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波佐見の狆

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手術無事終了しました!ぼちぼち動かしています

2025-07-25 16:04:54 | 食べ物・健康

皆さん、お気遣いありがとうございます。

私のばね指手術は、火曜日、無事終わりまして、ようやっと今日くらいからマウスも握れる感じになってきたので、取り急ぎこれを書いています。

手術室にはいって出てくるまで45分くらいでした。

11時ころには家に帰りましたが、麻酔が切れたあとの痛みがかなり強く、ベッドでずっと死んでました・・・。乳がんのときは、術後もいっぱい繋がれて痛み止めの点滴がずっと入っていたからというのもあり、切開された痛みは意外と感じずに済んだので・・・今回のほうがかえって痛みを感じるみたいでした。

翌日は、包帯をとってもらい、絆創膏に。

肝心の、ばね指特有の痛みはほとんどありません。親指の第一関節の曲げ伸ばしもできるようになり、引っかかる感じもロックする感じもありません

先生がおっしゃるに、切開してみたら、腱鞘がずいぶん腫れ上がって1cmほどに肥大し、第一関節も拘縮していたそうで、ばね指としては重症のケースだったそうです。(実際、手術中に、麻酔下であるにもかかわらず、腱鞘をハサミでぐっき~~ん!と切られる痛みと振動をある程度感じてびっくり。先生が、おおっ、これはかなり、、とか言いながらやっているのも、聞こえたし。)ほんとに、さっさと手術して正解でした。

今日もまだ傷の痛みはありますが、ぼちぼち動かしていくことがリハビリなので、様子みながらゆっくりですね。家事もできるところからしています。ぱぱに手伝ってもらいながらね。

4針縫っていて、来週木曜に抜糸です。

ちなみに、先生の外来は、だいたい月曜と水曜なのですが、それ以外の日でも予約入れて診てくれて、細かくチェックしてくださるので、すごくありがたいと思いますね。

ところで、去年の今日は、光くんが手術して、二泊の入院でした。退院後は、合併症が結構ひどくてね・・

光くん本当に頑張った。私のほうが、光くんにエネルギーをいっぱいもらってきましたもん。

 


こんどは、「ばね指」手術!!・・そして新たな主治医登場

2025-07-17 16:45:41 | 食べ物・健康

暑中お見舞い申し上げます。7月としては10年に一度という熱波に襲われている日本列島ですが、皆さんお変わりなくお過ごしですか。

我が家は・・・

昨年は、25日に光くんが膀胱結石の手術。

そして、今年は、22日に、わたしが、ばね指の手術をすることになりました。

こちらの記事で、乳がんのホルモン療法の薬の副作用で、両手に関節炎が出ているということを書きました。

乳腺外科の主治医いわく、私が去年から処方されていた薬は関節炎を誘発しやすいものなので、別のに変えてみる。1か月くらいで痛みは収まるはずだからと。ところが、それから1か月たっても痛みは同じで、特に右親指は、むしろさらに強くなってきた感じがしました。

そして1か月後、先生に言うと、びっくりして「そうですか・・・ということは、やはりアロマターゼ阻害剤の副作用ではないと思います。関節リュウマチとか何かほかの・・・あるいはばね指とか・・・」「先生、素人考えで申し訳ないですが、リウマチとかそいうのは違うような感じがするんですよね・・・。ばね指ですか・・・そうかもです。ともかく、こちらの整形外科に紹介していただけますか。」

翌日、整形外科受診。先生は、私の指を診るやいなや、「あ、これは典型的なばね指ですね。手術したほうがいいです。」

ばね指、皆さん聞いたことありますか。

正式な病名は「狭窄性腱鞘炎」。ざっくり言うとですね、手の指は、その中を通っている腱と呼ばれる筋が自由に動くことによって、スムーズに曲げ伸ばしができるわけですが、なんらかの要因で、その周囲にある腱鞘(けんしょう)という組織に炎症が起き腫れて、腱をぐいぐい締め付けるようになり、結果、指がまともに動かなくなり、痛みが増す。親指と中指がやられるのが一番多いそうで、まさに私の場合ですね。(詳しくはこちらなど)

いきなり手術と言われて、びびりまして(I freaked out!) 、まずは抗炎症剤を一週間ぶんもらって試しましたが、それも全く効果なし。

あとは、ステロイド注射を3回くらいやるという方法もありですが、これは、再発率が高いのに加えて、ステロイド自体の副作用があって、万が一にも感染症を引き起こしたら、乳がん治療中の患者は厄介なことになるので、勧められないと先生が。手術といっても、日帰りで、部分麻酔で15分くらいの簡単な切開で、再発率ほぼゼロだそうで、結局手術一択だということが分かりました。

「なんらかの要因」と書きましたが、私の場合、長年、ペン字やパソコンで手を酷使してきたのに加えて、アロマターゼ阻害剤により、手の関節のエストロゲンが枯渇したことで、がくんと症状が出た(進んだ)のでしょうね。乳腺外科の先生も整形外科の先生も、副作用の可能性は低くどちらかと言えば、高齢者によくある指関節の疲弊だとの見解ですが、私はね、やっぱりどちらもあると思うんですよね。だって、逆に言えば、もし私が乳がんになっていなくて薬を飲んでいない状態で、今の年齢でばね指を発症していたかどうか、検証しようもないわけですからね。(アロマターゼ阻害剤とばね指との関係についてはこちらなど。)

