くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

さよなら、歌舞伎座

2010年04月29日 | Weblog
地方に暮す者の哀しさで、最期の歌舞伎座公演を見ることかなわず・・・。

歌舞伎座の思い出はつきない。青春の一ページといっても大げさでないほど、大学時代はよく通ったものである。月ニ回は基本。気にいった演目があれば、幕見でも。学生の身分では、当然3階席が分相応。当時から座席の座り心地の悪さや狭さには、「こりゃ、日本の伝統芸能の殿堂としては恥ずかしい」と思っていたから、建て替えは歓迎すべきだが、やはり通い続けた劇場の、あの行ったものでしかわからないあの独特の華やいだ雰囲気が懐かしいだけに、名残惜しいことこのうえない。

特に、あの建物のなかに入ると同時にしていくあの劇場だけの匂いというものがあるのだが、それも建て替えによってどうなってしまうのだろうか。完成予想図を見る限り、正直、一抹の不安があるのだ。

劇場の外観とその背後の高層ビルのアンバランスさ。高層ビルの外観を劇場の桃山様式に合わせることはできなかったものか。今更帝冠様式でもあるまいし、さすがに最近はかの大陸の建築物でもそれはなくなりつつあるみたいだが、あえて劇場外観に合わせた外壁と屋上部分に屋根上のものがあっても良かったのではないだろうか。

ついでにいえば、劇場外観の屋根の形状も、戦後ではなく空襲でやける前の歌舞伎座と同じにして欲しかった。

これはあくまでも私見なのだが、どうも戦後の建築というのは、特に「伝統」をモチーフにしたものに、敗戦のせいなのか精神の委縮が見てとれるような気がする。戦後の経済的、財政的な制約ということもあったのかもしれないが、歌舞伎座の屋根がそれを示しているような気がする。現在の皇居の宮殿もそうではないだろうか。戦前の明治宮殿は入母屋だったが、戦後再建するにあたって威圧的な雰囲気の外観は戦後の皇室にふさわしくないとのことで避けたとどこかで読んだことがあるが、明らかに豪壮に見える入母屋を避けたとこに、やはり尻尾が巻いて見えるのは私だけだろうか。明治からの戦前の建物を見ると、明治宮殿は言うに及ばず、伝統をモチーフにした場合、桃山式を模している。今のよ言うな数寄屋ではない。ここに、戦前と戦後の日本人の気風の違うがあるようで、私としては、そこに現在の日本・日本人の「問題点」を見てしまうのだが・・。

それはさておき、新しい歌舞伎座はどのような劇場になるのだろうか。あの匂いを残したまま、あの雰囲気を残したままに、より見やすい快適な劇場として生まれ変わって欲しいとせつに願うばかりである。

さよなら、歌舞伎座。そして、また会う日まで。
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