三十路の食卓

食事の記録・食にまつわるあれやこれや
かっこいいごはんも いいかげんな飯も 全ては私のリアリズム(おおげさ)

寒さが阻む酢生活

2011-11-07 00:36:48 | 食日記
〈10月26日の食事〉
朝:納豆かけごはん 青菜の味噌汁
昼:お弁当(玄米ご飯、鶏肉とレンコンの黒酢炒め、ネギ入り卵焼き、じゃがいもの炒めもの)
夜:明太子おにぎり おでん(以上のもの、ローソンで購入) クリームチーズ

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先日「調味料を使うのがおもしろくなる本」を読んで黒酢を買って以来、疲労回復と脂肪燃焼に効く酢を、ますます生活に取り入れようとしている。
具体的にはレシピが載っていた、黒酢ドリンクで。
黒酢を大さじ2杯に、ハチミツ小さじ1、牛乳を100cc。
毎度きっちり計ってないし、豆乳を使う方が多いけど、だいたいこういった割合で。
このためにハチミツも買った。

酢のツンとくる感じもなく美味しく飲めてよいのだが、強いて難をあげれば、これからの季節には体の冷えが気になる。
出来れば温かくして飲みたいと思うも、いざ温めた豆乳を使えば、酢に反応して豆乳が分離・凝固するのであった。

ならばこの際乳成分を諦めてお湯で割ろうと試せば、高温により尚いっそう立ち上る酢の臭気よ。
その刺すテクスチュア、水で割ったとき以上。

ただ今の打開策は、飲むしばらく前に豆乳を冷蔵庫から出しておく、である。
少し常温に近くなって凍えなくて済むが、抜本的な解決になっていない。
だいたいもっと寒さが深まったらどうする気だ。

続けたい習慣を、寒さが阻もうとしている。
これは、鼻をつまんでお湯で割ったものを飲め、かしらねぇ。

『ありあまるごちそう』と『貴子の胃袋』

2011-11-07 00:11:56 | 食とレビュー
〈10月25日の食事〉
朝:カボチャマッシュサンド(メゾンカイザーのカボチャパン使用) フルーツグラノーラ+豆乳 サラダ コーヒー
昼:お弁当(玄米ご飯、豚と野菜の炒めもの、ほうれん草と卵の炒めもの、白菜のおひたし)
夜:焼きチーズカレー(ローソンで購入) 野菜ジュース
帰宅後:北海道土産の緑色のビール

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少し前に映画「ありあまるごちそう」をレンタルして観た。
一言で説明すれば、フード・ドキュメンタリーということになるだろうか。

作って2日で廃棄されるパンは、その国で年間2000tにも及ぶ。
その小麦を輸出し、自国では飢えに苛まれる数多の人々。
食べ物として口に入ることはなく、燃料として暖炉にくべられるトウモロコシ。

或いは。
コストや小売価格を抑えるために、工業製品のように「生産」されるニワトリ。
味は劣るし種もとれないのに、見た目と大きさ優先で作られるナス。

更には。
外国産の安い野菜にかなわず、自国で食べていけずに他国で清掃員となる元農民。

食をとりまく環境は、分かっているつもりになっていても、いざ現実を分かりやすく呈示されると息が詰まるように感じる。
何に備えてパンを作っているのだろう。
誰のためのパンなのだろう。
誰のものでもないパンを作るために、森林を切り開いて畑を無理矢理作り、そうしてまで小麦を育てるのは何でなんだろう。

エトセトラ、エトセトラ。
現実って残酷だ。

観ながら思い出していたのは、中島らもの短編「貴子の胃袋」だ。
女子高生の「貴子」は、テレビが映し出した外国で犬が食べられているのを見て、かつて飼っていた犬に思いを馳せたのを機に肉を食べるのをやめる。
個人レベルでベジタリアンを貫く分にはいいのだが、そのうちに、今まで通り肉を食べる両親を汚らわしいとなじり、同じ鍋を使いたくないとまで言うようになるのだ。
それに対して、怒りが頂点に達した母親は気付かせてしまう。
「命があるものを食べるのが可哀想だと言うなら、米だって野菜だって生きていたものなのに」と。

以後貴子は何も食べなくなり、気がおかしくなって、ついには両親を殺める一歩手前までいってしまう…と度の過ぎたネタバラシしちゃっておりますが。
どうしてこのタイミングでこの短編を思い出したかといえば、アレルギー絡みではない、何らかの思想に基づく偏食は、結局のところ「そういうこと言ってられるから」なのだろう。
食うに本気で困れば、そういうことは言ってられまい。
飽食の、食糧が選べてありあまる世の中だから言えることなのだ。

この映画の原題は、『THE FEED THE WORLD』という。
FEEDとは、食べさせる、食べ物を与える、といった意味のようだ。
『ありあまるごちそう』、秀逸な邦題である。