くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

山中教授への文化勲章授与は、天皇陛下と我が国を貶める行為である、

2012年11月04日 | Weblog
と私は思う。

誤解しないでもらいたい。山中教授の功績を否定しようというのではない。同教授が文化勲章に値しないというわけではない。

が、我が国はなぜノーベル賞の後追いで文化勲章を授与するのか。

まるで今の選考の仕方では、文化勲章はノーベル賞の格下扱いを、日本国自身がしているようなものではないか。

もっというならば、ノーベル賞がスウェーデン国王によって授与されるのに対して、文化勲章が天皇陛下によって授与されるというこの対比は、陛下を貶めるようにも映りかねない。

これは明治以来の欧米崇拝のなせるわざなのだろうか。

ノーベル賞の意義を完全否定しるのではないが、同賞の推薦制度の”カラクリ”を知れば、それほどありがたがるものでもない。

が、我が国はマスコミはじめ大騒ぎして、それに政府が追随して文化勲章授与となる。

情けない限りである。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中真紀子の”暴走”

2012年11月04日 | Weblog
世論はどう見ているのか?

堀越学園の件もあり、支持派が多数か、それとももう真紀子流パフォーマンスにはなびかない?


大学が多すぎる? 


私立大の多くが定員割れにあえいでいる現状を考えれば、正論との感触は否めまい。

だが、それによって今回のケースが正当化できるのだろうか。

例えば、秋田の美術系暖気大学のケース。短大を四大にしようとの計画がとん挫したわけだが、既に志望している学生は、定員を2倍以上上回っている。かつ在学生のなかにも相当数四大となった母校への”転入”を希望しているという。しかも私立ではなく市立である。堀越とは明らかに事情が異なるし、定員割れとも関係がない。将来的な予測は難しいが、減じてでは定員を明らかに満たす模様なのである。

もう一つの問題点は、既存の設立、認可プロセスを、文科省の支持、指導の下何ら問題なく進めてきたうえでの、今回の結果という点にある。これでは、国にペテンにかけられた、騙されたとの誹りは免れまい。
田中真紀子は大臣に違いはないが、彼女自身が国家ではない。その国家、国の始動に従って設立準備を進めてきたのだ。そして国家が設定したハードルを越えてきたのだ、これまで。それを最後の最後で国家機構の一部にしか過ぎない大臣の個人的一存でどんでん返しをくらわされては、今回の件に限らず、大学認可の件に限らず、一体国を信用してよいのかということになる。これは、まさに国家と国民の信頼関係の問題である。

加えて、この青天の霹靂的だいどんでん返しにより、何百、何千の子供たちが苦境に陥れられたことを忘れてはなるまい。今回の騒動の渦中にある学校への志望者、その保護者、在籍する高校関係者は今おおわらわだという。この時期に、今もう入試まで残り時間少ない時点で、志望校変更を迫られるというとんでもない目にあわされた子供はあわれだ。この子達はもしかしたら一生「田中真紀子」という名を恨みを持って忘れないかもしれない。

さらに言えば、新設学部、新設大に転職、就職予定だった方々も、路頭に迷う可能性が出てくる。大学教員という民間企業への就職とは比較にならないほどに狭き門をくぐってようやく見つけた職も、これで・・。

大局を見ることは必要だ。しかし、個々の現実を無視した行動は、暴挙にもなり得ることを田中真紀子は知るべきであるが、彼女にそれを期待してもせんかたないのかもしれない。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする