってきていたので、販売に力を入れてなかった。その癖が抜けなかった。
ところが時代がどんどん変わり、競合商品、類似商品が出てきだす。
特に近年、デジタル時代になって技術革新が速いというか、類似商品を作るのも容易になっている。
それだけに営業力がない会社は生き残れない。
そのことに気付くべきだったが、相変わらず研究開発にのみ没頭し、会社全体を見ていなかった。

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1.「失敗の方程式から学ぶ」
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  講師:ジャーナリスト・栗野 良

日 時: 3月18日(土) 13:30 ~ 17:00
●場 所:九大USIサテライト・ルネット2F
       福岡県福岡市南区大橋1-3-27(西鉄大橋駅前)


失敗の方程式から学ぶ(1)

2006-03-14 08:06:29 | 視点
 えてして人は成功談を聞きたがる。
どうすれば成功するのか? 儲かる方法は? 等々。
皆、こうすれば儲かる、成功するという「成功の方程式」があると思っているのだろう。
ところが、成功の方程式はどこを探してもない。
あるはずがないのだ。
なぜなら、成功には常に偶然の要素が入るからである。
つまり「たまたま」というやつである。
もちろんツキも運の内という言葉もあるが、あくまでツキはツキで、こうすれば必ずこうなるという方程式はない。

 例えばヒット曲などを見るとよく分かる。
最初は見向きもされなかった曲が何年か後にヒットすることがある。
青江三奈が歌った「伊勢佐木町ブルース」がそうだ。
ヒットどころかほとんど知られることもなく消えかかっていたが、伊勢佐木町商店街が活性化のためにずっと流し続けていた結果、ある時火がついてヒット曲になったのだ。
歌に限らず商品でもこうした例は数多い。
それだけ成功には不確定要素が付きまとうということである。

 対して失敗は必然である。
そこには偶然が入り込む余地などない。
たまたま失敗したということなどなく、すべからず失敗すべくして失敗している。
つまり、成功には方程式がないが、失敗には方程式があるということだ。

失敗の方程式のいくつかを挙げてみよう。

1.若くて美人の秘書を持てば失敗する。

2.女がシャシャリ出てくる会社は危ない。

3.我が社の常識は社会の非常識と言い出したら失敗する。

4.ベンチャー企業の経営者が講演に飛び歩きだしたら失敗する。
   マスコミ露出が増えるベンチャー経営者も同じ。


 さて、「失敗の方程式」と、その詳しい解説は18日のリエゾン九州の勉強会で。

             --記--

●日 時: 3月18日(土) 13:30 ~ 17:00

●場 所:九大USIサテライト・ルネット2F
       福岡県福岡市南区大橋1-3-27(西鉄大橋駅前)

     大橋駅東口ロータリー内。トヨタレンタリースの隣に
    新しい2、3階建ての白い建物が3棟あります。(一つは交番)
    その内、日赤通りに面している一階がガラス張りの建物の2F。
    当日は1階で小学生がワークショップをしているので、外から
    見えると思います。

●内 容:
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1.「失敗の方程式から学ぶ」
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  講師:ジャーナリスト・栗野 良

   ライブドアを始めとし、なぜベンチャーや時代の寵児と騒がれた新興の
  企業がいとも簡単に失敗するのだろうか。
   ひと言で言えば、成功するときは新しいパターンだが、失敗する時は古い
  パターンだということ。
  つまり過去の歴史に学べば失敗しないのに、成長期の企業は慢心して自分は
  違うと思うのか、それとも歴史をバカにしているのか、皆同じ箇所で同じよ
  うに失敗する。

   そこで失敗のパターンを紹介しながら、「失敗の方程式」を解いていく。

ベンチャーはなぜ失敗するのか

2006-03-03 15:31:33 | 視点
 時代の寵児と持てはやされたライブドアの元経営者・堀江氏はいま檻の中。会社は上場廃止を間近に控え、一時の飛ぶ鳥を落とす勢いは、その影すらない。
おそらく会社は分割してどこかに吸収され、もしかするとライブドアという社名すら残らないかもしれない。

 それにしてもなぜ、ベンチャーはこうも簡単に失敗するのだろうか。
別にベンチャーに限ったことではない。中小企業、いや大企業でさえ同じパターンで失敗している。
ちょっと過去の歴史を勉強すれば、どこに落とし穴があるか分かりそうなものだが、歴史を勉強しないのか、それとも自分は違うと慢心しているのか、不思議に同じ箇所で皆失敗する。

 中小企業で過去の失敗に学ばない典型企業はベスト電器だろう。
何度も同じ出店ミスを繰り返している。
今月末で「BiVi福岡」内に出店していた店舗を閉店するが、出店しては2年足らずで閉店する失敗を過去何度も繰り返している。

 彼らはなぜ、失敗するのか。
落とし穴はどこにあるのか等々
「失敗の法則」を明らかにしていく。

★BiVi福岡については
 2004年9月22日のブログ「栗野的視点」(http://blog.goo.ne.jp/kurino30)に
「荒海に漕ぎ出せるか『BiVi福岡』」と題して今日こうなることを予測しているのでそちらを一読下さい。

             --記--

日 時: 3月18日(土) 13:30 ~ 17:00
    ★(例会は基本的に第3土曜日に開催します)

場 所:九大USIサテライト・ルネット2F
      福岡県福岡市南区大橋1-3-27(西鉄大橋駅前)
      大橋駅東口ロータリー内トヨタレンタリースのとなりに
      新しい2~3階建ての白い建物が3棟あります。(一つは交番)
      その内、日赤通りに面している一階がガラス張りの建物の2F

●内 容:
1.「ベンチャーはなぜ失敗するのか」
  講師:ジャーナリスト・栗野 良