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くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

尖閣問題: 一橋大学名誉教授松永正義氏の与太話

2013年09月13日 | Weblog
松永先生、勉強不足ですよ。

清朝は尖閣を自国領土に数えていませんよ。「一義的」も何も・・・。そもそも「一義的」って、学者先生というのは実に人をけむに巻く言葉づかいがお好きですね。

それから、下関の講和談判でも、李鴻章の息子は、尖閣が台湾に付属するものではないことを認めていますけど・・。

で、先生、尖閣問題どうされたらよろしいので?あんな島で日中が争うなっていうのはわかりますけど、だからといって無主地のままにしておけってことですか。そこまでいわずに、尻切れトンボな物言いってのは、あまりにも腰が引けているというか、臆病というか・・、そんな態度とるなら、いっそのことこの問題で発言するのはよした方がよいのでは?
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御稜威、輝く!: 2020年五輪東京開催決定

2013年09月08日 | Weblog
なーんの根拠もないが、宮妃殿下のご出御を賜ったのが勝利をもたらしたと自分は思います。

恐れ多いことだと思います。

皇恩に報いねばならないと思います。

なんにもせよ、まずはよかったですね。
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"売国奴″仙石が、キャロル・グラックに言及・・・、

2013年09月07日 | Weblog
まあ、イデオロギー的にお仲間みたいなもんだから。

キャロル・グラック、名門コロンビア大の近代日本史研究者。彼女自身同大Ph.D. 随分優秀な学生だったそうです。

が、著書はJapan's Modern Myth以来、単著としてはありません。しかも、いわゆる歴史認識問題にかかわるテーマを専門にしているわけでもないくせに、昔から歴史認識問題では積極的に発言しています。というか、日本のメディアが注目するから積極的に映るだけかもしれないけど。

発言内容はいつも、きまって、日本批判です。



著は一冊しかないくせに、いわゆるビッグネーム扱いです、米国でも、日本でも。もっとも、米国の日本史研究者、東アジア研究者のなかで、自ら史料明後日歴史認識問題にかかわるテーマを精査した研究者なんて一人もいないのですが、そういう門外漢に限って、発言しています、グラック以外にも。エズラ・ボーゲル、ジョン・ダワーしかり、亡くなったところではチャルマーズ・ジョンソンなど。そして、それをまた日本のメディアがありがたがって取り上げる。

仙石もそのくちです。

舶来好きなんですな、言説の舶来思考はまだまだ根強い。

しかも、グラックは、左翼です。マルクス主義者認定する同業者もいます、アメリカには。

で、グラックがかくかくしかじか言ってるからなんだっていうのかっていえば、大したことはない。研究者のくせに自分の専門外のことに口突っ込んでロクな根拠もなく
だべっているだけですから。研究者の床屋談議みたいなもんです。一般人のそれよりも始末が悪い。

本心から否かはいざ知らず、それに言及して「グラック様がのたもうておられる!」と水戸のジジイよろしく権威主義者バリバリにふるまう。虎の威を借る狐のようでもあります。

要は、グラックなんて「なんて」のレベルですし、研究者としては。むかーしの実績しかないんだから。しかも今では賞味期限切れの。加えて歴史問題では日本批判しかしない。それを持ち出すなんて外患誘致やってるようなもんですわ、仙石という売国奴。
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NHK「あまちゃん」、最近は、

2013年09月06日 | Weblog
見ながらついウルウルきてしまいます。

実は、震災発生時、たまたま東北滞在中でした。相当な揺れはあったものの内陸だったため、直接の打撃はなし。それでも、しばらく足止めをくらいました。脱出しようと思えばできたのですが、気が引けてできませんでした。迷いました。自分たちよそ者がいても足手まといになるだけ。かといって、私たちはよそ者なのではいさようなら、というわけにもいかず。

最近の「あまちゃん」を見ていると、あの日の記憶が期せずしてよみがえってきてしまいます。あの時の寒さ、震災直後から吹雪いてきたこと、電気が止まってしまい寒いなかで震えたこと。それからの町の様子。ものが日に日になくなり、薄暗くガランとしたスーパーのなかで、なぜだか泣き出しそうなくらいに情けない気持ちになったこと。

津波の被害を受けた方々、肉親を亡くされた方々、福島の方々にしてみたら、同番組をみて感ずるところは猶更かと思います。もしかしたら、見ていられないという方もいるかもしれません。

作る側も気を使っているなあと感じます。震災の表現の仕方はあれでよかったと思います、個人的には。

もう2年半なのか、まだなのか..。

「あまちゃん」も残すところわずか、さて、どんなエンディングが待っているのでしょうか。






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福助の歌右衛門襲名、ということは芝翫は?

