波佐見の狆

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義狆「華丸」のこと(ジュリアン一族との深い絆!)

2015-06-29 14:10:11 | 平清盛ほか歴史関連

長かった戦乱の世が終わり江戸幕府が樹立されて間もない頃の、長崎でのお話です。

華丸」という狆の男の子がおりました。

華丸は、大村藩の藩主の家老として仕える立派な武士の愛犬でしたが、その武士は、主君が32歳という若さで亡くなったため、後を追って切腹しました

そして、お寺で武士の火葬が行われていると、華丸が涙して鳴き、なんと荼毘の炎の中に身を投じて武士の後を追ったのでした。1650年(慶安3年)のことです。

高潔な華丸の殉死を深く悼んだ家人らが、武士の墓によりそうように彼のお墓を建ててあげ、「義犬」と讃えました。

華丸のお墓は、武士のそれと並んで、現代でも大切に保存されています(お寺は、「本経寺」)。

史実に残る動物の墓としては日本最古のもので、平成16年に、国の史跡として指定されました。

                                                      

これは、私が先日帰省した折、長崎新聞の報道を読んでいて初めて知ったことです。

ここで、さっそくそのお墓の写真をアップしたいところでしたが・・・・時間の都合上、今回は本教寺を訪れること叶わず・・・私自身が撮った写真がありませんので、マイナビニュースのこちらの記事で、ぜひご覧ください(写真をクリックすると大きくなります)。なお、この記事中の「前親」の読みが「まえちか」とあるのは誤記で、正しくは「あきちか」です。

それで、長崎新聞の記事というのは、今年が華丸の365回忌で、あらたに華丸の石像が建立され、大村市が顕彰記念行事を開催するという報道でした

(出席したかったなあ!)。その可愛い石像は、こちら(長崎新聞のサイト)。記念行事のレポートはこちら

                                 

そんな立派で健気な狆が、長崎にいたなんて、それだけでも感動したのですが・・・この「武士」の名前を知って、私はさらに驚きました!

その武士とは「小佐々市右衛門前親(いちうえんもんあきちか)」という方ですが・・・・小佐々氏とは・・こちらの記事で紹介した、中浦ジュリアンの一族です! 

ジュリアンの殉教は1633年ですから、前親と華丸の死はそれから17年後の出来事であり、前親が、ジュリアンに対してどういう関係にあったのかは、私が調べた限りではまだ分からないのですが・・・推測するに、従兄弟とか、あるいはその子とかではなかったかと?? 

ともかく、中浦ジュリアンの一族と狆との間に、これほどまでに深い絆があったということを知って、現代の狆愛好家の一人として大変嬉しくまた誇らしい気持ちでいっぱいになりました。

(この前親だけが、たまたま狆が好きだったのだろうか・・いや、中浦城の城内でも、ジュリアンの家族らに可愛がられていたのではないか、と私は想像するのです。というのは、前の記事にも書いた通り、小佐々氏は、強大な水軍をもって五島灘海域に君臨して南蛮と交易し繁栄していましたから、狆が南蛮船に乗って中浦の地に渡来した可能性は十分考えられるのではと・・・。)

それから、小佐々家と大村家との関係について少しだけお話しておきますと・・・

ジュリアン記事でも触れたように、日本初のキリシタン大名であった大村純忠(すみただ)の統治の時代から、小佐々一族は、その臣下として仕えていました

ジュリアンの父も熱心なキリシタンであり、純忠を守るための戦で、ジュリアンが2歳のとき戦死したのだそうです。

そのこともあって、純忠は、聡明なジュリアンを可愛がったということらしく、天正遣欧少年使節が計画されたとき、自分の名代として一員に加えたのでした。

純忠が55歳で病死すると、その嫡男喜前(よしあき)が後を継ぎ、豊臣、徳川の軍門として軍功を上げたため、「大村藩」として所領安堵され、この善前が正式に初代「大村藩主」となります。注1)

喜前も、もともと父と同じようにキリシタンであったわけですが・・・ 

家康が弾圧を強化するに至ると、速やかに棄教し、親しかった加藤清正の勧めにより、日蓮宗に改宗します。そうして、大村藩の菩提寺として本教寺を建立しました。

本教寺には、善前以降代々の藩主とその重臣たちのお墓があります(この頃になると、小佐々家もやむなく主君に追随して棄教していました注2)

華丸の主人小佐々前親の主君は、大村純信(すみのぶ)という人で、三代目藩主でした。

漢学者でもあった前親は、純信が幼少のころから傳役(もりやく)として仕えていました。傳役とは、いわゆる養育係のことで、人格としても学者としても立派な、信頼のおける人物しか任命されませんでした。ですから、この主君が、江戸に赴いた際、急死してしまったという知らせを受けて、前親は大変動揺し、主君を護れなかったことに責任を感じて追腹しました。

