三十路の食卓

食事の記録・食にまつわるあれやこれや
かっこいいごはんも いいかげんな飯も 全ては私のリアリズム(おおげさ)

福々ってことなのかも~読了。「ぷくぷく、お肉:おいしい文藝」

2014-04-17 22:08:26 | 食とレビュー
あ~美味しかった!と言いたくなった。
というか実際に脳内ではそんな声が漏れた。
目の前には空の皿はなく、あるのは一冊の本だというのに。

なんの話かって、こんな本。
『ぷくぷく、お肉:おいしい文藝』のことである。

古くは明治生まれの文豪から、この平成の世で活躍する作家まで、肉料理について書かれた書き物を集めたアンソロジー。
エッセイが多いけれどそれだけには限らなくて、昔々にアニメで見たっきりのギャートルズが、こうしてマンガとして読めるのが嬉しい。

しかしこの競演ってのが豪華なもので、阿川弘之・阿川佐和子両氏の親子競演ってのも読めるし、昭和の名喜劇俳優・古川緑波氏と小粋なジャズミュージシャン・菊地成孔氏の異色の競演も読める。
って、それぞれここに集められるのを目的とした書き物ではないから、競演ってのはおおいに私の妄想なのであるが。
そう思うとよりゴージャスに感じられるし、何より楽しい。

同じ「肉料理について書く」という共通項はあっても、そして同じ料理について書いていても、何を表現するかは本当にひとそれぞれだ。
自分の好きな名店についてを誉めたたえるひと。
小さい頃はよく食べていたが、大人になってからはめっきり食べなくなってしまった料理の、思い出の味を辿るひと。
トンカツに添えてあったキャベツから、かえがえのない旧友について想起させられたひと。
秘伝のシチューのレシピを教えてくれるひと。
いずれも大切な物事をより深く思う装置として、肉料理がはたらいているように思う。

昭和の前半に生きてきたひと達の文章からは、その料理の創成期やまだ全国的に広まっていない時期に出会った味がうかがえて興味深い。
向田邦子氏の文章からは、その昔岐阜から一歩も拡がらなかった味噌カツが。
古川緑波氏の文章には「終戦すぐくらいの時期に、こんな珍しい牛鍋を食べた」として、「中央に穴のあいた鍋に味のついてない湯が煮立っており、それに肉を入れてちょっと煮て、甘いゴマだれのようなものを付けて食べる」といった記述が出てくる。
しゃぶしゃぶという用語がみんなの辞書にはなかった頃、こう接していたひとがいたのだなあ。

やはり、<食>についてよく書かれている作家の文章は、読んでいてお腹が空くものなのだなあ。
焼き肉屋で注文して食べる心象風景を書いた久住昌之、生姜焼きの広まり方から美味しさまで書いた東海林さだお両氏の文章は読むだけで唾が出てきて、夜中に読むには罪深いほど。
(そう、仕事帰りの夜遅くの電車で読んでいたのである…愚行だ)

そして極めつけは、池波正太郎氏による、豚カツ屋・とんきについての文章。
味のみならず、経営方針や給仕する女性たちへの礼賛に心躍り、さらには目黒という馴染みがない訳でもない土地なのに、そんな名店があるとは知らなかった自分への憤りまかせに、検索してみたところ…
地図を見たかっただけなのに、写真つきで取材された紹介記事をうっかり発見し、ノックアウト。

次の休みに早速赴いた結果が、冒頭の写真になります。
美味しそうでしょう。
これまた想像以上に美味しいんです。
それだけでなく、揚げ物を避けたい30代なかばの胃をもたれさせなかったのが、ひたすらすごい。

こうして最終的には胃袋まで充実した『ぷくぷく、お肉:おいしい文藝』。
タイトルの「ぶくぶく」は、福々ってことなのかもしれない。



やっぱりメシが好きが好き。

2013-04-16 10:17:23 | 食とレビュー
〈3月15日の食事〉
朝:バゲットにチーズ、プレーンスコーン(パン類二点、ゴントラン・シェリエで購入) カフェオレ
昼:お弁当(ごはん、塩鮭、卵と野菜のいためもの、ほうれん草としめじのごま和え)
夜:大和鶏カレー(レトルト)にごはん

