くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

南都は血塗られた

2008年05月11日 | Weblog
法隆寺、唐招提寺はそれぞれ元来いわゆる南都六宗の一つだ。法隆寺は今現在六宗の一つには数えぬが、伝統的には法相宗に属する。

それが、仏徒に血の迫害を加え続ける超本人に何らの抗議の意思表示もせず門を開いた。内面の葛藤の有無はいざ知らず、両寺は、仏寺としての自らの立場を放棄したに等しい。

法隆寺、唐招提寺のくされ坊主どもは、既に仏徒にあらず。即座に放逐されるべし。さもなくば、両寺とも、自ら仏寺の看板を外して、中共独裁体制翼賛団体とでも称するべし。

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園田天光光

2008年05月11日 | Weblog
今時、園田天光光という名前をどれほどの人が知っているだろうか。私も彼女が第一線にいる時を知る世代ではなく、夫直氏が死去した後継子である博之氏との間で泥試合選挙を演じたとき、初めてその名を知った一人である。

博之氏は亡父の地盤を継ぎ現在衆院議員の職にあるが、天光光女史とは枠付きの継子・継母関係にある。というのも、戦後まだ間もない頃、女史が戦後初の女性代議士であった時、妻子持ちの直氏と倫ならぬ恋に落ち、前妻を追い出す形で園田家の嫁の地位に納まったのである。

「白亜の恋」と呼ばれた不倫劇は、同僚女性議員からも糾弾され、世の顰蹙を買い、以後女史が国政の場に返り咲くことはなかった。

簡単に言ってしまえば、他人を不幸にしてまでも己の情欲を満たそうとした恥知らずな人間の一人というわけだが、その天光光女史、まだ御存命だったとは・・。
しかもまた社会的活動をつづけられているとか。

人の倫を踏み外した者にしかるべき役職ないし社会的役割を与えるような団体や組織も、同じ穴の狢。ろくなものではない。その一つが日本会議。同組織の運動には共鳴する部分も多々あったのだが、不倫婆さんがその一員とは、見損なった・

御歳89だとか。憎まれっ子世にはばかるとはよく言ったものである。夫直氏の死後、再び選挙に打って出たのもそれいるというか呆れかえるが、いまだメディアに顔を晒し、ぬけぬけと結婚して五人の継子の母になったとは、よくも言えたものである。

上記のメディアとは産経新聞のことだが、同紙も何を思って恥知らずを紙面に載せたか。日陰者であるべき者にスポットライトを当てる意味などあるのだろうか。

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