久々に父の話です。もうこのブログでは実家の両親のことを書くのはやめようかとも思っていたのですが・・・同じような問題を抱えている皆さんと、想いを共有できるなら、単なるお目汚しではないかもれないと・・・・。
現在82歳になる父が認知症の診断を受けたのは、もう5年以上前です。ちょうどこの写真を撮ったころ・・・
緩やかではありますが、確実に進み、私の名前が出てこなくなったのがもう3年くらい前から。それだけでも、一人っ子の名前がわからなくなるなんて。。。と悲しかったのに、去年のGWに帰省したとき、名前だけでなく、私自身のことが誰だかわかっていないようだと思えて、空港へ向かうバスのなかで涙がとまりませんでした。そして・・・9月に、本当に私のことがわかっていないということが、はっきりと判明する瞬間があり、病院の待合室でしたが、母が父を連れてトイレに行ったすきに、人目もはばからず声を出して泣きました。
内臓系はまだしっかりしているので(お医者さんがびっくりするくらい!)、からだのほうは病気らしい病気もなく、自分で歩けますし、お箸でご飯も食べれます(それで、介護認定も、要介護4で止まっています)。癌などの重病で長期闘病を余儀なくされたり亡くなる方も多い年代なのに、体が元気なのは恵まれているのでしょうね。しかしそれだけに、妙に力も強くて、あちこちに強くしがみつくので、タクシーに乗せるのも一苦労。時々癇癪をおこして、母の手をはらいのけようとするのですが、母は突き飛ばされそうになるみたいです。きたない話で恐縮ですが、尿意、便意を意思表示できないので、あっという間にどこでも汚します(オムツを外してしまったりするので)。
ちなみに、5年前の診断では、父は「アルツハイマー型」の認知症と言われていたのですが・・・昨年秋にまた検査や問診を受けた結果、前頭葉と側頭葉の委縮が特に著明で、また言語操作能力が極端に落ちているので、「前頭側頭葉型」とも考えられ、アルツとの両面性的なものと言われました。いずれにせよ、最重度の段階にきており、「あとは進行するのみですから、家族の見守りしかありません」との宣告でした。
それでも、母にとって父の介護は、生きがいであり、張り合いであったのです。
しかし、母も79歳ですから、それももう限界です。このままでは、共倒れする日が近づくばかり。
実は、特養(特別養護老人ホーム)ひとつと、グループホームひとつに、入所申し込みをしているのですが、どちらも待機者が多くて、入所は当分無理だろうと思っていました。12月に、母が扁桃腺をこじらせて、どうにもならなくなったとき、運よくその特養の方から1週間ほどショートステイで声をかけていただき、利用することができました。それだけでも助かりましたが、またケアマネさんから連絡があり、「4月から入所できますが、どうですか?」
夢のような話ではありませんか!特養って、へんな話、死ぬ人がでない限り空かないといってもいいくらい、入りにくいところなのです。実はその特養は、建物の老朽化のため、現在全面的に建て替えしており、4月にはぴかぴかの新築で完全個室になるのです。そして、利用料も上がるため、現在の入所者のなかに、支払いが困難になるので出たいという人が何人かいるそうです。12月にうちの父の状態を見てくれたため、すぐにまた声をかけてもらえた模様です。
母はまだどこか迷いがあるようだったので、もう決心しないと、今度を逃すと、もういつになるかわからないよ、って母に言いました。本当にそれでいいのだろうか・・・という思いがまた湧き上がりそうになるのを、ぐっと抑えて。
清盛でもよく、「次などないわ!」という言葉を使っていましたが、まさにその心境。
入れたら入れたで、、、母が張り合いをなくし、がくんとなるのではとか、、、心配はきりがありませんが、このチャンスを逃したらきっと後悔すると思うのです。
幸い、両親は、介護のプロフェッショナルをはじめ、従兄弟、従姉妹たち(母の甥・姪)など、強固な温かいサポートの輪に囲まれていますから、私ももう少し安心すればいいのでしょうが・・・(恵も、おかげさまでこのところ落ち着いていますし・・・)去年GWころからの鬱状態が未だ続き、あんなに好きだったバイオメディカル翻訳の仕事も、今は意欲が湧かず、オファーがあってもほとんど断りっぱなしです。かといって完全にやめてしまう勇気もなくて。
父が私のことをわかっていないという事実をはっきり悟ったとき、私の中でなにかがプチッと切れました。その切れ端がブラブラしたままなのです。またスイッチが入るようにするには、どうしたらいいものかと毎日考えてるのですが。。。。。