波佐見の狆

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2組の仲良し三姫女子会

2013-04-21 13:37:04 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介・十兵衛)

「まま!ぼく、7年ぶりに栗兄ちゃんと再会できて、とっても嬉しいんだ!

こっちで兄ちゃんやみんなと毎日楽しくやってるよ!!

だから、ままも、今までずっと会えなかった大切な人たちに会いに行って、

素敵な時間を過ごしてよ!」

こんな恵之介の声に誘われて・・・・さっそく出かけてきました。

まずは、小学校時代からの45年に及ぶ仲良しMさんとYさん・・・・お2人はそれぞれ今は熊本、福岡に住んでいますが、Mさんがご主人の赴任先である中国へ引っ越すことになり、ホテルに泊まってのささやかな送別会です。Mさんとは、帰省したときちょくちょく会っていましたが、Yさんは、早くにご両親が他界してもう佐世保に家もないため、会うのは20年ぶり??くらいなのです。

佐世保市街を見下ろし、西海国立公園の九十九島を一望する絶好のロケーション、弓張の丘ホテル

夕食までのひと時を、カフェでお茶をのみながらおしゃべりしました。

日没どきの九十九島の絵のような美しさ。。。

実は、4年前に帰省したとき、両親を連れてこのホテルにディナーに来たことがありました。恵も一緒でしたが、車の中でお留守番。。。その時の写真です(こちらの記事)。父の認知症もまだ軽い段階でした。

その時、食事したのと同じ場所で、今回は和洋中華バイキングです。

たっぷり食べて、それぞれにお風呂をすませて、浴衣に着替えて私の部屋に3人集合!お酒を飲みながら、深夜まであれこれとおしゃべりがはずみました。

翌日・・・MさんとYさんと別れて、こんどは、もう一組の仲良し、YEさん・KHさんとランチをするため、ハウステンボスに直行!

このお2人とのご縁は、、20代半ばから。英検を受けに行った会場で、私とKHさんが前後の席で、互いに同年代だなと思い話しかけたのが始まりでした。実は準1級が初めて導入された年で、受験者も少なかったのです。そして、、KHさんが親友YEさんを紹介してくれ、以来30年近い友情が続いています。それぞれメールはよくしていますが、3人一緒に会えるのは、15年ぶりくらい??!!

ハウステンボスは、私の実家からバスで20分ほどです。オランダの街並みを再現したテーマパークとして1992年にオープンしたのですが、その当時はあまり魅力的なところという感じではなく、経営危機に陥り、経営者が変わりました。以来、多くの改革がなされ、今ではテーマパークというより、まさにヨーロッパを思わせる洗練された街並みが広がる、花と緑の癒しの空間となっています。施設面積のうち1/3を、フリーゾーンとして入場料無料で楽しめるよう開放したのも大当たり。

ハウステンボスでも一番のクラシックなホテルであるホテルヨーロッパもこのフリーゾーンにあり、素敵なレストランやカフェを気軽に利用することができます。私たちもこのホテルで待ち合わせました。

しばし、ホテルの外を散策。。

前の日から快晴が続いており、大村湾からの風が心地よい。ちょうど、九州B級グルメ大会?みたいなイベントをやっていました。

お隣佐賀県嬉野温泉のゆるきゃら「ゆっつらくん」です。彼(彼女?)を囲んで3人で写真を撮りました。

ホテルに戻り、カフェ「アンカーズラウンジ」で、ランチ。私は朝食をホテルでいっぱい食べてしまいあまりお腹がすいていなかったので、ケーキと紅茶を注文。チューリップのケーキという意味のオランダ語の名前がついていたのですが、、、忘れちゃったなあ。

花びらはホワイトチョコレートで、内側はチーズムース。可愛らしくて美味しかったです

ロビーもカフェもお花がいっぱい。

いつまでもおしゃべりしていたかったのですが・・・・・羽田へ帰る飛行機が3:40です。長崎空港へ向かうバスの時間があっという間にやってきました。

Mさん、Yさん、YEさん、KHさん、本当にありがとう!一人っ子である私にとってはみんな姉妹です。これからもそれぞれにいろんなことがあると思いますが、出来るだけ連絡を取り合って、よい年齢の重ね方をしましょうね。

そして、、、茨城で、ひとりお留守番してくれたぱぱにも、感謝! 

ぱぱへのお土産?のひとつ、「チョコぱんだ」 ・・・これはね、上野駅のパン屋(ブランジェ浅野屋)さんで買っただけだよーーー

でもなんとなく、、、、、恵のほんわかお顔に似ていませんか?!

