北京五輪開会式に関する福田総理の昨日の発言。
「行く」とは言明しないまでも、「行きたい」と言った時の、総理自身、更には日本政府に対する内外の受け止め方を、事前に考慮するということはなかったのだろうか。
チベット問題、すなわち人権問題の観点から、出席を見合わせようとの動きが、欧州各国を中心にある中での、総理の「行きたい」発言は、人権問題に疎い指導者、政府、しいては国家というイメージを持たれかねない。
そこのところをわきまえずの発言だとしたら、」「外交の福田」とは誰が言い出したのかは知らぬが笑止千万。へそで茶が沸くどころか、沸いた茶をこぼしてしうくらいのお笑い草だ。国内政治における「政治オンチ」、「政治無脳症」は既に、日銀総裁人事や山口補選での自党の候補者にとどめを刺すような「応援演説」で周知の事実となってしまったが、外交においても、「外交の」ではなく「外交オンチの」福田と呼ばれてしかるべきかもしれない。
もしかしたら、総理自身、そのようなことは先刻承知の上での発言かもしれない。
だとすれば、それはそれで怖いことだ。総理の視点は北京にしか向いていないとなれば、胡錦濤来日に際して、いかなる発言が飛び出すやら戦々恐々とせざるをえない。
北京に向かって一生懸命しっぽを振るのはいいが、北京ばかりを見ていて栄えた国はない。北京の毒気からいかに身を置くか、それが困難であれば、いかに毒を弱めるか。今の福田政権からは、それが見えてこない。
もしかしたらオンチは、国内政治、外交のみにおいてではなく、方向オンチなのかもしれない。本人は北京を向いているつもりはなくとも、方向感覚が無いばかりに・・・。
方向オンチの水先案内人というものが果たしているものか。世の中何事にも例外はある。飛べない鳥もいるくらいなのだから。しかしながら、政治指導者に関しては、例外なく政治オンチであってもらっては困る。さもなくば、国家の行き先は、海のもくずか乗組員の死に耐えた難破船か幽霊船ともなりかねない。
それが嫌なら水先案内人の首をすげ替えるしかない。70過ぎた「高齢者」の狂った方向感覚を今更矯正しようとしたところで、どうにもなるまい。総理もあと数年で「後期高齢者」だ。人生に遅いことはないとは言うものの、やはり遅きに失してはどうにもならぬこともあるのだ。
「行く」とは言明しないまでも、「行きたい」と言った時の、総理自身、更には日本政府に対する内外の受け止め方を、事前に考慮するということはなかったのだろうか。
チベット問題、すなわち人権問題の観点から、出席を見合わせようとの動きが、欧州各国を中心にある中での、総理の「行きたい」発言は、人権問題に疎い指導者、政府、しいては国家というイメージを持たれかねない。
そこのところをわきまえずの発言だとしたら、」「外交の福田」とは誰が言い出したのかは知らぬが笑止千万。へそで茶が沸くどころか、沸いた茶をこぼしてしうくらいのお笑い草だ。国内政治における「政治オンチ」、「政治無脳症」は既に、日銀総裁人事や山口補選での自党の候補者にとどめを刺すような「応援演説」で周知の事実となってしまったが、外交においても、「外交の」ではなく「外交オンチの」福田と呼ばれてしかるべきかもしれない。
もしかしたら、総理自身、そのようなことは先刻承知の上での発言かもしれない。
だとすれば、それはそれで怖いことだ。総理の視点は北京にしか向いていないとなれば、胡錦濤来日に際して、いかなる発言が飛び出すやら戦々恐々とせざるをえない。
北京に向かって一生懸命しっぽを振るのはいいが、北京ばかりを見ていて栄えた国はない。北京の毒気からいかに身を置くか、それが困難であれば、いかに毒を弱めるか。今の福田政権からは、それが見えてこない。
もしかしたらオンチは、国内政治、外交のみにおいてではなく、方向オンチなのかもしれない。本人は北京を向いているつもりはなくとも、方向感覚が無いばかりに・・・。
方向オンチの水先案内人というものが果たしているものか。世の中何事にも例外はある。飛べない鳥もいるくらいなのだから。しかしながら、政治指導者に関しては、例外なく政治オンチであってもらっては困る。さもなくば、国家の行き先は、海のもくずか乗組員の死に耐えた難破船か幽霊船ともなりかねない。
それが嫌なら水先案内人の首をすげ替えるしかない。70過ぎた「高齢者」の狂った方向感覚を今更矯正しようとしたところで、どうにもなるまい。総理もあと数年で「後期高齢者」だ。人生に遅いことはないとは言うものの、やはり遅きに失してはどうにもならぬこともあるのだ。