「両手同時に手術するわけにはいかないので、まず右親指からしましょう。左薬指は、とりあえず置いといて、右が落ち着いてからまたやるかどうか検討しましょう。」「わかりました。先生、私が一番心配なのはですね、右が治っても、やっぱり書道教室とかパソコンとか、これまでの趣味、ライフスタイルを今後も同じように続けたいわけですけど、そうすると、またいずれ再発するんじゃないのか、ということなんですが・・・」「ここまで重症化するには何年もかかって進行してきたんだし、いったん腱鞘の開放手術をすれば、まず再発はありません。そんなびくびくしないでいいから、これからも、同じライフスタイルで好きなことをどんどんやればいいですよ!」

この「好きなことをどんどんやればいい」という力強いアドバイスが嬉しくて、なんだかとっても頼りがいのある良い先生だなと、委ねる決心ができました。

この先生、乳腺外科の3番目の主治医と同じくらい若い(30代前半?)女性の整形外科医さんです。

またもや、ひまわりのような主治医が登場というわけです!

22日午前中に手術で、抜糸までの2週間くらいは、書道教室、パソコン(つまりオンライン英語レッスン)など休む必要がありそうですが、親指は、回復が早く、家事ができるようになるにはそんなに日数はかからないとのこと。

どうか上手くいきますように・・・・栗恵兄ちゃんたち、守ってね。

 

 


副作用出たぁ・・・そして三人目の主治医は。

2025-06-18 13:04:50 | 食べ物・健康

私が、2029年4月までやらねばならない「ホルモン療法」について、こちらの記事で詳しく書きました。

ざっくり言うと・・・乳がんのガン細胞が、エストロゲンを餌にして増殖するので、再発率を限りなくゼロに近づけるために、エストロゲンを抑える薬を毎日1錠ずつ5年間服用しなければならない、ということです。ともとエストロゲンの産生が少ない閉経後高齢女性の体から、エストロゲンが奪われるわけですから、ホルモンバランスが崩れ、人によっていろんな副作用が出ます。ホットフラッシュ、性器出血、不眠、骨粗鬆症、関節炎、脱毛などなど。

閉経後患者に処方されるのは「アロマターゼ阻害剤」という種類で、アロマターゼというのは、エストロゲンを合成する仕事をしている酵素ですので、この酵素の作用を阻害する薬というわけです。

アロマターゼ阻害剤は、次の3つの製品がでていまして、効き目としてはどれも同じだそうです。

アナストロゾール(商品名 アリミデックス),

エキセメスタン(商品名 アロマシン)

レトロゾール(商品名 フェマーラ),

私はこのアナストロゾールを去年の4月から服用していまして、11か月間くらい、副作用らしい症状は一切ありませんでした。放射線治療もなんともなかったし、副作用なんてない人間だと能天気に思い込んでいました。

ところが、12か月目に入ったころ、つまり今年の3月頃から、手に痛みを感じるようになり、最初は、んん??何だろうなあ、整形外科に行くかなーくらいに思っていたのですが、ハタ!と思い出しました。

そうかーーこれって関節炎、アナストロゾールの副作用か!!

それでも、5月中頃までは、左手のみ、しかも中指だけだったので、生活に特に支障はなく、気にしないようにしようと思えていました。人並みに副作用出やがったか、と苦笑で済ませられました。

ところが、5月下旬になって、右手にも広がってきて、特に親指に集中。親指って、毎日何をするにも使わざるをえないので、安静にできなくて、痛みが増してしまいます。家事でもなんでもできるだけ左手でやるよう練習しているんですが、どうあっても右手親指に力をかけないといけない動作、たとえば、車のキーを回すなどやったあとは、いてて、、、って顔をしかめてしまいますね。

パソコンのキー打ちは、なんとか大丈夫ですが(親指使うけど強く押さないですからね)、スマホは結構難儀します。そもそも、握る動作、つまりお箸を持つにしても、うまくつかめない感じです。ペンを持って字をちゃんと書くのもきついので、もう3年以上欠かさず続けていた、家でのペン字の練習はしばらくできないと先生に伝えました。(教室で毛筆だけやっています。)

ちなみに、前の記事でも書きましたように、骨粗鬆症は問題ないのです。今年3月時点で検査した結果ですが、骨密度は年齢平均の110%もあって、55歳のレベルだそうです。

5月下旬に、主治医の診察を受けました。4月に新しく赴任してきた、私の三番目の主治医です。

アナストロゾールは、3つのなかでは、一番関節炎が出やすいので、別のに変えてみます。1か月たって、症状が変わらなければ、さらにまた別の薬に変えるか・・・あるいは年齢的に他の原因、たとえば関節リュウマチとかも疑ってみる必要があるので、そちらの検査もやるという方向になるかもしれません。」

ということで、アナストロゾールから、エキセメスタンにスイッチ。

それから2週間以上がたちました。少しは変化があるかなと期待したのですが、痛みは全く変わらずです・・・・。右手に、親指以外にも痛みが広がりはしないかと、ハラハラ。

うーん、関節リウマチってのは違うと思うんですよねえ・・・関節リウマチは、朝のこわばりが酷く、痛みが第二関節より下に出るそうですが、私はこわばりはないし、痛みは第一関節から出てますからね・・・

