中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。
栗野的視点(Kurino's viewpoint)
林原グループの「破綻」について
岡山のバイオ企業・林原の「破綻」が最近、話題になっているらしい。話題といっても岡山や関連業種、関係者周辺とネット住人の間でだろうが。
林原が経営破綻したのは2011年2月。それなのになぜ今頃と思うが、どうやら林原グループの元専務、林原靖氏が今年8月に「破綻」と題した本を出版したのがきっかけのようだ。
この本のことは岡山の知人経営者からのメールで8月に知ってはいたが、読もうという程の興味はなかった。すでに私自身が2011年3月、「栗野的視点(No.371):林原グループの経営破綻が教えるもの」と題して書いていたし、当事者が書くものに客観性はなく、ほとんどが自己弁護に終始するということを過去の経験から分かっていたからだ。
だから、同書が発行された後も特に林原について触れるつもりはなかったが、数日前にたまたま立ち寄った大型量販店の書店コーナーで同書を目にしたものだからパラパラと拾い読みをしてみたので、その感想を少し。
この本、ご丁寧に「バイオ企業・林原の真実」というサブタイトルまで付けられていた。このサブタイトルからして大体中身が分かろうというものだ。
私は過去、経営破綻した企業経営者に取材し、何度か記事にしたことがある。前車の覆るをもって後車の戒めとするためである。
その時の経験から言えば、失敗経営者は大きく2つのパターンに分かれる。1つは自らの失敗を真摯に反省するタイプ。もう1つは失敗を他者のせいにするタイプである。
圧倒的に多いのは後者のタイプで、彼らは決まって泣き言、恨み事を言う。「銀行に潰された」と言うことが多い。「経営はうまく行っていた」「うまく行きかけていた。銀行の貸し渋りさえなければ」「いきなり資金ストップされた」と。
しかし、よくよく聞いていくと、銀行もいきなり貸し剥がしをしたわけではなく、その前にシグナルを出していることがほとんどだ。なかには銀行同士の合併で、それまでの担当窓口が代わり、帳簿上の数字だけで貸し渋りにあったという例もないわけではないが。
だが、それとて一方的に金融機関が悪いわけではなく、経営状態を悪化させたのは自らの責任である。にもかかわらず、そこの反省がない。
上記の「破綻」は「バイオ企業・林原の真実」というサブタイトルからして、自らの反省はほぼ皆無だろうということは察しがつく。少なくとも失敗の原因を真摯に分析するつもりなら「バイオ企業・林原<失敗>の真実」と「失敗」の2文字を入れるべきだろう。少なくとも著者の靖氏は林原グループの専務取締役であり、健社長の実弟でもある。しかも同グループは林原一族の同族経営であり、彼は経理担当でもあったはずだ。自らの経営責任は重いにもかかわらず、銀行に潰された的な書き方をしているようだが、こういう人物が経営陣にいたことこそが林原の問題だろう。兄弟揃って2流、いや3流経営者だったといえる。
林原破綻の背景については「栗野的視点(No.371)」で明らかにしているので、そちらを一読してもらうと分かるが、よくここまで持ったというのが正直な感想だ。本来ならもっと以前に破綻していてもおかしくない。それぐらい同社の経営は粉飾で飾られていたものだ。
過去の歴史を振り返れば、長年粉飾決算を行ってきた企業は皆同じ道を辿っていることが分かる。それでもまだ圧倒的に強い分野を持っている企業は、例えばオリンパスの内視鏡分野のように、なんとか生き残る道もあるが、それがなく多角化に走っている企業は最後の支え棒がないから踏ん張れない。
林原は西武百貨店とある部分で似た箇所がある。ただ人材の層の厚さは比較にならない。第一、経営者の器がまるで違う、と言えば言い過ぎだろうか。
だが、1日2時間余りしか仕事せず、午後2時には退社する経営者と、仕事中毒と言われるほど仕事をする経営者では、どちらの会社の方がまだ潰れないだろうか。
これ以上多くを語る必要はないだろう。林原破綻の「真犯人」については「栗野的視点(No.371)」を一読いただければ分かると思う。なかでも「林原グループの経営破綻が教えるもの(5)」を。
