くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

ナベツネこと渡辺恒雄は潔く引退すべし!

2011年03月25日 | Weblog
読売新聞主筆渡辺恒雄は「俗説」呼ばわりした世論に敗れた。

完膚なきまでに敗れたのだ。

世論を「俗説」呼ばわりする人間が大新聞の主筆の座にあって、一体何をしようというのか?

「俗説」まかり通る愚かな民衆を啓蒙しようとでもいうのか。

冗談はよせ、一度は信奉した主義を捨てて「転んだ」男が、民衆を啓蒙だ?

信念とした思想を捨て、その後逆にそれを批判する側に寝返った男のいうことなどに、民衆は啓蒙されたくはない。より率直にいえば、行き恥を晒しながらもそれに臆せず社会の中枢に生きることを恥じぬ男に他者を啓蒙する資格はない。

もしナベツネが民衆を啓蒙するところがあるとすれば、己のような無様な節操のない生き方だけはするな、ということではないのか。

ナベツネは、世論に拒絶されたのだ。この人は「俗」と蔑んだ世論によりNOを突き付けられ、そして敗れたのだ。

ならば、まずは主筆自ら紙面にて自らの自己批判をしてみてはどうか? 自己批判の要を感じぬのであれば、「敗北」を自己分析してみてはどうか? 


そしてそれをもって主筆の座をおり、社会の表舞台から潔く退いてはどうか。それでこそ、世間を啓蒙することができるのではあるまいか。

もしこのまま「第一線」に固執するのであれば、ナベツネは力ずくでも打倒、排斥されねばならない。必要であれば老人だといって躊躇する必要はない。石もて追い払うべきである。

今挙国して「復興」にのぞまんとする我が国にとって「転向」の「前科」をもつ者などの指導力、影響力など少しも欲してはいないのだ。

いや、この国の将来のために是非引退してほしいものだ。

これ以上、この国に仇するのは止めてほしい。

さらば、ナベツネ!
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私の宗教観: 私は無邪気に... | トップ | 辰巳琢郎という「卑怯」な男 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (天の声)
2011-03-31 21:26:01
違うよ。ナベツネは正しいよ。少々言葉が過ぎるところがありますが、正論を言っています。ナベツネ批判は読売以外のグループが作り上げた情報操作です。世論のほとんどは、そんな情報操作に乗せられているのです。言わばピエロ。世の人々は雇われている人がほとんどだから、選手会に肩入れしますが、実は雇う側の方が何倍も大変な立場だから、球団・経営者側に同情します。世論は単に、感情的な過剰反応なのです。よってナベツネは正しい。
返信する
所詮 (kumawann)
2011-04-01 01:12:01
それは経営側からみた「」付きの正論に過ぎません。とっくに野球ファンでも巨人ファンでもないくなった私にとってみたら、そんなの知ったことかですわ。

経営側の論理云々というのであれば、震災後の世情、国民感情というものを計算できずに開幕日を決定しようとした経営陣は「無能」なのでは?

世論を操作する側にいたナベツネが操作された世論に敗れたとすれば、これほど滑稽なことはないし、それは自分の発言が「球団経営」にどう影響を及ぼし得るかも計算できないほどナベツネは老いたということでは? ならば、ナベツネ発言は「老害」に他ならず、なおのこと引退すべきですね。

そもそもあんな元「アカ」が大きな顔をしてのうのうと生きながらえていること自体あってはならんことです。まあ、共産党に入った経緯とは読み聞きすると、随分情緒的な方のようですけど、あのアカ爺は。

ちなみに「アカ爺」が誹謗中傷との批判には甘んじます。私は主義者を「ヒト」とは思っていませんので。思想の対立は、行きつくところ、殺すか殺されるかですから。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事