ネットでざっと見たところ、セキセメスタンでもレトロゾールでも、関節炎が出ている人は結構いて、しかも私より深刻そうなケースもいくらもあるようで、不安にかられてしまいますね・・・・5年間あるいはもっと先までこの不快な痛みと共存していかなくてはいけないのかなあ・・・ガンが再発するのと、関節が痛いのではどっちがマシかと言われれば、そりゃあ、関節のほうですから、休薬するという選択肢はないだろうな・・・それに、抗がん剤治療をやっている人たちに比べれば、この程度の副作用で済んでいるんだから、運がいいと思わねばというのは、理屈ではわかっているんですが・・・。

今まで、ガンの治療が辛いと思ったことは一度もありませんでした。それは、最初の主治医に全幅の信頼を置けたからでした。この先生が異動したあと、次に赴任してきた二番目の主治医は、いまいちで・・・今後10年のフォローのことで私が説明を求めたときも、返答内容に不満と言うか疑問を感じる部分もあり・・もやもやしていたら、この先生も1年でさっさといなくなり、三番目の先生がこの4月にやってきました。

(ちなみに、私にアナストロゾールを選択して処方したのは、二番目の先生でした。)

乳がんになって初めての女性医師です。最初は、なんだ女医さんか、つまらん、というくらいでなんの期待もしていなかったのですが、5月下旬に初めて会ったときから、いい意味で裏切られました。優しく気さくな笑顔と心から患者に寄り添おうという姿勢、何でも相談したいと思えるような信頼感が見えたのです・・・さっそく、二番目の先生のもやもや説明の件についても、〇〇先生にこう言われたのですが、と直球で質問してみたら、ああ、それはですね~こういう意味だったと思いますよ~10年間のフォローはこうしましょう~と、明快な説明で私の疑問を払拭!

あれっ、この先生もしかして相性がすごく良いかもしれない、って嬉しくなりました。

大好きだった先生との突然のお別れから2年が過ぎ・・・

ぽっかり空いたままだった私の心の穴に、元気なひまわりの花が育ち始めたようです。


医療搬送用ヘリの事故・・・辛すぎます。

2025-04-10 18:17:05 | 食べ物・健康

2か月半ぶりの更新です。

お花見など楽しい記事を書きたかったのはやまやまですが、今日はちょっと重い内容になります。

といっても、私自身や我が家の問題ではないのです。まったくよその話ではあるのですが、長崎県が関わっていることだし、とても他人事とは思えず、書きたくなりました。

連日の報道で、皆さんもご存じと思いますが・・・

長崎県対馬市から福岡市の和白病院へ患者搬送中の医療用ヘリの事故のことです。

86歳の女性患者さんとその付き添いの68歳の息子さん、そして、34歳の男性脳神経外科医。3名もの尊い命が失われました。

そして、28歳の看護師さん、運航会社スタッフ2名が、フロートに4時間もしがみつくことでかろうじて救助され、現在も和白病院で治療中。

34歳の外科医さんだなんて・・・、私が敬愛する(元)主治医とほぼ同年代の方なので、とても、とても辛いです。こんなに若くして、業務中の事故で命を落とさなければならないなんて、あんまりです。荒川渓先生というお名前で、平成18年に長崎大学を卒業されて、福岡へ来て、民間病院で働いておられたとのこと。長崎大医学部でも、こちらの医局には所属せず福岡に行かれていたのですね...。

先生と患者さん、息子さんのご遺体は機内から発見されたとのことで、ネット上でも言われていることですが、先生は、おそらく、とても動かせない高齢患者さんに最期の瞬間まで寄り添い、殉職されたのではないかと思われます。

ただでさえ、全国的に、外科医の過酷すぎる業務のことがよく報道されていますよね。外科を志望する医学生は減るいっぽうで、美容医療とかに流れているとかで。荒川先生も、院内での仕事で既にいっぱいいっぱいだったでしょうに、日曜日に遠距離出動命令!先生のご家族の悲しみを思うと、涙が溢れます。私の(元)主治医も、同じような仕事ぶりだということは容易に想像できるので、今回のことで、さらにストレスを感じておられないだろうかと、気になってしまって・・・

荒川先生のご遺志を無駄にしないためにも、今後へき地医療への取り組みが先細りすることのないよう、祈るばかりです。

ところで、本州の皆さんには、「長崎県から、なんでわざわざ福岡の病院にヘリで?」って、わかりにくい部分があるのではないでしょうか。

少し説明しますと、「対馬(市)」という島(壱岐島もそうですが)は、行政上は長崎県なのですが、地理上は、どちらかというと福岡県に近いため、直行のフェリーも多く通っており、島民の皆さんにとっては生活圏として福岡の方が身近なのですね。島内には、対馬病院という総合病院もあり、大概のことは対応できるのだと思いますが、対応できないケースでは、福岡に空路で搬送してきたそうです。

そして...ここが大事なところなのですが、いわゆる「ドクターヘリ」は、国と県から補助金が出て運営しているシステムであるため、他県には出動しない(法制上のことかどうかわからないのですが、とにかく異なる行政区をまたいでは運航しない、できない?ということらしい)。福岡県内には久留米大学にドクターヘリがあるが、これは長崎県の離島には行けない。なので、長崎県の国公立病院のヘリなら運航できるわけですが、それだと遠くなることもあって、対馬の島民さんたちは福岡を望まれる。それで、和白病院のようなへき地医療に熱意溢れる民間病院さんが、全くの自前で、民間の運航会社からヘリを雇って、長年、福岡-対馬間を往復してこられたのだそうです。(詳しくはこちらこちらを)

