くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

北村隆司、この人も言語明瞭意味不明・・・・: 岡田外相の「陛下のお言葉」発言をめぐって

2009年10月26日 | Weblog
以下抜粋。この人、一体何が言いたいんだ? 陛下のお言葉がどうあるべきだというんだ? 菊のカーテンからの解放だの、英国王室がどうだの言っているが、で何だと言うのだ? 誰が噛み砕いて教えてください。長ったらしいだけで、意味不明なんですが?

岡田外相の「天皇お言葉」発言は当然だ!- 北村隆司
2009年10月25日14時14分 / 提供:アゴラ

岡田外相が、国会の開会式での天皇陛下のお言葉について「ほぼ毎回同じ内容で閣議決定されている」と見直しを提起された事は、当然の提言だと思います。

ところがこの発言に対し、鳩山首相や福島社民党首を始めとする民主党の幹部や自民党の大島幹事長など、与野党を超えた批判が起きたと知り腰が抜けるほど驚きました。「君臨すれど統治せず」の英国型皇室を目指した新憲法下の日本の皇室のあり方は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く(第1条)」と定め、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ(第3条)」と規定し,第7条で国会召集(お言葉)も国事であると明確に定めています。

もし、これまでの内閣が「天皇のお言葉」を「見直しもせず」黙認してきたとすれば,天皇の「国事」をないがしろにした怠慢です。お言葉が「宮内庁の役人」の作文である事を疑う人はおりませんが、この作文が「内閣の助言と承認」を得てなされたのかどうかは定かではありません。ですから、内閣の主要な一員である岡田外相の「見直し」提言は、当然あってよい事で、これを「政治利用」などと言って批判するのは全くの見当違いです。中でも鳩山首相の「天皇陛下の気持ちを推し量る事は出来ない云々」発言は、首相に天皇の意向を確かめる責任と権限があるだけに笑止千万な発言です。

それでは、国民から程遠い存在の宮内庁とは、どのような組織なのでしょうか? 

宮内庁は内閣府の組織の一部で、その長官は内閣総理大臣が任命権者です。これまでの歴代長官を見ますと、全て旧内務省系の官僚トップの指定席で、天皇陛下や皇室には関係のない官僚の渡り先である事は明白です。

宮内庁の歴代トップが、旧内務省の系譜を引く官僚だけに「天皇の御名による詔勅」の再来の危険性を防ぐ為にも、内閣の助言と承認を欠く事は出来ません。「天皇のお言葉」を巡る論争を機会に、内閣も原点に戻って憲法の規定を忠実に守る習慣をつける事は大切だと思うのです。

岡田発言に対する「お言葉を政治的にあれこれ言うのは極めて不適切だ」とか、「行き過ぎた発言で、民主党のおごりを感じる」と言う感情的な批判は、国民にとっても天皇家にとっても不幸な事で、宮内庁の役人を益々フリーハンドにする危険すらあります。人間天皇のお言葉を「詔勅」の様な「宮内庁の聖域」にさせてはなりません。

「お言葉見直し」反対論の前提として、報道機関は、「中立的行政機関」などという、あたかも「役人は中立だ」と言っているが如き表現を使っていますが、憲法第65条は「行政権は内閣に属する」と明記しており「中立的役人」は存在し得ません。

政党として届けていない事が政治的中立を意味するとは限りません。自己の利益を追求する組織は、みな政治的であり、残念ながら内閣から独立して省益を追及するようになった「霞ヶ関」は、どの政党より大きな日本最大の政治組織だといえます。「霞ヶ関」の一部である宮内庁、とりわけ「宮内庁の渡り役人」は、天皇の名を巧みに利用して、自己に対する批判を避けて来ました。勿論、歴代長官の中には誰もが尊敬できる立派な方も居られましたが、ここで申し上げたいのは個人の資質ではなく、官僚と言う法規上の身分と役割です。

以前、皇太子殿下が「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言され事件ほど、宮内庁の時代錯誤的な保守主義に苦しめられる皇室の苦悩を示したエピソードはありません。

殆ど庶民と同じライフスタイルを享受される、北欧やオランダ、ベルギーの王室まではいかないまでも、宮内庁によって作り挙げられた鉄のカーテンならぬ「菊のカーテン」から、皇族方を解放する事も内閣の使命ではないでしょうか?

皇太子発言を根に持ったのか、羽毛田長官は「皇太子殿下は、約束したにも拘らず、天皇、皇后両陛下をご訪問になる回数は増えていない。両陛下も心配されていると思う」と、皇太子ご夫妻のいじめにかかりました。天皇、皇后両陛下や皇太子ご一家に確認する術を持たない国民は、羽毛田長官と真偽を巡って論議することすら出来ません。これは、外部の人間が確かめる事の出来ない話を持ち出して他人を責める、旧内務省のやり方そっくりの、誠に卑劣な中傷です。

この種の問題は、天皇家に自由に接触できる立場にある長官自身が、天皇家に個人的に具申するのが本当の忠誠心でしょう。私には長官の皇太子一家への中傷には、宮内庁の政治的意図を感じます。自分の意志を表明できない立場に置かれた皇太子に向かい、このような個人中傷をする「思い上がった意地悪長官」は、必要ありません。

その後も、羽毛田長官の意地の悪さは納まらず、侍医に代って天皇陛下のご体調が優れないのは「ストレスだ」などと発言して、再び皇太子夫妻に圧力をかけました。健康状態は「プライバシー」の基本であり「人間天皇」を宣言された天皇や皇太子一家にも「プライバシー」の権利はあるはずです。ましてや、医師でもない宮内庁長官が、口にすべき問題ではありません。

「天皇のお言葉」のモデルになった英国の議会召集は、国王陛下が宮殿から国会議場に向かう壮麗な騎馬行列もあり、沿道に多くの見物客が集まる恒例の行事で、実際に見られた方も多いと思いますが、長年に亘り崩さない掟があります。

厳しい政治的中立を求められる英国王室ですが、国王陛下が読み上げる「王室スピーチ」は、時の政権内閣が書いた施政方針です。国王はこの施政方針を一切抑揚をつけないで読み上げる事で、施政方針から中立であることを鮮明にしている事になっています。この様に、英国の王室は、時の政権の施政方針を代読しながらも、伝統の掟により中立性を維持してきました。

「王室スピーチ」を国王陛下が読み上げる間、出席した議員は静寂を保つのがルールとされ、国王のスピーチ中に賛否にかかわる発言や発声は慎む掟があるそうです。世界に認められた「君臨すれど統治せず」の伝統を堅持する英国の例に習い、日本でも官僚に頼らず、内閣が結果責任を負う「天皇のお言葉」が聴ける日が近いことを願っています。              

ニューヨークにて 北村隆司
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