2013年09月05日 | Weblog
橋之助? 同時襲名?

それとも、松竹としては興行上、別にやりたい。

もっとも、まだ芝翫を襲名するって発表があったわけでもないですけど、数年前芝翫型で熊谷やってますよねえ?

是非、是非、立ち役としての芝翫の復活を!

さて、主役の兄君ですが、やはり血ですかね、写真でしか知りませんけど五代目に顔かたちにていますよね。20代のころ、まだ児太郎のころのキンキン声の頃を思うと、随分腕をあげました。え、20何年もたてば当たり前? そうかししれません。歌右衛門を継ぐからには、もう少し舞台での品格みたいなものが増すといいなあと思っています。

それにしても大和屋、大丈夫かなあ・・・。あの人の踊りはおもしろいよ、わかりやすくって。数十年に一人の逸材、大和屋としても七代目以来の三津五郎だと思うので、是非、是非、神仏のご加護を!
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女優?高木美保のウソ、「英語に婉曲な言い回しはない」

2013年09月05日 | Weblog
ウソいうな。

英語がなんでもかんでも直接的な表現しか用いないというのは、ウソです。誤解です。

メディアに姿さらしてコメンテーターってことで、飯くってるんなら、ウソや無知、勘違いをさらして、視聴者を惑わせるってのは”罪”でしょう?

それにしてもテレ朝は、東京への五輪誘致に反対みたいですね。最近、毎日ケチつけてますよ。
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女優?高木美保のウソ、「英語に婉曲な言い回しはない」

2013年09月05日 | Weblog
ウソいうな。

英語がなんでもかんでも直接的な表現しか用いないというのは、ウソです。誤解です。

メディアに姿さらしてコメンテーターってことで、飯くってるんなら、ウソや無知、勘違いをさらして、視聴者を惑わせるってのは”罪”でしょう?

それにしてもテレ朝は、東京への五輪誘致に反対みたいですね。最近、毎日ケチつけてますよ。
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海外の怖いもの: タイ人の微笑み

2013年09月03日 | Weblog
「微笑みの国」、まあ何ともうまいフレーズを作り上げたものである。

 結果、多くの人々のなかにタイイコール・・というイメージを作り上げてしまったのだから。

 結論からいえば、「微笑みの国」ではないと思う。

 もちろん、タイには微笑みがある。が、タイにそれがあふれているのかといえば、そういうわけではないし、他国に比べて際立ってというほどのものでもない。

 それ以上に、私からしてみたら、タイ人の微笑みほど彼らに対して私を身構えさせるものはない。

 子供はいざしらず、彼らが我々に向けてくる微笑みには「魂胆」があると思ったほうが身のためである、と思う。

 タイは親日国だといわれる。東北の震災に際しての義捐金の額は第三位。タイの経済規模を思えば、これば一位、二位の米国、台湾どころではない。ちなみにタイの一人あたりのGDPは中国以下である。

 これはこれとしてありがたいことだし、親日の証左といえなくもないが、かといって彼らが日本人に向ける微笑みが対日感情ゆえと単純に考えたら、それは大間違いだ。

 基本的にタイ人は、実に個人主義的である。加えてプライドは高い。人間だれでもそうした側面を持つが、かなりのナルシシストである。づ性愛者が多いというのは、そのせいかもしれない。芸能人や見目の麗しい人に同性愛が多いというのは、ナルシシズムとの関係で説明できるというのを随分昔に読んだことがある。
 
 だから、彼らの微笑もまた個人的な思惑、魂胆から我々に向けられたものと見た方がよいのかもしれない、と考える。

 個人主義的、自己利益追求にあくなきがゆえに、自分利さずと判断すれば、見事なほどに態度を豹変させる。私もタイ人と付き合い始めたころは、彼らの豹変ぶりに戸惑ったものである。実に親しくうっとしいくらいに頻繁に接近してきた連中からの接触が突然途絶える。顔を合わせても突然そっけなくなる。日本人なら「何かいけないことでもしたかしら」とまずは自分に非があったのではと考えるのがふつうだろうが、タイ人がそうした態度をとったときは、きっと相手に何らかの都合や事情があったと考えた方いい。実にまうでドラマやマンガに出てくるような
クリアな豹変ぶりを示すのには、今は慣れたが、最初のころは事情が分からず気に病んだことすらあった。今思えば笑い話であるが。

