波佐見の狆

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ふるさと納税デビューしましたが・・・

2016-10-21 21:18:50 | Miscellaneous

どか~~んと届いた「プレミアムひものセレクト“極”」(冷凍)

10個も、いろんなお魚が!

贈り主は・・・「佐世保市役所」さんです。

そう、ふるさと納税の返礼品です。たった1万円の寄付でこんなに豪華なお品をいただけて、ありがたすぎますね~~

遅ればせながら、わが家は、今年初めてふるさと納税しています。皆さんもやっておられますか。

わずかな金額ではありますが、長崎県内の自治体に3か所、あと、被災地支援の意味で、熊本県内に2か所、寄付して、それぞれ返礼品を申し込みしました。

ふるさとチョイス」というサイトを利用すると、全国の自治体にクレジットカードで簡単に寄付ができて、返礼品もよりどりみどりです。。。絶対お得だというので、乗り遅れまいと、やってみたのですが・・・・さすがに、この品物がほしいから、この自治体に!というように、お取り寄せ感覚で、縁もゆかりもない自治体に寄付をするというのは、気が引けました。佐世保市や西海市には、今、私にとって大切な人たちがたくさん住んでいるだけでなく、近い将来自分も住む可能性が高いので、心からの郷土愛で行うことです。しかしそれでも、なんらかのメリットがあるから、積極的にやるんじゃないでしょうか。実質手出し2000円で、それ以上の価値の品をもらえる、となると、背に腹は代えられないですよねぇ・・・

ふるさと納税をしていない方のために、仕組みを大雑把に書いてみますと・・つまりですね・・・

あなたがA市の住民で、住民税が10万円だとします。このうちの一部を、「寄付」という形で別の自治体に納税するのがふるさと納税です。寄付先は自分の故郷とかに限らずどこでもOK。B市を選んでここに万円「寄付」すると、このうち8000円があなたの来年の住民税から控除されるので、10万円のうちの8000円を、A市の代わりにB市に前倒しで納税したことになるのです。で、2000円だけあなたの手出しになりますが、B市から、寄付額の4~5割相当の返礼品がもらえるので、あなたは実質的に得をします。寄付額が2万とか5万とか大きくなっても手出しは2000円で寄付額の4~5割相当が返礼になるので・・・大金を寄付できる人は、大儲けというわけです。ちなみに、住民税のうち、いくら寄付できるか、という限度額は、納税者の年収や家族構成などにより決まりますが、限度額は年収に比例して高くなるので、富裕層が有利となる制度であるのは明らか。限度額の目安は、こちら。総務省のサイトです。2.「控除額について」の「寄付額一覧」をクリック)

佐世保市は、ふるさと納税の成功率が大変高い自治体のひとつで、ふるさとチョイスの統計によれば、2015年度の寄付金額ランキングで全国5位(ちなみに、平戸市はさらにその上を行き3位)!ふるさと納税で24憶円も集めたんですね・・・この額は年々増大するのでしょう。品物が良いのはもちろんですが、対応も早いですもの!カードで支払い完了したその夜にお礼メールが届き、翌日には発送しましたメールが届き、3日後には茨城の納税者のもとにお品がどかんと到着となるよう、手配してくれるんですからねぇ。その素早く丁寧な仕事ぶりは評価するとして・・・気になるのは、24憶というスケールの資金を、具体的にはどう活用して佐世保市民をより幸福にしてくれるのか、ということです。市のサイトに、佐世保応援寄付金活用事業という説明がありどういう使い道をしているか、ある程度書いてあるのですが・・小中学校情報通信ネットワーク整備とか、世界遺産活用推進とか、若者の定住を促進するなんとかとか・・・でも、私が一番望む、高齢者福祉の充実は、見当たりません・・・それにはちょっと不満が残ります。

寄付額が大きい自治体なればこそ、できるだけ寄付者の望む活用を可能にするシステム作りを望みたいです。どの自治体にも言えることですが、寄付金の使途の透明化と、寄付者の願いを吸い上げる努力・・・課題として考えていただきたいです。

ふるさと納税が過熱するにつれ、いろんな問題も浮上していますね。 

住民税の一部を好きな自治体に寄付という形で納付し、納付先の自治体からお礼の特産物などがもらえるというシステムそのものは、ある意味きわめて日本的だし、とてもいいと思うのです。ただ、上にも書いたように、富裕層がますます大きく優遇され、低所得層ほど恩恵がないという、大きな不平等を生んでいるのは、おかしいのではないでしょうか。

そして、現在最も大きな問題・・・誰かがふるさと納税をすると、その納税者が住む自治体からは、控除として税収が流出することになります。集まる寄付よりも控除として出ていく額が大きければ赤字となり、本来の行政サービスに支障が出ます(実際出ているところがあります)。そういう事態に陥ることを恐れ、どの自治体も、これでもかと返礼品を豪華にして(特典をつけて)、税収獲得合戦(もっといえば、奪い合い)状態になっており、自治体間の格差は広がるばかり・・・暴走するふるさと納税とまで言われて、本来の趣旨である、自分の故郷の自治体や愛着のある市町村を応援することで地方創生に貢献する、という理念に立ち返るべきでないか、という批判もあちこちで上がっているようで、私も同感です。

そのうち、返礼品の在り方に何らかの制限がかかるようになるかもしれませんね・・・。寄付額にかかわらず、返礼品は、手出し2000円をちょうど埋め合わせるか、ちょっとプラスアルファくらいの価値(せいぜい3000円??)のものに統一すればどうですかね?

