くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

町村発言に賛成!: 子供をつくるのは「義務」どころか・・・

2008年05月26日 | Weblog
母校東大での町村官房長官の「子供をつくるのは義務」発言。早速、一部マスコミは批判しているが、私は全面的に支持したい。

人口抑制を欲する国家としては、国民にそう多く産まれるのは困るのだろうが、我が国はそうではない。少子高齢化だ。もっとも少子高齢化、人口減少は悪いことではないという論者、識者もいる。そのあたらい人口経済学的なところは、素人の私にはとんとわからぬので、あくまでも、一般論でということなのなだが、国家は存続すべきものという前提に立てば、国民が子孫を産み育てることは期待されて当然であるし、国家が国民をもって成り立つという現実に基づけば、子孫を産み育むということは、国民としての事実上の「義務」であるはずだ。

国民は、自国が滅びても良いと考えるいう立場にはないはずであるし、あってはならない。国民はあくまでも国家の存続、永続を願い、そのための努力を惜しまない存在でなくてはならない。それに反する考えをもった国民は文字通りの「非国民」、獅子身中の虫だ。抹殺するか国籍はく奪のうえ国外追放でいい。

現実の我が国では、子供が欲しくとも、あるいは今以上に子供をもうけたくとも、経済的余裕がない、あるいは雇用や社会保障などの将来性への不安がぬぐい去れない現在の状況において、子供を持つことを躊躇する夫婦もいるのかもしれない。何年か前の統計によれば、できれば子供をもちたい、あるいは二人目、三人目が欲しいが、上記のような事情で思いとどまっているという夫婦が相当数いるとのこと。

その一方で、端っから子供は要らないなどという夫婦や男女もいる。自分の時間が削がれる、経済的負担になるという理由だそうだが、こういうのはある意味「異常者」としか言いようがない。まともな人間なら、子供が欲しいと思うのは、生き物としての自然の欲求のはずだ。同性愛者だって、子供は欲しいと思う人はいるのだ。同性愛者はってのは失礼ですな・・・。その生き物として、ヒトとしての自然の欲求が無いという状態を「異常」と言わずして何と言おうや。

こうした人間に子供をもうけるのは「義務」だと説いたところで、無駄かもしれない。屁理屈をこねて反論してくるに違いない。マスコミの加勢も得て、いたけだかになって反発してくる輩もいるであろう。

でも、「異常」は「異常」だ。もっとも、「異常気象」と毎年言っているうちに、どうやらそれが常態化してきたしまっているように、将来的には「子供は要らない」という「異常」が「常識」になってしまうのかもしれないが、そんな「常識」がまかり通る国になり下がるのなら、どこぞの属国か自治区にでもなっがいい。

町村さん、常日頃私はあなたのエリート然とした官僚然とした物言いがひどく気になっていたのですが、今回ばかりは支持したいと思います。ですから、是非、批判を受けたからと言って、後になって腰の引けたような釈明だけはしないでくださいね。

コメント (2)
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