くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

胡錦濤の危うさ

2008年05月29日 | Weblog
最近の胡錦濤の対日政策・姿勢にある種の「危うさ」を感じるのは私だけであろうか・・。

かつて「親日」的姿勢を材料に権力の座を追われたのは、中共総書記胡耀邦であった。失脚間際の胡総書記を救わんとして靖国参拝を断念したと、後日談として語るのは我が大勲位氏であるが、後付けの説明なら何とでも言えるわけで、結局胡氏を救えなかったということは、大勲位氏は政治的に「しくじった」ということに他ならず、「私はしくじりました」と自らの政治家としての不明を告白しているようなものだ。

それはさておき、一部には、胡錦濤は亡胡氏の対日路線を踏襲しているとの見方もあるが、果たしてそうなのか。そうだとして、自衛隊機派遣を含めた支援要請は、やり過ぎではないのか。

胡主席は党政軍においてその立場が亡胡氏とは大きく異なる。胡主席は、党、政府、軍のいずれにおいても最高位の立場にある。特に中軍委主席の地位を有することは大きい。

ただ、たとえそうであっても、胡主席の立場や権力は、毛沢東は言うに及ばず、小平のそれにも及ばないようだ。現在の中共指導部は事実上の集団指導体制という見方もある。党中央政治局常任委員が、現在過去最高の9人であることも、胡主席の力が中央党校派や上海閥、太子党といった諸派閥の力の均衡の上になりたっているということを示唆しているのかもしれない。胡錦濤がいかに中軍委主席の立場にあるとはいえ、軍歴の無いがゆえに、毛沢東や小平のような影響力及び求心力を人民解放軍に持ち得ていると考えるのは安直に過ぎるかもしれない。事実、昨年初めの衛星破壊実験は、胡主席の了解のもとに行われたとする味方もある一方で、軍の独断専行という見方もある。

また、政局常務委員の70歳引退規定が中軍委主席の座に適応される否かは、2012年にならねばわからぬが、あと4年余という時間の制約が、胡主席の権威や影響力をある程度制限する方向に働いているとしても、それは別段驚くべきことでもあるまい。

毛沢東、小平、そして江沢民のいずれもが、死去するか引退するかのいずれかまで手放さなかったのが、軍権である。毛は、大躍進失敗後、国家主席の座を降りても、党主席と中軍委主席の座は決して手放さなかった。小平も最後まで保持したのは中軍委主席であった。江沢民もまたしかり。権力の本質的な部分が、暴力装置にあるということを如実に物語っていておもしろいが、そのことは、とりもなおさず、胡錦濤の軍部掌握力が不十分であったり、そこに陰りが生じれば、胡氏が失脚しないまでも、集団指導体制の中にさらに埋没せざるをえない事態もおこりうる。
現在の対日政策を軍部が支持しているというのであれば、それはないのであろうが、さもなくば、自衛隊機の派遣も含めた援助要請などは、軍部に根強いと言われる反日意識や対日強硬論を刺激することになりはしないだろうか。ガス田問題も、それが軍権益に属するものであれば、もし胡氏が何らかの妥協を模索でもすれば、それもまた軍部の不満・反発の原因となろう。

もう一つの懸念材料はやはり世論だ。カルフールの一件で見たように、中国世論は実にげんきんなものだ。このげんきんさは、彼の国の世論の可変性の証左でもある。確かに中国に限らず世論は可変的で日和見だが、中国もその例に漏れない以上、胡錦濤の対日政策いかんによっては、最近改善の方向にあると言われる対日感情が再び悪化する可能性すらある。中国指導部内に政策対立やそれを権力闘争に利用せんとの思惑が存在すれば、胡氏の意図に反して世論を再び反日への誘導する動きも出てこよう。

味方によっては胡錦濤の対日政策は巧みである。中国の対日感情や姿勢が和らいでいると知れば、日本側とて悪い気持ちはすまい。特に日本世論の反中感情を減ずる一定の効果は期待できよう。と同時に、日中関係が改善傾向にあるという環境のもとで、修正主義的な歴史言説を大声で叫んだり、首相や政治家の靖国参拝要求の声をあげることをためらわせるような雰囲気を日本国内に産みだす効果も期待できるはずだ。ましてや、首相をはじめとする政府首脳等の靖国参拝に対しては、首相の座にあるのが福田氏でなくとも、「どうして日中関係が改善しているこの時期に?」という世論による抑制が働くとも期待できる。首相の靖国参拝を基本的に支持す私の立場から言えば、胡氏の対日「微笑外交」が、実にクセモノなのだ。

ただ、中国国内的には、党政軍の他の指導者が、また世論がそれをどこまで許容し支持するかが鍵となる。自衛隊機の派遣を含めて、今後の対日政策があまりにも融和的過ぎる、あるいは弱腰に過ぎるとの批判に晒されるようなことになれば、胡氏とて権力保持のためには方向転換せざるをえまい。万一胡氏失脚などということにでもあれば(それはよほどのことが複合的にないかぎりないとは思うが)、次の指導者は否応なく対日強硬姿勢を示さざるをえまい。

今以上の対日宥和政策はおそらくないであろうと、個人的には予測する。つまり、ガス田問題なども、せいぜい現状維持であろう。毒入り餃子問題もうやむやのままに終わるのであろう。五輪が始まれば、高まるナショナリズムが再び反日、侮日感情に火を付ける可能性は大かもしれない。そして、その反応として、我が国の世論の対中認識も再び硬化するのではないだろうか。

ただし、万一、胡錦濤が今以上に対日宥和を進めたとしよう。それは、五輪後の、中国国内政治の不安定化の一因になるのではないだろうか・・・。
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