波佐見の狆

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秋のネルおべべ

2017-09-24 13:44:36 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介・十兵衛)

ようやっと秋の気配です・・・・那須お泊り会も、来週に迫ってきましたね!

これからの季節にちょうどいい、可愛いネル生地で、おべべをつくっています。

まずは・・・・・会津の永遠のハンサムボーイ、桃くんに着てもらいました!

むふふ。可愛いですね~~! 会えなくても、いつも目の前でニコニコ着てくれているような気がしますよ・・・

送る前に写真撮っとくの忘れた~~

ワッペンは、これを使っています。

(見づらいですが、茶糸で「GOAL」、白糸で「おめでとう!」と縫いこんであります。)

光くんのは、ただいま進行中・・・

(うさぎさんが、横向きにしか取れなかったのですが、それもよし!)

ワッペン拡大。

この2人のバイアスが面白いので、拡大。(上:桃くんの、下:光くんの)

半分ずつ柄が違うんです。どちらも見えるようにしたいので、片方を袖とえりぐりに、もう一方を裾に、と使い分けています。

そしてそして、、、、、こちらの2枚は、雪丸くんと聖丸くんに着てもらおうと、仕上げたばかり~~~

拡大・・・(はらっぱシリーズワッペン、柄が楽しいので、好き。)

   (こちらのバイアスは、ありきたりのしかなくて、すみません~~)

実は、この生地だいぶ前に買っていて、雪丸くんと百福くんにも作ってあげようと断っていたのですが・・・・その後、百くんのサイズがちょっと調整したほうがいいということがわかったため、(百くんには、背中を2cm広げたほうがいい)、断ったまま放置してました。ごめんなさい!! 百くんのはまた別に考えますので、こちら、聖たんが着てみてね~~。

ともかく、この2枚は、那須に持っていきますので、ひな大地家で適当に使ってください~~~。

聖たんといえば・・・・

実は、光くんと聖たん、8月についにご対面~~~!ひな大地家からお誘いいただき、ひたち海浜公園の、コキアライトアップで~~とをしたんです。夕方で、私の写真がいつもにもまして下手で、私のブログでは記事はアップしなかったのですが、ひな母さんのブログで可愛いお写真がいっぱい見られますからね~~(こちら

私が撮った写真で、かろうじて見られるのは、、、このくらいかな。

そっくりでしょう~~! 向かって左が光くん、右が聖たんです。ふたりとも、森田屋口で、お顔の模様もすごく似ています。

双子みたいでしょう~~~! 体格も似ています。あんよが長くて。

なにせ、聖たんの母狆は、光くんと同じで、父狆は、光くんの父方の兄弟ですから、(つまり、、異父弟なんだけど、父方は、光くんにとって甥っ子になる??)かなり血が近いですもんね

聖たん、8カ月で、6kgとのこと・・・もしかして、光くんよりさらにでかくなる可能性あり?? 車酔い克服練習もがんばっているようですよ。

来週末は、天気も良さそうですね!待ち遠しいです!!

 

 

 

 

 

 


華丸は、「御狆」で「義狆」だったのです!

2017-09-18 10:19:57 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介・十兵衛)

江戸時代初期に長崎の大村藩に実在した、狆「華丸」については、こちらの記事で詳しく紹介しましたね。

華丸は、家老であった小佐々市右衛門前親(こざさいちうえもんあきちか)の愛狆でしたが、前親は、早逝した藩主の後を追って切腹してしまい、その火葬が行われていると、華丸が涙して鳴き荼毘の炎の中に身を投じて、前親の後を追ったのでした。家人たちが、高潔な華丸の殉死を悼み、前親の墓と並んで華丸の墓を立てました。この二基のお墓は、大村藩菩提寺である本経寺に当時のまま大切に保存され、小佐々家の子孫の方たちが法要を続けています。2015年には、華丸の365回忌の記念として、華丸をイメージした石像もお墓の側に作られ、人間と犬との強い絆を実証するシンボルとなっているのです。

(なお、この小佐々家は、中浦ジュリアンの一族である、ということも、お話しましたね。当然キリシタンだったのですが、大村藩が仏教(日蓮宗)に改宗したので、結局はそれに従わざるをえなかったのです。)

で、8/24の「日本人のおなまえっ」で、聖徳太子の雪丸の紹介の前に出たのが、この華丸です!!