あと、使途の透明化については・・・ふるさとチョイスサイトの「使い道でチョイス」タブをクリックすると、具体的にこういうプロジェクトに活用します!という明確な約束を提示して募集している自治体も増えています。これはいいですね~。西海市や大村市も、「天正遣欧少年使節関連史跡の整備」とか、やりません?!で、返礼品が「ジュリアンポーク」って、どう!!

問題点について詳しくは、こちらこちらなどで。

・・・と、いろいろ考えながらも、プレミアム干物セットの次は、ミカンに、お肉に、バターにチーズだと、届くのを楽しみに待っている栗恵光家であります。 クレジットカードで寄付金を支払うとき、「返礼品は不要」をクリックする選択肢もあるのですが・・・やっぱりもらいたいのが正直なところ。

 

 

 

 

 

 


ジュリアンの父上の墓参り

2016-10-05 10:22:03 | 平清盛ほか歴史関連

帰省のたびに、大村市の本経寺を訪れて華丸と小佐々前親のお墓詣りをしたいと思うのですが、未だ叶っていません。大村はちょっと遠いし、いつも法事やら何やらでなんだか忙しく、ゆっくり時間が取れないのです。

西海市界隈の、中浦ジュリアンやその他キリシタン関連史跡も、あまりに多くありすぎて、場所は込み入っているし・・とてもともて、ささっと回れるものではありません。そのあたりのゆかりの地巡りは、まあ、Uターンしてからの老後の楽しみにとっておこうと思います(・・って、いつも言ってますね。)教会群とキリシタン関連遺産の世界遺産登録が実現すれば、またいろいろと整備されて、見学しやすくなるかもしれませんしね。

最近の帰省で、私がカメラに収めることができたものを、ちょっと記しておきたいと思います。

まずは、西海市の多比良(たいら)地区にある、ジュリアンの父小佐々甚五郎純吉(こざさじんごろうすみよし)と大伯父小佐々弾正純俊(こざさだんじょうすみとし)を祀る墓所です(注1)。

国道から、脇道に入り、さらに狭く暗い坂を少し上がっていくと・・・

左手前の墓石が特によくわかりますが、かまぼこ型をしていますね。典型的なキリシタン墓の形状です(注2)。県の学芸文化課サイトによれば・・・純吉と純俊は、ともに今の佐世保市の宮(久津峠)で行われた合戦で、主君大村純忠を守って討死し(永禄12年(1569);ジュリアンが3歳のとき)、一旦そのまま佐世保に葬られましたが、のちに、純俊の本拠地である小佐々城(多比良城)があるこの地に移されて祀られたとのことです。この墓石が、1569年当時のものなのか、それとも、もっと後になって、移された時点でつくられたものなのか、わからないのですが・・・ジュリアンのルーツが確かにここにある、と思うと感無量でした

入口にこのような説明版があります。(文面は、ジュリアン直系の子孫で小佐々氏の歴史を研究されている小佐々学先生によります。)

黄色で囲んだところが、墓石のある個所。そこに立って奥のほうをみると、建材置き場のような広場?があるのですが(写真忘れたっ・・黄緑で囲みます)、それは、説明にもあるように、南蛮寺(教会)と馬術の調練場があったところだそうです。海外との交易で繁栄を極めた小佐々領国の勇将たちが、胸に十字架をつけ、立派な馬を引きながら闊歩していたのがこのあたりだったのだなあ。。。じっと見つめていると、戦国時代にタイムスリップして引きずり込まれるような感覚すら覚えて、ぞくっとしてしまいました。

それにしても、本当にひっそりとしていて、雑然と落ち葉が散らかり放題。薄暗くてあまりにも寂しい場所です。おそらく、徹底的に権力に歯向かって布教を続けて処刑された「大罪人」(ジュリアンのことですね)を出してしまった家系なので、墓地も江戸時代以降はずっとないがしろにされていたのではと、思うのです。でも、墓石が破壊されることもなく、こうして残されているというだけでも、驚くべきことかもしれません。実際、小佐々家の系譜と史実は一切、江戸時代に抹殺され現代まで闇に葬られていました。それを初めて、長年の調査により明るみに出し、中浦ジュリアンが、この優れた一族の血を受け継ぐ領主の嫡男小佐々甚吾であったという史実を突き止めたのが小佐々学先生だったわけです。詳しいことは、前にもご紹介した「小説中浦ジュリアン」のあとがきにあります。そのあたりについては、とても1回の記事では書けませんので、これからまたゆっくり語っていくつもりです。