今回のテレビやネットでの報道で「ドクターヘリ」とは言わずに「医療搬送用ヘリコプター」と特に言っているのが、そういう理由だったのだと、私も初めて知った次第ですが、和白病院のヘリには「Doctor Heli 」ではなく「White Bird」という名称が記されていたのですね。

(もちろん、総称というか一般呼称としては、医療搬送飛行システムのことを「ドクターヘリ」というのは、全然かまわないと思いますよ。)

運航会社「エス・ジー・シー佐賀航空株式会社」は、去年も、農地に墜落して搭乗員2名が亡くなるという大事故を起こしていて、それ以来当然、安全管理は徹底されていたはずです・・・。この会社が和白病院と協力してこれまでどんなにか多大なる貢献をしてきたかを思えば、会社を責める気持ちにもなれないのですよね・・・一体どうしてこんなことになったのか、徹底した原因究明が待たれます。

私がこの事故に「他人事ではない」と思う理由がもう一つあります。

私自身は、長崎県佐世保市の本土に生まれ育ったし、現在住んでいる波佐見町も、田舎ではありますが、医療アクセスは良くて(乳がんのとき入院したのは、佐賀県の国立病院でしたが、車で25分)、そういう意味で、へき地医療とはかかわりない人間です。ただ、夫は、離島の出身です。(こちらの島)、人口500人程度の橋もかかっていない島でして、島内には、小さな診療所がひとつ。ドクターヘリ用のヘリポートがあります。日中は民間のフェリーが運航していますが、それも悪天候だと欠航しますから、夜間や台風とかの日に重病人が出たらもう大変ですよ。実際、心臓病もちだった義父を、深夜急に長崎市内の病院に連れていかねばならなくなったことがあり、そのときは、なんと義兄の友人がご自分の釣り船を出してくれて、本土まで渡してくれたのです。友人の方も、万が一船が転覆でもしたら・・・という不安を背負ってのご親切だったようです。なお、ドクターヘリは、個人で要請することはできませんから、住民自らがこのように助け合って自衛するしかないわけです。

長崎県は、離島の数が全国一です。それについて、県のホームページに次のように書いてあります。

「しま」の魅力を発見!!

長崎県内の離島振興法指定有人島の数は全国最多の51で、県人口の約1割にあたる約12万人が暮らしています。
ぜひこの機会に、古くから大陸との交流の歴史を有する「対馬」「壱岐」「五島列島」をはじめ、各しまの多彩な魅力を発見してください。

 そうそう、大陸との交流といえば、対馬は特に、中国大陸に近いため、古代においては、幾度となく、異民族に襲撃され荒らされた苦難の歴史があるのでした。去年の大河ドラマ「光る君へ」でも、ドラマ終盤に丁寧に描かれた「刀伊の入寇(といのにゅうこう;1019年)」は、対馬が舞台です。藤原隆家さん、めっちゃかっこよかったですよね!そして、鎌倉時代には、二度にわたって、元寇という国家レベルの大きな受難の最初のターゲットになりましたね。

歴史、文化、自然・・・魅力いっぱいの離島ですが、居住していれば、日々不便さと厳しさとの隣り合わせ。県民の一人として、そういう現実をあらためて突き付けられた思いです。

まだ書きたいことはあるのですが、すでにすっかり長くなってしまったので、いったんここで終わります。感情のままに書いたので、変なところもあるかもしれませんが、このままアップします。

最後になりましたが、荒川先生と、患者さんその息子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げますとともに、生存者の方々の一日も早い心身のご回復を願ってやみません。和白病院のスタッフの皆さんも疲労とストレスが増大しておられることと思いますが、くれぐれもご自愛ください。

追記)さきほど、長崎放送のニュースで言っていたのですが・・・先生のご遺族が、「このことで、ドクターヘリがネガティブな方向に進まないよう、離島医療を今後も支えていただきたい。」といった趣旨のことをコメントされていたと、長崎大学の学長さんが会見で語ったそうです。和白病院では無期限でヘリ業務を休止するとのことですが、その間の対馬からの救急患者搬送は、やはり長崎県の国公立病院がやらざるをえないのではないでしょうか。県をまたいでも、ヘリが運航できるよう、行政上の問題を解決することが、急務だと思いますねえ・・・

さらに追記)今、wikipediaをちょっと見てみたのですが、むむむ「都道府県の枠にとらわれずにドクターヘリ事業を実施できるよう、複数の都道府県で協議することも可能である(ドクターヘリ法5条2項)。」ですって!!そして、実施例として・・・
「福岡県の久留米大学病院の事業では、佐賀県東部と大分県、山口県離島での共同運用が実施されている。
長崎県の国立病院機構長崎医療センターの事業では、佐賀県西部での共同運用が実施されている。とかいろいろ書いてありますねえ・・・

共同運用っていうのは、また別の話なのかなあ。すみません、実情を知らず、一方的に書いてしまったかもしれません。正確なところをご存じの方がおられましたら、教えていただきたいです。

 

 


術後1年(私!)...ホルモン療法中です。

2025-01-28 22:16:59 | 食べ物・健康

新年の挨拶もしないまま失礼してしまいましたが...皆さん、お変わりないですか。

我が家の近況です。

おかげさまで、光くんは、落ち着いています。

ピュリナの下部尿路ケアを、安定してよく食べるようになり、もうフード探しで四苦八苦することもなくなりました(フード難狆卒業!)。それだけでも親のストレスはほぼなくなりました~。

