土曜日、うららかな晴天の下、早朝より鎌倉に出かけました。
目的は、鎌倉能舞台のこの公演!!
当初は、午後の部のみ考えていたのですが、せっかくわざわざ鎌倉まで行くのだからと、午前の部も観ることにしました!!
9時半ちょっとすぎ、鎌倉駅に着き、タクシーで能舞台まで向かいました。
住宅街にある小さな能楽堂だと聞いていましたが、確かに、、、!
隠れ家レストランかと思うような、ひっそりとした、たたずまいです。両隣りは、普通の民家ですよ!
(お隣さんが能楽堂だなんて、、、すごいと思いませんか?!Yukoさんだったら、毎日でも入り浸っちゃいますよね?!)
座席数155です。国立能楽堂が627であることから考えても、いかにこぢんまりした能楽堂か、想像がつくでしょう。
玄関を入ると、靴を脱ぎます。まるで普通のおうちに招かれているようです。
中へ入ってみると・・・舞台と客席がすごく近い!(床は、絨毯または畳です。椅子には座布団。指定席にはきちんと名前が書いてありました。)
鎌倉能舞台は、観世流シテ方の中森晶三さんが創設した能楽堂で、現在はその息子さんの中森寛太さんが主催者だそうです。
演目の前に、必ず解説があり、終わると、質疑応答の時間までもうけてあります。(私も一つ質問させていただきました!)
(なお、今でこそ定番となっている、この解説付き公演というスタイルは、中森晶三氏が初めて行ったとのこと。)
【午前の部】
解説 (中森寛太)
狂言 『節分』
節分の夜、夫が留守で一人でいる女に恋をした鬼が、なんとか口説いて侵入しようとするが、結局女から騙され、隠れ蓑と打ち出の小づちを奪われ、豆で追い払われてしまう。 鬼の可愛い仕草が面白かったです。
能 『巴』 <シテ(巴の亡霊): 中森寛太>
巴は、木曽義仲の愛妾で、怪力・強弓の美しい女武者として、、戦場の義仲にどこまでもお供をした女性ですね。しかし、琵琶湖の湖畔の粟津が原で、義仲が義経の軍に追い詰められ、いよいよ最期を迎えるとき、お前は女であるからどこへでも落ち延びよ。最期まで女を連れていたと後々まで言われたくない、と命じて巴を逃がそうとします。巴は、主君でありかつ想い人である義仲とともに討死にするのが願いでしたが、それも許されず、泣く泣く、義仲の最期を見届けて去っていきます。
この演目では、木曽からきた旅の僧らが、粟津が原で、巴の亡霊と出会うところから始まります。
神前で、涙を流す女がいるので、僧らは不思議に思い、訳を訪ねると、女は、ここには木曽義仲様が祀られているので、あなた方も木曽の出なら、供養をしてほしいといって、消える。僧らが、その女はきっと巴の亡霊だと確信しつつ、夜になって読経していると、巴の亡霊が今度は長刀を持ち女武者姿で現れ、義仲と共に戦った日々のこと、最期の瞬間のことなど詳しく語り、一緒に自害を許されなかったことに対する無念と哀しみゆえに成仏できないので、どうかこの執心を弔って欲しいと僧らに頼み、再び普通の女の姿に変わって消えていく。詳しい解説は、こちらなどをお読みください。
女性がシテになる演目で、武者姿で長刀を持つのは、この作品だけだそうです。しかし、鬼神のような女武者としての勇ましい姿よりも、一人の女性として、正妻にもなれず、最期を共にすることもできなかったが、それでもいつまでも義仲を慕い崇めるという、一途な心情が、細やかに表現されていました。装束もそれは美しく、長刀も男性のものとは違う優しい色合いの物でした。
派手な所作はあまりないので、私はつい何度かうとうとしてしまい、馬に乗ってムチを打つ所作など、大事なところを見逃してしまったのですが・・最後に、義仲の形見である小袖とお守りをもって、普通の女の姿に変わり、静かに去っていく巴が可哀想でした。僧に弔ってもらい、彼女の御霊は救われたでしょうか。
ちなみに、大河『平清盛』には、巴も木曽義仲も出てこなかったのですが、私は、『新平家物語』を読んだり大河『義経』を見て、いろいろと知り、二人のことが大好きになりました。義仲は美男子で女性好きであったので、周りにはいつも何人か女性がいました。そんな中、いろいろと忍び耐え、最期まで義仲について行こうとしたのに叶わなかった巴の心情に、あらためて想いを馳せました。
<YouTube上で観られる『巴』>
能 巴の亡霊が武者姿で現れて僧に語りかける
午前の部は12:30に終わり、いったん外に出ます。
午後の部の私の席は、前から6列目の右から2番目。午前の席よりさらに前で、ぐっと舞台が近いです。おそらく、、、5メートルくらいでは?
