立春が過ぎても寒い日が続いています。
昨夜から今朝にかけても雪が降りました。
でも、天気予報では明日は晴れとのこと。
今年のように雪が多いと、青空と陽射しの暖かさがとてもうれしくて、それだけで幸せな気分になれます
先日ワイルダーの『長い冬』のことをうろ覚えで書きましたが、もう一度きちんと読みたくて、やっと図書館で手に入れおもしろくて一気に読み終えました。
マイナス40度の世界。
三日三晩荒れ狂う猛吹雪。
燃料も食料も底をつき、燃料にするため干し草を編み続け、わずかばかりのジャガイモと黒パンで過ごす日々。
そんな過酷な冬を想像できますか?
しかもそんな冬が10月から4月までの七ヶ月間続くのです。
鉄道はストップし町は孤立してしまいます。
小麦粉がなくなったらどうするのだろう。
石炭や灯油がなくなったらどうなるのだろう。
アルマンゾは猛吹雪に襲われず、小麦を町に持って帰ることができるのだろうか。
何度読んでもはらはらし、読むたびに当時の人々の忍耐力とたくましさに驚かされます。
小麦粉がなくなったらかあさんはコーヒーひきで小麦を挽き、石炭がなくなったらとうさんは干し草をかたく編んで燃やそうとします。
どれも根気のいる作業ですが、子どもたちも手伝い家族みんなで力を合わせ困難を克服していくのです。
自分が母親となった今読むと、どうしてもローラよりかあさんのキャロラインの方に目がいってしまうのですが、こんなつらい日々でもとうさんに感謝し、家族に楽しみを持たせ、暖かくおいしい食事をつくろうとする姿勢には心を打たれます。
こんな日々に嫌気がさしたローラは、「何もついてない黒パンなんか、あきあきしたわ」とこぼします。
するとかあさんは「今あるものの文句をいってはいけません。いつも、それがあるのを幸運だと思うようにしなさい」といましめます。
そう、その黒パンをつくっていた小麦ですらもうなくなろうとしているのです。
少しずつ減っていく小麦を毎日見ながら、かあさんはどんなに心細かったでしょう。
それでも愚痴一つこぼさず、毅然とローラをいましめるかあさん。
本当にすごいなあと思います。
そんなとき、町から30キロほど離れたところに小麦を持っている人が住んでいるといううわさがひろまり、町に住む青年のアルマンゾとキャップのふたりがその小麦を探しに行くことにします。
なんの目印もない大雪原を何度もスルー(沢地)に落ち込みながら、二人はなんとか小麦を手に入れ帰路につくのですが、そこへまた吹雪が近づいてきます・・・。
このアルマンゾという青年が、ご存知のように将来のローラの夫となる人物なのですが、この話のなかではまだそんな気配もないようです。
それにしてもこの二人は、読んでいて惚れ惚れとするような青年
(いや、私がハートマークをつけることはないのですが・・・)
ローラとアルマンゾのこの先が楽しみです。
大草原のシリーズを読んでいて興味をそそられるのは、食べ物の描写ですね
かあさんのつくる手料理のおいしそうなこと!
こんな厳しい冬の生活ですが、青いカボチャでこさえたパイ、待ちに待った汽車がやってきた5月にお祝いしたクリスマスのごちそうの数々。
そしてアルマンゾの焼く糖蜜のたっぷりかかったパンケーキ。
ああ、よだれが出そう。
乏しい食料で迎えたクリスマスでもかあさんはごちそうをつくり、みんなでささやかなプレゼントを用意してお祝いします。
当時の人々にとっては宗教というのは心の支えであり、クリスマスというのは本当に特別な日だったのですね。
このシリーズはどれも開拓期の人々の苦労が描かれていますが、それ以上に楽しみや喜びもたくさん描かれています。
大自然に囲まれた暮らし。
家も家具ももちろん食べ物もすべて手作りの生活。
頼りになるとうさんとしっかり者で優しいかあさんがいて、暖かい家庭があって。
今では得がたいそういったものに私たちは憧れてしまうのでしょう。
でも長い冬のあとには必ず喜びの春がくる、いろんな苦労を経たあとにこそ大きな喜びが得られるんだよ、ということをこの本は教えてくれているのかもしれません。
残念ながら今の時代は、親である私たちもラクに生きることが幸せだと思っているし、子どもたちもそんな私たちを見て育っています。
当時は開拓期の生活の厳しさに立ち向かう親を見ているからこそ、子どもたちも親を尊敬し親の教えを守り、自分もこんな大人になろうと思うことができたのでしょうね。
雪が降ったりやんだり、時おり青空が顔をのぞかせたり。
本当に明日は晴れるのかなあ。
寒さで縮こまっていたチューリップの芽が少し大きくなりました。
春は少しずつですが確実にやってこようとしているのですね。
昨夜から今朝にかけても雪が降りました。
でも、天気予報では明日は晴れとのこと。
今年のように雪が多いと、青空と陽射しの暖かさがとてもうれしくて、それだけで幸せな気分になれます
先日ワイルダーの『長い冬』のことをうろ覚えで書きましたが、もう一度きちんと読みたくて、やっと図書館で手に入れおもしろくて一気に読み終えました。
マイナス40度の世界。
三日三晩荒れ狂う猛吹雪。
燃料も食料も底をつき、燃料にするため干し草を編み続け、わずかばかりのジャガイモと黒パンで過ごす日々。
そんな過酷な冬を想像できますか?
