くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

それにしても、なんで谷垣総裁?

2010年03月16日 | Weblog
と、改めて思ってしまう。

谷垣氏が自民党総裁選に名乗りを上げ、当選した際には、「器」ではないとさんざん叩いたが、現在ただ今までの情勢を見るに、予想通りとなった。

やはり、「器」ではない。結局、昨年9月の就任以来、何もせずにここまできた。最近、一部世論調査では、支持率回復傾向とのことだが、これが「谷垣効果」によるものでないことは言わずもがな。おそらく「進次郎効果」でもあるまい。つまり、単なる敵失。昨年民主党が政権を獲ることができた最大の理由と同じである。

かくも、日本の政界は、同じ道を行きつ戻りつするものなのか・・・? 

今再び思うのだが、総裁選出馬の際には、自らを「捨て石」と称したが、一体どういう意味でそのように自称したものか?

このままでは、「捨て石」どころか、自民党にとどめを刺す「くさび」になる。しかも錆びたくさびは、自民党を二度と「自民党」という看板では立ち直れない程に傷つけることになるかもしれない。

今更問うても仕方ないのだが、なんで自民党は谷垣だったのか? 心底谷垣氏に党勢回復を期待したからなのか。それとも、谷垣がコケルことを織り込み済みで、ポスト谷垣を狙わんとの思惑があったのか。それとも、人材枯渇はなはだしく、致し方なく谷垣を選んだのか。
人材枯渇でやむにやまれずというのであれば、石破氏を選ぶべきだった。

民主党政権になれば、基地問題で日米がぎくしゃくすることなど容易に想像できたはずだ。ならば、防衛・安保問題の「論客」石破を全面に押し出して、民主党の安保無策を天下に嫌というほど知らしめるべきだった。

どうせ、自民党は党内の都合だけで、あるいは党内の事情を優先させて、谷垣を選んだのであろう。

こうなると、救いがない。党という船自体が大破炎上しているのに、いまだに、船が沈むことはないというむなしい前提で、「コップの中」で思惑を交錯させあう。「サメの脳みそ」らしいと言えばそれまでだが、自分たちの党がいまやキリギリス状態であることを認識していないのか?

  無残やな 兜の下の きりぎりす

しかし、でっぷりとした「サメ脳」の御仁に、白髪を染めて討たれた斉藤別当を重ねるものはいまい。まあ、その一方で、今の小沢民主党(本当は鳩山民主党と言うべきなのだが・・)に、実盛を売った木曽方の行く末を重ねるほうが容易かもしれないが。

総裁選出馬を見送った石破も、読み間違いではなかったのか? かりに敗れても、今後につなげる負けという方向性を追求できたはずだ。出馬をしなかったばかりに、今、石破という声がとんと聞かない。元々期待値が高かったわけではないが、今は昨年の9月よりも更に低くなってしまっている。出ておけば、こんなことにはならなかったはずだ。今後、政界再編がかなりの確率であるのだろうが、そうした今後を考えても、やはり不出馬という選択は誤りだったと言わざるを得ない。

要は、あのデカくてのそっとした図体のわりに、肝は小さいのか? なら、総理は言うに及ばず総裁の器でもないか?

では、谷垣を引きずり降ろし、新たな総裁を立てるとなるのだろうが、それはそれでもうひとつの難題である。

今のところ、桝添、与謝野あたりということなのだろうが、世が世ならばあり得ない選択枠である。いずれも、元来総理総裁の「器」ではない。その点、谷垣氏と同じである。

華がない。

特に与謝野は。頭は良いかもしれないが、それで総理総裁は無理だ。健康な時ですら、恵まれた容姿の持ち主ではなかったが、最近は、萎れ感が否めないばかりか、あの耳障りな声。これではだめだ。半病人に国家のかじ取りを任せる国民はそうはいないはずだ。

桝添も、一旦舞台に上ると、次々と「旧悪」が週刊誌を賑わす恐れがある。それ以前に、私は、あの人物の人間性というものに対して、警戒感と解く気になれない。年金問題をめぐっての担当大臣であった彼への「失望」も、私は忘れることができない。また腰砕けになるのではないか、と危惧する。

あの下手な英語を公然としゃべる度胸は認めるが、それを言うなら、小泉も、麻生も同じで、政治家はそれくらいの度胸がなければ務まらないのだろう。

ただ、桝添にそれ以上の度胸があるのか、となると疑問である。

では他に人材は? 石破はまだ政治生命も十分にあると思うが、天下を狙わないうちが華かもしれない。狙っていそうに見せているうちが華というべきか。

それから、総裁候補というのではないが、小泉ジュニアを「潰す」ようなことはしない方が良い。今の使い方は、客寄せパンダだ。しかも、そこそこの喋りの軽妙さ以外にまだ芸がない。氷川きよし以下だ。このまま使い続ければ、政治家としては大政しない。頭はそんな良くないだろうが、あの男はきっと強運である。党のためには、また自民党が部分的にも生き残るためには、あの男は大事に「育てて」やらないといけない、と思うのだが・・・。

美人過ぎる市議。個人的には嫌いではない。一晩と言わずお相手願いたいくらいだが、あれは単なる客寄せで終わる。美人もあとしばらくで、ただのババアだ。ババアに用はない。それが世の中の現実だ。
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