林原が経営破綻したのは2011年2月。それなのになぜ今頃と思うが、どうやら林原グループの元専務、林原靖氏が今年8月に「破綻」と題した本を出版したのがきっかけのようだ。
この本のことは岡山の知人経営者からのメールで8月に知ってはいたが、読もうという程の興味はなかった。すでに私自身が2011年3月、「栗野的視点(No.371):林原グループの経営破綻が教えるもの」と題して書いていたし、当事者が書くものに客観性はなく、ほとんどが自己弁護に終始するということを過去の経験から分かっていたからだ。
だから、同書が発行された後も特に林原について触れるつもりはなかったが、数日前にたまたま立ち寄った大型量販店の書店コーナーで同書を目にしたものだからパラパラと拾い読みをしてみたので、その感想を少し。
この本、ご丁寧に「バイオ企業・林原の真実」というサブタイトルまで付けられていた。このサブタイトルからして大体中身が分かろうというものだ。
私は過去、経営破綻した企業経営者に取材し、何度か記事にしたことがある。前車の覆るをもって後車の戒めとするためである。
その時の経験から言えば、失敗経営者は大きく2つのパターンに分かれる。1つは自らの失敗を真摯に反省するタイプ。もう1つは失敗を他者のせいにするタイプである。
圧倒的に多いのは後者のタイプで、彼らは決まって泣き言、恨み事を言う。「銀行に潰された」と言うことが多い。「経営はうまく行っていた」「うまく行きかけていた。銀行の貸し渋りさえなければ」「いきなり資金ストップされた」と。
しかし、よくよく聞いていくと、銀行もいきなり貸し剥がしをしたわけではなく、その前にシグナルを出していることがほとんどだ。なかには銀行同士の合併で、それまでの担当窓口が代わり、帳簿上の数字だけで貸し渋りにあったという例もないわけではないが。
だが、それとて一方的に金融機関が悪いわけではなく、経営状態を悪化させたのは自らの責任である。にもかかわらず、そこの反省がない。
上記の「破綻」は「バイオ企業・林原の真実」というサブタイトルからして、自らの反省はほぼ皆無だろうということは察しがつく。少なくとも失敗の原因を真摯に分析するつもりなら「バイオ企業・林原<失敗>の真実」と「失敗」の2文字を入れるべきだろう。少なくとも著者の靖氏は林原グループの専務取締役であり、健社長の実弟でもある。しかも同グループは林原一族の同族経営であり、彼は経理担当でもあったはずだ。自らの経営責任は重いにもかかわらず、銀行に潰された的な書き方をしているようだが、こういう人物が経営陣にいたことこそが林原の問題だろう。兄弟揃って2流、いや3流経営者だったといえる。
林原破綻の背景については「栗野的視点(No.371)」で明らかにしているので、そちらを一読してもらうと分かるが、よくここまで持ったというのが正直な感想だ。本来ならもっと以前に破綻していてもおかしくない。それぐらい同社の経営は粉飾で飾られていたものだ。
過去の歴史を振り返れば、長年粉飾決算を行ってきた企業は皆同じ道を辿っていることが分かる。それでもまだ圧倒的に強い分野を持っている企業は、例えばオリンパスの内視鏡分野のように、なんとか生き残る道もあるが、それがなく多角化に走っている企業は最後の支え棒がないから踏ん張れない。
林原は西武百貨店とある部分で似た箇所がある。ただ人材の層の厚さは比較にならない。第一、経営者の器がまるで違う、と言えば言い過ぎだろうか。
だが、1日2時間余りしか仕事せず、午後2時には退社する経営者と、仕事中毒と言われるほど仕事をする経営者では、どちらの会社の方がまだ潰れないだろうか。
これ以上多くを語る必要はないだろう。林原破綻の「真犯人」については「栗野的視点(No.371)」を一読いただければ分かると思う。なかでも「林原グループの経営破綻が教えるもの(5)」を。
![]() | 破綻──バイオ企業・林原の真実 |
林原 靖 | |
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崩壊していくニッポン1~偽装列島
かつてニッポンは安全・安心の住みやすい国だった。
ことさら「オ・モ・テ・ナ・シ」などと言わなくても、それが当たり前の社会だった。
商品は正札で販売され、チップを払わなくても誰もが均一の、質のいいサービスを受けられ、