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私はTBSラジオを好んで聞いているのだが、この2~3月によく流れていた曲といったら、NONA REEVESの「P-O-P-T-R-A-I-N」である。
これは、NONA REEVESの西寺郷太さんが作られた『トップ5』(TBSラジオの秋冬期の帯番組)のテーマ曲が、NONA REEVESの曲として新たに生まれ変わったもの。
疾走感があって、キラキラとした都会的なポップスで、耳にとても心地よい。

何度もラジオで聞きながら、ふと気づいた。
去年までやっていた『キラ☆キラ』という番組でも西寺さんはコーナーを持たれていて、そのお声やトークはすっかりおなじみだったのだが、そういえばどんなお顔をされているすら知らないのだ。
どんな方なのかな、と画像検索してみたのが、今回の話の発端。

ほうほう、こういうお方なのかと把握したのち、目に止まったのはどうやら何かのサイトのバナーらしき画像。
そこには「やっぱりメシが好き」という文字が書かれている。
何だろう?と興味をひかれて更にクリックすれば、何ともグッと来る企画のページが待っていたのであった。

『やっぱりメシが好き』は、賃貸物件検索サイト・ホームズが運営しているサイトの1コーナー。
ゲストを招いて、その人の好きな食べ物のあれやこれやを聞き出すという企画だ。
時には特定の食べ物だけではなく、調味料や「深夜メシ」といった食べる時間やシチュエーションにこだわって語る回もあって、先の西寺さんは「ワセダメシ」「ツアーメシ」「ミュージシャン仲間メシ」なんてテーマでインタビューを受けておられる。

だいたいどれもこれも面白く詠ませていただいたが、中でも抜群に面白かったのは、漫画『孤独のグルメ』や『花のずぼら飯』の原作者として知られる久住昌之さんの回。
「食べ物の話をよく書くから誤解されるけど、僕自身はグルメではないんですよ」とおっしゃる久住さんの、まずい店に遭遇したくだりが面白い。

あるとき、店のたたずまいはぼろいのだけれど、「味自慢」なんていうのれんが掲げてあってなんとも風情がある、老夫婦がやっている定食屋を発見した久住さん。
こりゃ実は美味いんじゃと入ってみれば、味は店の見たくれと一緒で、作り置きのびちゃびちゃした天ぷらが出てきちゃったりして、すなわち不味い。
だが、老夫婦の接客はまことに愛想がよい。
そのとき、店に「生野菜定食焼肉付き」というメニューが貼ってあったのに気づく。
どんなものか気になって、不味さに懲りずに翌日に入店すれば、出てきたものは「レタスとトマトときゅうりの切ったものが皿に並んでて、そこに大量のマヨネーズがかかってる脇に、小さな焼肉が3枚添えられたもの」。
まさしく文字通りなんであった。
久住さん、マヨネーズに胡椒や醤油を入れたりと工夫しながら、少ない肉を大事に大事にしてご飯を食べたそうな。

久住さんは、「僕が食べ物の話をおもしろいと思うのは、どんな人でも『お腹がすいちゃう』という事実なんです」と語る。
どんな人間でも、満腹まで食べても、数時間すると必ずお腹がすいて、「食べたい」と思う。
それがとれも滑稽に見えるのだと言う。

確かに、食欲をあからさまにして周りに強く訴えるのはちょっと恥ずかしい振る舞いで、そういえばこんなことも私は書いたのだった。
久住さんの話に共感。
そしてまた、好きな物を思う存分に語る時の人間は生き生きとして魅力的で、そこがまたこの企画の面白さだと思うのだ。
ひいてはそれが食の面白さで、だからこそ私は食に関するあれやこれやに惹かれるのだろうか。

こんな面白いサイトに、偶然にも引っかかってきたことを嬉しく思う。
全てのインタビューを一気に読んでしまうのはもったいなくて、少しずつ楽しむ日々である。

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スラバヤ

2013-03-12 08:05:31 | 食とレビュー
〈1月31日の食事〉
朝:ミニフランスパンにずんだジャム キィニョンのスコーン コーヒー
昼:お弁当(玄米、肉と野菜の炒めもの?、ベーコンとピーマンの炒めもの、カボチャサラダ)
夜:ゆで卵入りカツカレー(セブンイレブンで購入)

