くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

教員の大量駆け込み退職の是非

2013年01月24日 | Weblog
んー、是とも非とも、一方のみの立場から評することは難しいですね。

そりゃ、社会通念的な教師のあるべき姿だとか、親か子供たちからみたら、けしからん!ってことになるのかもしれません。インタビューされた男子生徒が「裏切られたような気持」と言っていましたが、ごく自然な感情だと思います。もっとも、なかには生徒からは嫌われていて、保護者からも信頼されていなくて、「ああ、あの教師なら」っていう人もなかにはいるんでしょうけど。

ただその一方で、退職する先生やその家族からみたら、年度終了を待たずに退職するという選択は、やむにやまれれぬものなのかもしれません。そりゃ、なかには損得勘定のみで生徒や職場の事情や保護者の思いなんて大して斟酌せずそれほどの良心の呵責なしに中途の退職を選択した人もいるでしょう。が、なかには苦渋の選択であった場合もあるのでは。家計の事情であるとか、あるいは奥方のプレッシャーに抗い切れなかったとか。教職は他の職業とは違うとか、教職は「聖職」だとかいったところで、教員にも食べさせていかねばならない家族があれば、減額分ははした金ではありません。

法制的に、制度的にそういう選択を教員に強いた側の責任は、、絶対に少なくないと思います。

私が生徒自身であったり親であったら、そんな教員の選択に対して失望し、憤るかもしれません。

が、私が退職教員と同じ立場だったら? たぶんはした金ではなくても、減額分はあきらめると思います。つまり、中途退職という選択はしないと思います。やはり自分自身が許せない。きっと後ろめたさをずっと抱えたままその後の人生を送ることになると思います。それは私には精神的に耐えられないです。でも、もし奥方や子供たちに退職を迫られたら? 悩み苦しむと思います。悲しくもあると思います。昔の男性方のように女房がなんと言おうが我を通せたら、それにこしたことはありませんが、今どきそうもいきません。「じゃあ、離婚させてもらいます」なんて言われるかもしれません。自分の教員としての自負や職務への誇りを理解してくれない妻に対してがっかりし、情けない思いもするでしょうが、それを相手に愚痴って夫婦関係がこじれることはあっても、相手が納得してくれるということはないでしょう。妻は妻なりに長年家計のやりくりで苦労してきたわけですから。相手の気持ちにも斟酌せねば、夫婦関係は当然のことながら保てません。たぶん、子供に迫られたら、そもそも他人である妻に迫られるよりも、辛く情けなくなると思います。”オヤジの背中”を見せてきたつもりだったのに、それが子供には通じていなかった、我が身の不甲斐なさに。

ですので、冒頭に書いたように、容易に是非を断ずることは私にはできません。絶対に生ずべき事態ではないとは思いますけど。




コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山口公明党代表 | トップ | この時期になると台湾に行き... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
制度矛盾 (B-CHAN)
2013-01-25 17:24:23
自分の考え方も貼っておきます。
http://d.hatena.ne.jp/B-CHAN/20130125/1359101844
返信する
確かに (くまわん)
2013-01-25 18:06:48
B-CHANさんのおっしゃる通りなんですよね。制度上、退職教員側に何らの落ち度もないっわけで。それをとやかく言われては、ではあの制度はトラップだったのかということになる。

その一方で、子供を学校に教員に託す側としては、教師というものの理想像みたいなものに矛盾する現実に、今更かもしれませんが少なからず失望もしてしまうんですよねえ・・・。「金は要らねえ、年度を終えるまで退職もしねえ!」っていう先生もいるとは思うんですけど。

がっかりし、傷ついた生徒に対して、退職される先生方、どうやって説明される(た)のでしょうか。興味ありますね。

それはさておき、あの発言は、下村博文さんでしたか、文科相の。結構、しょぼい人なんですね。私も、あの人の立場でいうべきことではないと思います。いずれ安倍政権の”お荷物”になりますかね、下村さん。安倍さんというのはどうも周囲に恵まれない。要はご自分は引き寄せてしまうのかな? そこが安倍さんの限界かもしれません。

返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事