まま、ニコニコの2日間で、よかったね! > 栗&恵

そして来月19日は、、、福岡&小倉の旧友たちとの再会ですよ~~~~

 

 

 


五浦(いづら)・いわきへの旅

2013-04-02 14:05:30 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介・十兵衛)

茨城の北部に、「五浦(いづら)海岸」という一帯があります。

複雑に入り組む海岸線や断崖絶壁に、太平洋の雄大な荒波が打ち寄せる景勝地で、岡倉天心、横山大観、下村観山、菱田春草、といった日本美術の巨匠たちがこの五浦を愛し、この地に住んでアトリエを構え創作活動に専念しましたそのリーダーであった天心は、日本近代美術の父と言われています。断崖絶壁が間近に迫る一角に、天心の住居跡(旧天心邸)、六角堂、天心の墓、天心記念館などがあり、これら一帯を集合的に、茨城大学五浦美術文化研究所と呼んでいます。

この断崖絶壁を見下ろすように、五浦(いつうら)観光ホテル(注1)という老舗旅館が建っています。今回こちらに1泊して、景色と温泉を堪能しました。

4/30土曜。9時に家を出て、11時すぎには北茨城市に入りました。ランチは、メヒコ北茨城店。

蟹ミソのパスタ

 カキのチーズ焼き

ホテルのチェックインまでまだ時間があるので、天心記念五浦美術館に行きました。茨城大学五浦美術文化研究所とはやや離れたところに建っていますが、ゆったりとした館内で、天心や大観らの業績を表す展示物や、その他の優れた日本画を鑑賞することができます。天心の住居の内部を復元した一角もありました。じっくりと観て回り、管内のカフェテリアで、太平洋を眺めながら一休み。

3時半頃、ホテルの駐車場に車を留めて、歩いて茨城大学五浦美術文化研究所に出かけました。

明るい曇り空で、空気はひんやりとしていますが、散歩にはちょうどいいお天気。まずは、旧天心邸へ。中には入れないので、縁側から写真を撮るだけでしたが・・・

実は、天心の生涯が映画化されることになり、現在撮影が進んでいます(公式サイトへ。今年秋には公開され、茨城県内で先行上映のあと、全国で上映されるそうです。主役の竹中直人さんや、大観役の中村獅童さんらがサインした、映画用の看板?も展示されていました。(注2) 

次に、天心記念館で等身大の天心の彫像などを見たあと、私が一番楽しみにしていた六角堂

六角堂とは、明示38年に天心が設計して建てた小さな木造の庵というか茶室で、大平洋に突き出す岩のうえにちょこんと乗っかっている感じです。中に入ることはできませんが、周りを一回りすることができて、眼前に迫る白い波は圧巻です。ざざん、ざざ~~んという自然の歌声を聴きながら、思索にふけり、創造へのインスピレーションを得た天心のこころを感じることができるのです(国の登録有形文化財)。

さて、今見られるこの六角堂は、3.11の津波破壊されてしまったのを復元したものです。あの日、土台部分だけ残して、津波にさらわれてしまったのでした。その後すぐに茨城大学を中心とした復興プロジェクトが立ち上がり、平成24年4月、「明治38年の創建時に限りなく近い姿の」新生六角堂の竣工をみたのでした。鮮やかな小豆色の美しい建物は、北茨城地区復興のシンボルとなりました。

復興プロジェクトがスタートした当時茨城大学が制作したビデオをご覧ください(後半は、映画のコンセプトを説明しています)。

 

天心六角堂再建映像記録 5分

 

六角堂よりさらに歩いて、高台にある五浦岬公園へ。白い灯台などがあり、真向かい遠くに、六角堂と五浦観光ホテルが広がります。実は、この公園には、10年くらい前に栗之介を連れて訪れたことがありました。観光ホテルに泊まれないのはもちろん、茨城大学五浦美術文化研究所にも天心記念美術館にもワンコは入れないので、仕方なく公園から、海と六角堂とホテルを眺めたのです。つまり、わたしとぱぱと栗は、津波にさらわれる前の六角堂を見たのでした

ホテルまで歩いて帰ると、お腹がすいてきました。でも、まずは食事の前に、さっそく露天風呂へ。原泉かけ流しの、熱めのとても良いお湯です。真正面に海も見えて、気持ちいい!

