くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

海老蔵のようなのを「青二才」という。いや、単なるガキか?

2010年11月26日 | Weblog
まったく同情の余地なし。

親父もあちこち頭を下げなくちゃあならんから、さぞや大変だろう。京都に行って、座頭格の藤十郎には当然のことながら、松嶋屋などなど。

30過ぎは役者としてはまだまだ「はな垂れ」の類だが、社会人としてはもう「若気の至り」ではすまない。もっとも、役者の世界のこと。音羽屋、染高麗同様、海老も若い時に、しかも10代で隠し子をなして、別段なんのことはない世界なのだから、それは一般世間とは異なる。しかし、以下に別世界とはいえ、成田屋の御曹司である。しかも父親は大病をしている。そろそろ一門はおろか歌舞伎界の屋台骨を好むと好まざると背負わされる身のうえであることをもっと自覚すべき時であるはずなのだが・・。

聞けば、南座の顔見世の会見をキャンセルした夜に出歩いての出来事だとか?

いかに健康上の理由とはいえ、会見のキャンセル自体、上述の上方歌舞伎の「御大」方はじめ、処々方々に詫びをいれるべきことである。

にもかかわらず、同じ日に飲み歩く?

体の不調が本当ならば、それこそプロ意識の欠如と言わざるを得ない。健康管理がなっていないのだ。かつて病身を押して命を削ってまで舞台にたった先達たちがあってこその今の歌舞伎界だということを忘れてはならない。

礼を失するにもほどがあるというものだ。

しかも、その翌日にはごひいき筋への結婚あいさつが予定されていたという。ひいきへの「思い「というものが本当にあるのなら、しかも体の具合が良くなかったのなら、なぜ飲み歩こうなどという気になるものか? うがった見方をすれば、ひいき筋なぞに対した感謝の念もないということではないのか?

要するに、父団十郎の言った通り、人間ができていないのだ。

まだ30代前半、できていなくて当たり前?

いや、30代前半にしては人間ができ過ぎていなさ過ぎるのではないのか?

その人としての底の浅さが、かいま見えてしまうのが今の海老蔵の芸なのである。かつて、ここで海老蔵批判をしたところ、同年代の頃の播磨屋等よりはマシだというコメントをいただいたが、私はそうは思わない。私の知る限り、あの年頃の播磨屋には、もう同世代から頭一つ抜きんでたものがあったと思う。今はいざ知らず、40を過ぎても播磨屋にはある種の気むずかしさ、見ようによっては何か屈折したものがあるようなことを指摘する声はあった。私自身のわずかな経験だが、気難しいそうなとっつきにくそうな播磨屋に対して、腰の低い高麗屋というかれこれ20年以上前に得たイメージはいまだ記憶のどこかにある。もっとも、その時分から役者としては高麗屋よりも播磨屋であるという私なりの評価なのだが。

セリフ術等の「腕」もさることながら、やはり芸のもととなるべき「人柄」が未熟ゆえに、あの玄人筋から酷評された忠信だったのではないか。

南座は午前は松嶋屋は代役で大和屋に付き合い、午後はラブりんが外郎売だという。予想通りだ。あの座組みではそれしかあるまい。成田のおはこに代役を出さなくてはならないとは情けない話であるが、海老よりもラブの方が、台詞もよろしいのではないのだろうか? がんばれ、ラブりん! 個人的にはこの人かなりの期待株なのだ。仁左の「コピー」などという評もなくはないが、それでいいではないか。そこからラブ自身の芸風が生まれてくるのであれば、しかも松嶋屋の芸風を受け継いだものであれば、それでよいではないか。ラブこそ松嶋屋の将来を担う人、でしょ? だって、あのしんのすけに任せられないでしょう? 孝だって無理。仁左は立役である必要はない? でも、孝には親父はおろかラブほどの華もないですから。

海老蔵、ちょっと頭を冷やせ! としか言いようがない一件ですな。
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