ずっと2週間おきに通院して、膀胱のエコーと、尿検査と、必要に応じ血液検査をしています。

膀胱の状態には、変動があります。先生が「気持ちよかですね!」とおっしゃるほど、きれいな状態のときもあれば、結晶がうようよ見えるときもあります。結晶が見えるときはつまり細菌性炎症が起こっているということなので、抗生物質が処方されます。それで結晶が消えれば、また抗生物質はストップです。

例えば、こんな感じ。左は、1月23日。結晶がはっきり見えていますね。それに対し右は2週間前の1月6日ですが、写真ちゃんと撮れてるの?というほど、きれいな状態です。

    

もう3か月も尿ケアをしっかり食べているのに、結晶ができてしまう、というのが不思議ではありますが・・・(やっぱ、体質か・・)結晶レベルを超える大きさにはならないので(つまり、尿道に詰まるほどの大きい石にはならないので)それで充分御の字です。本狆的にも、まったく元気で、おしっこジャージャー出ますし、抗生物質が処方されると、ちゅるビーが食べられるので、嬉しいみたいですしね。

動きもハツラツとしていて、室内でも庭でもぴょんぴょん跳ね回ったりなんかしているし、調子いいんだと思いますよ。

じゅーくんも、相変わらず、ぴっかぴっか太陽モードで、みんなを明るくしてくれています。

                           

さて、私のことですが・・・・昨年2月1日が手術だったので、1年になります

右胸の「浸潤性乳管がん」ステージ1で、部分切除したのでした。リンパ節への転移なしなので、抗がん剤治療は免れました。その後、放射線治療を3週間受けたあと、現在はホルモン療法中です。

このホルモン療法というのは、何かというとですね・・・

女性ホルモン(エストロゲン)を、体が作らないように作用する、つまりエストロゲンを徹底的に抑える薬を、毎日1錠ずつ、5年間飲むというものです。

なぜエストロゲンを抑えなければならないかというと、私のがんは、エストロゲンを餌にして増殖しやすいタイプ(「ホルモン受容体陽性」)なので、再発を食い止めるためにエストロゲンを体からできるだけ排除しなければならないのですね。エストロゲンって、こんな閉経後何年もたつ高齢女性でも、分泌されているんですね~~。ただ、閉経前と閉経後とでは、産生される場所とメカニズムが違うのだそうです。閉経前は卵巣で作られるのに対し、閉経後は、卵巣機能が低下するため卵巣では作れず、その代わり、副腎で少量作られている男性ホルモン(アンドロゲン)が、エストロゲンに変換されてしまうのですって!そして、この変換作業をせっせとやっている犯人?!がアロマターゼという酵素。このアロマターゼの働きを阻止すれば、エストロゲンがぐっと少なくなるということで、私の薬も「アロマターゼ阻害剤」というものなのです。(薬剤名は「アナストロゾール」)患者が閉経前か閉経後かで、薬を使い分ける。よく研究されてますよねえ~。

(アナストロゾールのパンフレットより)

なお、先ほど「私のがんは、エストロゲンを餌にする」と書きました。手術と、放射線治療で、がんはやっつけたはずなのに、まだがんがあるの??と思われるかもしれませんが・・・いったんガンができた体内では、微小なレベルで残存していて、年月を経るうちに、まるでたんぽぽの綿毛が飛び散るように、がん細胞が広がり、ある日突然悪さを始める可能性があるということなのです右乳房に残っている乳腺に再発するのと、左胸にあらたにできるのと、両方の可能性ですね。私の場合ホルモン療法は5年間計画ですが、その後も再発する可能性は5~10%ありますので、さらに5年つまり2034年2月1日まで経過観察を続けると主治医から言われています。

エストロゲンを極限まで減らす治療をしているので、今後それなりに副作用がでるかもしれません。

可能性のある主な症状としては、次のようなものが代表的だそうです。

  • 更年期と似たような症状、つまり、ほてり、のぼせ、多汗。
  • 関節痛。肩、ひじ、指などが、朝こわばり痛む。
  • 骨粗しょう症。

私の場合、もともとここ数年多汗だったのが、この夏の猛暑で、さらにひどくなった感じがありましたので、主治医に言ったのですが、「そのうち落ち着きますので様子見てください。」。関節痛や骨粗しょう症は、今のところまったくありません。骨密度がちょっと心配になり、実は昨日かかりつけ医のところで検査してもらいましたが、同年代の平均を10%も上回っているそうで(換言すれば、今の私の骨密度は55歳女性と同等レベル)、今は全く問題なしなので、今後1年に一度検査しましょうということでした。

日常生活で気を付けることは・・・なんといっても肥満にならないようにすること。なぜなら、上述のアロマターゼという酵素は、脂肪組織に多く存在するため、体内に脂肪が多いほどエストロゲンが産生されやすいからです。で、肥満にならないようにするためには、運動と食事の工夫ということになりますね。私は、今のところ、BMIは標準なのですが、体脂肪率が微妙にやばいので、これ以上体重が増加しないよう、管理しなければなりません。茨城にいたときやっていた乗馬を今も続けていたなら、一番よかったのでしょうが、それは無理でしたので、他に何かできないか考えたのですが・・・ジムやプールに通ったりしている友人が何人かいて、偉いなあと思いますが、私の家からは近くはないし、そこまで時間を使いたくないのも正直なところで、結局今は、家での「踏み台昇降運動」が日課です。これは、15センチ高さのステップを毎日20分間(毎分90~100のビートで)踏むだけです。テレビを見ながらでもできます。

