大学生のとき、ひょんなことで知り合い酒を一緒に飲んだ相手から、いきなり。
しかもしつこく。
当然ことわりました。「病気が怖いの? ゴムがあるから大丈夫」って、そういう問題じゃない!
結局「貞操」は死守したけど、精神的にキズを負ってしまった。相手に対して憤るというよりも、自分を責めてしまう。何か自分に落ち度があったのではないかと。
男性として男性を惹きつけた自分は、何か異常なんではないかと。数日間ブルーなままでした。その当時、彼女もいなかったから、しかも誰にも言えず、ただ自分で自分を否定してしかうような思考ばかりで・・。
後になって、レイプされた女性がそういう心理状態になることがあると知りました。自分に落ち度があったのではないかというやつです。「そんなふうに思ってはダメ!」なんていうレイプ被害者救済団体の公共広告が路線バスの側面に貼られているのを、アメリカなんかでは見たこともあります。
そんなことがあってからしばらくは強硬なアンチ・ゲイでした。さげすみと憎しみというやつです。
伏線もあったと思います。子供の頃から女の子に間違われたり、学生の頃は町中でそっちの世界の人っぽい人に声をかけっらえたり、着替え中のところを隠し撮りされたり・・・。そういうことがあるたびに、周りからはからかわれたりはしましたが、それくらいでは少しも傷つかなかったのですが、さすがに、上述の件が・・・。
ほんと、ブルーになるってのはこういうことなのかっていうくらいに、落ち込みました。
もちろん、今はまったく大丈夫。こんなところにも書けるくらいの笑い話です。今の私の姿を見て、ホモの方々に「人気?」があったなんて、誰も想像もつかないでしょう。
でも、まじめな話思うんですよ。この擬似レイプ体験を通して。昔三浦朱門と言う人が、「男はレイプできるくらいの体力があった方が」なんて発言をして世の糾弾を受けましたが、レイプは問答無用にいけない、許してはいけないと思います。被害者は、体も精神も壊されてしまうんですから。あれは絶対許してはいけいない。
男の猛々しい性欲は不可避なものです。私自身男ですからわかります。若いころはいつも「やりてー!」って思ってましたから。でも、男らしさをいうのであれば、それをしないことこそ男らしさです。大学生のレイプ事件が時々報道されますが、加害者の将来を本当に思うのであれば、厳罰をもって罪の重さを知らしめるしかないと思うのです。
しかもしつこく。
当然ことわりました。「病気が怖いの? ゴムがあるから大丈夫」って、そういう問題じゃない!
結局「貞操」は死守したけど、精神的にキズを負ってしまった。相手に対して憤るというよりも、自分を責めてしまう。何か自分に落ち度があったのではないかと。
男性として男性を惹きつけた自分は、何か異常なんではないかと。数日間ブルーなままでした。その当時、彼女もいなかったから、しかも誰にも言えず、ただ自分で自分を否定してしかうような思考ばかりで・・。
後になって、レイプされた女性がそういう心理状態になることがあると知りました。自分に落ち度があったのではないかというやつです。「そんなふうに思ってはダメ!」なんていうレイプ被害者救済団体の公共広告が路線バスの側面に貼られているのを、アメリカなんかでは見たこともあります。
そんなことがあってからしばらくは強硬なアンチ・ゲイでした。さげすみと憎しみというやつです。
伏線もあったと思います。子供の頃から女の子に間違われたり、学生の頃は町中でそっちの世界の人っぽい人に声をかけっらえたり、着替え中のところを隠し撮りされたり・・・。そういうことがあるたびに、周りからはからかわれたりはしましたが、それくらいでは少しも傷つかなかったのですが、さすがに、上述の件が・・・。
ほんと、ブルーになるってのはこういうことなのかっていうくらいに、落ち込みました。
もちろん、今はまったく大丈夫。こんなところにも書けるくらいの笑い話です。今の私の姿を見て、ホモの方々に「人気?」があったなんて、誰も想像もつかないでしょう。
でも、まじめな話思うんですよ。この擬似レイプ体験を通して。昔三浦朱門と言う人が、「男はレイプできるくらいの体力があった方が」なんて発言をして世の糾弾を受けましたが、レイプは問答無用にいけない、許してはいけないと思います。被害者は、体も精神も壊されてしまうんですから。あれは絶対許してはいけいない。
男の猛々しい性欲は不可避なものです。私自身男ですからわかります。若いころはいつも「やりてー!」って思ってましたから。でも、男らしさをいうのであれば、それをしないことこそ男らしさです。大学生のレイプ事件が時々報道されますが、加害者の将来を本当に思うのであれば、厳罰をもって罪の重さを知らしめるしかないと思うのです。