くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

バンクーバー五輪国母問題: 河野太郎の言い分は滅茶苦茶だ!

2010年02月17日 | Weblog
衆院議院河野太郎氏。かつて衆院議長であった時、8月15日の戦没者追悼式典を政治的発言の場に利用した許されざる破廉恥政治屋の御子息である。「蛙の子は蛙」というが、もう一方で「鳶が鷹を生む」ともいう。私はお父上を蛇蝎のごとく嫌ってきたが、太郎氏に関しては後者であると私は思ってきた。昨年の自民党総裁選の際の太郎氏の行動、言動も、いささか政治的稚拙の感は否めなかったが、批判は容易だがあそこまでできる度胸を持った政治家は今時そうそういないとも思ったものだ。

が、同氏のブログ「ごまめの歯ぎしり」での国母問題への発言には、少なからずがっかりさせられる。以下抜粋。

 不愉快に思ったり、だらしないと思ったりというのはその人の価値観であり、誰かの価値
 観にあわないから処分するというのは、私的な集まりではともかく、オリンピック代表団
 のような公の場では行えないはずだ。公の場での処分は、明確なルールに違反していると
 きでなければいけない。

 たとえばもし、国母選手が定められた代表団のブレザーやネクタイを着ていなかったとい
 うならば、ルール違反で処分されるべきだ。

 ルールは守らなくてはならない。しかし、価値観は多様だし、多様であるべきだ。ルール
 で定められていないことについて、後から価値観を理由に、公の場で処分するのはいかが
 なものか。

国母選手のあの服装に対する批判が、価値観に基づくものであるという河野氏の見方には、あえて批判を加えない。「けしからん!」という見方は、確かに一つの価値観によるものだ。

だが、一寸待ってもらいたい。世の中にはTPOに合わせるという考えがあり、これもまた個人を超えて共有された価値観によってきまるものではないのか。いやそれじたい価値観であるはずだ。確かに、TPOに対する認識も時代とともに変化しているが、それでも時代を通じて過去から現在ただ今まである種の共通認識として多くの人に共有されている価値観はある。それは社会通念という言葉でも置き換えることができるだろうし、具体的や動作や形式に具現化、可視化されれば、慣習ということにもなる。社会通念とか慣習というものは、ひとつの国や文化の中だけにとどまらず、国際的な広がりを持つものすらある。明文化されていなくても、そこから外れれば白眼視され、その人の値打ちを下げることにもなれば、場合によれば公然と国内・国際社会の指弾を浴びることにもなる。

国母選手のあの服装というか着こなしは、デザインした側、またそれを採用した日本オリンピック委員会が広く共有された価値観である社会通念や社会慣習に基づいて想定したものから、大きく外れたものであったはずだ。そしてそれは、日本社会が共有する認識、価値観からも大きくずれたものであったはずだ。某民放局の報道によれば、以外にも同年代の若者層の国母選手への批判の言葉が多かったというではないか。これは真実であれば、あの服装への批判的見方は、「古い世代」のみが共有する「過去の価値観」によるものではなく、現在ただ今においても世代を超えて共有されている社会通念、慣習、更には規範に基づくものということではないのか。

社会ないし集団が共有する価値観に反する行動を取れば批判を受けたり、排除されることは、今も昔も起こりえることだ。それが行き過ぎれば、個人の尊厳であるとか自由をも冒すことになる恐れはあるが、そうでもない限り、それはあり得るし、あってしかるべきである。さもなくば集団や社会の秩序や調和は保つことができなくなる。

更に言うならば、国母選手の着こなしが、河野氏が触れている日本選手団の編成方針に反するという見方も可能であるはずだ。いや、明らかに反するというべきであろう。その編成方針とは、同氏によれば、「日本代表選手団は、礼儀を尊び規律を遵守し、活力ある日本を代表するに相応しい選手・役員をもって編成する」と定められているとのこと。あの着こなしは、社会通念上、明らかに「礼儀」を尊ぶものとはみなし得ないし、社会常識という広義の「規律」にも反する。編成方針が明文化されていようがいまいが、それが日本選手団の方針として選手にあらかじめ知らされたものであるのであれば、故意かそうではないかはいざ知らず、国母選手はそれを破ったことになるのではないか。

河野氏は次のようにも言う。

 オリンピックの日本代表には着こなしも重要な要素であるというならば、選手選考のとき に、代表団の編成方針にあっていない選手はたとえ強くとも選ばなければよかっただけ 
 だ。