中身の誤魔化しなどなかった。
それがいつの頃からか変わってきた。
思うにバブル期以降ではないだろうか。
その頃から人々が拝金主義に走り、自分さえよければという利己主義に大きく傾いていった。
結果、理由なき無差別殺人や、目先の金品欲しさの衝動的殺人、自らの欲望を
満たすためだけの誘拐、強姦、殺人等々が増え、安全・安心できる社会ではなくなってきた。
そして次から次に明らかになっていく偽装。
もはや新興国の偽装表示を笑えない状況が、この国で起きているのだ。
なぜなのか。なぜそうなったのか。真犯人は誰なのかを探ってみたい。
JAS法改正後も悪しき慣習
食材偽装表示で驚いたのは次から次に連日のように名乗り出る会社の多いこと。
よくもまあこれだけ、と呆れてしまう。
有名デパートがほぼ軒並み名前を連ねていることもあるが、あらゆる業界に広がっていることにも驚く。
まさに「偽装列島」の様相
偽装表示と言えば、直近では熊本産馬刺しの産地偽装を思い出す
今回の食材偽装表示が大体10年前から行われていたということから考えれば、
JAS法改正後もそれ以前の「慣習」をそのまま続けていた
デフレとコスト削減圧力
(略)
消費者のブランド信仰が偽装を
(略)
☆全文は「まぐまぐ」の下記ページで
http://archive.mag2.com/0000138716/20131119123014000.html
登録しなくても読めますが、登録すれば以後その日に全文が配信されます。


ことさら「オ・モ・テ・ナ・シ」などと言わなくても、それが当たり前の社会だった。
商品は正札で販売され、チップを払わなくても誰もが均一の、質のいいサービスを受けられ、
中身の誤魔化しなどなかった。
それがいつの頃からか変わってきた。
思うにバブル期以降ではないだろうか。
その頃から人々が拝金主義に走り、自分さえよければという利己主義に大きく傾いていった。
結果、理由なき無差別殺人や、目先の金品欲しさの衝動的殺人、自らの欲望を
満たすためだけの誘拐、強姦、殺人等々が増え、安全・安心できる社会ではなくなってきた。
そして次から次に明らかになっていく偽装。
もはや新興国の偽装表示を笑えない状況が、この国で起きているのだ。
なぜなのか。なぜそうなったのか。真犯人は誰なのかを探ってみたい。
JAS法改正後も悪しき慣習
食材偽装表示で驚いたのは次から次に連日のように名乗り出る会社の多いこと。
よくもまあこれだけ、と呆れてしまう。
有名デパートがほぼ軒並み名前を連ねていることもあるが、あらゆる業界に広がっていることにも驚く。
まさに「偽装列島」の様相
偽装表示と言えば、直近では熊本産馬刺しの産地偽装を思い出す
今回の食材偽装表示が大体10年前から行われていたということから考えれば、
JAS法改正後もそれ以前の「慣習」をそのまま続けていた
デフレとコスト削減圧力
(略)
消費者のブランド信仰が偽装を
(略)
☆全文は「まぐまぐ」の下記ページで
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山本太郎議員の手紙問題の背景を探る
ついにこういう行動をする者が現れた--。
山本太郎参院議員が秋の園遊会で天皇に手紙を直接渡した件である。
手紙の内容は福島原発に関することで、「原発事故よる子どもの健康被害や事故の
収束作業にあたる作業員の健康状態を知ってもらいたかった」と本人は述べている。
山本議員の行動に対しては「品位に欠ける」といったような批判が多いように感じるが、
最初にこの件をニュースで知った時、非常に危険な流れを感じた。
国会議員の品位とかマナーといった問題に矮小化して論じる問題ではないだろう。
懲罰動議云々も出ているが、個人的な観点から言えば、山本太郎氏には議員辞職を強く迫りたい。
不思議なのは今回の行動に批判的な声が現政権と自民党など保守派側から多く、
革新系の野党や文化人からはあまり聞こえてこないことだ。
民主党議員から批判的な声がほとんどないか小さいのは察しが付くが。
目的のためなら手段は問われないか
さて問題になるのは、なぜ手紙を渡す相手が天皇でなければならなかったのか、
また園遊会の席でなければならなかったのかということだ。
(中 略)
目的が正しければ、手段は問われなくていいのか。
答えはノーだろう。
かつて大東亜共栄圏という目的を掲げ、日中戦争、欧米との戦争に突き進んでいった軍部や
2.26事件の青年将校達の例を引くまでもないだろうが、いずれも当時の絶対的権威の名を
借りて自らの目的までを正当化しようとしたのである。
自らの目的のために他人の権威を利用しようとする動きには注意しなければならない。
一見、正義に見える目的の裏になにか他のものが隠されていたりすることはよくある。
(中 略)
なし崩し的に進む皇族の政治利用
最大の問題は今回の動きが唐突に現れたわけではなく、一連の動き、
なし崩し的に進められている天皇の政治的利用の流れの延長線上に出てきたことである。
(以下 略)
☆全文は「まぐまぐ」の下記ページで
http://archive.mag2.com/0000138716/20131108165118000.html
登録しなくても読めますが、登録すれば以後その日に全文が配信されます。
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山本太郎参院議員が秋の園遊会で天皇に手紙を直接渡した件である。
手紙の内容は福島原発に関することで、「原発事故よる子どもの健康被害や事故の
収束作業にあたる作業員の健康状態を知ってもらいたかった」と本人は述べている。
山本議員の行動に対しては「品位に欠ける」といったような批判が多いように感じるが、
最初にこの件をニュースで知った時、非常に危険な流れを感じた。
国会議員の品位とかマナーといった問題に矮小化して論じる問題ではないだろう。
懲罰動議云々も出ているが、個人的な観点から言えば、山本太郎氏には議員辞職を強く迫りたい。
不思議なのは今回の行動に批判的な声が現政権と自民党など保守派側から多く、
革新系の野党や文化人からはあまり聞こえてこないことだ。
民主党議員から批判的な声がほとんどないか小さいのは察しが付くが。
目的のためなら手段は問われないか
さて問題になるのは、なぜ手紙を渡す相手が天皇でなければならなかったのか、
また園遊会の席でなければならなかったのかということだ。
(中 略)
目的が正しければ、手段は問われなくていいのか。
答えはノーだろう。
かつて大東亜共栄圏という目的を掲げ、日中戦争、欧米との戦争に突き進んでいった軍部や
2.26事件の青年将校達の例を引くまでもないだろうが、いずれも当時の絶対的権威の名を
借りて自らの目的までを正当化しようとしたのである。
自らの目的のために他人の権威を利用しようとする動きには注意しなければならない。
一見、正義に見える目的の裏になにか他のものが隠されていたりすることはよくある。
(中 略)
なし崩し的に進む皇族の政治利用
最大の問題は今回の動きが唐突に現れたわけではなく、一連の動き、
なし崩し的に進められている天皇の政治的利用の流れの延長線上に出てきたことである。
(以下 略)
☆全文は「まぐまぐ」の下記ページで
http://archive.mag2.com/0000138716/20131108165118000.html
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ゴーストタウン化しつつあるホークスタウンモール

「ピリエ守山」がゴーストタウンと化しているという読者からの情報を紹介したが、同じ現象が
福岡市中央区の大型商業施設でも起きていた。
その施設とは福岡市中央区地行浜にあるホークスタウンモール。
福岡市の中心部、天神から車で約10分、博多駅から同約15分、バスなら天神バスセンターから約15分、
博多駅前の福岡交通センターから約20分と近く、バスの本数も多い。
市中心部ではないが、郊外というわけでもない。
周辺は開発当初から高級住宅街であり、高層マンションも立ち並んでいる。
オープン当時は連日多くの人出で賑わっていた施設だが、久し振りに訪れてみると
あまりの変貌ぶり(?)に驚いてしまった。
(以下 略)
☆全文は「まぐまぐ」の下記ページで
http://archive.mag2.com/0000138716/20131029123831000.html
リエゾン九州のHPでも読めます。