ちなみに・・・西海市内では、また別の戦国時代のキリシタン武将の墓石がみつかっており(「平原郷の切支丹墓碑」)、その墓所は、写真で見る限りとてもきれいに整備されているのです。私自身はまたそこを見学していないので、こちらのきれいな写真をご覧ください(「トライックス・カフェ」さんのサイトです)。公園みたいですよ~。同じ弾圧時代のキリシタン墓でどちらも県指定文化財なのに、この整備状態の違いは、どうしてだろう・・・と、考えると、どうしても、幾世代にもわたって小佐々家に着せられた大罪人の家系、という汚名が、ひとつの要因ではと、推察せざるをえません(全くの私見なので、見当違いならすみません)。次回の帰省では、平原郷のほうもぜひ訪れたいと思います。私同様、ご主人の実家が西海市にある、親友のKさんからの貴重な情報でした。Kちゃん、ありがとう~。

話を戻して・・・と。

なぜ「小佐々ジュリアン」ではなくて、「中浦ジュリアン」なのか、ということについて、ちょっとだけ。

上に記した通り、このお墓のある「多比良」は、ジュリアンの大叔父純俊の本拠地でして、そこに、父純吉も一緒に眠っているということなのですね。で、純吉の本拠地というのは、ここからまたちょっとだけ離れた「中浦」というところでして、純吉は「中浦城」の城主として「中浦殿」と呼ばれ、その一帯の統治を任されていたわけです。その中浦殿の息子ということで「中浦ジュリアン」になった。それだけです注3)。

地元で無料で配っている可愛い中浦マップの一部です。西海市在住の画家タナカタケシさん作。

「さるくまち 西海マップ」 の下に書いてある詩が素晴らしいです!(ちなみに、「さるく」というのは、長崎弁で「歩き回る」の意味。)

こけむした石垣がたずねる者に語る。

時や人は過ぎ去るものである。

「どこへ行くのか」

ここから遠くローマへ旅した人もいる。

「どこへ行くのか」

御園には花咲き、光あれ。

ここは中浦、さいわいの海となり、山となり、空となる。

この文面もタナカタケシさんなのでしょうか。心に沁みますね・・・

そして、こんなのもあるんですよ!ジュリアンポーク!!

佐世保市内の繁華街にあるアンテナショップで販売しています。(yumikoさん、貴重な情報ありがとう!)

「中尾とんとん牧場」というところが生産しているとのことですが、肝心の西海市のスーパーとかでは、今まで見かけた記憶がないのです。。。(単に、私が今までジュリアンに興味がなかったから、気づかなかっただけかもしれませんが・・Kちゃんは、これ、見たことありました?)ともかく、地元のジュリアン愛を感じますね。

今回の記事は、帰省レポートということで、ここまで。

天正遣欧使節については、私はまだまだ入門者ですので、なにかと間違いもあるかと思いますので、お気づきの点ありましたら、どうぞご教示ください。

(実を言いますと・・・「小佐々」をずっと「こさざ」と読むと思っていたら・・「こざさ」だったということを、今回初めて知った次第・・(注4))

注1)ジュリアンにとって、純吉が父であることは史実なのですが、純俊のほうは、伯父なのか大伯父なのか、ちょっとわかりません。Wikiなどいくつかのサイトでは、純吉と純俊が兄弟と書かれていますが、小佐々学先生が「純吉は純俊の甥」と書いておられますので、こちらを採用。

注2)キリシタン墓石の形状は、このように横に寝せたもの(西洋式の伏碑)だけでなく、実はいろいろあり、仏教のお墓のように立てた物もあります。特に隠れキリシタンのお墓は、仏教にカムフラージュする目的があったので、仏塔のような形をして十字を刻印したものなどが多くありました。あるいは、カムフラージュというよりも、そもそもイエズス会が日本で布教を始めたとき、仏教に溶け込む形で日本人の文化・習慣に合わせながら、キリスト教に導く方法をとったので(これは史実)、和風の立型が一番古いキリシタン墓石である、という説も最近出ているとのことです。なんと興味深い!詳しくはこちらなどで。

注3)小佐々氏は、近江源氏の流れをくみ、もともとは、今の佐世保市小佐々町を支配した一族なので、「小佐々」氏と名乗り、その後、今の西海市に移動して(大村氏の家臣となるため?)多比良に本拠地を構え、さらに中浦と松島にも城主を置いて、西彼杵半島一帯に広く君臨しました。

注4)小佐々学先生自身が書かれているページ(こちら)にも、「こざさ」とフリガナしてあります。小佐々氏の出処が、小佐々町で、これは確かに「こさざちょう」というので、私はずっと「こさざ」だと思い込んでいましたが・・・苗字としては「こざさ」なのですね。難しい・・・