 ただ、相手に何等かの事情や思惑があってしているにしても、具体的にそれが何かはわかならい。

 同様に、具体的に何の魂胆で微笑んでくるのかもわからないところが、「怖い」ゆえんなのである。

 その点、パッポンあたりの水商売のおねーちゃんなんかの微笑みはわかりやすくていい。彼女たちは我々の懐に微笑んでいるのである。それもわからずにのめり込むおっさん連中は日本人に限らず少なくはない。なかには自殺者も。金がなくなれば、微笑む理由もなくなり、態度豹変。身ぐるみはがされて行き場を失えば、ビルの高層から「陸(おか)安徳天皇」するしかなくなるというわけだ。

 タイ人とは深く付き合えないし、付き合わない方が良いようにすら思っている。深く知ればよいというものでもなく、知らぬが仏ということもある。まさに仏の国である。

 今の親日も今後のなりゆきではどうなるかもわからない。戦前戦中のタイを見ればいい。今から40年前を思い起こせばいい。

 あの微笑みを見るたびに、心の筋肉がぐっと引き締まり、身構える機会は、タイとの縁が続く限り、これまた続きそうである。
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日本の親は子どもの歯並びに無頓着過ぎるのでは?

2013年08月30日 | Weblog
今、NHKで牛田智大君みていますけど、これからも人前に出る子なんだから、今のうちに歯並びをなんとかした方が良いのではと思います。

やんごとない方面の方々でも、やはり、なぜ矯正されなかったんだろうと思うことがあります。金枝玉葉にメスを入れる昨今、よもや矯正器具などまかりならんなどという発想が雲井に近いところに存在するとは思えませんが・・。

日本人は「歯」に対する意識が低いですよねえ、まだまだ。

という私も定期健診がのびのびに・・。まずいな。本当は三月に一回はしたいですよね。でも、半年。今のところ歯周病はなしです。
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北海道大学教授町村泰孝の人格こそおかしい

2013年08月27日 | Weblog
同教授いわく、松江市教委は「田舎の教育委員会」であり、撤回したものの『はだしのゲン』への措置は「おかしな対応」であったと。

あれがおかしいかおかしくないかはさて置こう。私は松江市教委は「へたれ」だと思う。あそこに自分の父親でもいようものなら、大いに失望し、下手をすれば親子の縁をこちらから切りたいくらいだ。情けないの一言。

それはともなくも、なにゆえあえて「田舎の」とつける必要があるのか。

北海道の住人にいわれたくはない、とはあえて言うまい。

が、「田舎の」が必要なのだろうか。

ここに町村氏の松江市教委ではなく松江そのものに対する蔑みの感情が込められていると疑われて仕方がない。

何をもって田舎というのかというのこれまた容易ではないが、「田舎」というならば、和菓子などを例にとれば、和菓子不毛の地北海道などに「田舎」よばわりされるなど、松江にしてみれば片腹痛いに違いない。

あえてつけずともよい言葉をつけることに、北大教授たる人物としていかがなものかと思わせる人格の下品さを感じざるをえない。

まあ、こんなに人間を教授にするようだから北大は旧帝大(まあもともと地底ではあるが)とは名ばかりの地大にすぎないのかもしれない。もっとも、北大が一皮むけないどころか、一部学部は旧帝以外の国立大以下の評価をされてしまっているのは、地元の北大崇拝にも一因があるとは思うが。ただ一つ北大を弁護するならば、ひいきの引き倒しのような地元国立大崇拝がかえってその大学のレベルと評価を押し下げているというのは、何も北大に限ったことではないということであろうか。

それはさておき、町村さん、「田舎」はちゃんと撤回すべきでしょ? まったく不要だもの。

それとも、屁理屈こねて正当化しますか?
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KFCのワンピース特製アイスクリーマーって・・・、失敗したのウチだけ?

2013年08月23日 | Weblog
あのインストラクション通りでアイスクリームで作れます、本当に?

子供たちにせがまれて買ったんですけど、今までに三度試して、すべて失敗。

まったく固まりません。 しゃびしゃびの砂糖と卵黄のの入った牛乳のまま。その間に氷はほとんど解けてしまって・・。

どろりとも、とろりともしません。約5分ってあったので、もう少しと思ってそれ以上もやってみたのですが、失敗、失敗、失敗。

子供、期待が大きかっただけに、がっかり、がっかり、がっかり。

ウチだけですかねえ、何度やってもダメっていうの?

インストラクション通りやったんですけどねえ・・・・。
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松江市『はだしのゲン』問題: 乙武洋匡のブラックジョーク?

