戦争に負けて悔しいと思えない人間、国民は、終わっている。
だから、日本はダメなのだ。
自己批判をする視座がそもそもおかしい。我々がもっとも反省すべきは、負けたことであり、そこから再度敗れぬための教訓を得るべきである。
しかるに、この60余年、我々日本人のほとんどがしてきたことは、むしろ戦争そのものを批判、否定することであった。我々は過ちを犯した。国策を誤った。あれは侵略戦争だった・・・。
「拡張」の野心があったことを私は否定しない。だが、負けた戦も含め、満州事変以来の一連の対外軍事行動のおおよその姿について、私は、侵略だとは思っていない。基本は「自存自衛」だったと思っている。もっとも、「自存自衛」の方法論的な部分において、大いに国策を誤ったとは思っているし、過ちの結果自分自身を追い込み、「自存自衛」を強いられた部分もあったと思う。
例えば、満州事変等は、最初からタネが明かされてしまっているような幼稚な「謀略」で始めるなど、やり方は愚劣であったと思うが、満州の合法的な権益を守るという点において、当時の状況を考えれば軍事的解決をそのオプションの一つとすることは、極めて常識的であったと思う。
支那事変を侵略戦争の一言で断罪することも拒絶する。過程において大陸での権益拡大というスケベ心をもったことは否定できまい。さもなければ、トラウトマン工作で和平条件を戦局の変化に追随するように書き換えるという、あのような愚行を犯すはずはあるまい。だが、基本的にあれは偶発的軍事衝突をきっかけとした国家間の闘争であると思っている。中国人のなかには中国が戦場になったことをもって、侵略の証とする議論もあるが、何ともまあ稚拙な議論である。その論法でいえば。沖縄戦は米軍の日本侵略となるが、だから米国は謝罪しろなどという主張が国際的に通るはずもあるまい。どこで戦闘が行われたかというのは、侵略や否やの問題とは必ずしも関係なく、支那事変はまさにそのケースである。上海での戦闘も、日本の侵略戦争という文脈では必ずしも説明できない。始めたのは国府である。そういえば、抗日戦争の一環としての上海作戦だとの言い分もあろうが、国府は第1次上海事変後の休戦協定を反故にして対日作戦を準備していたとなれば、不法行為の延長としての「抗日」ということになる。
国府が国際法違反を犯して上海陸戦隊に攻撃をしかけたことは厳然たる事実であり、この点は忘れてはなるまい。といったところで、「造反有理」の遵法精神希薄な人々にこれを言ってもいささかの説得力もないことは実体験済みなのだが。
東南アジア諸国を侵略した? いや、していない。なぜならその当時独立主権国家としての東南アジア諸国というものは、タイを除いて存在していなかったわからだ。東南アジアとはおおよそすべからく欧米列強の海外領土だったのだ。したがって、南方作戦は、対欧米敵国への軍事行動であって、東南アジア諸国への侵略ではなった。そもそも、存在していない国に対して侵略のしようもない。現地住民に対して法的に問題行為があったという点に関しては、責めを負わねばなるまいが、現地人が武装抵抗したのに対して日本軍がとった行動は「戦争犯罪」と非難されるべきものではない。国家主権の裏付けのない現地人の反日行動は「匪賊」の敵対行為に過ぎず、それに加えた対抗措置は自衛行為の域を出るものではあるまい。ベトナムの大飢饉は、日本軍の徴発のせい?いや、確たる証拠はない。マニラでの住民犠牲者は日本軍の虐殺によるもの? いや、これもどこまでは本当にそうなのか、知るよしもない。米軍の艦砲射撃が実に無差別的であったことを忘れてはなるまい。
シンガポールの華人「虐殺」。確かこの点に関しては、かの「マレーの虎」こと山下将軍もいささかも反省していなかったと聞くが、そりゃそうだ。華人たちの大陸支援は事実上の敵対行為。無辜、無抵抗な被占領民というわけではなかったのだ。むしろ、野放しにしておく方がおかしいといおうものだ。
かりに万歩譲って先の大戦を「侵略戦争」だとして、いかなる戦争であっても、始めた以上は負けてはいけないと、私は思う。
「負けて結果的に良かった」などとは健全な国民精神が発すべき言葉ではない。
負けてはいけないのだ。
そして、負けたならば、敗北を反省し、その原因をめぐっては自己批判を大いにすべきではないのか。そして、その結果「不敗」の誓いをすべきである。
「不戦」の誓いも大事かもしれない。だが、国家を営むうえにおいて他国と干戈を交える可能性と必要性、不可避性を100%排除し、「想定外」とすることは現実的ではない。
より重要なのは「不敗」を誓い、そのためにあらゆる努力をおしまぬことだ。、まさに「不断の努力」が求められる。
しかし、戦後の日本人の多くに、そうした発想も気概もない。
その結果、他国、特に周辺諸国の侮りを受けるに至る。
自分たちうが悪かった。戦争をしてはいけない。平和は大切だ。壊れた何かみたいに何時までも同じ言葉を繰り返し、繰り返しては、過去について納得しようとする我々日本人は「負け犬民族」である。
無様このうえない。
こんな国、民族はいっそのこと・・・・。
だが、滅びるのなら、座して死を待つよりカは、もう一戦交えて・・・、なんて思う人間がいるわけないか・・。
東南アジア諸国を侵略した
だから、日本はダメなのだ。