夕食。

まあ、ごくありふれた和食膳で、「アンコウ鍋」がついてくると期待していたら、それもなかったのでちょっとがっかり(別料金らしい・・)。 味はよかったです。

夕飯の後、またゆっくりお風呂を堪能しました。

お部屋は、オーシャンビューで、真下まで波が迫り、右手遠くには六角堂が見えます。

どうです?!この絶景・・・・ (赤い矢印が六角堂です)

夜は六角堂がライトアップされて、真っ暗な海の中に浮かぶ赤い行燈のようです。私のデジカメでは撮影できなかったのが残念ですが・・・この世のものとは思えない幻想的な雰囲気で、恵と栗の魂が、こうしてわたしとぱぱを護ってくれているのだと思うと、また涙でくしゃくしゃになってしまうのでした

ざっぷーーん、ざぷーーんという波の音を子守唄にして、8時間ほどよく寝ました。翌日は、できればチェックアウト後もう一度六角堂まで散歩したかったのですが、予報通り小雨交じりの寒い日になったので、散歩はやめて、いわきのアクアマリン福島へ向かいました

ここは、いつか栗と恵を連れていったことがあります。預かってくれるというので職員さんについていったら、屋内ではなく、建物と建物の間に大きいケージが置いてあって、その中に入れてというので、キャリーごと入れたっけな。あれは確かGW中で、幸い暑くない日だったからよかったのですが・・・

アクアマリンも津波で甚大な被害を受け、1階が浸水したため、殆どの生き物が死んでしまったそうです。生き残ったアザラシやカワウソなどの海獣は他の水族館に預かってもらい、急ピッチで復興作業を進め、たったの4か月で再オープンにこぎつけたのですが、今ではもう、何事もなかったかのような平穏な賑わいで、以前はなかったシーラカンスについての常設展(「シーラカンスの世界)などもあり、いろいろと楽しめました。

源平がらみで、面白いお魚が!

私の写真ではちょっと見づらいのですが・・・・赤い「アツモリウオ」と茶色の「クマガイウオ」という魚が同じ水槽に入れてありました

アツモリとは、平敦盛、クマガイとは、義経の家臣熊谷直実(くまがいなおざね)です。源平物ファンならご存じと思いますが・・・一の谷の合戦において、16歳だった敦盛を討ったのが直実ですね。自分の息子と同じ年の若者であることに驚いて、直実は敦盛を逃がそうとするのですが、結局首を刎ねるしかなく、そのことをひどく悔いた直実は出家します。『平清盛』では、この二人のことはちらっとも出てきませんでしたが、『(古典)平家物語』でも、『新・平家物語』でも、大切な見せ場のひとつです。

それで、なぜこの二人の名をつけたかというとですが・・・・ざっと検索したところによると、それほど深い意味はないようです。まず赤い方を、鎧を着た武者のような形だというので、アツモリウオと名付けたところ、あとで形がそっくりの色違いのやつがいたので、対になるようにとクマガイウオと名付けたということらしいです(ちなみに、植物にもアツモリソウ、クマガイソウというのがあるそうですね)。 それくらい、この二人のことは有名だということですね。

日曜のお昼は、アクアマリンから少し離れたところにある、Don3というイタリアンレストランに入りました。こちらにも載っているように、音楽とイタリアンの融合というのがコンセプトだそうで、店内至る所に、音楽がらみの可愛いオブジェがあり、時々ライブもするそうです。自らもベースギターをやるというマスターはとても親切で、旅の途中に寄ったというといろいろ教えてくれました。

お料理は、ミネストローネとサラダ

和風めんたいこパスタと石窯焼きピッツァ

エスプレッソかけジェラートとコーヒー

とても美味しかったです。

帰りに、マスターが教えてくれたエブリヤ(鹿島ショッピングセンター)という複合商業施設に寄って魚やお菓子などを買っていると、もう4時近くになってしまい、急いで岐路につきました。

いわきも、少なくとも表面的には復興しているようで、誰も震災時のことなど語ろうとしないなぁ・・・などと思って外を眺めていると・・・黄色い仮設住宅の一帯が目に入り、ああやっぱりこれが現実なのだなと、こうしてお気楽に旅行していられる自分がいかに恵まれているかを痛感するのでした。

いつもながら、ぱぱ、運転おつかれさま&ありがとう。

写真の中の2人も、楽しかったね!まま、ぱぱ!と笑っているようでした。 

 注1) 「五浦」の読み方については、海岸は「いづらかいがん」といい、天心関係もみな「いづらの六角堂」などというのですが、「五浦観光ホテル」は、「いつうら観光ホテル」だそうです。使い分けている理由が特にあるのかとホテルのフロントで尋ねたら、「どちらでも間違いではない。たまたまこのホテルは創設時から”いつうら”と言っている。もともと”いつうら”だったのがなまって”いづら”になったようだ。」とのことでした。

注2) 岡倉天心という人が、映画になるほどどのような偉大な業績を残した人物かについては、長くなるのでここでは省略。ともかく映画の公開が楽しみです!