くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

「でき婚」は恥ずかしいことです!

2009年03月20日 | Weblog
何時からか、おそらくは安室が婚前オメデタになった頃からか、マスコミが「できちゃった婚」、「でき婚」と騒ぐようになり、芸能人の婚約、結婚会見があれば、必ず決まって「妊娠は?」と問いかけ、レポートの最後を「妊娠はないとのこと」等のコメントで結ぶようになった。

これを見て、日本人の堕ちぶりを嘆きたくなるのは、私だけだろうか。

芸能人だから、マスゴミだからでは、済まされない。なぜなら、一般人の間でも「でき婚」は増えているのだ。

よくよく考えてみればわかることだが、これほど恥ずかしいことはない。中には結婚を前提にナニして見事命中という場合もあるのだろうが、そうではない場合もある。つまり別段結婚を前提につきあっているわけでもない男女が、作るつもりもないのに快楽の誘惑に負けてか避妊もせず事をなし、できてしまったというやつだ。

結婚を前提にしていようがいまいが、正式な婚姻関係のない男女が子供をでかすこと自体恥ずかしいことだ。従来の日本人の常識とはそういうものだったはずだ。常識を横によけて考えても、実に浅はかというか、思慮のない行動と言わざるをえない。結婚を前提=婚姻関係の成立ではない。つまり前者はいまだ後者に向かう過程であり、そこまでに至っていないということだ。ということは、可能性として、前提が途中で崩れてしまうことだってあるはずだ。普通に別れ、ということになるかもしれないし、死という別れだってあるかもしれない。その時、どうするのだ?おなかの中の子供はててなし子、ということになる。別れた相手が認知してくれればまだしも、認知拒否ならまったくの私生児だ。堕ろせば良い?そんなに気安く考えるべきでもなくば、とるべき手段でもあるまい。妊娠周期によっては手遅れということもある。かりに相手が認知したとしても、父親がともにいない環境で育てられる子供は成長の過程で何らかのハンディーを追わされることになる。子供は親を選べない。生まれながらにそれは気の毒なことだ。そこまで考えたら、結婚前提の「できちゃった」などという選択はありえないし、事をなす前に、そこまで考えなくてはいけない。そんな思考力もない男女の間に生まれてくる子供は不幸だ。アホな親にろくな子育てができるわけがない。子は親の鑑という。子供もまたロクでなしになりかねない。そうそう、トンビが鷹を生むことはない。

結婚の前提もなしに「抜き身」でことに及び、出来た結果、成り行きで結婚。これはもう最悪だ。それをすればどういう可能性があるのか、普通の知能の持ち主なら理解しているはずだ。それでも、性欲、肉慾には勝てず、ということか? 恥かしい、実に恥ずかしい! 自分たちの下半身もロクにコントロールできない男女が、ロクな夫婦生活、家庭生活を送れるわけがない。子供も不幸だ。私のこともがそれをしたら、おや子の縁はスッパリ切らしていただきます。親としての我が身の不明の証しでもあるが、子として、それ以前の一個の人間として私はわが子を許すことはできない。孫にあたる生まれてくる子に何の罪もないが、親の因果は子の因果。
親の業を子供が背負うのは致し方ない。法的にはそういうことがあってはならないが、法とは別にそれが現実でもあるのだ。普通、死刑囚の子供とわが子の婚姻を喜ぶ親がいますか?世の中そうしたものなんです。法がすべてではない。

おそらくマスゴミが「できちゃった、できちゃった」と騒がなければ、現状にようにはならなかったのではないだろうか。芸人などをいわゆるセレブに祭り上げ、一般人を惑わす。惑わされる方も間抜けなのだが、それにしうてもメディアの罪は重い。
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