そして、その前親に命を捧げた華丸・・・

それぞれに、「主」(あるじ)に対する義を貫きました。

華丸の墓碑には、132文字にもおよぶ漢文の由緒書が残されており、「前親と華丸はお互いに親しんでおり、前親は、常に華丸を愛して膝元に置いていた。」

云々と明記されているそうです。この中に華丸の犬種は狆だったということも明記されているのでしょう。注3)

                                          

どんな狆だったのでしょうか。栗之介のようにミニ狆だったのか、光之介のようなワイルドでか狆だったのか、、毛吹きはどんなだったのか・・

いろいろ想像してしまいますね。

白装束に着替えた前親さんが、華丸を抱きしめながら、こう言います。

「わしは、殿のもとに参らねばならぬ。もうお前のそばにいてやれぬ。新しい飼い主のもとで、穏やかに暮らすのじゃぞ。」 

大きなお目々に涙をためながらも、何かを決心する華丸・・

中浦ジュリアンの人物と生涯でも明らかなように、小佐々家は「義の精神」を重んじる高潔な一族でした。

奉じる宗教は変わっても、その精神は代々引き継がれ、人間ばかりでなく愛犬たちのなかにも、その精神が宿っていたのですね。

小佐々家の子孫の方々の会「小佐々会」では、6月21日に本教寺において、法要と華丸像の除幕式をしめやかに営んだそうです。

私も、お正月の帰省の際は、ぜひとも、本経寺を訪れて、華丸の墓参りをさせていただきたいと思っています。

 

注1 ですので、大村純忠の時代はまだ「大村藩」ではなく「大村氏」だったのですね。「藩」は江戸幕府が決めたものなので・・・私もそのあたり、混乱していました。

注2) ちなみに、天正遣欧少年使節のジュリアンの同僚千々石ミゲルは、この喜前の従兄弟です。

ミゲル自身いろいろあって、キリスト教に醒めていたころ、喜前が棄教したので、一緒にさっさと棄教してしまい、その後は、ふたりとも弾圧側に回ります。

それを知ったジュリアンは、絶望のどん底に叩き落とされた・・・と『小説中浦ジュリアン』にも書いてありました。

それから、喜前は、Wikiによれば、迫害を恨んだキリシタンにより毒殺されたのですって!(キリシタンがそのように仕返しをしたというのも驚きですが・・・) 

なお、上記では小佐々家が大村家に「仕えた」と簡単に書きましたが、両家がどのように関わり、その中でジュリアンがどう考え、行動したのか・・・などについては、また別記事で語るつもりです。

今日の記事の主役は、華丸と前親さんでしたので!

注3) このような碑文でも分かるように、義犬華丸のお話は単なる「伝説」レベルのことではなく、史実であり、ジュリアンのことなどと並んで、小佐々一族の大切な歴史の1ページとなっているわけですが・・・

「小佐々会」の代表を務めておられ、著名な獣医学者でもある小佐々学先生の「日本愛犬史 ヒューマン・アニマル・ボンドの視点から」という大変興味深い論文がこちらで全文読めます。全国の犬のお墓(犬塚)をつぶさに調査し、伝説か史実かに分類して、詳細に論じておられます。

華丸の墓碑について、p.13 に詳細がありますので、読んでみてください。 

佐々木先生によれば、この碑文は、「前親の高弟が選じたもので、『孟子』を引用した格調高い漢文で、前親と華丸の日頃の親密な交情が見事に活写されている。」とのことです。

 <やっとテンプレートをオリジナル写真が使えるのに変更したのですが、、、肝心の本文欄が見づらくてすみません。なお、現在の写真は、下関の壇ノ浦の海です!>

 

 

 

 

                          

 

 

 

 

 

 


栗兄ちゃんの日

2015-06-27 10:57:36 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介・十兵衛)

昨日は、栗之介がお空に引っ越した日。2006年でしたから、まる8年が経ちました・・・・。

栗兄ちゃんが与えてくれた、海より深~~い幸せ。

そして、今でも、機会あるごとに、素敵なプレゼントをくれるんですよ!

栗兄ちゃんは、我が家の守護狆です。

 

私がとりわけ好きな写真の一つ。猪苗代湖の遊覧船の中です。

栗兄ちゃん2歳7か月。一番元気でぴかぴかだったころ。

(ちなみに、 わたし、アラフォーのころ・・

 


光之介、2歳です!