とてもワクワクしてきました。
【午後の部】
解説 (中森寛太)
狂言 『清水』
主人から、茶の湯の水汲みを命じられた太郎冠者は、それがいやで、仕事をさぼるために、鬼が出たと騒ぎ、その上主人の大事な手桶をわざと置いてくる。主人が手桶を取りに行こうとするので、太郎冠者は先回りして、鬼の面をつけ、主人を脅かし続ける。しかし、結局声でばれてしまう。
午前の部の狂言より、ストーリー的に更に面白くて、何度も笑ってしまいました。なにせ舞台が近いので、演者の方の顔の表情や手足の細かい動きまでよく見えるのです。太郎冠者の、悪だくみを次々考えるずる賢い顔、まんまと騙されて、全身であわてふためく主人。狂言の楽しさを初めて体感しました。
そしていよいよ最後に、私が一番楽しみにしていた、本日のハイライト・・・・
能 『船弁慶』 <前シテ(静): 中森寛太 後シテ(平知盛の亡霊): 中森健之介>
平家討伐を果たしたものの、頼朝に追われる身となった義経が、弁慶ら一行と共に、西国へ落ち延びようと、摂津の国大物の浦へ到着する。それまで伴ってきた愛妾の静は都に戻るよう、義経が言い渡す。別れの宴が行われ、静は義経の幸運を祈って舞い、再会を願いながら、悲しみをこらえて義経らを見送る。<ここで前シテ退場>
風が強いからと、船出を躊躇する義経を、弁慶が、戦のときは、どんな嵐でも船を進めたではないですか、さあ出ましょうと、励まして船に乗せる。義経は、実は静のことが心残りで出発したくないのを、弁慶はわかっていた。船が出ると、まもなく、暴風となり、船頭が必死に船を制御しようとするが、荒れ狂うばかりで、にわかに波間から平家一門の亡霊が現れる。<ここで後シテ登場> 知盛の亡霊が、長刀を振りかざし、船を沈めようと襲い掛かる。義経は刀で応戦するが、弁慶が、相手は怨霊だから、刀ではかなわないだろうと、数珠をもみ経文を唱え続ける。激しい攻防戦の末、明け方には、知盛の霊は調伏されて消え失せ、白波が残るばかり。(詳しくはこちら)
小柄な前シテが、きわめて優雅に祈りと哀愁を帯びる舞をまって退場したあと、怨念に満ちた長身の武将の後シテが、長刀を振り回しながら、荒々しい舞をまいます。
この変化に、眠気もいっぺんにふっとびました。(ハイ、実は・・・静の舞のときは、しっかりうとうとして、あまり見ていませんでしたっ!)
後シテを務めるのは、中森寛太さんの長男さんでまだ20代だそうで、若々しく迫力のある、怨霊知盛を演じていました。お面は、『黒塚』の後シテのような般若ではなく、怪士(あやかし)という、恨みをもって死んだ武将を表す怨霊面(詳しくはこちら)で、頭には兜を象徴する角が突き出ています。装束がまた豪華さの中にも大将の気品に満ち、白木塗のシンプルな舞台の上で、きらきらと輝くのです。
先にも書いたように、舞台がとても近いので、美しく勇壮な知盛様を目の前で実感できて、夢のようなひと時でした。
<YouTube上の「船弁慶」>
能 船弁慶 シテ 野村四郎 2002 杉並セシオン
・・・・ というわけで、わたしの本格的能舞台初体験は、素晴らしい1日となりました。
(酷い風邪でダウンにもかかわらず快く送り出してくれた、ぱぱに感謝・・・)
ちなみに、知盛ファンの私としては、彼が苦悩する「怨霊」(悪霊?!)として現れ、義経に復讐しようと暴れて結局弁慶にやられてすごすご退散というストーリー自体に、どこか引っかかるものがあるのです。
そのあたりから、更に突っ込んで語りたいのですが、長くなるので、今日のところは、鎌倉公演の感想ということで、ここでおしまいにいたしましょう。
超ビギナーのにわか勉強ですので、また皆さんからのご教示お待ちしていますね。