しかもそんな冬が10月から4月までの七ヶ月間続くのです。
鉄道はストップし町は孤立してしまいます。
小麦粉がなくなったらどうするのだろう。
石炭や灯油がなくなったらどうなるのだろう。
アルマンゾは猛吹雪に襲われず、小麦を町に持って帰ることができるのだろうか。
何度読んでもはらはらし、読むたびに当時の人々の忍耐力とたくましさに驚かされます。
小麦粉がなくなったらかあさんはコーヒーひきで小麦を挽き、石炭がなくなったらとうさんは干し草をかたく編んで燃やそうとします。
どれも根気のいる作業ですが、子どもたちも手伝い家族みんなで力を合わせ困難を克服していくのです。
自分が母親となった今読むと、どうしてもローラよりかあさんのキャロラインの方に目がいってしまうのですが、こんなつらい日々でもとうさんに感謝し、家族に楽しみを持たせ、暖かくおいしい食事をつくろうとする姿勢には心を打たれます。
こんな日々に嫌気がさしたローラは、「何もついてない黒パンなんか、あきあきしたわ」とこぼします。
するとかあさんは「今あるものの文句をいってはいけません。いつも、それがあるのを幸運だと思うようにしなさい」といましめます。
そう、その黒パンをつくっていた小麦ですらもうなくなろうとしているのです。
少しずつ減っていく小麦を毎日見ながら、かあさんはどんなに心細かったでしょう。
それでも愚痴一つこぼさず、毅然とローラをいましめるかあさん。
本当にすごいなあと思います。
そんなとき、町から30キロほど離れたところに小麦を持っている人が住んでいるといううわさがひろまり、町に住む青年のアルマンゾとキャップのふたりがその小麦を探しに行くことにします。
なんの目印もない大雪原を何度もスルー(沢地)に落ち込みながら、二人はなんとか小麦を手に入れ帰路につくのですが、そこへまた吹雪が近づいてきます・・・。
このアルマンゾという青年が、ご存知のように将来のローラの夫となる人物なのですが、この話のなかではまだそんな気配もないようです。
それにしてもこの二人は、読んでいて惚れ惚れとするような青年
(いや、私がハートマークをつけることはないのですが・・・)
ローラとアルマンゾのこの先が楽しみです。
大草原のシリーズを読んでいて興味をそそられるのは、食べ物の描写ですね
かあさんのつくる手料理のおいしそうなこと!
こんな厳しい冬の生活ですが、青いカボチャでこさえたパイ、待ちに待った汽車がやってきた5月にお祝いしたクリスマスのごちそうの数々。
そしてアルマンゾの焼く糖蜜のたっぷりかかったパンケーキ。
ああ、よだれが出そう。
乏しい食料で迎えたクリスマスでもかあさんはごちそうをつくり、みんなでささやかなプレゼントを用意してお祝いします。
当時の人々にとっては宗教というのは心の支えであり、クリスマスというのは本当に特別な日だったのですね。
このシリーズはどれも開拓期の人々の苦労が描かれていますが、それ以上に楽しみや喜びもたくさん描かれています。
大自然に囲まれた暮らし。
家も家具ももちろん食べ物もすべて手作りの生活。
頼りになるとうさんとしっかり者で優しいかあさんがいて、暖かい家庭があって。
今では得がたいそういったものに私たちは憧れてしまうのでしょう。
でも長い冬のあとには必ず喜びの春がくる、いろんな苦労を経たあとにこそ大きな喜びが得られるんだよ、ということをこの本は教えてくれているのかもしれません。
残念ながら今の時代は、親である私たちもラクに生きることが幸せだと思っているし、子どもたちもそんな私たちを見て育っています。
当時は開拓期の生活の厳しさに立ち向かう親を見ているからこそ、子どもたちも親を尊敬し親の教えを守り、自分もこんな大人になろうと思うことができたのでしょうね。
雪が降ったりやんだり、時おり青空が顔をのぞかせたり。
本当に明日は晴れるのかなあ。
寒さで縮こまっていたチューリップの芽が少し大きくなりました。
春は少しずつですが確実にやってこようとしているのですね。