波佐見の狆

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とことん悪そして救いが(44回)

2012-11-16 12:58:26 | 平清盛ほか歴史関連

後白河が、初めてこのドラマに出てきたのは、第9回「ふたりのはみ出し者」でした。彼(当時は雅仁親王)は、まだ北面の武士にすぎなかった清盛と初めて出会った夜、さっそく双六の相手をさせるのですが、そこに、たまたま2歳になったばかりのあどけない重盛(清太)がよちよちとやってきます。自分が勝ったらこの子をもらうと言う雅仁の威圧的な態度・・・緊張のあまり負けそうになる清盛の横で、清太が手を出し、コロコロ・・・・その結果清盛側の勝ちとなりますが、雅仁は逆上して清太を睨み付け、清太めがけて双六盤を投げつけようとします。清盛は清太を体でかばい、宋剣を抜き、雅仁よりさらに恐ろしい形相になりこう言うのでした。

「清太を傷つけることだけは、おやめくださりませ!勝った者の願いはきっと聞き届けるとのお約束です。この先、清太に害なそうとされることあらば、雅仁様のお命、ちょうだいつかまつる!」

これを見ていた時から、私は何か清太の将来に向けての重要な伏線のような気がしていたのですが・・・・やっぱり!40年にわたる大きな伏線の回収だったことが、今回で判明しましたね。

瀕死の重盛をいたぶり、賽を振らせようとする後白河の冷酷さ、狂気は、9回で清太を傷つけようとしたときとなんら変わりません。そしてそれは、清盛を怒らせるためですが、平家一門の団結、清盛の家族愛、とりわけ、重盛と清盛の親子の絆の強さが、後白河にはとても妬ましく、重盛が清盛に深く愛されていることがわかるからこそ、「そちはひとりで生き、ひとりで死んでいくのじゃ!」などと叫んでしまう・・・・あるいはそれは、自分自身に向けてつきつけていたのか・・・後白河の屈折した孤独がにじみ出ていたように思います。

そして、清盛も、40年前剣を抜いたときと同じように、目の前の後白河を殺してやりたい、せめて殴りつけ、蹴りつけてやりたい、という気持ちが沸き起こったでしょう。しかしそれもできずに、「立ち去れ!」と命令口調で叫ぶのがやっと・・・

このときじっとこらえた怒りは、重盛の遺領を後白河が勝手に没収してしまったことで、遂に爆発。治承3年(1179)、後白河を本当に幽閉し院政を停止して全面的に実権を掌握。ついに後白河との双六に勝ったぞ!と思ったのです(ところがどっこいですけどね)。

有頂天になる清盛の前に、ふうっと祇園女御が現れ、「いかがにござりますか?そこからの眺めは・・・」 おそらく、このとき彼女はすでに亡くなっていて、その魂が現れたということでしょう。清盛が白河院と同じようになりはしないかと、心から案じていたから・・・。

実際、これから清盛は、白河院の言っていた「ここはわしの世じゃ!」という言葉を発するようになり、ますますダークになっていくそうです!『平清盛』の時代考証を担当している本郷和人氏が、BSフジ「世界の正義(ジャスティス)を探求するテレビ」というトーク番組中で、かなり興奮気味に次のように話していたのです・・・

藤本有紀さんは、清盛の悪という問題を徹底して描くことに大変こだわっていて、「ここはわしの世じゃ!」という清盛は、まさに白河院の悪の権化のような相貌をそのまま引き受ける。今後5回における悪魔堕ちとも言える清盛の変貌ぶりは大変なもの。8時のお茶の間のヒーローである大河の主人公がここまで悪に染まるというのは画期的である。批判も受けるのは覚悟のうえで、藤本さんも制作スタッフも敢えて挑戦をしている。権力者になっていけば、正義の味方でいられなくて、善と悪両面を併せ持つ人物として描いてこそリアリティがある。そして、最期に清盛にある救いがもたらされ、初回からの「俺は一体誰なんだーーー」という問いに対する答えを彼はみつける。」(おおよそ本郷氏の言葉通りです。)

えええっ・・・・!!そんな恐ろしい展開に???!!!