「まま、さぼらないでよ~~!」

ジムやスイミングと比べると、体にかける負荷はぐっと低いですけども、適当にフミフミしているのではなくて、町で主催している講座を受けながら専門家の指導のもとやっているので、個別に管理してもらえて励みになるし、やらないよりは全然いいかなと思いますね。

食事は、やはり、カルシウム、ビタミンD,K、タンパク質などを積極的に摂りながら、添加物をできるだけ避けて、バランスよく食べる。これに尽きるかと。

傷跡(右乳首上部と、あと脇の下に少し)の痛みはもう全くありません。見た目もすっかり落ち着いた感じになってきて、執刀してくれた最初の主治医は本当に腕がよかったと、時間が経つにつれてしみじみ思います。でもこの感謝を先生に伝えることももうできないのが、とっても寂しい。

ここで、主治医交代に関すること含めて、今の私の心境を綴ろうとしていたのですが・・・それはまたさらに長くなってしまいそうなので、後日あらためて書くことにします。

年頭にあたって、引き続き、大切な友人である皆さんにお願いです。乳がん検診、受けてくださいね~~~!!!

(雪降ってもこれくらいさっ)

<追記> 今日(30日)やっと、遅ればせすぎの初詣に行ったよ~おばたんからいただいた晴れ着着てねっ。

 


乳がん手術の痛みというのはね・・・

2024-04-27 22:11:27 | 食べ物・健康

前にも書きましたように、わたしは、痛みとかしこりとか自覚症状が皆無だったので、乳がんになっているなんて、夢にも思わなかったわけですが、早期乳がんの場合、痛みがないのが普通らしいです。(乳房にがんができたから、痛くなるというわけではないそうです。痛い場合は、乳腺炎などほかの病気の場合が多い。)

とはいえ、全然痛くもないし、しかも自分では触ってもしこりも感じないのに、手術しなければならない、という感覚は、まことに不思議なものでした。

手術自体は、全身麻酔下なので、意識を失った次の瞬間には目覚めて、すべてが終わっており、痛み止めの薬剤のおかげで、麻酔が切れても傷口の痛みはあまり?ほとんど?感じません。麻酔が切れたらどんなに痛いだろうと想像していたので、意外と楽だなあとびっくりするほどです。

しかしです。乳がんで入院しますと、手術よりむしろ、いや、手術とは比べ物にならないくらい痛い時間があるのですよ・・・。

それは、「センチネルリンパ節生検」という検査のときです!

センチネルリンパ節生検とは、がんの発生している乳房側の脇の下(腋窩<えきか>)にあるリンパ節に、がんが転移していないか調べる検査です。乳がんが、もしこの腋窩リンパ節に転移していれば、これを経由して全身の臓器まで転移する可能性もあるそうで、検査の結果、リンパへの転移が分かった場合は、転移しているリンパ節を除去する手術(腋窩リンパ節郭清<えきかリンパせつかくせい>)を同時に行います。

ちなみに、センチネルリンパ節(sentinel lymph node)とは、「見張り役」とか「監視役」のリンパ節という意味で、センチネルリンパ節は、すべてのリンパ節の入り口に位置しています。なので、まずセンチネルリンパ節だけを調べて、ここにがん細胞がなければ、ほかのリンパ節にはまったく転移していないと判断することができるため、腋窩リンパ節郭清をする必要がないわけです。

全摘にせよ部分切除にせよ、腋窩リンパ節郭清もやらなければならなくなると、腕がむくんだりして、術後も結構辛いらしく、しかも、抗がん剤治療が必要になる場合もでてきますから、センチネルリンパ節生検で、正確な判断をすることが、重要なわけですね。

で、この検査の目的(意義)はいいとして、その方法は衝撃的です!

手術の前日または当日手術開始直後に行われるのですが、乳輪(乳首のとっぺんではないですが、その周囲の茶色い部分ですね)に注射をするもので、手術開始直後であれば、それはつまり麻酔下ですから、痛くないわけですが、前日に行う方法ですと、麻酔はかけないので、激痛を我慢しなければなりません。

前日にやる場合は、RI(radio isotope: 放射性同位元素)法という方法を用い、当日にやる場合、色素法という方法を用い(詳細はこちら)、併用する方法もあり、その選択は、病院や執刀医によりまちまちです。私の入院した病院では、RI法のほうが精度が高いということで、原則こちらを採用していました。

私も、前日の午後にやると決まりました。先生が説明してくれたとき、「これはねえ~脅かしときますけどねえ~マジで痛いですよぉ~」とか言うので、びびりまくりました。

私がRI室の検査台に仰向けになって待っていると、先生が研修医さんを二人連れてやってきて準備し、「では始めますね。2本打ちます。痛いですけど、頑張りますよ~~ 何かに捉まっときますか?」「え・・何に?」と私が言うと、台の左側にいた研修医さんが私の手を握ってくれました。

ぶすっ!

