Cantores Episcopiやその他の未発表音源の情報は、もう少しだけ後になりますので、既出のCDについてもっと掘り下げて書いてみたいと思います。
話は、'Hear My Prayer'に戻ります。
このアルバムは2003年と2004年のBBC Young Chorister of the Year (2003: Harry Sever; 2004: Thomas Jesty)のソロが堪能できる豪華な1枚ということで、日本でも特にHarryのコアなファンに限らず幅広く聞かれていると思います。表題曲の'Hear My Prayer'のほかフォーレのレクイエムから'Pie Jesu', ヘンデルのメサイアから'I Know that my redeemer liveth'などお馴染みの曲が最初のほうに来ていて、とっつきやすい選曲になっているといえます。私ももちろん、track 1の'Hear My Prayer'に生涯で何度あるかというくらいの衝撃と感動を受けて、以来Harryのdevoted fanになったわけでした・・・
ですが、それから、時間をかけて聴き込んでいくにつれて、上記よりはずっとマイナーな他の曲の方に深く惹かれるようになりました。
それは、Thomas Jestyくんとのデュエットのトラックです。
track 3 ' O Nomen Jesu' (Henry Du Mont)
track 10 - 14 'Stabat Mater' (Giovanni Battista Pergolesi)
今日は特にこの'Stabat Mater'についてお話ししましょう。
Wikipediaに大まかな説明がある通り、このタイトルは日本語だと「悲しみの聖母」といっていますが、このラテン語は「(悲しみのために)立ち尽くす聖母」という意味で、磔刑に処せられるイエスを目の当たりにした聖母の心をラテン語で切々と歌った聖歌です。この聖歌の成立のいきさつと歌詞の詳細はこちらのStellaさんのサイトをはじめ、詳しいサイトがいくつかありますので、私がここで説明するまでもないと思いますが、要は、カトリック教会の典礼文の1つであるセクエンツィアSequentiaだということです。(セクエンツィアはあまりに自由奔放に作られた結果、膨大な数になってしまったので、16世紀半ばにトリエント公会議でほとんどが禁止になったが、4つだけ生き残った。その後に、新たに1つが公認されこれら5つしか存在しない。この5番目というのが'Stabat Mater’。)
Stabat mater dolorosa
juxta crucem lacrimosa
dum pendebat fillius.
悲しみの聖母は立っていた
御子が掛けられている
十字架のもとに
歌詞は、このように3行を1連として20連からなり、演奏は、本来弦楽合奏と女声ソプラノとアルトのソロ(プラス合唱)というスタイルですが、このCDでは弦楽合奏の代わりにオルガンで、第1ソプラノ(Harry)と第2ソプラノ(Thomas; 声質からはメゾソプラノと言ったほうがいいでしょうか?)の二重唱およびソロ(プラス合唱)という構成で録音されています。また、20連というのは、ほかの曲との兼ね合いから長すぎるので、このうち5連のみが採り上げられています。次の通りです:
track 10 Stabat mater dolorosa (上記に例示した3行がここ)
→ Harry と Thomasの二重唱
track 11 Vidit suum dulcem natum → Harryのソロ
track 12 Eia, mater, fons amoris → Thomasのソロ
track 13 Quando corpus morietur → Harry と Thomasの二重唱
track 14 Amen → 合唱
この13と14が、映画「アマデウス」の中で効果的に用いられていたので(確かモーツァルトの父レオポルドが亡くなるシーンだったかと)、私もこの曲にはもともと愛着があったのですが、こうしてボーイソプラノの巨匠2人のソロと二重唱で聴いてみると、あらためて、こんなにいい曲だったのかと強く惹き付けられるのです。
伴奏を、弦楽合奏ではなく、シンプルにオルガンだけにしたことで、ナイーブなボーイソプラノが引き立ち、聖母の底知れぬ深い悲しみがより伝わってくるようです。2人とも、普段から(日常的に)、しかもおそらくもっと小さいころからこの曲を校内のチャペルでよく歌っていて、完全に自分のものにしているからでしょう。卓越した歌唱テクニックに加えて、実に知的で抑制した凛とした美しさがあります。Thomasの声は、Harry ほどの透明度はありませんが、深い海の底からしんしんと響いてくるような感じです。
