くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

北朝鮮軍の韓国砲撃 2: 外政は内政の延長の典型か?

2010年11月24日 | Weblog
どうやら唐突な行為でなかったらしい、今回の攻撃。北は既に韓国軍の演習に対して事前警告を行っていた由。

それにしても、ならばなぜ民間人を含めた無差別砲撃だったのか。

民間人を標的にしたとなれば、韓国の李政権も数か月前の韓国海軍艦船撃沈事件以上の強硬な態度を示さざるをえまい。ましてや前回の対応を国内で批判されたという苦い経を同政権は持っている。二の舞は繰り返したくはあるまい。北にとって韓国以上にその動向の気になる米国にしても、民間人をも殺傷して躊躇しない「ならず者国家」との交渉の席においそれとは付けまい。オバマ政権も世論に無関心ではいられないのだ。ましてや、中間選挙で手痛い敗北を喫した後である、相手の誘いにまんまと妥協するような姿勢を見せれば、議会からの批判も必至であり、議会運営は更なる困難を伴いかねない。

もちろん、こういう見方もできるかもしれない。識者の中には核施設公開だけでも米国に対する「刺激」としてはじゅうぶんであったはずなのに、なにゆえ更なる過激行動なのかと。たしかにそうした見方も可能だが、北はそうは考えていなかたのかもしれない。更なる威示行動を取らねば、米国は動かないと踏んだのかもしれない。

もしかりに、そいうだとすれば、やはりそこまでして米国を交渉の席に引きずり出したいうだけの国内事情があるということではないのか。

その一つは、国内経済の疲弊である。このままでは立ち行かなくなるということなのだろう。中国からの支援、対中貿易が経済制裁の効果を滅しているとの指摘もあるが、経済制裁にまったくの効力がないというわけではないと思われる。また、同時に北からしてみれば経済制裁故に不可欠となっている中国への経済的依存が、今以上に深化するは避けたいのではないのか。北の中国の関係はお世辞にも円満ではない。それは双方の建国以来どうなのだ。更にさかのぼれば、ともに抗日闘争を展開する時点から決して
安定的かつ平和的なものではなかったのだ。北から見れば、中国は利用価値はあるが信用は置けない隣国なのだ。金正日は反中感情の持ち主と言われているし、もしそいうだとすれば、彼だけがそうなのではあるまい。中国からの援助の見返りに国内に抱える資源を「搾取」されるに、指をくわえて座視するほど間抜けな連中ではあるまい。換言すれば、東シナ海で相手のなすがままの亡国よりはその点で「まともな国」なのである。

しかし、中国の支援は死活問題である。

ならば、国内の経済的苦境を打開し同時に対中依存を減ずるためには、他国からの援助を引き出すしかあるまい。その対象は我が国であり、米国であろうが、前者は後者の動きを無視しては動けぬし、拉致問題が阻害要因になっている。しかし、後者が援助に動けば、前者も否応なくその方向に動かざるをえまい。北がそれくらいの目算を立てていてもいささかも驚くことではないし、むしろ北のそうした予測は正しいとみるべきであろう。

国内問題のもう一つは金氏支配の国内的安定化を図りたい、特に軍との関係でそうしたいとの思惑があるのではないだろうか。
亡国の国賊が「暴力装置」という言葉を吐いて非難されているが、その「暴力装置」の掌握こそが政治権力の伸張、維持のカギとなることは古今東西ほぼ例外はない。北朝鮮軍は、国軍であると同時に朝鮮労働党の私軍的性格を持つ。もしかしたら、隣国のそれと同様に、党への帰属度の方が強いのかもしれない。隣国の場合、軍権こそが権力を握るカギであることは、歴代指導者がそこのこだわったことからもわかる。国家主席を辞した初代「皇帝」は決して死ぬまで中央軍事委員会主席の椅子を手放すことはしなかった。2代目の四川の小男もそれが最後まで手放すことのなかった公的地位だった。3代目も党トップのいすは手放しても、軍トップにはその後2年固執した。当代がどうするかは2年後に判明する。物理的強制力をもたぬ政権の脆さは、国家の脆さにも当てはまる。それに気付いていないのは、某国だけかもしれない。病身の金父が若い息子の将来を気遣えば、いかに軍を掌握するかという点は死活にかかわる。軍の意思と面子を重んじれば、軍が強硬な対外姿勢を望めばそれにある程度は答えざるをえないだろうし、韓国軍に演習で好き勝手をされては面子・こけんにかかわるというのであれば、その意を汲まねばなるまい。軍が反旗を翻せば、さしもの独裁者も一個の無防備な生身の人間でしかないのだ。北に軍組織には金の相互監視体制、相互牽制装置が張り巡らされており、一枚岩的に体制転覆をはかる等無理であるとの説もあるが、孤独な独裁者から見れば、リスクがゼロでない以上は、暴力装置をもたぬ党・政府組織などに依存するよりは、軍をいかに取り込むかに腐心するのは当然なのである。某国において文化大革命を起こした人物の政治的なまっとうさ、聡明さは、軍を「革命」という名の権力闘争の両輪の一方に据えようとしたことにこそあるのだ。

一方、「軍」の感情を逆なでする言動・行動を繰り返す政治指導者もどこぞにいるが、あいつらこそアホなのだ。まさか「軍」が下手なマネはしないだろうと舐めているとしたら、状況しだいではどうなるかわからない、そのあたりの危機意識が無いということであり、こういうオメデタイ連中に国家を託している我々には不幸このうえないといしか言いようがない。

北は今回の事件で更に窮地に追い込まれるのか。いやそれはあるまい。むしろ、ボールを握らされたのは周辺国なのである。
どこも北とガチンコする気がなければ、北を潰す気概もない。能力はあってもしたくないし、できない。まったく、舐められたものであるが、見ようによってはここまでの綱渡りまで「できる」胆力をもった国家指導者を持つという点で、北は我が国に勝っているのかもしれない。

国民にメシを食わせていないではないか?

では、我が国の政権が国民を食わせているのか? そうではあるまい。過去の遺産に乗っかっているだけで、それを食いつぶしなら生き延びているだけなのだ。そして食いつぶしの原因の一端は現政権にある。その点、北の政権と大した違いはない。むしろ、大国相手に丁々発止できるだけ、見上げたものである。













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