私は、だいたい藤本脚本の狙いは、『(古典)平家物語』などで驕る暴君として描かれてきた清盛を、実はいい人だったんだよーーー、と伝えることにあると、思い込んでいたのです・・・・しかし、そういうレベルのことではなかったのですね・・・・!!! もしかしたら古典平家を上回る悪人ぶりになるのかもしれませんね。

ということは、吉川英治『新・平家物語』の清盛像のほうは、ずっと「善」、さらに言えば「脆さ」の面に光を当てたものと言えますか?

たとえば、治承3年のクーデターのことに話を戻します。『平清盛』中では、清盛の上洛から後白河の鳥羽離宮入りまでナレーションでさらりと進めてしまっていましたが、『新・平家物語』のほうでは、このあたりも細かく描かれていて、清盛のこのときの様子が『平清盛』とは大きく違います・・・

清盛は、3千の軍勢を自ら率いて上洛し、京中は騒然となったが、彼はすぐには動こうとせず、しばらく不気味な沈黙が続いた。それで、後白河は、「私は常に国を憂い、相国を頼みとしているのに、みだりに鎧甲冑の軍平を率いて世を騒がすとは、どういうことか。望みがあるなら書状を送れ。」という趣旨の勅諚を清盛に届けた。その際、勅使となったのが、信西の子である静憲法印。ところが、西八条に着くと長時間待たされて膝が痛くなり腹が立ってきたので、父信西が生きていたらこんな非礼は受けまいぞ、と聞こえよがしに嫌味?!を言って帰ろうとすると、知盛が出てきて慇懃に詫び、だいたい次のようなことを言います。

父も老衰をきたしており、福原から寒い中長時間馬や輿に揺られて体を損ねたようで、今日は終日薬湯よ灸治よと、暮れていた次第で。」  

これは意外!決して清盛が後白河側を油断させる作戦として知盛に言わせているのではありません!本当にこの頃既に彼は相当に老化が進み、心身に変化が起きていたと言うのです。法皇を武力で鎮圧しようと勇んで福原からやってきたものの、みんなちょっと待ってくれんかーー体が痛うてのぉ・・お灸をしなくちゃ動けなんだ~~ぜいぜい~とか言っている、ちびまる子ちゃんの友蔵おじいちゃんみたいな清盛は、可愛いですね。でも、そういう普通の老人としての清盛はちょっと想像したくないような

宗盛を遣わして、後白河を連行し鳥羽離宮に遷すのは『平清盛』と同じですが、遷したあと、なんと清盛は良心の呵責に苦しみ始めるのです。「法皇を幽閉し給わったという行為に、かれの良心はやはり咎められずにはいなかった。どういう理由を持ち、どういう、正しさを自信してみても、寝覚めの悪さが打ち消せない。人臣としてこのうえない不忠、暴挙を犯してしまったという罪悪感がぬぐいえないのである。(中略)かれは弱いのである」(『新・平家物語』(七)「炎」p.12) 

いくら老化が進んできたとはいえ、こんな脆い清盛は、やっぱりいやです・・・白河院そっくりになろうが悪魔堕ちしようが、どこまでも自信たっぷり、負けず嫌いの強いたくましい清盛のほうがいいです!

31回で、後白河が我が子二条帝の葬儀で乱行におよんだとき、大勢の前で「あなたさまは手のかかる厄介な赤子。赤子にこの国を託すわけにはゆかぬ!」と一喝した清盛。

41回で、明雲が、後白河は平家の力をそごうとしている、と言ったとき、「われらの力をそごうなどとは、片腹痛いわ!」と、かんらからから~~~と笑ったときの清盛。

ずっとそんな強い清盛を見続けたい。

遂に後白河に勝ったと思ったとたん堕ちていこうと、罪悪感なんて彼には似合わないような気がします。

はい、覚悟はできました・・・・藤本さん、とことんやってください!!!