2013年08月20日 | Weblog
乙武洋匡いわく、

『はだしのゲン』騒動「俺も『容姿が過激で子どもに不適切』ってモザイクかけられちゃうかな。


要は松江市教委の対応を批判したいんだろうけど、どうして自身のことを持ち出して比較するかなあ?

そもそも、その比較がおかしいでしょ? まったくナンセンスな比較。子供じゃあるまいに。

それとも、”障害者”にははっきりものが言いづらいっていう世間の風潮を逆手にとって、松江市教委を批判するために自身をネタにしたとか?

まさかそんな下種なことはしないだろうなあ・・。それに自虐にしても、あまりにもセンスがないというか品性に欠けるというか・・。

それにしても、乙武氏、レストラン入店云々のときもそう、さかのぼって秋篠宮家の親王殿下御降誕もそう、時々首をかしげるような発想というか言動をされる方のようですね。
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上の息子が「医者になりたい」と言い出した。

2013年08月20日 | Weblog
正確には前からそうは言っていた。塾友に医者の子供が多いからかもしれない。

私も医者の家の子が友人に多かったが、だからといって医者になりたいと思ったことは一度もなし。血が苦手だし、他人の患部とか触れません。ありていにいえば、生理的に、はなからオプションになかった職業。

ただ、息子は息子。まあ、それはそれで構わない。世間様に対して恥ずべき職業ではない。職業に貴賤があると思っている私としては、人様の体をいじって、場合によっては解体業者よろしく切り刻む職業を。おそらく医者自身が思っているほど高尚なものだとは思ってはいないが、芸人になりたい、ホストにいなりたいといわれるよりははるかにましである。

が、医者になるには医学部に行かねばならない。

アホでも入れるのが、我が国の医学部である。大学を選びさえしなければの話だが。しかしながら、そうしたバカでも医学部はおおむね私立で学費がバカ高い。我が家には下もいるので、上だけにしかも大学6年だけで何千万もかける余裕はない。せいぜい慶応の医学部までが経済的に限界だが、なんせ信濃町は周辺環境がソウカだらけで良くないというのは関係ないが、いうまでもなくチョー難関である。わが子に伸びしろがあり、今後今以上に成績が上がったとしても、???である。

旧帝医学部? これまた同様。

その他医学部。地方の、しかもたとえば予備校業界で一時期STARSなんて呼ばれていた(今でも?)最底辺国立大医学部なんてのは、かりに医者になれるとしても行ってほしくはないなあ、そんなレベル。はっきり言ってやはり、医者のレベルも低いからねえ・・。我が家には某STARS出の医者による誤診経験もあるし・・。そのくせ、プライドだけは・。なんせ田舎じゃあ、エリートだから。

というわけで、息子にいいました。

1.医者になりたいのは自由だが、人の命を扱う職業なのだから、しっかりした理由を持ちなさい。いい加減な理由で医者になっては、かえって世間様に申し訳が立たない  ことになるかもしれない。

2.収入がいいからという理由であれば、医学部には行かせない。行きたければ自分で学費稼いで行け。金が欲しけりゃ、売れっ子芸人にでもなればいいが、その場合は
  勘当。親でも子でもない。

3.医学部行くからには、しかるべき医学部に行け。私立は慶応程度の学費が上限。例外もいくつかあるがくだらん地方国公立の医学部は、場合によっては学費出さない、
  行かせない。ロクでもない医者は合法的な人殺しに等しから、キチガイに刃物。やぶ医者に聴診器。大して頭良くないのであれば、医学部なんか行かない方が世間のた
  めになる。

4.というわけで、あと数年間頑張ってください。

5.加えて、医者になるからには、あるいは医者になったら、漢方にも明るくなりないさい。明治以来の我が国の医学政策には明らかな誤りがあり(そして、それがいまだ
  に正されていない)、西洋医学には否定できない限界がある。病気によっては臨床上において漢方の伝統処方にかなわない場合もある。西洋医学至上主義者になるな。
  *蛇足ながら、漢方との関係において、西洋医学の人ながら武見太郎先生は立派だったと思います。泉下の矢数、大塚先生はいかがお考えでしょうか。 


さて、息子君よ、数年後のキミは、どのような道を歩み出しているのだろうか。父は期待と不安を抱きつつ、今やキミを見守ること(プラス学費を出して飯を食わせるくらい)しかできません。