ここまで既に、うぎゃっていう感じだったんですが、「はーい、ここからお薬入りますから、もっと痛いですよ~~」と言われたとたんに、もう、右胸の中で火花がバチバチと炸裂したかのような激痛が!研修医さんの手をぎゅーーっと握り返しながら、体を震わせて泣いてしまいました。2本終わったときには、茫然自失。(痛みの感じ方は、差があるそうです。これは素人の憶測ですけど、胸が貧弱だと、痛みも一層強いんじゃないですかね。)

終わるやいなや、先生は、さっさと研修医さんたちを連れて行ってしまいました。私は、ぽつんと拷問台?!に残され、先生ったら、お疲れ様でした。頑張りましたね~くらい言ってくれよーーとか思いながら、ふらふらになってRI室を出て病室に戻りました。前の記事で力説した通り、本当に優しい先生ですけど、ときたま、このように、結構そっけないときもありましたっけねぇ。

もちろん、翌日、手術の開始時間となり、先生が迎えに来てくれたとき、「昨日は痛かったですね~~大丈夫でしたか?」とか優しくいたわってくれたし、手術だけでなくセンチネルもちゃんと主治医が責任もってやってくれたということに、感謝しています。

肝心の検査の結果はというと・・・リンパへの転移はゼロで、腋窩リンパ節郭清を行う必要はありませんでした!

割合からいえば、手術を受ける患者の3割くらいに転移がみつかるそうですから、私は運がよかったと言えます。

そして、手術から3か月近くが経つ今、傷口には、痛みはありません。ケガしたときの痕みたいな痛痒さもないです。

じゃあ、結局痛みからは解放されたのかといえば、そうではなく、ちょっとした後遺症がありまして、乳房自体に微妙な痛みがあり、以前着ていたユニクロとかの下着は痛くて着れません。これは徐々に落ち着くと先生からも言われていましたし、実際心配するような症状ではないのですが・・手術の前、なんの痛みもなかったのを思うと、ちょっと滅入ることもあるのも正直なところ。先生のおかげで予後良好であることを思えば、これくらい何だ!と自分に言い聞かせています。ホルモン治療が終わるころ・・・つまり2029年ころですねえ・・・には、完治して再発もなく、一切の痛みも嘘のように消えているよう願うばかりです。


先生、ありがとうございました。

2024-04-12 15:27:46 | 食べ物・健康

乳がんは、いろんながんの中でもとりわけ、治癒まで長くかかる病気です。いったん手術をしても、5年後、10年後に再発する可能性があるため、化学療法、放射線療法、ホルモン療法、免疫療法などといった治療を選択的に受けながら経過観察が必要です。そのため、大変長いスパンで病院のお世話になるわけです。

私は、昨日ようやく放射線治療が終わり、来週から5年にわたるホルモン療法が始まります。目に見えるレベルでは、がん細胞は完全に取りきれていることが、病理診断で確認されているので、「予後が良い」ケースではあるのですが、目に見えないところに潜んでいる可能性のあるがん細胞を放射線で叩き、再発の芽を摘んでおくため、時間をかけてじっくり治療してもらうというわけです。少なくとも化学療法(抗がん剤のことですね)の必要はなかったので、それだけでも安堵しています。

乳がん患者は、そういう長い期間、「乳腺外科」という一つの診療科で、最初から最後まで同じ医師に担当してもらうことが理想ですが、なにせ長いので、病院側の事情(配置換え、転勤、など)で担当医が交代しなければならないこともありますし、逆に患者側が、医師に不満を持ち、担当を変えてもらう、あるいは転院するということもけっこうあるようです。つまり、医師との相性の問題ですね。ただでさえ辛いがん治療。先生がちゃんとやってくれない、高飛車で話しづらい、どうも話がかみ合わない、わかってもらえない・・・と思うと、それだけで大きなストレスになり治るものも治らなくなってしまいますよね。医師にとっては、あまたいる患者の中の一人にすぎなくても、患者にとっては担当医がすべて。担当医の一つ一つの言動に一喜一憂してしまいますからね。

私の場合、主治医で執刀医でもあった先生とは、大変相性がよく、確かな信頼関係を築くことができたと思っています。昨年の11月の初診から告知、手術、退院後の診察までお世話になりましたが、転勤のため、3月いっぱいで、私の放射線治療が始まって間もなく去って行かれました。

先生の最後の診察になった3月上旬、病理診断の結果などいろいろ話したあと、私の目をしっかり見て僕、今月いっぱいでここからいなくなります。転勤なんです・・・と、突然言われた時の私のショックは、告知を受けたときと同じくらいだったかもしれません。「転勤になりましたので、来月からは別の先生の担当になります。」とかいうさらっとした言い方ではなかったから、おそらく、先生のほうだって、残念な気持ちだったのではないかと。自分が手術して間もない患者のことは、気がかりで心残りでしょうから…。

来週から私の担当医となる新しい先生も、ある確かな筋から、優しくて良い先生だとの情報を得ていまして、引き継いでもらうことにあまり不安はないのですが、でもやはり、これまでの主治医のことが大好きだったので、もう会えないのが寂しく、11月からのことを宝物のように懐かしく思い起こしています。