自己批判をする視座がそもそもおかしい。我々がもっとも反省すべきは、負けたことであり、そこから再度敗れぬための教訓を得るべきである。
しかるに、この60余年、我々日本人のほとんどがしてきたことは、むしろ戦争そのものを批判、否定することであった。我々は過ちを犯した。国策を誤った。あれは侵略戦争だった・・・。
「拡張」の野心があったことを私は否定しない。だが、負けた戦も含め、満州事変以来の一連の対外軍事行動のおおよその姿について、私は、侵略だとは思っていない。基本は「自存自衛」だったと思っている。もっとも、「自存自衛」の方法論的な部分において、大いに国策を誤ったとは思っているし、過ちの結果自分自身を追い込み、「自存自衛」を強いられた部分もあったと思う。
例えば、満州事変等は、最初からタネが明かされてしまっているような幼稚な「謀略」で始めるなど、やり方は愚劣であったと思うが、満州の合法的な権益を守るという点において、当時の状況を考えれば軍事的解決をそのオプションの一つとすることは、極めて常識的であったと思う。
支那事変を侵略戦争の一言で断罪することも拒絶する。過程において大陸での権益拡大というスケベ心をもったことは否定できまい。さもなければ、トラウトマン工作で和平条件を戦局の変化に追随するように書き換えるという、あのような愚行を犯すはずはあるまい。だが、基本的にあれは偶発的軍事衝突をきっかけとした国家間の闘争であると思っている。中国人のなかには中国が戦場になったことをもって、侵略の証とする議論もあるが、何ともまあ稚拙な議論である。その論法でいえば。沖縄戦は米軍の日本侵略となるが、だから米国は謝罪しろなどという主張が国際的に通るはずもあるまい。どこで戦闘が行われたかというのは、侵略や否やの問題とは必ずしも関係なく、支那事変はまさにそのケースである。上海での戦闘も、日本の侵略戦争という文脈では必ずしも説明できない。始めたのは国府である。そういえば、抗日戦争の一環としての上海作戦だとの言い分もあろうが、国府は第1次上海事変後の休戦協定を反故にして対日作戦を準備していたとなれば、不法行為の延長としての「抗日」ということになる。
国府が国際法違反を犯して上海陸戦隊に攻撃をしかけたことは厳然たる事実であり、この点は忘れてはなるまい。といったところで、「造反有理」の遵法精神希薄な人々にこれを言ってもいささかの説得力もないことは実体験済みなのだが。
東南アジア諸国を侵略した? いや、していない。なぜならその当時独立主権国家としての東南アジア諸国というものは、タイを除いて存在していなかったわからだ。東南アジアとはおおよそすべからく欧米列強の海外領土だったのだ。したがって、南方作戦は、対欧米敵国への軍事行動であって、東南アジア諸国への侵略ではなった。そもそも、存在していない国に対して侵略のしようもない。現地住民に対して法的に問題行為があったという点に関しては、責めを負わねばなるまいが、現地人が武装抵抗したのに対して日本軍がとった行動は「戦争犯罪」と非難されるべきものではない。国家主権の裏付けのない現地人の反日行動は「匪賊」の敵対行為に過ぎず、それに加えた対抗措置は自衛行為の域を出るものではあるまい。ベトナムの大飢饉は、日本軍の徴発のせい?いや、確たる証拠はない。マニラでの住民犠牲者は日本軍の虐殺によるもの? いや、これもどこまでは本当にそうなのか、知るよしもない。米軍の艦砲射撃が実に無差別的であったことを忘れてはなるまい。
シンガポールの華人「虐殺」。確かこの点に関しては、かの「マレーの虎」こと山下将軍もいささかも反省していなかったと聞くが、そりゃそうだ。華人たちの大陸支援は事実上の敵対行為。無辜、無抵抗な被占領民というわけではなかったのだ。むしろ、野放しにしておく方がおかしいといおうものだ。
かりに万歩譲って先の大戦を「侵略戦争」だとして、いかなる戦争であっても、始めた以上は負けてはいけないと、私は思う。
「負けて結果的に良かった」などとは健全な国民精神が発すべき言葉ではない。
負けてはいけないのだ。
そして、負けたならば、敗北を反省し、その原因をめぐっては自己批判を大いにすべきではないのか。そして、その結果「不敗」の誓いをすべきである。
「不戦」の誓いも大事かもしれない。だが、国家を営むうえにおいて他国と干戈を交える可能性と必要性、不可避性を100%排除し、「想定外」とすることは現実的ではない。
より重要なのは「不敗」を誓い、そのためにあらゆる努力をおしまぬことだ。、まさに「不断の努力」が求められる。
しかし、戦後の日本人の多くに、そうした発想も気概もない。
その結果、他国、特に周辺諸国の侮りを受けるに至る。
自分たちうが悪かった。戦争をしてはいけない。平和は大切だ。壊れた何かみたいに何時までも同じ言葉を繰り返し、繰り返しては、過去について納得しようとする我々日本人は「負け犬民族」である。
無様このうえない。
こんな国、民族はいっそのこと・・・・。
だが、滅びるのなら、座して死を待つよりカは、もう一戦交えて・・・、なんて思う人間がいるわけないか・・。
東南アジア諸国を侵略した
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