くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

国号を改正しよう!: 「日本皇国」

2012年07月17日 | Weblog
日本国というのは、やはりよくないんだねえ・・・。

「国」を「國」の旧字で数えると、やはり凶数。大日本帝国(「國」)の方が断然よい。

改称すべきだと思います。そもそも、「日本国」というのは、「正名論」的観点からもどうなの?ということになると思います。

とはいっても、今更大日本帝国は無理でしょう。

ならば、大日本国(國)。

あるいは、日本皇国(國)。これが一番国体にふさわしく、つまり正名をなしていると思うんですけど。

「大」字はつけたくないですね。そもそもこれはシナ的発想です。日清戦争終わってからどこぞの散粟国家が、その国の史上初めて「大」字を国号に冠したんdすけど、いまだにやってますね。「大」字を。天皇を「皇」と呼びたくないのと同じ心理が、背景にあると思います。それもあえて、いまどき本家本元のシナさえ冠していない「大」字を戴きたくはない。

ならば、日本皇国(國)が一番かと。

名前は大事ですよ、ホント。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大津いじめ自殺事件と学校評価制度の”危機”?

2012年07月17日 | Weblog
一部メディアが、いじめ隠ぺいと学校評価制度の関連性を指摘している、繰り返し。

そこで尾木ママが繰り返し登場する。

私は、尾木氏に足しては、批判的な意味あいで言いたいことはある。あのオネーキャラは、姑息なやり方だと思うし、彼の思想的な背景についても疑念を抱くべき点があると思っている。

が、尾木氏は今回学校評価制度そのものを批判、否定しようとしているわけではないと、解釈する。

改善すべき点があると指摘しているのであって、全面否定ではない。

とすれば、私も尾木氏の立場を支持したい。

今回の一件をもって、マスコミ報道の仕方をもって、学校評価制度そのものが存廃の危機にさらされることを危惧する。

学校評価は絶対的に必要である。

学校は無謬でも完璧でもないのだから、評価されてしかるべき。他人の子供の「命」を預かる場であれば、学校、教員も評価を恐れてはならない。そうであるならば、教育現場を去るべきである。

だが、評価の仕方にはやはり問題があるのだろうし、評価する相手は果たして適切なのかと疑問点も残る。

だから廃止ではなく、改善すべきなのだ。

ただ、世論のなかに廃止の声が高まりはしないか、杞憂であればよいが。

また、そうした世論の「芽」が出た場合、それを利用して自らを評価制度から解放しようとする連中も出てくるのではないだろうか。それも、学校関係者、教員のなかに。

学校評価制度は維持されねばならない。評価のないところに進歩も改善もあり得ない。評価を恐れるものは、「社会」から我が身を隔離し、引きこもりか、遁世者にでもなればいいのだ。あるいはそれこそ「自殺」という逃避の仕方もあるかもしれない。

人が人の中で生きていく以上、評価、批評からは免れることはない。この現実を受け入れられない者に生きる余地はこの世にはそれほどない、ということではないのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尖閣問題: 孫崎享という売国奴の無知

2012年07月17日 | Weblog
孫崎氏の発言は、実に馬鹿げている。

元外交官の発言とも思えない。もっとも、他国の外交官であるならばともかくも。

14世紀に中国軍事力が云々発言。軍事力が及んでいたとは、あいまいな物言いである(外交官らしく?)。かりにそうだとして、軍事力が及んでいたすなわち統治の所在を意味しない。もしそうだというのであれば、米軍の力の及ぶところ・・という言い分が可能になる。

それ以上に問題なのは、氏の「無知」である。14世紀といえばおそらく明朝のことに言及しているのだろうが、同王朝が盛世を過ぎて尖閣に軍事力を引き続き及ぼしていたとは考え難い。さもなくば、琉球王国の南海貿易が衰退することもなかったはずである。

更にそれ以上に問題なのは、次の清朝が尖閣を自らの統治権の及ぶ地域とはみなしていなかった事実を氏は、知らぬようだ。もし知っていてあえて「14世紀」にのみ言及したとすれば、これを彼の属する国家への「反逆」的言説といわずしてなんと負うべきか。

ありていに言って、売国奴、ということになる。

清朝を飛び越えて明朝にまでさかのぼる理由はどこにあるのか。まさか、清朝は満族の建てた王朝だから正統ではないとでも言いたいのだろうか。

ならば、現在ただいまの中国の版図の正当性もまた否定されねばなるまい。明朝の版図は清朝の半分にも及ばない。満州はもちろんのこと、内蒙古、チベット、さらには四川省の多く、青海省、新疆ウイグルのほとんども放棄さねればならない。

更には台湾もしかりだ。

こういうある意味「宦官」にも及ばぬ御仁が元外交官にして、元防大教授とは・・。おぞましいというか、情けないことである。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする