波佐見の狆

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Aquatarkus(アクアタルカス)(42回)

2012-11-02 11:16:18 | 平清盛ほか歴史関連

これまで『平清盛』に使われてきたTarkusの楽章は、第1楽章のEruption(「噴火」)と、第5楽章のManticore(「マンティコア」)でしたが、今回第42話「鹿ケ谷の陰謀」では、あらたに第7楽章Aquatarkus(「アクアタルカス」)が鳴りましたよーーーー!!

TarkusにAquaという接頭辞がついているのは・・・・この楽章は、タルカスが陸での戦いをやめて水(海)に戻るさまを表しているからです。こちらの記事でもお話したように、タルカスは地球上のすべてを破壊尽くした後、マンティコアの尾尻の毒針で目を突かれ、すごすごと海へ帰っていきます。

ただし!それは、タルカスが海へ戻って死んでしまうということではありません。タルカスのズン、ズン、という足音を表す行進曲調のシンセサイザーとドラムがフェードアウトしたあとに、ジャーーーン!とドラの音が鳴り響き、再びとてもパワフルなシンセサイザーが聞こえてくるとおり、タルカスは海に沈んでも、またよみがえるのです!!

ともかく、聴いてください。

まずは、ELPのオリジナルから。

Emerson, Lake & Palmer - Tarkus Medley (Part 2)

後半1/3くらいのところから始まります。6:20あたりにカーソルを合わせてみてください。)

次に、ドラマ中に流れた吉松氏オーケストラバージョン。

3曲目:吉松隆(編) 『TARKUS(Orch. ver.)』より「Aquatarkus」

さて・・・以前の記事を書いた時点では、私は、マンティコアは源氏を象徴するものと捉え、この毒針の一撃というのは、頼朝の挙兵のイメージと考えていたわけです。今回42話では、また別のイメージを膨らませました。

というのも、、、、この曲が流れてきたのが、清盛が西光を鬼畜のごとく蹴りつけ、自分もふらふらになり、斬首を言い渡したところだったからです。西光に突然このような形で反撃されるとは、清盛にとっては予想だにしなかったことでしょう。西光の「そなたの国づくりは志ではない。復讐だからじゃ!」この一言だけでも、清盛にとっては針でいきなり目を刺されるくらいの衝撃となったのですね。おのれを犬と扱う王家への恨みつらみに、突き動かされているだけ。。。うわあーーー言っちゃったねえ・・・・西光さん。。「・・突き動かされているだけ」とまでいえなくとも、今の清盛の中でそういうダークでネガティブな面が沸々としているのは確か。

もし平治の乱で信西が義朝軍に討たれなかったとしても、いずれは、清盛が信西を討つことになっていたであろう、というのは、私もそう思っていました。信西だって、あのときは、自分が頂に立つための画策の一つとして、清盛に叔父を斬らせるという苦悩を与えました。つまり平家を利用していたわけです。平治の乱で清盛が信西を救出していたとしても・・・・あるいは平治の乱そのものが起こらなったと仮定しても、、、いつまでも、清盛と信西が仲良くやるということはできなかったでしょう。少なくとも、信西が後白河の力を使ってのし上がろうとする限りは・・・。

ちなみに、吉川英治『新・平家物語』にももちろん西光が清盛を罵倒するシーンがありますが、ただ、そちらでの西光の論理は『平清盛』に比べるともっと無難??です。もともと貧乏人の忠盛の子せがれで、殿上の交わりを人に嫌われた者の子である平太ごときが、権力を得て、天下を私物化しているくせに・・・という感じで、清盛に「主謀はなんじと成親よな」と問われると「たれでもない。主謀は自然の理だ。平家の専横を憎み、一門栄華の驕りをのろう諸人の怒りこそ主謀よ。」などと言います((五)p.389 「西光斬られ」)。それは至極もっともで品格ある言葉ですが、やはり、「復讐」とまで西光に言わせる藤本脚本の解釈は、衝撃的で心えぐられます。

で、話は『平清盛』に戻ってと・・・ 

西光が引き立てられていった後、その懐から、何かが地面に落ちます。はっとする清盛。

それは・・・信西が大切にしていた算木(そろばんのように使用する計算棒)でした。信西の志の象徴、そして彼そのものの想い出であるこの算木を拾い上げた清盛は、真っ二つに割って投げ捨て、焼き捨てよと命じ、あえぎながら廊下を去って行きます。信西の形見を捨て、愛弟子を処刑することで、信西と決別する清盛。実は、私はこの場面が一番心に響きました。何度も何度も見返しています。

誰かとコラボではダメなのですね。清盛が、自分の思い描く夢(貨幣経済による豊かな国づくり)を実現させるには、彼が最高権力者にならなければならない。同じ地位にほかの誰かがいては邪魔なのですね。ましてや、自分の行く道を遮ろうとする者は、誰であろうと蹴落とさねばならない。一人で歩んでいく決意を新たにしながらも、かつてなかった苦悩が始まり、明日を見失いかける清盛。

ここで大事なことは、彼にとって、決して最高権力者になること自体が目的ではなかったということです。だいたい、王家の犬となり、公卿化するということも、彼にとっては手段でしかなかった。最高権力者となるための手段として、犬となり公卿となった。そして、自らの理想国家を創るための手段として、最高権力者にならなければならなかった。

このことを証明する一つの興味深い例が、こちらの記事でも紹介した『経営者・平清盛の失敗』に書いてありました。

今や後白河に匹敵する権勢を誇っていた清盛が、なぜ自分で貨幣をつくらず、敢えて宋銭という外国貨幣にこだわったのか、という説明の部分です。(p.114) つまり、歴史的に見ても、秀吉や家康のように、時の権力者なら誰しも自ら貨幣を発行することを望むものなのに・・・通貨発行益を得られるし、自らの威信を天下に示すことができるから・・・・清盛はそういうことには興味がなく、宋銭を流通させるメリットに目を向けてひたすら宋銭を輸入し続けた。

それに対して、後白河はやはり、白河院と同じで、権力そのものに執着があったのではないでしょうか。彼も最初は、清盛の日宋貿易を喜んでいたわけですが、清盛の究極の目的が、単に、宋の優れた実用品(薬など)や珍品を輸入して流布させることではなくて、それ以上に国家そのもののを変えることにある、と気付くと、その良し悪しを考える前に、清盛を追い落とそうとするのですからね・・・注1)

ノベライズ本の第四巻、すなわち最終巻が届きました。残すはあと8回。目次を眺めると・・・49回が「双六が終わるとき」となっているのですが・・・これって49回で清盛が死に、そのあとは駆け足で壇ノ浦までということですかね??えーーーー源平合戦もっと見たいよーーー

ところで、清盛感想を書いているブログのなかでも、頼朝と政子のことに全然触れないって、ここだけかもしれませんね?!まあ、その辺まで書いていると延々長くなるからではありますが・・・・今は平家の人々にいっぱい想いを寄せたいのです。

注1)

もっと言うならば、後白河でさえも、清盛が何をしようとしているのかわからないのです。厳島の意匠に象徴されるように横に横に広がる国家というけれど、具体的にどういうことか、思い描けない。後白河としては清盛とコラボを続けたいと思ってはいたわけですが、あくまで自分が上でありたいのに、清盛だけがいつのまにか先へ先へと行ってしまっている。滋子が亡くなったとたんに、そういう鬱憤が爆発したのですね。

清盛の貨幣経済構想は、あまりに時代の先を行き過ぎて(急進的すぎて)、誰にも理解されなかった、というのが真相だったようです。