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先日、桐野夏生さんの小説『ナニカアル』を読んだ。
昭和の女流作家・林芙美子氏を主人公とし、史実をもとにしながらも、「発見された私小説とおぼしき原稿には、驚くべき真実が…!」という、大胆な仮説が綴られた作品である。
歴史をよく知らず、林芙美子作品を読んだこともない私すら惹き付ける、とても面白い小説だった。

さてこの作品は、その「未発表原稿」の引用、という形をとっている。
舞台は太平洋戦争時の日本とアジアだ。
私はそれで初めて知ったのだが、様々な人気作家が、東南アジアの戦地に派遣されて赴くことがあったらしい。
戦地の様子を書いたものを新聞に載せ、国民の高揚感を煽るためである。

その芙美子氏が訪れた地名のうちの一つを目にして、ドキリとした。
とあるエスニック料理のチェーン店の名前でもあったからだ。
その他、カレーの商品名として使われていて、馴染みのある地名もちらほら。
そうか、みんな地名を由来としているのか。

戦時中、そして戦争の記憶が色濃く残っているときには、戦争が喚起されるような地名を使わないと思うのである。
翻って現在。
戦争が終わってしばらく経った。
戦争を体感した人ももう高齢者だ。
お店のターゲットは若者で、そういう時代だからこそのネーミングなのだろう。

そもそもが、チェーン展開するような店が登場するほど、東南アジアの料理が日本に浸透しているということ自体、戦争は遠い日の記憶となりつつあるということなのだろう。
だがしかし、その店の名の由来を忘れないでいようと思うのだ。
そして、これをカジュアルにネーミングに使えるという世の平和を、ありがたく受け取ろうと思うのだ。

と、重い目線で感想を書いてしまったけど、これはれっきとした恋愛小説である。
恋愛感情と作家としてのプライド。
「灰色の臓器」のくだりには胸が詰まった。
これは比喩であり、戦時中の話だからといってそのものが出てくるわけではない。
けれど臓器という喩えにうなったので、是非ともご一読されたい。

おとりよせ王子に敬服

2013-02-08 10:58:17 | 食とレビュー
〈1月6日の食事〉
朝:生キャラメルウーピーパイ コーヒー
昼:レトルトのイエローカレー
夜:塩麹鍋 日本酒

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さて、今回は『おとりよせ王子 飯田好実』というマンガ作品についてお伝えしたい。

主人公・飯田くんはプログラマーである。
会社は多忙であるが、そんな中設けられた〈ノー残業デー〉は死守している。
週に一度のお楽しみ・おとりよせの食べ物が届く日を、このノー残業デーの水曜日に設定しているからだ。
人づきあいが苦手な飯田くんではあるが、時としてこのおとりよせの品を通じて人と交流を持ったりなどして。
そんな悲喜こもごもと日常が描かれた、ほのぼのとした物語である。

これに描かれる食べ物が、なんせ美味しそうだ。
食べ物自体の絵も巧みなら、それを食べる飯田くんや周りの人々の表情からも伝わること多々。
美味しさの言い表し方も巧み。
今まで知らなかった食べ物達の知識が増えていくのも楽しいし、ぴったりの食べ方・斬新な組み合わせなんかも知れて、とにかく得るものが多いマンガなのであった。

また、飯田くんの食べ物に対する愛情には、佇まいを直したくなるものがあって。
とにかく彼は、一対一で対峙する。
美味しいものを愛で、食べている間は余計なことをしない。

私はこういうブログを書き散らかして食に対して興味津々なようであるが、その実、携帯やPCを相手に、ながら食べをすることが多い。
とりあえずの空腹を収めるために、適当なもので済ますことだってある。
飲みながらの食事は、酔いが回れば、後半に食べたものの記憶がおぼろなこともざらだ。
それが不正解ってことはないが、ありがたく愛でるように食べてこそ、命を分けてくれる食べ物への感謝を表明できるのではなかろうか。
自然にそうしている飯田くんには、敬意しきりなのである。