確かにそうだ。この件に限らず、最近の大人は子供や若者を「叱る」ことに躊躇し過ぎるというか、叱るという行為自体に何らかの忌避感があるのではないかとすら思えてしまう時がある。子供の幼稚園や小学校の授業参観などでも、とにかく先生は子供を叱らない。親の前だから、という人もいるが、そも教師がそういう理由で参観日にはあえて子供をしからないのであれば、そんな猿芝居のような参観に意味はない。こちらも時間を割いて参観に行くのだ。時間を無駄にしないでもらいたい。もっとも、叱らないのは教師だけではない。最近、大人が他人様の子供をしかることはまず「文化」として絶えたといっても過言ではないのではないか。私が子供のときは、まだそうした「文化」は日本にはあった。近所なだまだしもまったく見知らぬおじさんに、怒鳴られたことも一度ならずあった。今、そんなことをしようものなら、どうなることか。かくいう私は、一度だけ、まったく見ず知らずの子供を怒鳴りつけたことがある。あの時の、子供の表情はいまだに忘れら得ない。あの子にとって、私の自分に向けられたどなり声は、まさに「未知との遭遇」だったに違いない。最近は、他人様どころか親でもわが子をしからないのだ。

日本オリンピック委員会のお偉方のおじ様、おば様方は何をしていたのだ、という批判は、竹田宮様を含めて免れない。この点、宮様も、国母選手への批判を御身への批判と心得られるべし!

それ以前に、国母の親や周囲の大人たち、恩師たちは、五輪委員会関係者以上に恥じるべきである。

しかし、一義的な問題の所在は、周囲ではなく国母本人にある。したがって、選手選考時 に云々という河野氏の指摘は枝葉末節的な国母批判に対する批判であって、「本」の部分
とは関係ない。論点ずらしは、竹中某先生の十八番かと思っていたが、もしかしたら、政治家の常套手段なのかもしれない。が、河野氏はあまりその巧者ではないようだ。

河野氏は、こうも言っている。

 国母選手は、この編成方針に沿って選手団に選ばれている。ということは、国母選手のそ
 れまでの服装や態度は、問題視されていなかったということになるのではないか。

が、国母選手が選考された際、あのユニフォームはなかったのではないか? あったとしてもまだ袖を通してもいなかったはずだ。選考段階と五輪参加時の出来事をごっちゃにするというのはいかがなものか。

確かに、国母選手があのような着こなしをしたのは、五輪参加時が初めてではあるまい。であるならば、なぜもっと早くに指摘しなかったという言い分はわかる。だが、以前は何も言われなかったから、今回も仕方がないということにはならない。相手が、小学校や中学校の小便臭いガキならいざしらず、中身はどうあれ21のれっきとした「成人男子」なのだ。そんな大人が服装で引き起こした問題で、今更「言われた、言われなかった」で酵母選手への弁護の余地が生まれるとは到底思えない。私に言わせれば、河野氏のような「甘い大人」がいるから、最近のガキや若造が増長するのだ。甘い、甘すぎる! あえて若者に迎合しているとはいうまいが、若造に迎合するオヤジ、ジジイというのは、見た目に実に醜悪な生き物であることを河野氏も知るべきだ。

以上、河野氏を批判してきたが、同意する点もある。国母選手の母校が公式応援を取りやめたとかだが、何とまあケツの穴の小さい学校というか、私なら、わが子をこんな狭い了見の学校運営者がいるところには通わせたくはない。過剰反応にも程があるし、保身のためではないのかとすら勘繰りたくなる。つまり世間の批判の矢面に立たされた国母選手を学校を揚げて応援すれば、教育機関である自分たちに同選手の指導がなってなかったということで、批判のい矛先が向くのではないかと。もしそうだとしたら、その「母校」は既に教育機関としては「お前はもう死んでいる」状態だ。学生の親御さん、そんな学校はやく辞めさせた方がいいですよ。もし母校がそういう学校ならば、きっと国母選手がメダルでも取ろうものなら、掌を返して祝勝会をやるんだろうなあ・・・。

ところで、世間のみなさんもメダルを取ったからといって「終わりよければ」なんていうのはなしですよ。何も国母選手は指弾され続けなければならないなんて決して言ってません。ただ、メダルをとったからといって、彼が問題行動をとったという事実は消えないし、再び彼が同じ行動に出たときに、メダリストだからと言って看過してはいけないということです。そんなことをすれば、あの未熟な若者には、後々仇となりますから。国母選手自身が気の毒です。「叱る」べき時には「叱る」ことこそ、思いやり、愛情というものです。


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