番組スタッフが実際に大村の本経寺を訪れ、今年の華丸法要(367回忌)の最中を取材していました。

 

これが、華丸の石像です。大村のパワースポットになっているとのこと。正直、狆には見えないんですけどね・・・

ちなみに、「忠犬」と、番組では紹介しているのですが・・・

小佐々家と本経寺に代々伝わる言葉は、「忠犬」ではなくて「義犬」なのですよねえ。単に主人に忠実であったということを超えて、主人のために命をも捨てるという、武家のわんこの心意気を称えたものと考えられます(詳しくは、こちらこちらで)。

ゲストの、長島一茂さんも、「人間なら、義人とか義士とか、義という漢字をつけて称えるけど、犬に・・・!」と感動していました。

現地取材までして、華丸のことを感動的に紹介してくれて、大変嬉しかったのですが・・・・

ただ、私が、この録画を何度見ても不満なのは、ここで、華丸の犬種が狆であったという事実に一言も触れられなかったことです。

聖徳太子の雪丸の犬種は不明です。というか特に記録もありません。真っ白の犬だった、という言い伝えがあるという程度です。

しかし、華丸が狆であったことは、ちゃんと、華丸の墓碑銘に書いてあるのですよ!(前親の高弟の漢学者が、その当時に書き記したのです。)

「御狆」と!!!!  「御」までついているんですよ!

(私自身が未だ一度も現地を訪れる機会がないため、ここでアップできる写真がなくて申し訳ないのですが)

徳川時代の狆といえば、大奥や大商人の屋敷で高級ペットとして、安楽に暮らしているというイメージですが(それが悪いという意味ではありませんよ!いや、それでいいのですが・・)、立派な武士のパートナーとして、武士道を貫き、武家の犬の鑑として若き命を散らせた(まだ子狆だったそうです)狆がいた。現代の狆愛好家にとっては、華丸が狆であったことは、大きな意味がありますよね!狆界の誇りですよね!!

さらに言えば、華丸石像も、上にも書いたように、どう見ても狆には見えないのですが・・・小佐々会や地元の華丸顕彰実行委員会によれば、犬と人の深い結びつきを象徴するマスコット的な存在としての像にしたかったそうなので、特に狆へのこだわりはなかったのでしょう。それはそれで、いろいろな考えがあってのことであり、華丸に関する史実を後世まで伝え広め、それを普遍的な動物愛護の推進と結び付けようという関係者の皆さんのご尽力には敬意を表したいと思います。私も知ってたら寄附くらいさせていただいたのにな・・・・。

子狆ではあっても、武家の狆らしく、毛を風になびかせて、雄雄しく立つ華丸像なんてのを、ちょっと空想してしまうんですけどね・・・ わたし、そういうぬいぐるみでも勝手に作っちゃおうかな。

・・・・

番組に話を戻します。

華丸の紹介につづいて、次に、いきなり、「この江戸時代に、 室内用ペットとして絶大な人気を博したのが、狆です。」といった流れで、籠に乗った狆が登場・・・

(つまり、単なる江戸時代つながりかよっ?!

どこの子だろ。初対面の宮崎美子さんをペロペロして、とてもフレンドリーでしたよ。

江戸時代に、いかに日本の上流階級で狆が大切にされていたか、というエピソードがいくつか紹介されます。

酒井雅楽頭という姫路の藩主が江戸から京都に将軍の名代で行く時、同行した狆がいた。

犬が売買の対象ではなかったこの時代、狆だけは高価で取引されていた。初代駐日公使のラザフォード・オールコックが、日本の狆は高すぎてお金を出して買うのはアホだと言っていた。つまり、それほど高かったという意味ですね。30~40両つまり200万くらいはしたそうな。

幕末には、幕府が、「江戸」と「下田」と名づけた2狆をペリーにプレゼントした(その絵が、横浜開港資料館のサイトにあります。こちら。サイトの解説では、幕府ではなくて、将軍から、しかも4狆贈ったと書いてあります。)

ペットの名前を調査分析する、というのがそもそもこの回の趣旨だったのでしょうが、それを超えて、狆と日本文化との関わりをここまで時間を割いてリポートしてくれるなんて、さすがNHKだなと思ったのですが、それだけに、何故、華丸が狆であったという史実を無視したのか・・・ひとこと言う時間的余裕はあったはずだと、不満が残る私なのでした・・・。

日本中へ向かって叫びたい。。。。

 

華丸さまは、「御狆」であり「義狆」であらせられたのじゃ~~~~~~~!!!