尚、実際に存在する食品を紹介するこちらは、美味いものガイドブックとしても有効。
今のところ実際に飲食したのは宮城・一ノ蔵の発泡日本酒「すず音」だけだが(美味しかった!)、他のものも続々と試してみたいと思う。

コミックゼノン:おとりよせ王子 飯田好実

ひとの眼で東京をみる

2012-11-15 11:42:46 | 食とレビュー
〈10月21日の食事〉
朝:けしの実バゲットにチーズ コーヒー
昼:ピタパンサンド チョコフランス(以上二点、ヴィドフランスで購入) トマトジュース
間食:芋菓子 玄米茶 @ヒカリエ内和風カフェにて
夜:〆鯖 日本酒など @蓮/三軒茶屋

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昼間に少しだけ仕事に出て、夕食の場には自宅を挟まずに向かった。
それにしても、日記を書くまで間をあけすぎるから、「〆鯖など」なんて記述になるんだよ…〆鯖だけで腹の虫が収まるわけないじゃあないか!

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渋谷ヒカリエ内・D&DEPARTMENTへ。
「東京」展を拝見、そして東京について編集されたムック「d design travel 東京」を購入。

それらは、編集者の方々が本当にいいと感じる東京の衣食住、暮らしを綴り、紹介したもの。
私が東京に出てきたのはもう一昔前にもなるのに、見知らぬ東京の姿はこんなにもあるのか。
東京の底知れなさをひしひしと感じた。

それにしても、土地勘がある場所の飲食店を、今まで知らなかったのは何とも悔しいものですね。
職場があった目黒には少なくとも2年は通っていたのだけど、豚カツの名店があったなんて。
地図をみて呼び起こされる記憶、目もくれず通りすぎたに違いないあの頃。
「ご飯やさん探してんの?こっちに豚カツ屋あるよ!」と、その頃の自分に囁いてやりたい。

本には出てないけどね、私はこんな店が好きだよ。
こんな場所が素敵だと思うよ。
この本に出てくる暮らしに焦がれ、味わいたいと思う一方で、自分の好きな東京も変わらず愛でてゆきたい気持ちも湧いてくる。
そんなことを感じた展示であり、本だった。

d design travel 東京

食事の記録と世間話の必要

2012-03-27 21:12:13 | 食とレビュー
<3月12日の食事>
朝:ツナサンド(和良のパン使用)ココア
昼:オムライスのランチセット(+サラダ、スープ、オレンジババロア)@シャポー・ルージュ/吉祥寺
夜:鮭と野菜の豆乳味噌スープ むしり鱈と大根の煮物 十二六

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この日は代休。
映画を観に行った吉祥寺にて昼食。
ガラガラであろう平日の昼間から街中に出られるなんて…と喜びいさんで出かけるものの、予想以上の若年層の人出。
そうか、もう春休みなのだった。

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先日、吉田 篤弘さんの『小さな男*静かな声』という小説を読んだ。
百貨店勤めの「小さな男」と、「静かな声」の持ち主・ラジオパーソナリティーの静香。
二人のささやかな日常が交互に綴られる、起承転結が派手な分かりやすい話ではないけど、ちょっとした「気付き」の連続が胸に残る、いい物語だった。

さて、二人の主人公のうちの一人である静香は、決して人付き合いが得意という訳ではなく、口べたである。
ところがあるとき、日曜深夜のラジオ番組のメインパーソナリティーに抜擢されてしまう。
メイン、と書いたが、実質上の出演者は一人。
つまりは独り語り番組である。

番組は毎週二時間の生放送。
音楽を流してお茶を濁してばかりもいられない。
話す内容を、さあどうするか。
彼女は、赤い手帳を購入するのだ。

赤は、彼女にとって存在が気になって仕方がなくなる色なのである。
鞄の中で、それはとても主張してくる。
気になって目につきやすいそれに、彼女は生活を送って拾う「気付き」をメモするのである。
それを構成し、ラジオにて披露するのだった。
そのくだりを読んで、頭が下がった。