2015-06-25 11:32:54 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介・十兵衛)

おかげさまで、ぼく、今日で2歳です!!

体重6.3kgで落ち着き、ますます元気ハツラツのぴっかぴっか狆生まっしぐらだよ~~~

僕が座っているこの布・・・ままがね、誕生日プレゼントのおべべを今日からつくってくれるんだってぇ!今日からだよ!!

ふつう・・・誕生日プレゼントって「はい、できました~~っ」ってその日に着せてくれて「どや~!!」ってお写真撮るもんだよねぇ。

誕生日に作り始めるって・・・・・

ま、いいでしょう!完成はいつになるか、遠い目になっちゃうんですけど、期待して待ってるよ、まま!

ままに・・・催促のバースデープレイバウを、めいっぱいおみまいしちゃえ!がううううう!!!

ちなみに、、、去年お母ちゃんからつくっていただいたこの、桃くんとおそろのおべべ、すこ~~し、小さくなったかな??

ところで、、、ぼく、とっても嬉しいことがあったの。

それはね・・・8月のことです。

ままの実家とぱぱの実家のそれぞれのぐらんぱの、初盆と三回忌があります。

で、ぼく、病院に預けられるか、あるいは、暑い中新幹線で連れていかれて数日間窮屈な思いをするか、どっちかになるところでした。

(ぱぱは、絶対預けない!と言い張ったけど、ままは、連れて帰るのに反対で・・台風になる可能性もあるしね・・・ずっと意見が平行線でした。)

だけど、、、結局、三回忌法要がお盆の次の週末に決まったので、お盆はままだけ帰って、ぱぱが僕といてくれて、次の週末はぱぱだけ帰って、ままが僕といてくれることになりました。

ずうっとおうちで、ゆっくりできるんだ!!!!

よかったよ!!最高だよ!!うえ~~ん。 ぱぱ、まま、僕にはこれが一番の誕生日プレゼントです!!

(おそらのぐらんぱたち、どうもありがとう!ぼく、おうちで、お参りしますね。)

・・・ふっふっふ。ぼくたちからのプレゼントだよ! >栗恵兄ちゃんたちの声がします~~~

充実の2歳となりますよう!

みなさん、これからも仲良くしてね~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


豆腐アイス

2015-06-17 16:09:59 | 食べ物・健康

コレステロール抑制のため、アイスクリームもダメと言われましたが、どうしても食べたい!

それで、、、豆腐アイスライフを始めました

クックパッドのこちらのレシピは、簡単で美味しい豆腐クリームの作り方なのですが、あとバニラエッセンスとヨーグルトを適当に加えて、ビニール袋に入れ、冷凍庫に。

固まり過ぎないうちに、何度か袋ごともみもみすると滑らかになるようです。

これも、やみつき! 砂糖も牛乳も要らず、はちみつとスキムミルクというのが、すばらしい

(帰省したとき、母に作ってあげたら、びっくり感激していました。)

このレシピを基本として、レモン汁を加えるとか、ココアや抹茶を入れるとか、フルーツやカボチャを混ぜ込むとか・・・いろいろバリエーションが楽しめそうです。

木綿豆腐にしても食感が変わって面白いらしいですね。

手作りだと、甘さなども調節できるし、いいことずくめ!

 

 


今年もありがとう

2015-06-11 12:03:58 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介・十兵衛)

くんくん、昨日のことだけどね、、、

ままは誕生日だったので、今年もぱぱから白いバラをプレゼントされてました。結婚以来毎年だってぇ。。よく続くよね。

ままのほうなんて、ひどい。。ぱぱのお誕生日すら忘れてたのにね!

で、明後日は恵兄ちゃんのお誕生日。でも、ままは朝早く長崎に行っちゃうよ。

それとね、昨日のスイーツについて、以下ままにバトンタッチ~~。

                    

クックパッドを見ていると、紅茶クッキーのレシピがたくさんあります。

粉100gに対し、紅茶の葉をそのまま、ティーバッグ1~2袋分混ぜ込むというもの。

YukoさんからいただいたYorkshire Goldの葉を1袋入れて作ってみました。

薄力粉100%が基本のレシピですが、25%を全粒粉にしました。

全粒粉が入るとどうしても色が黒くなり、写真写りがよくないこともあって、そんなに

美味しそうに見えないかもしれませんけどね・・・

(それに、形が不恰好すぎ

ふっ、ふっ・・・これが、サクサクでむちゃくちゃ美味しいんです。

やっぱり、よい葉っぱを使うと、香りも最高ですね。

やみつきになっちゃいそう。。