初診の日。呼ばれて入ってみると、白衣ではなく、紺色のスクラブ姿の男性医師がいました。若い先生だなあ。30代前半くらい?画像を見ながら、静かな声ですが、「乳がんの可能性がありますね。」とはっきり言いました。そして、詳しい検査を経て、12月末に二度目に会った時、「乳がんです…」。私が大きくため息をついて黙ってしまったので、「がんと聞いて今のお気持ちはどんなですか?」と気遣ってくれ、「ちょっと想定外で・・・この歳まで大きな病気とかしたことがなく、自分では健康だと思ってきたので・・・」と口ごもってしまうと、大きく頷いて、「ずーっとお元気でいらしたのですねぇ・・・」

おっとりとした話し方で、丁寧な言葉遣いの、優しい先生だな、と思いました。                                                                                                           

1月に入って、私のガンが今どのような状態か、そして、どのような手術をするかということなど詳しい説明があり、入院のジュールが決まりました。

全摘か部分切除か。これは、ステージ0~2の人なら、誰しも大変迷うところです。最終的には、自分自身の判断と希望を通す人もいるようですが、私はどうしても自分で決められず、先生の見解と判断に頼ることになりました。

がんのタイプによっては、0や1であっても全摘しか選択の余地がないケースもありますが、私の場合、先生は、「どちらでも選択可能ですが、部分切除で大丈夫だと思います。」ということで、部分切除を勧める理由をいろいろ分かりやすく(しかし簡潔に要点を無駄なく)説明してくれました。詳細を書くのは控えますが、とにかく、私がしつこく、ネットにこう書いてあるのを見て不安になっているのだけど本当に大丈夫でしょうか、という言い方をしても、ひとつひとつその不安を払拭してくれました。

私の不安要素のなかには、男性医師に聞くのは恥ずかしいこともありました。というのは・・胸が小さいと、部分切除した場合、変形の度合いが大きくいびつになるので、いっそ全摘してしまったほうがいいようなことを書いてあるサイトがいくつかあったのです。でもこれは大事なことなので、思い切ってそのことも確認したのですが、先生はしっかり「大丈夫です!」と言ってその理由を簡潔に説明してくれ、そんなことは全然心配いらないから任せてという自信がお顔にみなぎっていました。

(もし、「そんなにいろいろ心配なら、全摘しますかぁ?」みたいに、最後は私に丸投げするような医者だったら、一気に信頼感は下がっていたことでしょう。)

加えて、いったん部分切除で手術を開始しても、術中に迅速な病理診断をするので、その結果次第で全摘がいいと判断される場合には(断端陽性)、その場で速やかに全摘に移行することも可能、との説明もきいて、うわーなんかすごいなーとびっくり。

この先生の外科専門医としての腕と判断力を信じて、委ねることに決めました。

(もちろん、最近はどこの病院でも「チーム医療」なので、この先生がすべてを行うわけではないのですけどね。)

手術がついに行われ、先生がおっしゃったとおりに部分切除で万事上手くいきました。また、退院後の診察で、創部の処置をしてもらった際も、その見事な手際に驚嘆し、信頼感が増したものです。

ちなみに、私が、ネットにこう書いてあったとか、紙の書籍を実際にもってきて開き、ここにこう書いてあるんですが、とか言っても、うざいなという顔もせず、「ちゃんと勉強されてるんですね~。」と肯定してくれて、この患者は自分である程度調べるので、事細かに説明しなくてもだいじょうぶだな、というふうに良いほうに取ってくれたようでした。もし波長が合っていなければ、私は、めんどくさい患者と思われていたでしょう。

11月からの4か月の間、私と先生は、手術と治療について、必要なだけのコミュニケーションをしたにすぎず、雑談など一切ありませんでしたが、そんなやり取りの中でも、先生は、幾度となく、優しい笑顔を向けてくれ、私も笑顔で返し、このキャッチボールだけでもどんなにか安心できたかしれません。

私が「先生は腕がいいから!」とつい言ってしまったときの嬉しそうな笑顔、手術翌日土曜なのに出勤してきて診にきてくれたことについて「先生、今日はお休みなのに、わざわざ来てくださったそうで、ありがとうございます・・・」と言ったとき、「いいんですよ~~、患者さんにはお休みはありませんから。」とほっこり笑顔(土日含め、朝夕二回の回診に必ずきてくれました)。そして、退院後最初の外来での診察日、私が入ると迎えてくれた、はちきれんばかりの笑顔、などなど、医師の笑顔がいかに治療効果を上げるか、って論文書きたいくらい!

いろんな場面が思い起こされ、きゅんとなってしまいます私にとっては、この歳になるまで出会った中で一番の医師だったことは間違いありません。

転勤を告げられた日、あまりに突然のことで、頭が真っ白になってしまい、きちんと感謝の言葉も言えずじまいになになってしまいました。それが心残りだったので、お礼状を書きたかったのはやまやまなのですが、多忙をきわめる先生に手紙など読む時間をとらせてはいけないと思いましたので、片手間にでも目を通せるようにハガキ大くらいの小さなカードにして、先生の手術と術後の診察まで受けることができて本当に幸運だと思っていること、これまで支えてくださった先生への感謝を忘れず今後の治療もがんばりますということ、次の病院でもますますのご活躍をお祈りしますということをしたため、ごく短くまとめました。これを外科窓口のスタッフさんのところに持っていって渡していただけるか丁重に頼んだら、快く引き受けてくれました。

先生、読んでくださったでしょうか。

もしも5年後、10年後とかに、私が再発することがあれば(あるいは左胸に新たながんができることがあれば)、、その時はやっぱりまた先生のお世話になりたいです。

いろいろと、本当にありがとうございました。