私も口下手である。
人見知りもするし、世間話も苦手だ。
特に打ち解けるまで時間のかかる仕事相手の人々は、私のことを良く言えばもの静か、わるく言えば喋らない暗い人だと思っていると思う。
そして、世間話ができ、周りと打ち解けるのが早い人は、「頑張らなくてもそういうことが出来る、明るい人」だと思っているのだ。
「そういうことが出来ない」側の私は、出来ないんだからしょうが無い・出来るようになる必要も無いとすら思っている節がある。

そうじゃないのだ。
しゃべる側・しゃべるのが得意だと思われる側も、何の努力もしないで話のタネを生み出せる訳じゃないのだ。

静香の場合は「気づいたことをすぐにしたためること」だったが、そうせずともタネを拾う努力のありようなんていくらでもあるだろう。
何か情報を得たとき(それはメディアにのるものじゃなくても、たとえば移動途中に目がとまった何かでも)、それを受け取った自分の心は、どう動いたか。
面白いと思ったら、どこがどう面白いと思ったのか。
それを人に伝えるには、具体的に言葉にしておかねばならない。
ぼんやりと世間をみているから、話すことに詰まるのだ。
そう思った。

このブログは、「食」にまつわることなら何でも書く。
何かにつけて「食」のフィルターを通せば何か書けるポイントはないか、といった目線でいるため、「食」に関してなら少しは何かしゃべることができるかもしれない。
それである。
その姿勢で、万事についてただ通り過ぎるだけじゃなく、掬いあげて何かを考える癖を付けねば。

ただでさえ、ますます自分で道を選び取ることが大切になってきた昨今。
考えることもまた、人間に課せられた義務なんである。

読書と共感と食欲

2012-03-08 23:09:23 | 食とレビュー
〈2月22日の食事〉
朝:鮭とほうれん草のキッシュ(メゾンカイザーで購入) ミエルの焼きドーナツ・チョコ コーヒー
昼:お弁当(玄米ご飯、焼き塩鮭、レタスとベーコンの炒め煮、ほうれん草のおひたし)
夜:麻婆豆腐 菜の花のおひたし(以上二点、セブンイレブンで購入) 玄米ご飯

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ある小説を読んでいた。
過食症を患う女子大生が主人公である。
彼女は日々食べたものを記す。
その量たるや、圧倒的だ。

過食に陥いるにいたった明確で決定的なきっかけというものがなく、それらしき分岐点は、「そういえば、過食になった時期にああいったことがあって、こういうこともあったな」と回想されるだけだ。
「失恋したのを境に」「親の離婚がきっかけで」といった、ダイエットや美容番組でよく語られるようなトラウマ談とは一線を画する。
その辺り、画期的な話であると言えるかもしれない。

通勤の往復を使って一日で読み切ったのだから、総合的には、面白く読めたと思うのだ。
気に入った表現も何ヶ所かあった。
だけど、釈然としない気持ちがいつまでも残った。
どうしてだろう、と分析する。
と、ある可能性に行き当たった。
ああ、共感をまったく感じられないところがあったからだ。

主人公、まったく太らないんである。
文中に、「体重計の針はピタリとも動かない」といったような記述があるのだ。
食べたいだけ食べて太らないだなんて、何だそれは、羨ましいだけではないか。
そうした思いが、物語の世界から現実に引き戻してしまうんである。

彼女だって、悩んでいる。
特に確固たる理由がない食欲を持て余し、薄気味悪く感じている。
一日中「食べること」を考え、「気軽に食事を摂れない場にいたとき、途中でお腹が空いたらどうしよう」という不安でいっぱいになる。
作品ではそんな記述は出てこないが、エンゲル係数がやたらと高くなってしまうのだって困るだろう。

特に意味もなくみなぎる食欲を私も持て余しているし、食べられない用事がある時にお腹が空いてしまう状態には恐怖を覚える。
だからかなり備えた行動をする。
その辺りには深く共感する。

