くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

「将軍江戸を去る」

2012年11月16日 | Weblog
真山青果は新歌舞伎の名作を幾つか残している。

「将軍江戸を去る」もその一つと数えらえるべきか。私はそうは思わないのだが、真山作品のうちしばしば上演されるもののうちの一つではある。

なぜ名作と思わぬのか。なかには、昭和9年初年という点に注目し真山が作品にこめた寓意をあれこれ言う人もいる。

昭和9年に山岡鉄太郎に戦争批判させるところは、「当時は軍国主義真っ盛りであった」という”歴史認識”によれば、イミシンにも思えても仕方あるまい。が、満州事変から3年、世間はさほど軍国主義真っ盛りだったのか、世相を多方面から見れば「真っ盛り」とは思わない。そもそも昭和初期イコール軍国主義という、いわば軍国主義史観自体、私は組しない。相対的に見て我国以上に軍国主義的な側面を持つ国はのちの同盟国以外にもあった。それらを軍国主義と呼ばずして当時の我国のみを軍国主義というは、実に東京裁判史観的であるといえなくもあるまい。

もっとも、山岡の説く「尊王・勤王」論からみた大日本帝国憲法の抱えていた矛盾、満州事変以来の軍部の「勤王」ならざる行動に対する揶揄ととれなくはない点は私も認める。

それはさておき、私が「将軍江戸を去る」を個人的に名作と思わぬ一因は、慶喜の描き方にある。山岡を引き立てるために、あえてあのような描き方をしたのか。伝える知るところの慶喜の人となりとは随分違うような気がする。大阪脱出以来、慶喜の思いに揺らぎがあったとは私は考えない。その点、犬丸治氏に賛成する。

その犬丸氏によれば、山岡の尊王、勤王は議論のための議論。確かにその感は否めなぬが、批判すべき対象があれば、使えぬ論法ではあるまいとも思う。が、やはり、山岡という人が安っぽくみえなくもない。

だからといって、これが愚作だというのではない。真山作品の台詞の妙は、そこかしこにあり、いつしかそこに感情移入して、見る側の感情の波長が山岡や慶喜のそれに収斂されていく。もちろん役者が上手くなければそうもいくまいし、役者が力不足では真山作品の台詞は扱いきれまい。これに限らず、真山作品は掛け合いの台詞がい。真山に続く新歌舞伎がなかなか現れないのは残念なことだが、歌舞伎は新旧を問わず、言葉の紡ぎ方、紡ぎ合いにこそその妙があるということを再認識させられる作品であることには違いない。














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