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中高年夫婦は寝室を一緒にすべき。
タイトルを見て、いま流行りの中高年セックスを奨励する内容か、と早合点しないように。
とはいえ、寝室を一緒にすれば、当然そういうことは起こりやすくなるわけで、
それはそれで大いに結構。
健康のため、ボケ防止のためにお勧めしたい。
いやいや、できることなら私もあやかりたいが生憎の一人住まい。
昨今はボケを心配しながら、ついついアルコール類に手が伸び、頭を痺れさせる逆効果の日々。
そんな私事はさておき真面目な寝室談義を。
寝室が別になるきっかけ
中高年夫婦で寝室を別にしている割合がどの程度なのかは不明だが
(どこかで統計を取ってはいると思うが)、寝室を別にした理由やきっかけは
概ね次のようなものではないだろうか。
1.出産を機に妻が子供と一緒に寝だし、その頃を境に寝室が別になった。
2.互いの生活時間帯が違い、気付いたら別々の部屋で寝ていた。
これは働き盛りの中年世代に多いと思われる。
3.伴侶のいびき、寝言、歯ぎしり等がうるさく、以来、寝室を別にした。
4.同じ空気を吸っていると思うのが耐えられなくて・・・。
4のパターンは離婚への最短距離に位置していると思われるが、そこに至る手前には
浮気という甘く危険な罠も待ち受けている。
すでにその罠にどちらかがかかっているか、あるいはかからないほど魅力に欠けている
(いや失礼。決して夫婦のどちらかに魅力がないのではなく、倫理観が強い夫婦という意味である)
ということだろう。
1と2は子供が成長し独立した後、夫婦2人の生活になり、再び寝室を共にするパターンに
戻ることが案外多い。
3はどちらかが妥協しない限り、そのままだろうが、元に戻るきっかけがある。
それはどちらかが患った時である。
(以下 略)
◆脳梗塞は4時間以内が分かれ道
◆電話中に弟の脳血栓に気付く
◆ラクナ梗塞は楽どころか危険
◆夫婦は同じ部屋で寝よう
☆全文は「まぐまぐ」の下記ページで
http://archive.mag2.com/0000138716/20131023222015000.html
登録しなくても読めますが、登録すれば以後その日に全文が配信されます。


とはいえ、寝室を一緒にすれば、当然そういうことは起こりやすくなるわけで、
それはそれで大いに結構。
健康のため、ボケ防止のためにお勧めしたい。
いやいや、できることなら私もあやかりたいが生憎の一人住まい。
昨今はボケを心配しながら、ついついアルコール類に手が伸び、頭を痺れさせる逆効果の日々。
そんな私事はさておき真面目な寝室談義を。
寝室が別になるきっかけ
中高年夫婦で寝室を別にしている割合がどの程度なのかは不明だが
(どこかで統計を取ってはいると思うが)、寝室を別にした理由やきっかけは
概ね次のようなものではないだろうか。
1.出産を機に妻が子供と一緒に寝だし、その頃を境に寝室が別になった。
2.互いの生活時間帯が違い、気付いたら別々の部屋で寝ていた。
これは働き盛りの中年世代に多いと思われる。
3.伴侶のいびき、寝言、歯ぎしり等がうるさく、以来、寝室を別にした。
4.同じ空気を吸っていると思うのが耐えられなくて・・・。
4のパターンは離婚への最短距離に位置していると思われるが、そこに至る手前には
浮気という甘く危険な罠も待ち受けている。
すでにその罠にどちらかがかかっているか、あるいはかからないほど魅力に欠けている
(いや失礼。決して夫婦のどちらかに魅力がないのではなく、倫理観が強い夫婦という意味である)
ということだろう。
1と2は子供が成長し独立した後、夫婦2人の生活になり、再び寝室を共にするパターンに
戻ることが案外多い。
3はどちらかが妥協しない限り、そのままだろうが、元に戻るきっかけがある。
それはどちらかが患った時である。
(以下 略)
◆脳梗塞は4時間以内が分かれ道
◆電話中に弟の脳血栓に気付く
◆ラクナ梗塞は楽どころか危険
◆夫婦は同じ部屋で寝よう
☆全文は「まぐまぐ」の下記ページで
http://archive.mag2.com/0000138716/20131023222015000.html
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