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松江市『はだしのゲン』問題: 東洋経済オンラインの戯言

2013年08月20日 | Weblog
 皆様ご存じのとおり、「はだしのゲン」は実際に原子爆弾を被爆した作者によって書かれたもので戦争の真実を映し出しており、当時を知るための資料としても価値が高い。実際に戦争や原爆の悲惨さを伝える一級資料として、日本のみならず世界20か国で翻訳されて読まれ映画化もされてきた。

だそうである。

噴飯ものとはこのことである。確かに、作者は原爆の被害者である。ここにウソはあるまい。

が、作者によって書かれたものは、真実そのものではない。真実をもとにした創作である。東洋経済はその点を認識していないというのか。まさか・・。それではまるで、
歴史小説と歴史研究書・学術書の区別がつかないに等しい。みのもんたを見てうなずき喜ぶおばちゃん連中ならいざしらず、”天下”の東洋経済に限って・・。

ところが、その東洋経済、「はだしのゲン」を「当時を知るための資料」だとまでいう。フィクションからいったいどこまで史実を得られるというのか? これではまるで、大河ドラマをみて、新島八重というのはこういう人物だったのだと鵜呑みするに等しいではないか。

「一級資料」とまでもちあげられると、バカも休み休み言えということになり、記事の裏になにか思惑があるのではと勘繰りたくなってしまう。

こうなると、研究者がアイリスチャンの「レイプ・オフ・ナンキン」を資料にして、南京事件に関する実証論文を書くに等しく、救いのなさを感じてしまわざるを得ない。


「はだしのゲン」には、明らかなイデオロギー性がある。それも下品でむき出しの憎悪の感情をまとった。それを砂のようになんでもすいあげる子供たちに読ませるわけにはいかない。だから、私は我が家における禁書扱いにしている。読ませるのであれば、同作のもつ”毒”を中和させる何かが必要になる。マンガにはマンガ?となれば小林よしりんか? あれもあれで資料の使い方に大いに問題があり、たとえばジョン・ダワーなんか使われた側としてどう思っているのか興味のあるところだが、毒には毒ということで、「ゲン」を読ませるなら同時に「戦争論」、「天皇論」とか? でも、よしりんのは、字が多いから小学生には無理だろう。

いずれにしても、東洋経済の持ち上げようは、いささか常軌をいっしているといわざるをえない。東洋経済自体への信頼性にもかかわるような・・。もっとも、バブル期の東洋経済を知る身としては、同誌に限らず経済雑誌なんか、くらいにしか思っていないのだが。
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アベノミクスは挫折するように思う

2013年08月19日 | Weblog
早晩というのではないが、再来年当たりにはなどと考えるのは悲観論に過ぎるのだろうか。

私はアンチ安倍ではない。かといって、熱烈なサポーターというわけではない。安倍氏の路線には基本的に賛同する。

が、アベノミクスは挫折すると思う。

というのは、アベノミクスはあまりにも所与の条件にその身をゆだね過ぎているように思うのだ。それを言うならば、この世の万物はある意味すべからく所与の条件のなかに存在しているのだから、アベノミクス一個のみその例外であるはずはないではないか、という反論は可能だと思う。それはそうなのだ、超大国米国であろうが何者であろうが、自らの制御の及ばない「所与」に身を傾げているのが、この世の現実だ。だが、その所与の条件は一定ではなく、とくに昨今その転変著しく、この先を見通すのも困難であるなかで、日本経済はそこにはそのなかで自律性を確保するだけの要件をかつて以上に欠いてしまっている。そうした状況にあってアベノミクスのみならずかりに現在ただ今別の経済処方がはかられていたしても、いずれ「所与」のうねりに呑みこまれてしまうと思うのだ。

アベノミクスではなく日本経済がさらなる難局に陥らぬようにするためには、アベノミクスがいずれ遠からぬ時期に方向転換をなし得るか? 換言するならば、安倍政権自体がアベノミクスから脱却できるか、ということである。が、現実問題として、安倍氏の思考に柔軟性があったとして、それこそ彼を取り巻く所与の条件ゆえに難しいということになるのではないだろうか。政治的に柔軟対応が許されず、マスコミにたきつけられたセロもそれを許さず、変転する世界情勢や世界経済に対応できぬままアべノミクスは終焉するのではなく挫折し、安倍政権は瓦解、我が国はおそらくこれまで以上の困難に直面する。

悲観論ではあるが、それでよい、いやむしろその方がよいのかもしれない。

さもなくば、この国は安倍氏が望むようには変われない。

すなわち、安倍氏とアベノミクスというものは、変革に向けての”捨石”なのかもしれない。が、捨石なくしてことが進まないとすれば、実に意義ある捨石ということになる。



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