中島川を渡ると、辺りの様相が変わった。屋根の曲線、赤を基調とした色合い、中国の雰囲気が漂い始める。明治時代に入り、唐人屋敷、新地蔵所(唐人荷蔵)が廃止された際に、この場所に中華街が形成されたのが始まりという。
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