だけどだけど、私は食べた分だけ肥えるもの。
運動しても、動いた分だけお腹が空くもの。
すんでのところで、共感が出来なかったのだった。

作品のタイトルを記そうか迷ったけれど、全体的に喧嘩を売っているように書いている気もするから、控えておく。
物語に感情移入するには、深い共感があることが有効だ。
まざまざと見せられた一冊であった。

私の胃袋も掴まれた

2012-02-09 11:01:37 | 食とレビュー
〈1月25日の食事〉
朝:ピザトースト 野菜スープ
昼:お弁当(玄米ご飯、豚とキャベツを甘辛味で卵でとじたもの、メンタイマヨポテト、ほうれん草のおひたし、カボチャサラダ)
夜:ほうれん草とチキンのカレー ナン マンゴーラッシー @スルターン/飯田橋

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峰なゆかさんの「アラサーちゃん」を読んでいた。
のちに単行本を買うのだが、この時はブログにて。
掲載されていたマンガに胃袋がぐうとなり、オマージュとしてこんなものを作りましたよ、てな話。

アラサーちゃん。
ちょいとエロもありつつの、女心や男女関係のリアルを面白く表現するスタイルの四コママンガだ(ほか、一コマや1ページに数コマのものもあるけど。ちなみに絵もかなり好きなタイプだ)。
この時胃が反応をみせたのは、って四コママンガのオチを紹介するのも無粋なのだけど、「結局のところ色々と凝った料理よりも、冷蔵庫にあるものでさっと作った『肉を甘辛く煮て卵でとじたもの』の方が男の胃袋を掴むのだ」、という話である。

わー、そういうの食べたい、ただしここはこってりといきたいから親子丼以外でだな!と思ったのだから、掴むのは男心のみならず。
早速明日の弁当にでも作ろう。

さて肉は何があったっけ、と冷蔵庫を探れば、豚肉の小間切れを西京味噌に漬けておいたやつが出てきた。
甘辛味のベースとして合格だろう。
あとは思いつきでキャベツのざく切りも。
これらを合わせ、キャベツと卵で味が薄まる分を計算して、顆粒だし、みりん、醤油も入れてくつくつと煮る。
くたくたになったら、溶き卵を流し込む。

こうして出来たそれは、いかにも旨そうであるが、期待に漏れず。
ご飯ととても仲のよい味で、そういう意味では危険かもしれない。
また、キャベツがいい仕事しているんである。
すべてのエキスを吸い込み、くたくたになったそれを噛めば、旨味がじんわりと。
思いつきグッジョブだ。

色々書いたけれど、こりゃあ胃袋掴まれるってもんである。
彼女の洞察力に、感服しながら完食。
続編の刊行を願いながら、箸を置いたのだった。

最後に、「アラサーちゃん」ブログのリンクを貼っておきます。
『アラサーちゃん』
胃袋を動かされたのはこちらの作品。

「モーニング 食」を買いました

2011-11-21 08:12:00 | 食とレビュー
<11月9日の食事>
朝:黒豆納豆ご飯 もやしの味噌汁
昼:お弁当(玄米ご飯、豚と根菜を確かナンプラーとオイスターソースでまとめた気がする、アスパラしりしり、ほうれん草のナムル)
夜:ファミリーマートのおでん クリームチース 確かこれは鮭おにぎり…?

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2週間近く日記を溜め込むから、食事内容の記憶がだんだんアバウトになるのだ

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相も変わらず、飲食をテーマにした書物をよく読んでいる。
この前そんな状況を知った妹には呆れられた。
今揃えたいコミックが「夏子の酒」と「もやしもん」だと知ったら、どれほど呆れられるかな。

そんな家庭の事情はさておき、漫画誌「モーニング」の別冊「モーニング 食」が発行されると知ったなら、放っておく訳にはいくまい。
買いましたよ、食しばりのマンガ雑誌。
表紙の焼き肉写真が何ともビジュアルショックなマンガ雑誌。

こういった、テーマ縛りのマンガ雑誌を初めて読んだように思うが、食の「何を」「どう」表現するかという各作家陣のカードや力量に、ただただ感服させられた。

ある人は、食べ物や「食卓をともに囲む」ことから謎や事件を解明するというストーリーを。
ある人は、駅弁に入った栗一つに込められた人間模様を。
ある人は、自らの自給自足生活を描いたコミックエッセイを。
またある人は、震災が襲った彼の地を、食という目線からあぶり出した話を。

