くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

「日常」という幸福

2011年03月20日 | Weblog
大震災被災者の一人ならずもが口にした言葉、当たり前であることの幸せ。

人は普段それに気付かない。いや、最後まで気付かないのかもしれない、それが失われもう二度も戻ってこなくなるまで。
幸せはまたいずれ訪れる、と信じたい。でも、一旦失われた幸せがそのまま昔のままに戻ってくることはない。失われた時は、求めて求めつくせるものではない。

これは何も予期せぬ大災害で出くわしてしまった人たちばかりの話ではない。

「日常」を捨てた人。ある日「こんなに楽しいことがあったんだ」と気付き、あるいは勘違いして、「日常」を倦み、ついにはそのすべてかなぐり捨ててしまった人。

その結果、果たして幸せは待っていたのだろうか。

いや、待ってはいなかった。大震災被災者にはきっと幸せが待っている、に違いない。でも、その人には待っていなかった。待っていたのは孤独と絶え間なく襲ってくる苦しみ。

それを因果応報というのだろう。

「日常」を捨てるとは、ゴミを捨てるのとは勝手が違った。「捨てる」ことにより、他者の恨みつらみを負ってしまった人。
世間の好奇と蔑みの渦中に我が身を陥れてしまった人。せいぜいできることといえば、自分を「悲劇の主人公」にしたたてて、治作自演の「悲劇」を少しでも耳を傾けてくれる人に語るだけだった。でも、世間はそれほど甘くはない。耳を傾けるからといって
同情してくれるとは限らない。同情したふりをして心の中は、ただ他人のゴシップ、不孝に興味深々なだけで、「悲劇」は人づてに広がり、「悲劇の主人公」は「喜劇の主人公」になり果てる。いや「喜劇」というのは、他人から見てというのであって、本人にしてみれば更なる「悲劇」の始まりでしかない。

そんな人にもやはり幸せは訪れるのかもしれない。理解し受けとめてくれる人がいた。でも、その相手が「日常」を捨てるきっかけ、原因だったとしたら、果たして、本当に幸せは訪れるのだろうか。

「日常」を捨てた人を相手の家族は容易には受け入れてはくれない、世間がそうであったように、相手の家族にとって自分の身内が間違った人生の選択をするのではと心配するのは、当然のことだ。世間もまたざわめきだし、それが相手の家族の耳に入って、結局、手にできると思った幸せは逃げていってしまうかもしれない。いや、もともと訪れない幸せだったのかもしれない。「日常」という幸せを壊した原因が幸せのきっかえになるなってことを期待すること自体そもそも馬鹿げているのかもしれない。

かりにその人が再び幸せを手に入れたとして、その後にまっているのは「日常」なのだ。それも以前と大して変わらない。かつて「あたりまえ」に疲れ自分自身の一部すらも捨てた人が、新たな「あたりまえ」に一体いつまで耐えられるのだろうか。

その人の将来には、「淋しさ」しか待っていないのではないだろうか、と他人ごとながら知人の歩んでしまった「道」のたどりつく先を憂うのは私一人ではない。

今ならまだ「捨てた日常」に戻れるかもしれない。でも、それにその人は気づいているのだろうか。もう時間はあまりないと思うのだが・・・。





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「打倒ナベツネ」なくして日本の復興はない!

2011年03月20日 | Weblog
おれはナベツネじゃねぇから、って泉谷しげる、あんたはエライ!(←古い?)

ナベツネを倒せ!

ナベツネの首を取れ!

この「転向者」の社会的影響力を完膚無きものにしてこそ、日本の明日はある!

ミスターよ、「我が巨人軍は永遠に不滅です!」と言ったのはあなただ。でも「日本なくして巨人軍なし」だ。巨人軍の永遠を信じるならば、ナベツネの太鼓持ちみたいにへらへらしてんじゃないよ! 爺に「No]といえ、ミスター!

仙石が「赤い官房長官」なら、ナベツネは「赤いフィクサー」、同じ類の下郎だ! 一度左走った人間は、死ぬまでそこから完全には抜け出せない。

「アカは死ななきゃ治らない!」ということだ。
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三宅久之氏が「ナベツネ引退」を要求!

2011年03月20日 | Weblog
なーんてことになったらおもしろいんだけど。

「そこまでいって委員会」あたりで、いつもあの「チャーミング」な元参院議員のお婆さん(オバサンだと思っていたらいつのまにか婆さんって歳になってたんだよなあ・・。こちらも歳食うはずだわ)にやっているようにナベツネに噛みつかんもんかねえ。

三宅氏とナベツネ、なかよしさんみたいだけど、というか三宅氏がナベツネの顔色窺っているだけ?かもしれないが、この際、「反旗」を翻したら面白い。

まあ、爺さん同志のガチンコなんて軍鶏のつつき合いよりも迫力ないかもしれないが、どっちかが先に三途の川渡って待ってればいいじゃないか。

三宅氏も、TVカメラ前にヌード頭を晒して(パンツはいていないのと同じくらい恥ずかしいぞ、ある意味)腕組んで偉そうにしているくらいなら、ナベツネに一言言ってみろって!

それこそ死に際の「最後の御奉公」というものだ。

それとも何かナ、セ開幕問題、三宅氏もご同心か?

じゃあ、あんたも引退だ!



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浜岡原発

2011年03月20日 | Weblog
ホントに怖いのは津波じゃなくて、立地だと思うんだが・・・?
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東北関東大震災: 不明外国人500人

2011年03月20日 | Weblog
500人のうち、「本当」に地震のせいで不明になったのは何人なんだろう・・。
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