私が一番好きなのは、やはりHarryのソロ、11の Vidit suum dulcem natum ―この曲のハイライトでもあり、わが子が十字架上で絶命する瞬間の聖母の気持ちを歌う箇所ーです。(ここまで、歌詞対訳およびカタカナは、三ヶ尻正著「ミサ曲 ラテン語教会音楽ハンドブック」より引用。ただし、同著では平仮名と片仮名混在なのを、こちらではすべて片仮名表記に改変。)
Vidit suum dulcem natum
ヴィディット スーウム ドゥルチェム ナートゥム
moriendo desolatum
モリエンテム デソラートゥム
dum emisit spiritum
ドゥム エミーズイット スピリトゥム
いとしい御子が
死の苦しみに打ち棄てられ
息絶えるのを見た
イエス自身の悶絶と、それを足元で見なければならない母の悶絶という二重の苦悩・・・少なくとも、クリスチャンではないと、ちょっとどう解釈したらいいのかわからないくらい壮絶なテキストですが、Harryはこれを決して感情におぼれることなく、しかし単語一つ一つに今にも息がとまってしまいそうな慟哭を込めて、静かに、あくまで知性的に歌っています。
BCSDで調べる限り、部分的であってもペルゴレージのStabat Materをボーイのソロで録音しているCDは他にはありません。HarryとThomasのこのspine-tingling duetで残りの15連もすべて含め、完全版Stabat MaterをLondon Baroqueの弦楽合奏で録音しようという計画が持ちあがったのだそうですが(4月7日投稿「とことん型破り!」の記事参照)、結局Thomasのほうが先に変声してしまったこともあり、実現しませんでした。今何を言っても遅いのですが、本当に残念でなりません。
ボーイでなくてもいいので、20連の完全版で聴いてみたいと思い、適当なCDがないか探したところ、、、よいものがありました!
アレッドの「アタリア」でも触れたEmma Kirkbyがソプラノソロを担当し、合唱がgirlsのみのクアイア(St Albans Abbey Girls Choir)という興味深いものです。なんと伴奏は、そのLondon Baroque!(もしや、Harry とTomとの録音計画がぽしゃって、こちらに鞍替えしたのかな??)
http://www.lammas.co.uk/stabmat.htm
これを入手して、この曲の全貌がわかりました。20連の中には、この聖歌のコンセプトには合わないのでは?と思われるほど、妙に明るいトーンのトラックもあるため、WinchesterのディレクターであるDr. Tolleyは、曲のコンセプトを端的にあらわし(凝縮し)、HarryとThomasの声がよく活かされるような5つのトラックのみを厳選したのですね・・・。
「明るい」曲も入っている理由というのは、三ヶ尻正著「ミサ曲 ラテン語教会音楽ハンドブック」によれば、3行1連で似たような詩が繰り返されるとういう単調さを回避するために、わざと明るいメロディを入れて変化をもたせた、ということのようです。それと、Googleサーチしたところによれば、クリスチャンにとってイエスの十字架上での死というのは決して絶望ではなく、復活への希望だから、明るくするのも当然という解釈もあるそうです。
ふう・・・・だいぶ長くなりましたね。この週末は仕事が入っていないので、ちょっとがんばりました。 私のおしゃべりはこのへんにしますので、皆さんどうぞこのHarryとThomasのspine-tingling duetを今一度深く味わって鑑賞してください。
なお、私もCurraghさんからご教示いただいて初めて知ったことなのですが、教会音楽の声楽において使われるラテン語発音は、古典的なラテン語の発音とは異なるものです(あっ、常識ですかっ?)。古典ラテン語はカエサル時代のもの、つまりラテン語の典礼や聖歌ができるより昔のものなので、歌う際は使われません(三ヶ尻正著「ミサ曲 ラテン語教会音楽ハンドブック」参照。この本は実にためになります!) したがって、あらゆるミサ曲の発音はグレゴリア聖歌研究後新たに確立されたイタリア式なのだそうです。この記事中のカタカナ読み仮名はもちろん、このイタリア式を紹介しています(他にも、ドイツ式、フランス式とやや違いがあるそうですから、詳しいことは三ヶ尻本で勉強しましょう~)。