 

細かいことですが、ナレーションで「小佐々」を「こささ」と読んでいたのですが、正しくは「こざさ」です。苗字の読みも難しいですが、名前分析の番組なんだから、リサーチ不足ではござらぬか、NHKさん。関東に「佐々木」という苗字が多いので、類推しちゃったんでしょうか・・??

 

 

 

 

 

 

 

 


聖徳太子の愛犬「雪丸」のお話

2017-09-12 19:24:08 | 狆 (栗之介・恵之介・光之介・十兵衛)

NHKの「日本人のおなまえっ!」(木曜7:30)ご覧になっていますか?日本人の名前の起源、名前にまつわるいろんなエピソードなどを、番組独自の取材や貴重な資料を見せながら面白く解説してくれるユニークな番組ですよね。

8/24日の放送は、人間ではなくて「日本のペットのおなまえ」特集でした。

この中で、特筆すべき犬の名前として、「雪丸」と「華丸」についてけっこう詳しく採り上げまして、ちょっとレポートしておきたいと思います。長くなりそうなので、、本日は「雪丸」について。

                          

そもそも、コンパニオンアニマルを持つということは、身分の高い人しかできなかったわけですが、ましてや自分の愛犬・愛猫に、人間のような名前をつけるというのは、いかにその子を信頼し大切な存在だとみなしていたか、ということの表われです。そして、日本で初めて自分の愛犬に名をつけたのが、あの聖徳太子で、その名は「雪丸」だったそうです!7世紀ころのお話です。

さらに驚くべきは・・・この雪丸、人間の言葉を理解し、お経も読めたというのです。聖徳太子が行く所どこでもついて行ったので、彼がお経をあげるのをいつも聞いているうちに覚えたそうな。

雪丸が亡くなったとき、聖徳太子は、現在の奈良県大寺町にある達磨寺に、雪丸を埋葬して、お墓をつくらせ、「雪丸塚」と呼んだのですが、これがなんと、雪丸自身の遺言によるものだったと言われています。達磨寺は、聖徳太子ゆかりの寺なので、雪丸は、自分が死んだら、このお寺を護るため、その鬼門である東北の方角に自らを埋葬するよう遺言をしていたと・・・!

聖徳太子が7世紀に建立したこの雪丸塚が現在も残っているわけではないのですが、今は、江戸時代に作り直された雪丸像が達磨寺に残っており(現在は南西を向いている)、雪丸くんは、町のマスコットキャラクターになって愛されているそうです。 詳しくは、こちらこちらなどで読めます。

ちなみに、江戸時代には、「雪丸像が元旦に鳴くと、その年は豊作になる」との言い伝えまであったのですって(こちら)。雪丸が、聖徳太子だけでなく、いかに後世の日本人にも(庶民にまで)愛されてきたかを物語っていますね。

なお、雪丸が人間の言葉を理解してお経も読んでいた、というのは、「達磨寺略記」という江戸時代の古文書に記されているそうですが、雪丸の遺言の件は、言い伝えです。

ともかくも、聖徳太子と雪丸の絆が大変深かったことは、事実なのですね。

王寺町観光協会サイトの雪丸グッズ(こちら)とかも、可愛い!

高貴でとても賢かった雪丸。

ひな家の雪丸くんも、きょうだい、家族を守って、日々がんばっていますね! 

いろいろ調べていたら時間がかかり、雪丸ストーリーだけですっかり長くなってしまったので、「華丸」については別記事といたします。また読んでくださいね!

おまけ。

王寺町プロモーション動画 「Yukimaru Walking in the Sky」