それもこれも「飲食」がテーマでありながら、どれも似ていない。
お見それしました。

どれもこれも面白かったけれど、描かれた「食」に一番惹かれたのは、須賀原洋行さんの「実在ゲキウマ地酒日記」だろうか。
今一番同居人ともどもハマっている「日本酒」というジャンルが、その知識やとても良く合うおつまみレシピとともにコミカルに描かれているこの作品。
あまりに求心力がありすぎて、酒屋のシャッターを叩いて「日本酒売ってください!今すぐに!」と言いたくなったほどだ(読んだのが夜中だったのだ)。
同居人に至っては、空腹時のヒマつぶしにこれを読み、あまりに美味しそうに描かれていたからかえって辛くなり、そっと本を閉じて目を閉じていたっけ。

「モーニング 食」次号の発行は、来年の春の予定だという。
楽しみに待っていますね、講談社さん。

『ありあまるごちそう』と『貴子の胃袋』

2011-11-07 00:11:56 | 食とレビュー
〈10月25日の食事〉
朝:カボチャマッシュサンド(メゾンカイザーのカボチャパン使用) フルーツグラノーラ+豆乳 サラダ コーヒー
昼:お弁当(玄米ご飯、豚と野菜の炒めもの、ほうれん草と卵の炒めもの、白菜のおひたし)
夜:焼きチーズカレー(ローソンで購入) 野菜ジュース
帰宅後:北海道土産の緑色のビール

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少し前に映画「ありあまるごちそう」をレンタルして観た。
一言で説明すれば、フード・ドキュメンタリーということになるだろうか。

作って2日で廃棄されるパンは、その国で年間2000tにも及ぶ。
その小麦を輸出し、自国では飢えに苛まれる数多の人々。
食べ物として口に入ることはなく、燃料として暖炉にくべられるトウモロコシ。

或いは。
コストや小売価格を抑えるために、工業製品のように「生産」されるニワトリ。
味は劣るし種もとれないのに、見た目と大きさ優先で作られるナス。

更には。
外国産の安い野菜にかなわず、自国で食べていけずに他国で清掃員となる元農民。

食をとりまく環境は、分かっているつもりになっていても、いざ現実を分かりやすく呈示されると息が詰まるように感じる。
何に備えてパンを作っているのだろう。
誰のためのパンなのだろう。
誰のものでもないパンを作るために、森林を切り開いて畑を無理矢理作り、そうしてまで小麦を育てるのは何でなんだろう。

エトセトラ、エトセトラ。
現実って残酷だ。

観ながら思い出していたのは、中島らもの短編「貴子の胃袋」だ。
女子高生の「貴子」は、テレビが映し出した外国で犬が食べられているのを見て、かつて飼っていた犬に思いを馳せたのを機に肉を食べるのをやめる。
個人レベルでベジタリアンを貫く分にはいいのだが、そのうちに、今まで通り肉を食べる両親を汚らわしいとなじり、同じ鍋を使いたくないとまで言うようになるのだ。
それに対して、怒りが頂点に達した母親は気付かせてしまう。
「命があるものを食べるのが可哀想だと言うなら、米だって野菜だって生きていたものなのに」と。

以後貴子は何も食べなくなり、気がおかしくなって、ついには両親を殺める一歩手前までいってしまう…と度の過ぎたネタバラシしちゃっておりますが。
どうしてこのタイミングでこの短編を思い出したかといえば、アレルギー絡みではない、何らかの思想に基づく偏食は、結局のところ「そういうこと言ってられるから」なのだろう。
食うに本気で困れば、そういうことは言ってられまい。
飽食の、食糧が選べてありあまる世の中だから言えることなのだ。

この映画の原題は、『THE FEED THE WORLD』という。
FEEDとは、食べさせる、食べ物を与える、といった意味のようだ。
『ありあまるごちそう』、秀逸な邦題である。